ジャミルの友達が姐さんだったら 10






 ―――――これは、どの案件だろうか。自分たちで片付けられる案件か。他の機関に相談するべき案件か。魔法で眠らせた生徒の顔を見つめながら、教師達は顔を見合わせる。
 慌てる生徒からの連絡を受けて駆けつけた先で、ボヌール・デスタンはナイフを片手に暴れていたのだ。ナイフを向けた相手は同じ寮に所属しているルーク・ハントだった。
 教師達の目から見て、ボヌールとルークはさほど関わり合いのある二人だとは思えなかった。学園内で頻発する魔法のぶつけ合いとは違う。拳による殴り合うとも違う。凶器を持ち出すような諍いを繰り広げるような仲になり得ない二人だったはずだ。事実として、刃物を向けられたルークも、困惑したような表情を浮かべていた。
 また、昏倒させる寸前に見た生徒の顔は、とても正気のものとは思えなかった。まるで、何か悪いものに取り憑かれたような錯覚を覚えるほど、常軌を逸していたのである。焦点の合わない瞳で譫言を呟きながらナイフを構える姿を見たときは、何の冗談だと自分の目を疑ったほどだ。そのくらい、ボヌールは異常だったのだ。


「…………サニワ殿に見ていただくか?」
「それが良いかもしれませんな。おそらく、学園長のゴマすり入校許可証を有効活用しているでしょうし」


 その場に居合わせた教師達は、満場一致でツバキに依頼を出すことに決めた。クロウリーはあまり表沙汰にしたくない様子ではあったが、ハーツラビュルの一件では、危うく死者を出す可能性もあったのだ。それは彼等が異常現象に無知であり、危険度を正しく量れなかったためである。ならば、その道の人間に話を聞くしかない。


「これは私の案件ではないですね。精神科に罹って貰ってください」


 今日も今日とてナイトレイブンカレッジに遊びに来ていたツバキに早速依頼を出したところ、返ってきたのは思いも寄らない返答だった。


「え……? 精神汚染されているとか、そういったことも無いということですか……?」
「はい。正常とは言えませんが、何かに取り憑かれているとか、そういったことはありません。なので、私にはどうすることも出来ません」


 ぽかん、と口を開けて、大の大人達が呆気に取られる。では、先ほど見た光景は、彼が正気のまま起こしたことだというのか。


「薬でもやってたのかな?」
「それこそ調べてみないと分からないだろう。しかし、あれは繰り返し使うことでおかしくなっていくものだ。ここまでの症状が出る前に、誰かしらが気付いてもおかしくは無いと思うが……」


 さらりと恐ろしいことを言ってのけたのは、カリムとジャミルである。彼等の紹介という形で、彼等にも同席して貰ったのだ。その方が、彼等に有利に働くからである。学園側に神職の人間を紹介したという実績と、紹介料という金銭面での利益が出るのだ。あとは二人が、ツバキに対して無茶ぶりをされることを危惧してのことである。この学園の教師達はみな優秀であるからか、自分に出来ることは他人も出来て当然だと考えているものが居るのだ。クロウリーはその筆頭で、何でもかんでも生徒にやらせようとするのである。それはきっと、ツバキとて例外ではない。何せツバキは、彼の学び舎に通う生徒達と同い年の子供なので。
 不穏な会話を交わす生徒達を他所に、教師達が背筋を凍らせながら顔を見合わせている。色んな可能性が頭に浮かんでは消えていき、その顔色はとんでもなく悪い。
 口元に指を掛けたツバキが、ボヌールを見つめたまま続けた。


「……この方、何かまじないの類いを試していた痕跡があります。私が見るに、身体を明け渡す儀式、といったところでしょうか。こういったまじないを試す人間は、宗教に熱心な方が多いのですが、この方にそういった傾向は?」
「待て。身体を明け渡す儀式だと? 何故そんな危険な真似を……。いや、それを聞いているんだよな……。あいにく、オレは聞いたことがないな。先生方は?」
「いや、そのような話は聞いたことがない……。彼が宗教の話をしているところも見たことがないし、そういった話も聞かない。おそらく、別の理由だろう」
「好奇心で試した、というのが一番しっくりくるな……」


 神職でない者が、自らの身体に神を宿し、神を地上に呼び戻そうとする人間は一定数いるのだ。恐ろしいことに。また、自分が新たな神になるために、神を取り込もうとする者もいる。愚かなことに。
 教師達の話では、ボヌールはその類いではないようだった。学生らしい無謀な好奇心が引き起こしたものだと、彼等は考えている。
 しかし、そうなると、ナイフを持ち出すほどの異常行動はどう説明を付けるつもりなのだろうか。物言いたげに教師達の円陣を見ているツバキに気付いたジャミルが、ツバキの隣に並ぶ。


「調べてみるか?」
「君が良ければ、そうしてくれると助かる。誰かが唆したというなら、話が変わってくる」
「確かにな。自分の意志で行ったわけではないとなると、また次の犠牲者が現れる」


 ジャミルが懐から、小さな小瓶を取り出す。彼もカリムも、常に毒に警戒し、様々な薬を持ち歩いているのだ。今しがた彼が取り出したのは気付け薬だった。ボヌールの顎に手を掛け、無理矢理開かせる。開いた口に薬を流し込むと、びくりと身体を震わせたボヌールが目を覚ました。
 ジャミルが、混乱した様子のボヌールの瞳を覗き込む。


「瞳に映るはお前の主人あるじ。尋ねれば答えよ、命じれば頭を垂れよ。―――――『蛇のいざないスネーク・ウィスパー』」


 薬で叩き起こされた彼は、抵抗する事も出来ずに簡単に魔法に掛かった。ジャミルが事の次第を話すように促すと、焦点の合わない虚ろな瞳で、彼は話し始めた。


「………特別な人間になりたかったんだ……。神様に愛されるような人間に……」


 ぽつり、と呟かれた言葉に、ガヤガヤと騒がしかった教師達も、そっと口を閉ざした。ボヌールは続ける。美しい生き物に生まれ変わりたかったのだ、と。神様に見初めて貰えるような生き物になりたかったのだ、と。


「そうであったならば、きっとあの美しい人の隣に、並び立てるはずだから……」


 それが全てだった。それらを話し終えると、ボヌールはぴたりと口を閉じた。話し終わったのが分かったジャミルは、今度は彼に再び眠るように指示を出し、ボヌールを夢の中に落とした。
 教師達が、お互いの顔を見合って、そっとジャミル達の様子を伺う。ジャミルもツバキも、至っていつも通りの澄まし顔だった。


「ふむ……。話を総合すると、彼には誰か憧れる人が居て、その人の隣に並び立ちたいと考えるあまり、怪しげなまじないに手を出した。その結果、彼は知らず知らずのうちに身体を明け渡す儀式を行っており、そのせいで精神を病んでしまった……」
「彼の口ぶりから察するに、それで合っているだろうな。おそらく、ナイフを向けられた生徒は、まじないの素材となるものを持っており、標的にされてしまったんだろう」
「そう言えば、襲われたのはポムフィオーレの生徒だったか……。目とか髪とか、取り替えようとしていたんだろうか……」
「もしくは、変身薬のようなものを作ろうとしていたのかもな。生まれ変わりたかった、という言葉から、彼は変身願望のようなものがあったのかもしれない」


 ツバキは、己で“変身薬”と口にして、その言葉の馴染まなさに違和感を覚えた。何かが違う気がする、と引っかかりのようなものを覚えるも、ツバキはボヌールを何も知らない。違和感を覚えるようなことなど、何も無いはずなのだ。きっと気のせいだろう、とボヌールから目を逸らす。教師達に目を向けて、ツバキは柔らかい笑みを浮かべた。


「幸いにも、彼はまじないを始めて日が浅い。身体を明け渡す儀式を行ってはいたものの、何かに入り込まれた形跡もありません。今の段階で終わらせれば、離れかけた肉体と精神もすぐに元に戻ります」
「そうか……。それなら何よりだ」
「デタラメなまじないなら発動するようなことはありませんが、中途半端に正解が組み込まれたまじないを行っていた場合、正式な手順で儀式を終わらせなければなりません。まずは彼の精神を落ち着かせて、どのようなまじないを行ったのかを聞き出してください」
「承知した。他に何か注意することはあるだろうか?」
「一刻も早くカウンセリングを受けさせることですね。根本的なものをどうにかしない限り、彼はまた似たようなことを繰り返すでしょう」
「……確かに、ここはカウンセラーに任せた方が良さそうだな」
「そうですな。ご家族に連絡して、病院に連れて行きましょう」


 答えが出た教師達は、すぐさま行動に移した。家族に連絡を取り、カウンセリングを受けられる病院を探し、連絡を取る。校医でも良かったが、まじないに必要なものが判明していない今、素材となり得るものがある場所に置いておくのは危険だという判断だ。
 家族から許可を貰い、適切な病院を探し出し、カウンセラーにアポを取るまでの流れは、実に見事なものだった。


「………依頼という形にしなくて良かったのか?」
「現段階で出来ることは無いからな。まじないの内容によっては専門家わたしたちの仕事になるが、それもある程度落ち着いてからでないと、実力行使に出なければならない。でも、学生相手に実力行使は拙いだろう?」
「正気じゃないボヌールに自白剤を使うのは気が引けるもんな。カウンセリングで正気に戻ってくれたらいいよな!」


 子供達の物騒なやり取りを尻目に、教師達はあっと言う間に準備を整えた。ツバキたちは邪魔にならないように、部屋の隅で壁にもたれかかる。慌ただしくする大人達の姿を目で追いながら、ツバキが肩を竦めた。


「…………神に愛されるって、良いことばかりではないんだけどな」
「確かになぁ。守って貰えたりもするみたいだけど、気に入られた神様によっては家族を殺されたり、自分自身が死に追いやられたりするもんな」


 病院に連れて行かれるボヌールの背中を見送りながら、ツバキがぽつりと呟く。その呟きを拾ったカリムが、眉を下げて困ったような笑みを浮かべる。二人のやり取りを耳にした教師達が、ぎょっとした表情でカリム達に目を向けた。
 神々にも、人間と同じようにそれぞれの個性がある。気に入った人間に取り憑いて、あらゆる厄災から守ろうとする者。自分以外の存在が近くに居ることを嫌って、近しい人間を皆殺しにしてしまう者。自分の傍に置きたがって、気に入った人間を殺してしまう者。人の理から外れた者達が、人には理解できない尺度で物事を判断して、人の範疇を超えた指針で動くのだ。それは人間にとって利益になることばかりではない。その大いなるもの達による自分勝手な振る舞いで、心を壊してしまう者だって少なくはないのだ。
 神々のお気に入りが総じて短命であるとされているのも、神々の振る舞いによるものが大きい。守るために全てを壊されて、何もかも失ってしまう者。愛する者達を奪われて、心を病んでしまう者。神々の手によって、理不尽に殺されてしまう者。その理由は多種多様に及ぶけれど、どれもこれも、神々が関わっているのには変わりない。神に魅入られた人間は、どう足掻いても神に命を奪われてしまうのだ。


「ああ。彼は、大いなるものに愛される恐怖と絶望を知るべきだな」


 そして、そんな神々の被害者であるジャミルが、しみじみとため息をついた。
 彼は、ありとあらゆる神職関係者から夭折を心配されている程度には、神々に気に入られてしまっている。ツバキの親戚に会えば「生きていたのね」と号泣され、顔見知りの巫女には「大きくなって」と喜ばれ、たまに会う祓い屋には「何故生きているのか」と驚かれる始末。ツバキたち清庭家の面々の尽力が無ければ、あっと言う間に連れ去られてしまっていただろう。彼の言葉は、誰のどんな言葉よりも説得力があった。
 カリムが慰めるように背中をなで、ツバキが励ますように肩を叩く。そんな三人の様子を見た教師達が、アイコンタクトを交わし合う。神に愛されることは喜ばしいことだと考えられている国の出身者である彼等には、三人の言うことがいまいち理解できないのだ。


「…………神に愛されるというのは、そんなに悲惨なことなのかね?」


 教師を代表してトレインが尋ねると、一瞬ツバキが顔を顰める。何度言わせれば分かるのだと、冷たい視線がそう告げていた。
 ナイトレイブンカレッジの教師達は、特に信心深い訳ではない。信仰する宗教はあるけれど、お祈りを捧げれば神が助けてくれるだなんて、本気で信じているわけではないのだ。けれど、彼等の信仰する宗教の中には、神に見放されることこそが恐怖なのだと、そのように教えるものも存在する。そんな中で、神に見初められることを恐れる考えが理解できないのも分からなくはなかった。
 そう言えば、詳しい話はしたことが無かったな、と。これを機に、認識を改めて貰えるように働きかけるのが良いかもしれない、と。そう思ったツバキは身体を正面に向け、大人達に向き直った。


「…………これは、とある男性の話です」


 そう前置きして、ツバキは静かに語り始めた。
 東方の国のとある町に、神に見初められてしまった少年がいた。
 彼には夢があった。田舎生まれの人間にはよくある、都会への憧れというやつだ。彼は大人になったら都会に出たいという夢があったのだ。
 けれど、彼がその夢を叶えることは、終ぞ無かった。全て奪われたのだ、神々によって。
 少年が青年となり、独り立ちする頃。都会へと向かうために乗った飛行機が墜落事故を起こしたのだ。奇跡的に助かったのは彼一人。その彼も両手足を失って、とても一人では生きていける状況ではなくなってしまった。
 それでも彼は諦めなかった。夢を夢で終わらせたくなかったのだ。けれど、どんなに頑張っても、町から出ることすら出来ない。車が燃え、船が沈み、道が落ちる。挙げ句の果てには、付き添いをしてくれる約束をした人間が記憶を失い、酷いときには亡くなってしまうのだ。そんなことが繰り返されて正常で居られるほど、その人は強くなかった。
 夢を諦め、心を病み、その人はベッドの上で死人のように何年か生きた後、衰弱して亡くなった。


「これは、とある女性の話です」


 絶句する教師達をそのままに、ツバキは言葉を続ける。
 その女性には長年付き合っていた恋人がいた。お互いに結婚の約束をしており、家族への顔合わせも済ませ、晴れて二人は婚約者となった。
 結婚式までわずかばかりとなったところで、二人の間に子供が出来た。この事実を知ったとき、女性は幸せの絶頂へと至ったという。家族からも祝福され、婚約者にも泣いて喜ばれ、これ以上無いほどに幸福だった。
 しかし、そんな幸せはある日突然奪われることとなる。二人で結婚式場の下見に行った帰り道、突然橋が落下したのだ。橋の破片に押しつぶされた婚約者は即死。女性も落下した衝撃で、子が流れてしまった。けれど、不思議なことに、女性は無傷だった。
 幸せの象徴とも言える婚約者と子供を失って、女性は心を壊してしまった。ずっとベッドから起き上がらずにいたかと思えば、ふらりと街中へ消えていく。突然奇声を上げて暴れ出す。ありもしない妄言を延々と語り続ける。
 そんな中、女性は一夜にして身籠もった。たった一晩で、臨月の赤子ほどの大きさにまで育つ怪物を。
 これは不味いことになったと家族が神職の者に声を掛けたときにはすでに遅かった。女性は忽然として姿を消し、その後の彼女を見たものは居ない。


「これは、とある少年の―――――……」
「わ、分かった! もういい! もう十分に理解できた!」
「…………本当に?」


 バルガスの制止に、ツバキが首を傾げる。無感情にゆっくりと傾く首は、壊れかけの人形のようだった。ゾッとする心地に陥りながらも、教師達は懸命に頷く。そんな彼等の姿からは、これ以上悍ましい話を聞きたくないという心情が透けて見えた。
 教師達がこれでは、いつかきっと、取り返しの付かないことになる。早いうちに考えを改めて貰わなければならない。けれど、凝り固まった考えを変えていくのは至難の業だ。長い戦いになりそうだな、とツバキは小さくため息をつき、肩を竦めた。




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