例えその目に映らなくとも
それはあまりに突然のことだった。
政府からの帰り道、突如としてそれは起こった。
ぞわりと背筋を這う悪寒。
押さえつけられるような圧。または奪われたような喪失感。
とっさに当たりを見渡せば、壁に張られた不自然な札。
(またか……)
椿はうんざりとしたような表情で肩をすくめた。
椿の存在は、政府にとったら目の上のたんこぶの様なものだ。
自分達に都合のいい審神者を摘発し、政府の役人さえ捕らえたのだから。
その上、率いるのはブラック本丸出身の刀剣男士。
そして何より、守るべき歴史を変えかねない過去の人間であること。
それらの理由から、椿は政府から不遇な扱いを受けていた。
嫌がらせと言うには度が過ぎた行いも、平然と行われている。命の危険に晒されたことも少なくは無い。
(今度はなんだ……)
少し前にブラック本丸に送られたばかり。今回もまた、命を脅かすものかもしれない。警戒は高まるばかりだ。
どくり、どくり、と鼓動が速まる。
(落ち着け……)
落ち着くんだ、と宥めるように自分に言い聞かせる。
そっと懐の五虎退を握ろうとして、愕然とした。
五虎退は確かにそこにある。けれど刀剣男士としての熱が、付喪神の気配が、まったくと言っていいほどに感じられないのだ。
まさか、と隣を見れば、確かにそこにいたはずの五虎退が姿を消していた。
(何だ、これは……)
顕現を解いたわけでも、顕現が解けたわけでもない。なのに、五虎退は突然姿を消した。
(どういうことだ……)
懐から五虎退を取り出し、そっと撫でる。
けれどどうしたって、五虎退の気配を感じることが出来なかった。
そのとき、きゅ、と袖口が引かれるのを感じた。
ばっと勢い良く振りかえるも、そこには誰の姿もない。
けれど確かに、袖口を掴む者がいる。
次いで、ねっとりとした視線を感じ、次はゆっくりと振り返る。
そこには下卑た笑みを浮かべる役人がいた。
「いかがなされました? 審神者様?」
そういうことか、と椿は理解した。
圧を感じたのは審神者としての力を封じられたから。
奪われたと感じたのは、文字通り奪われたからだ。
見ること、聞くこと、触ること。刀剣男士の存在を感じることの全てを。
それらを取り上げら得たから、喪失感を味わったのだ。
(なるほど……。審神者としての力が失われたと錯覚させ、審神者を辞めさせようという訳か……)
椿にとって審神者をやめるということは、死に等しいことだ。
未来を知ってしまった過去の人間を、歴史を変えかねない危険因子を、政府が野放しにするわけがない。
審神者を辞めたその末路は、決まったも同然だった。
(屈するものか。このまま、奪われたままでなるものか)
胸中に渦巻く怒りなどおくびにも出さず、椿はそっと微笑んだ。
「いいえ、何も」
―――行こう、五虎退。
常と変らない笑みで椿が見えない五虎退を帰路へと促す。
それに一瞬面食らったものの、すぐに役人は顔を顰めた。
「下女めが……」
吐き捨てるように呟かれた言葉は、椿の耳に入ることは無かった。
