満たされる幸せ
「さぁ、召し上がれ」
出来たてだから美味しいよ。
そう言って柔らかく微笑むのは山姥切長義が配属された本丸の主―――椿だ。
長義の目の前にはたくさんの料理が所狭しと並べられた机がある。
「国広と二人で作ったんだ。国広は料理が得意だから、きっと君も満足できる仕上がりになっているよ」
ふっくらとしたつやつやの白米は、間違いなく大釜による炊き立てだ。
豊かな磯の香りを漂わせるお吸い物にはあさりが三つと細切りにされた椎茸が入っていて、色鮮やかな三つ葉が浮かんでいる。
他にも目移りしそうなほど色とりどりの料理が並んでいて、長義は思わず圧倒された。
どうしてこうなったのだろう、と半ば現実逃避に思考を巡らせる。
本丸に配属されて、食事をしたことがあるかと尋ねられたことまでは覚えている。その時確か自分は、食事は取ったことはあるけれど、あまり興味関心が無い旨を伝えたのだったか。
それに大きな反応を示したのは椿よりも、己の写しである山姥切国広だった。
曰く、もったいないのだと。食事は腹を膨らませるだけでなく、心も満たしてくれるものなのだと。幸せにしてくれるものなのだと熱く語られた。
幸せを自ら手放すなんて惜しいと、強く強く説き伏せられたのだ。
彼が劣悪な環境下に置かれていたことは既に椿から伝えられていた。だからこうも必死になるのだということは分かっていた。
けれど。けれど『山姥切』の名を、己の逸話を己の写しに奪われつつある現状が、つい心にもない言葉を口にさせたのだ。
『随分安い幸せだ』
と、彼にとってこの上なく残酷な言葉を。
けれど国広はそれを否定することなく言ったのだ。
『確かにそうかもしれない。ごく普通の、当たり前のことなのだろう。けれど、俺にとってはかけがえのないことで、とても尊い幸せなんだ』
だから、
『だからあんたにも、その当たり前の幸せを感じてほしいんだ。ただの食事だと侮らず、それに付随する多幸感を知ってほしいんだ』
―――俺にとって本科は特別だから。
そう言って俯いた彼に絆されたわけではない。
ならば自分も手伝うから、共に料理を作ろうと申し出た椿を無下にできなかったからだ。
楽しみにしている、と告げた言葉に二人が喜び勇んでいたから、この現状が生まれたのだろう。
食事に関心が無いために食の細い長義では、とても食べ切れない量の白米が茶碗に盛られている。
けれど、同じ食卓を囲むことが出来て嬉しいと言ってはばからない主を、やはり無下にすることは出来ず、美味しそうだね、と引き攣る口元を何とか抑えてみせることしか出来ない。
「では、冷めないうちに。いただきます」
「「「いただきます」」」
椿の号令に、刀剣男士達も手を合わせて頭を下げる。長義もそれに習って手を合わせ、丁寧に頭を下げた。
見たこともない料理の数々に目移りしながらも、最初に手をつけたのはとろみのついた餡がかけられた揚げだし豆腐だった。
出来たて故に熱々で、鰹節が踊っている。ねぎの鮮やかな緑が美しい。
一口大に切って口に含む。さっくりとした衣と、餡によってしんなり柔らかくなった衣の二種の食感が舌を楽しませた。ほろりと崩れる豆腐の食感も、また良い。
「美味しい……」
思わず呟くと、視界の端にひらりと桜が舞った。
見れば国広が嬉しそうに頬を上気させている。ふにゃふにゃとしまりのない顔で、この上なく幸せそうに。
その顔を見れば分かる。この揚げだし豆腐は彼の作ったものなのだろう。癪ではあったが、美味しいものに罪は無い。
熱々の豆腐で喉を焼くように食べ進め、次の一品に手を伸ばす。
続いての一品は大きめに作られたハンバーグだ。
デミグラスソースがかけられたハンバーグはつやつやとしていて食欲をそそる。
こちらも一口大に切ろうと箸を入れると、肉汁とともにチーズが溢れてきた。
思わぬサプライズに口がほころぶ。これは良い驚きだ。
もやしと人参のナムルは酸味が効いていて、さっぱりとした仕上がりとなっている。
しゃきしゃきとした歯ごたえがたまらない。
ハンバーグのこってりとした味わいを洗い流すような爽やかさがあり、箸休めに丁度いい。
卵で閉じられたとんかつは味が濃い目に作られていた。
長義は知らないが、これは椿の作で、ソースを掛けてじゅわんとしみ出る肉汁の旨味を消してしまうことを嫌ってのことだ。
濃い味付けがたっぷり染み込んだとんかつは柔らかく、噛み締めるたびに肉汁が溢れだす。
その旨味に茶碗の米が見る間に減っていく。
そんな姿を見て、椿が口元に笑みを浮かべた。
「魚は好きか? 脂が乗っていて美味しいよ」
「いただこう」
ふわりと湯気を上げながら目の前に運ばれてきたのはほっけの塩焼きだ。
ぷりぷりとよく脂が乗っていて、箸を入れるとほろりと解ける。
口に入れるとじわりととろける柔らかさで、シンプルな味付けだからこそ、魚本来の旨味を存分に味わえる。
文句なしに美味しい。評定はもちろん「優」だった。
ハムとたまねぎ、キュウリの入ったポテトサラダはジャガイモを粗めに潰してある。
大粒のジャガイモはほくほくとしていて、素材の自然な甘さが味わえる。それが好きで国広が作った一品だ。
丁寧に潰されたジャガイモで作られた光忠のポテトサラダも滑らかで他の具材と良く絡んで美味しいけれど、食べごたえのある粗いジャガイモのポテトサラダの方が椿の本丸では人気だった。
長義も気に入ったようで、多めに取り皿によそう姿に国広の桜吹雪が止まらない。
周囲でその様子を窺っていた国永達も微笑ましげに笑っていた。
炒められた茄子の上にたっぷりと肉味噌がかけられた料理は椿の本丸の人気メニューだ。
他の皿よりも無くなるペースの速い一品に長義が思わず手を伸ばす。
火を通したことでとろとろに柔らかくなった茄子は舌の上で溶ける様だ。
炒められた味噌の香ばしさと肉の旨味は相性が良く、その美味しさに長義が目を瞠る。
(ご飯って、こんなに美味しかったんだ……)
厚みのある卵焼きは丁寧に作られているからふんわりと柔らかい。
たっぷりと大根おろしを乗せて、はくりと頬張る一瞬は幸せの絶頂にいるという心地にさせる。
大根の煮物は芯まで味が染み込んでいてとろとろで、レタスと豆苗のサラダはしゃきしゃきと良い食感。
これでもかと盛られたエビフライ。辛味の効いた麻婆豆腐。
箸を動かす手が止まらない。気付けば、白米を三杯もお代わりしていた。
それほどまでに、ご飯がおいしい。
「ごちそうさまでした」
所狭しと並べられた料理がきれいさっぱりなくなった頃、満足感を得た長義はようやく手を止めた。
良く冷えた麦茶を流し込み、ふぅと息をつく。
(なるほど、これが満たされる、ということか……)
自分は与える側だけど、たまには与えられるのも悪くない。
お腹と心が満たされた長義は、思わず緩む口元を押さえられなかった。
しまりのない顔をしている自覚はあったが、そんなことも気にならないほどの多幸感に包まれていた。
「本歌、」
控えめに、柔らかく落とされた声が耳を打つ。
その声に振り返ると、己の写しがほんの少しだけ不安をのぞかせた顔でこちらを見つめていた。
「美味しかった、だろうか?」
少しは、満たされただろうか。
そう言ってこちらを見つめる瞳はわずかに揺れていた。
自分の食べっぷりを見れば分かるだろうに。自分でも分かるほど満足げな顔を浮かべているのに。
それでも国広は、まるでこれで正しかったのかと、自分を疑うような素振りを見せるのだ。正しいものを知らないから、正解が分からないとでもいう様な、不安げな顔で。
だから長義は、思うがままに伝えてみせた。
「美味しかったよ、とても」
―――心の奥底まで満たされて、とても幸せだよ。
ありのままを、心のままに。正直な心を、これ以上なく素直に。
自分の興味関心があっさりと覆されたことへの恥はあった。
酷いことを言ったこの口で、幸せだなどとのたまうことの罪悪感もあった。
けれど、伝えなければならないと思ったのだ。その不安そうな顔を、笑顔に変えてやらなければ、と。
奪われてばかりだったであろう彼から、これ以上を奪ってはいけないと、そう思ったのだ。
だって自分は、与える側の立場にあるのだから。
「ありがとう、幸せを教えてくれて」
満たされる喜びを教えてくれて、ありがとう。
そう言って微笑むと、国広はこれ以上ないほど美しい笑みを浮かべて、幸せそうに笑ったのだった。