裏側にて
(眠れねぇ……)
布団の中で、薬研藤四郎は深く嘆息する。
今日は一日でたくさんのことがあった。
昼の休憩でかつての本丸の夢を見て、情けなくも取り乱して。
主たる椿がいなくなったかと思えばブラック本丸に送り込まれていたと知って。
そのブラック本丸の刀剣男士を連れ帰ってきた。
そんな濃厚な一日の記憶がいつまでもぐるぐると脳内を駆け廻り、一向に眠気が訪れることは無い。
(明日は出陣だってのに……)
目を瞑り、寝返りを打つ。
けれど目を閉ざして暗闇に身をゆだねようとすると、どうしてもかつての本丸のことが脳裏をよぎるのだ。
それもこれも、今日はかつての本丸を思い起こさせる要素が多すぎたが故だ。
「薬研」
静かな声が静寂に満ちた広間に響く。
落ち着いた、良く通る声は染み入る様な優しさを孕んでいた。
「姐御……?」
「ああ、やっぱり起きていた」
困ったように眉を下げ、椿がゆっくりを身を起こす。
「すまねぇ、起こしたか?」
「いいや。私も眠れなくてな」
―――今日はいろいろあったから。
ぽつりと落とされた声に、怒りや悲嘆は無い。そこにあるのは愛しいという感情だ。
おそらく、膝丸や見習いのことを思って落とされた声なのだろう。
膝丸は前に進むことを選び、自らの手を取った。
見習いとの間にあった溝が埋まり、今まで以上に良い関係が築けることが予想される。
椿という人間は、負の感情を持ち続けるのを苦手とするのだ。故に、自分を貶めていた担当役人のことなど、もはや気にすることですらないのだろう。過ぎたことだと、捨て置いているのかもしれない。
担当役人が捕まり、状況が改善される見込みがあるから、悲嘆することなどないと前向きに考えているのかもしれない。
椿という少女は、常に前を向いて生きているのだ。
(相変わらず、強いお人だ……)
眩しいな、と目を細める。
愚か者で、どうしようもない部分も多々あるけれど、そんな風に不完全ながらも眩い人だから、ついていこうと思えたのだ。
「なぁ、薬研」
「うん?」
「まだ眠くないのなら、私に付き合ってくれないか?」
いっそ、夜更かしをしよう。
そう言ってひそやかに笑う椿は、悪戯っ子の様な幼い顔をしていた。
* * *
コトコトコト、カチリ。
温めてた鍋を火から下ろす。
鍋の中身を柔らかな色合いのマグカップに移し、湯気が上がるそれを薬研に差し出す。
「これは?」
「ホットミルク、というものだ。温めた牛乳だよ」
「ほっとみるく……」
「飲んで御覧。美味しいよ」
ふぅ、と息を吹きかけて、丁度良い温度に覚ます。
一口口に含んでほぅ、と息をついた椿を真似て、薬研も一口ミルクを口にする。
温かく染みわたる様に胃のふに落ちる感覚に、薬研もほっと息をついた。
優しい甘さに癒される。
「牛の乳ってのは温めると甘みが増すんだな」
「ああ。そこに更に蜂蜜も入れているしな」
「はちみつ?」
「ホットミルクにも色々とレシピがあって、基本的には砂糖を入れるかな。他にもしょうがを入れたり、シナモンやきな粉を入れるのも美味しいんだ」
しょうがは体を温めてくれるし、シナモンは香りを良くしてくれるし、きな粉は飲みごたえを出してくれてどれも好きだ、と椿は笑う。
「そして今回は蜂蜜」
黄金の蜜の入った瓶を見せ、悪戯っ子のような意地悪な笑みを浮かべる。
「砂糖よりも甘さが控えめな味わいになるけれど、蜂蜜には保湿効果もある。泣いて喉を痛めた君には丁度いいだろう?」
喉を痛めても大丈夫。だから、安心してもっと泣け。
そう言って目を細める椿に薬研は苦笑する。
それは本当に大丈夫と言っていいものか、と。
「しっかし、夜更かしなんて、一兄に見られたら怒られそうだ」
「もし見つかったら、一緒に怒られたらいいさ」
「一兄は怒ると怖ぇぞ?」
「なら見つかる前に、何事も無かったかのように寝てしまおうか」
「―――そうだな」
あんなにも眠れそうになかったのに、今ではすっかり穏やかな心持ちになっている。
これならば、ぐっすり眠れそうだ。
(あんなに鬱々としていたっていうのに、現金なもんだ)
椿を独り占めして、秘密を共有して、幸せだと感じている。
あっという間に満たされて、上向いた心に、薬研はついつい笑みを浮かべるのだった。
―――きっと今日は、幸せな夢を見る。