彼らの幸せを願う
<涙の肯定>※研修中、燭台切視点
「審神者さんって良い人だよね」
頑張り屋の姐さんに付き合うのはきっと大変だろうに、一緒になって頑張ってくれるなんて。
そう言って目を細めたのは見習いの刀剣である僕――燭台切光忠だった。
彼の主たる見習いは、僕の主のもとに審神者のイロハを学ぶために研修に来ている。見習いはとても真面目な人で、休憩中であるにもかかわらず、質問なんかを繰り返しているようだった。主も主で、一生懸命な見習いに触発されてか、休む間も惜しんで見習いに知恵を授けている。
努力を惜しまない見習いに、主は真剣に向き合いたいのだ、と言っていた。彼女の想いに報いたいのだ、と。
けれどそれは、ごく普通の師弟のソレだと思う。特別なことでは、きっとないのだ。
確かにすばらしい光景だとは思う。けれどそれを改めて指摘するほど、珍しいものではないと思うのだ。日常の、どこにだって存在する光景なのだから。
けれど、それを言ったのは見習いの――ブラック本丸を引き継いだ審神者の刀剣だ。
具体的な説明を受けたわけじゃない。知っているのは彼らが虐げられてきた刀剣だということだけ。きっと彼にとって、主と見習いの織り成す光景は、普通ではないのだ。
ありふれた光景を見て「良い人」だと微笑ましげに笑う光忠に、涙腺が刺激されてやまない。主の涙腺の緩さを受け継いでしまったことを恨むしかない。
「今、僕のこと変だと思ったでしょう?」
「そんなことないよ」
「別に責めてるわけじゃないよ」
唐突に言われた言葉の内容に、ぎょっとする。思わず声が上ずる。挙動不審ともとれる僕に、光忠が苦笑する。
見習いの刀剣達は、普段は驚くほどに落ち着いている。本来なら僕たちの方が落ち着いていてしかるべきなのに、彼らはブラック本丸の刀剣であったことを感じさせないほどに冷静だ。 これも、主たる見習いの影響なのだろうか。
「責めてるのは、僕自身だよ」
そう言って、光忠は眼を伏せた。
「料理を出したらいただきますって言ってもらえるのも、毒味なんてせずに食べてもらえるのも、おいしかったらおいしいって言ってもらえるのも、主の時代では、全部当たり前なんだって」
前の本丸だったら、信じられないことなんだよ。
「じゃあ当たり前にしていこうって、姐さんが言ってくれたんだ。でも僕は、それを未だに当たり前のこととして受け入れられずにいる。僕にとっては、とても尊いことなんだ」
今でもたまに、泣きたくなるんだよ。
そう言って笑った光忠は、今にも泣いてしまいそうだった。むしろ、泣いているようにさえ見えた。
こんなの、普通の本丸だったらありえない。
政宗公の時代なら、毒味係の人間だっていた。けれど、今の時代にそんな人間が不要であることは、刀である僕らだって知っている。知っているうえで、信頼をもらえないことの、何と不幸なことか。それも、主と敬っていた人間に。
彼らのいた本丸が普通ではなかったのだと、改めて思い知らされた。
(勘弁してよ……!)
僕は主に無条件の信頼を与えられている。僕が出したご飯を、何の疑いもなく口にして、おいしいと言ってくれる。
主はそれを当たり前として過ごしてきた時代で生まれ、それを僕たちにも教え、僕らの当たり前にしてくれた。
彼も、それを当たり前にしてくれようとしている主に恵まれた。けれど、それ以上に根が深いのだ。それだけ、傷つけられてきたのだ。
こちらがどれだけ主に無条件の信頼を寄せても、すべて拒絶されてきたのだ。それはきっと、想像を絶するほどに辛いこと。無条件の信頼を、当たり前として受け取る僕らにとっては、理解を示すのもおこがましいことだろう。
そんな経験をしてなお、笑顔でいようとするのをやめてくれ。いっそ泣き喚いてくれたなら、僕だって思い切り泣けるのに。
「君たちも優しいよね。僕達を想って泣いてくれているんだろう?」
そう言われて、もうすでに自分が泣いてしまっていることに気がついた。
ああ、駄目だ。止めなければ。辛い目に遭ってきた彼が泣いていないのに。彼らは同情を欲しているわけではないのに。
「ごめん……。格好悪いよね、」
「そんなことないよ」
光忠は笑っていた。
「僕もよく泣いちゃうんだ。とても尊いことなのに、姐さんはそれを何のためらいもなく与えてくれるんだ。泣くな、っていう方が、無理だよね」
最初は我慢しようとしてたんだよ?
光忠は少し照れたように頬を掻いた。それからゆっくりと手を降ろし、視線を自分の主へと向ける。そのまっすぐな眼差しには、一点の曇りもない信頼が宿っていた。
「姐さんが教えてくれたんだけど、自分の心に素直になるのって、実はとっても難しいことなんだって。色んな柵があるから、人は嘘をつくしかないこともあるんだ。他人にも、自分の心にも」
光忠はそう言って、また目を伏せた。
「時には泣きたいのさえも、我慢しなくてはならない。隠すことで、相手に迷惑を掛けないようにすることも出来る。情けない姿をさらさなくて済む。でもそれが、逆に相手を悲しませてしまうこともあるんだ」
いっそ泣いてくれたらって、思ったことはないかって、姐さんに聞かれたんだ。
その気持ちを僕は何度も抱いたことがある。すごくすごく辛くて、苦しかった。悲しかった。いっそ泣き喚いてくれたら、一緒に泣けるのに。慰めることも出来ただろうにって。何度思ったか分からない。
『君が泣かないことで、君を大切に思う相手も、同じ苦しみを味わうことになる。君はそれでいいのか? それは君の言う『格好悪い』には含まれないのか? 私はそうは思わない。君は違うか?』
そう言われて、確かになって思ったんだ。相手に心配をかけて、苦しませることの方が、よっぽど格好悪いよね、って。
「姐さんがそれを教えてくれたから、僕は泣くことも笑うことも出来るようになったんだよ」
凄いでしょ? 格好良いでしょ? 僕らの姐さん。僕らの自慢の主だよ。
光忠は、思わず魅惚れるくらい自信に充ち溢れていて、格好良かった。
彼の視線の先には、真剣な顔をした見習いと、僕らの主がいる。彼らと僕らを率いる、将の顔をしていた。
「うん。格好良いね」
「でしょ?」
僕らの主も負けてないけどね。
そう言って笑うと、光忠も笑った。
帰り際に光忠に「君が泣いてくれて嬉しかったよ」と言われ、もう一度泣く羽目になるのだが、それはまた別のお話。