ジャミルの友達が姐さんだったら 10.5
それは深夜に当たる時間のことだった。ベッドに入って目を閉じたとき、すぐそばに見知った魔力が降り立った。ゆらゆらと不安定に揺れる魔力に、ジャミルがゆっくりと目を開ける。目を開けた先には、目元を赤くさせたツバキがいた。泣き出す寸前の、幼い子供のような顔だった。
ツバキは、稀にこういった顔をする。命の危機に陥った恐怖を思い出したとき。大切な人が怪我をしたとき。どうしようもない事態に苦悩するとき。前回このような顔をしたのは約一年前、親戚の一人の訃報を報されたときだ。
泣き喚きたいのに、うまく泣けなくて、どうしようもなく困り果てて、彼女はジャミルの元を訪れた。そのときも、今日と同じように共に眠りについたのだ。親友の体温に安心して、ようやく涙を流せたツバキと共に。
「…………どうした?」
「……ちょっと、眠れなくて」
ジャミルが布団をめくって隣を開ける。口元を引き締めたツバキが、ジャミルの隣に潜り込んだ。枕を一つ渡してやると、それを受け取ったツバキがしっかりと胸元に抱き寄せた。
口元を引き結んだツバキは、枕を抱きしめたまま、一向に口を開かない。目を閉じているけれど、眠気は一向に訪れないようだった。ツバキがこうなった理由を、ジャミルは察している。
その一報が学園中を駆け巡ったのは、ボヌールが病院に連れて行かれて数日が過ぎた頃のことだった。
―――――ボヌール・デスタン。入院病棟で首を吊り、自殺。
自殺が縁遠い学生達に、その報せは大きな影響を与えた。彼と仲の良かったものは塞ぎ込み、同室の生徒達は眠れぬ夜を過ごし、直接的な関わりの無い者達も、どこか落ちつかない様子を見せていた。彼を直接見て、己の勧めでカウンセリングを促したのだから、責任感の強いツバキが抱え込んでしまうのも無理はない。
けれど、話を聞くに、ジャミルはツバキの判断が妥当だと考えている。審神者としての出番が無い案件だったのだから、学生であるツバキに出来ることなど何も無いのだ。ツバキはあくまで審神者であり、医者でもなければカウンセラーでもないのだから。
「…………例の生徒の話、どこで知った?」
「………………ディア・クロウリー……」
あの鴉め、とジャミルが内心で悪態をつく。行く末を知りたいだろうという親切心だろうか。彼の死を理由に、今後の依頼の融通を利かせたいのだろうか。どちらにせよ、クロウリーの対応は間違っている。確かにツバキは審神者として立派に依頼をこなせる人間ではあるけれど、まだ16歳の子供なのだ。ツバキの心を顧みない対応は、どう足掻いても擁護できない。教育者としても、一人の大人としても。
「…………自分でも、こんなに沈んでしまうなんて思わなかった」
枕に顔を埋めて、ツバキが呻く。くぐもった声は、わずかに涙で濡れていた。
「人の死なんて散々見てきた。人を殺す覚悟だって、出来ているつもりだった。なのにどうして、こんなに苦しいんだろう……」
ツバキはこれから先の人生、きっと人を殺さなければならない瞬間が訪れる。神職についているからと言って、その全てが善人であるわけでは無いのだ。当然のように悪人もいて、人に害を為す人間もいる。そのような人間と出会ったとき、相手の息の根を止めるという選択肢を取らなければならない場面もあるだろう。いつその瞬間が訪れてもいいように、ツバキはずっと覚悟を決めていた。そんな覚悟は、とうの昔に出来ていた。そのはずなのに、どうしてこんなにも苦しいのだろう。後悔に似た自責の念が消えないのだろう。
「覚悟を決めていたって、揺らいでしまうときもあるさ」
ツバキの頭を抱え込むように抱き寄せる。ぽんぽんと優しく背中を叩きながら、心臓の音いきているおとを聞かせる。そうしてやっと、ツバキの目から涙が溢れた。
「私はどうしたらよかったんだ……。あれ以上、他にやりようなんて無かった。だってあの人は、何かに取り憑かれていた訳ではなくて、誰かに呪われていたわけではなくて……。本当に、精神状態が良くないだけだったんだ……」
枕を抱きしめていた腕が、ジャミルの背に回る。ボロボロと流れる涙が、胸元を濡らしていく。
ジャミルはツバキのような、特別な目を持っている訳では無い。けれど、ツバキとの関わりで、人成らざるもの達の気配に聡くなっていた。ジャミルから見ても、ボヌールからは生きている人間の気配しかしなかった。そうであるならば、ツバキの出る幕は無い。彼は心を治すための機関で、療養に励むしか手は無かった。
「人の心って、どうやって治すんだ………」
迷子の子供のような声が、ツバキの口から漏れる。ああ、これは良くないな、とジャミルがツバキの背から手を離し、頬に触れた。そっと顔を持ち上げると、不安げに揺れる瞳と目が合う。
「瞳に映るはお前の主人あるじ。尋ねれば答えよ、命じれば頭を垂れよ。―――――『蛇のいざないスネーク・ウィスパー』」
普段ならば絶対に掛からない魔法に、ツバキはいとも容易く身を委ねた。呆然とジャミルを見上げる瞳は、何も映していない。それでも尚、とろとろと流れる涙が、彼女の心の傷を物語っていた。そのことに顔を顰めながら、ジャミルが涙を拭う。
「忘れなくていい。君はきっと、忘れることを望んでいないだろう。けれど、いつまでも引きずらないでくれ。あれは、君の責任じゃ無い」
子供に言い聞かせるように、心に刻み込むように、言葉を紡ぐ。手のひらで目元を覆い、その瞳を閉じさせた。
「今は、ゆっくり休め。目を閉じて、眠りにつくんだ。夢も見ないくらいに、深い眠りに……」
そう言って手のひらをどけると、ツバキはジャミルの命令通り、深い眠りに落ちていった。すぅすぅ、と安らかな寝息が聞こえてくる。そのことにほっとして、ジャミルは思い切り息を吐いた。
(明日には元に戻ってしまうんだろうな……)
こんなにも弱っているのに、明日にはきっと、いつもと変わらない微笑を浮かべているのだろう。そんな光景が鮮明に思い起こされて、ジャミルは自分とツバキに毛布を掛けて、その中に潜り込んだ。