彼らの幸せを願う






<どうか彼らに幸福を、そして彼女に祝福を>※研修中、宗三視点



 庭先で担当たちが遊んでいる。高くかわいらしい声が本丸に響いているのを聞いて、僕――宗三左文字は思わず口元を緩ませた。
 小夜くん、と呼ぶ声が聞こえているから、見習いの今日の近侍である小夜左文字も含めて庭を駆け回っているのだろう。僕の隣で縁側を歩く兄――江雪左文字も口元が弧を描いている。
 本丸を一歩出ればそこは戦場だが、本丸内はとても平和だ。


「おや……?」


 兄様が声を上げる。彼の視線を辿ると、日の当たる縁側で、見習いが座りこんでいた。どうやら今日学んだことを復習していたら、そのまま眠ってしまったらしい。研修続きで疲れているのだろう。この真面目な見習いのことだから、自分の本丸に帰ってからも、夜遅くまで勉強しているのかもしれない。


「布団に運んだ方がいいでしょうか?」
「動かすと起きてしまうでしょう。何か掛けるものを取ってきます」


 出来るだけ声を押さえて尋ねれば、兄様はゆったりとした声で答えた。そうして踵を返そうとしたところで、見習いの目蓋が震えた。


「ん……?」
「ああ、起こしてしまいましたか……」


 見習いは寝起きが弱いのか、目が覚めてからも夢うつつの状態であった。
 現状が把握できていないのだろう。自分の膝のあたりをぼうっと眺めている。そして一気に覚醒した。


「今、何時ですっ? 午後の研修は……」
「大丈夫ですよ。まだ休憩中です」
「そう、ですか……」


 慌てて身を起こし、第一声がこれである。まだ時間に余裕があることを伝えれば、ほっと息をつく。そんな見習いに、僕と兄様が苦笑した。
 この見習いは、飢えた獣の様だ。獅子が肉を欲するように、知識を欲している。
 一秒でも無駄にしたくないという姿勢に感心半分、呆れ半分。積極的なのはいいが、全力が過ぎる。ずっとこれでは、身が持たない。


「随分お疲れのようですが、ちゃんと休んでいますか……?」
「本来、見習いというのは住み込みなのでしょう? 貴方もそうした方がよかったのでは?」


 さすがに刀剣達も含めて住み込みという形になるとさすがにきついが、預かれないことはない。何より見習いの刀剣達は総じて働き者であるから、うちの本丸に来てくれれば助かるのもまた事実だ。
 何より、この見習いは放って置けば野垂れ死んでいそうで、少し怖い。死因は過労死に違いない。


「たった二週間のことですので、少し夜更かしを……。住み込みは審神者さんの負担になりますし、私の刀剣達にそれは酷です」


 この本丸と、彼らのいた本丸は、あまりにも違いすぎる。
 言われた言葉に、ドクリと心臓が跳ねる。
 そうだ。彼女の刀剣は、虐げられてきたのだ。その片鱗を、僕らは何度も垣間見てきた。
 初日の大倶利伽羅の抜刀。あまりにも大人しい鶴丸。兄弟を目に映した瞬間に泣きそうに顔を歪めた山姥切。庭で遊ぶ短刀達を見て、仕事をしなくても大丈夫なのかと困惑した薬研。本丸に溢れる刀剣を見て絶句した長谷部。
 たくさんたくさん、垣間見てきた。今日この本丸に足を踏み入れた小夜だって、酷く狼狽していたではないか。ここは本当に本丸という場所なのかと、彼の主たる見習いに何度も尋ねていたのを、僕も見ていたのに。


(失念、していた……)


 本質すら捻じ曲げられた事実。当たり前を当たり前だと捉えられない異常さ。『普通』でないことを改めて知らしめられることの、どれだけ惨いことか。それをするのは、彼女の本意でも、僕らの本意でもない。
 浅はかだったと反省していると、見習いが立ち上がった。


「そろそろ午後の準備をしなければいけませんので、失礼します」


 頭を下げて、見習いが僕らの隣をすり抜ける。真っ直ぐに前を見つめる見習いの目は酷く凪いでいた。
 子供をする目では、ないと思う。


「この世は、地獄です……」


 兄様が呟く。
 まったくもってその通りだ。今、短刀たちと戯れている小夜も虐げられてきた。
 何の罪もないのに。審神者の私利私欲のために。


「君が言うのか、それを」


 人間の愚かさを嘆き、憂いていると、見習いの鋭い声が、耳に滑り込んできた。
 ぎくり、と肩が震えた。
 突き刺さるような声だった。一字一句を、この身に刻まれるような、刃物のような言葉だった。
 振り向けば、見習いが肩越しにこちらを見ていた。
 凪いでいると思った瞳は、苛烈な炎を湛えている。


「彼らの望む幸せの中に在るお前が、地獄だと」


 ここが本当に地獄ならば、彼らだって落ちたいだろうな。
 そう言って見習いは、僕らに興味を失ったかのように前を向き、振り返ることなく立ち去った。


「―――……浅はか、でしたね。彼らと向き合うことを選んだ彼女の前で、地獄などと」
「そうですね……」


 這い上がろうとする刀剣達と、救いあげようとする見習い。
 そんな彼らに地獄にいたことを自覚させることの、どれほど残酷なことか。
 主に不当に扱われる感覚を、僕は知らない。傷つけられてきた刀剣達を癒そうとすることの大変さも。
 けれども僕は、彼らの幸せを祈らずにはいられなかった。


(どうか、思い描く幸せを手に入れられますように、)




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