綺麗でなくとも構わない
それは雨の日の逢魔が時。万屋通でのことだった。
「私、綺麗?」
椿に声を掛けたのは一人の女であった。
長身の椿でさえ見上げるような長身。時期外れなコートを羽織っている。
けれど、一際目を引くのは、その美貌を隠す大きなマスクだ。その美しい顔を、まるで見られまいとするように念入りに隠している。
そんな女に声を掛けられた椿はにっこりと笑う。
刀剣男士が、周りの人間が、あ、と思ったときには遅かった。
「こんにちは」
もうこんばんは、かな?
そう言って女が傘を差していないことに気付いた椿は、そっと傘を傾けた。
そんな椿に女は再度問い掛ける。
「私、綺麗?」
「価値観は人それぞれだからなぁ」
「ねぇ、答えて」
女の問いに椿はのんびりと笑う。
それに苛立ちを覚えたのか、女がいきり立つ。
そんな様子に護衛として付いて来た山姥切国広、大倶利伽羅、鶴丸国永の三振りが刀に手を掛ける。
他の審神者や刀剣男士たちも緊急時に備えて構えるが、椿はそれらを手で制した。
椿の余裕な態度に、女が椿に詰め寄った。
「私、綺麗?」
マスクを外し、その顔を見せつけるように椿の目を覗き込む。
マスクの上からでは美しく思われたその顔は、酷くおぞましいものだった。
口が耳元まで大きく裂け、口元からは絶えず血が滴っている。
それを目撃した審神者の幾人かが悲鳴を上げた。
―――口裂け女だ、と。
女の正体が化け物だと分かっても、椿の態度は変わらなかった。臆することなくその相貌を見つめ、ふむ、と一つ頷く。
「正直、血で汚れた姿は綺麗ではないな」
問いに対する椿の返答に、周囲の審神者が愕然とする。何故その答えを選んだのか、と。
椿の返答に、女が明らかな怒りを見せたからだ。
わなわなと体を震わせ、その目を殺意でギラギラと輝かせる姿は、言うまでもなく怪物のそれ。ぐわりと開かれた口は、人の口の大きさではなく、その歯は鋭く尖り、誰のものとも分からぬ血で汚れていた。
その歯が椿を捕らえんとした時、椿は朗らかに言葉を続けた。
「でも、君は美しいと思う」
「……えっ?」
女の怒りが、しゅるりと引いた。
「君が君であるべく必死に生きている。その姿を美しいと言わず、何と言う?」
「あ……、え……?」
さも当然と言わんばかりの笑みを浮かべる椿に、女が酷く動揺する。
視線をあちこちに彷徨わせ、そっと口を閉じる。それから、そろそろと椿に視線を合わせた。
「わ、私、綺麗……?」
「君の美しさを”綺麗”という一言で言葉で終わらせるのはもったいない。本当はもっと豊かな言葉で君を称賛したいのだが、残念ながら私にそこまでの語彙が無いんだ。だから”美しい”という言葉で我慢してほしい」
「あ、う……」
間髪いれずの言葉に、女が口ごもる。
はしたなく開けられていた大口は、恥じらいからかそっと閉じられる。
椿と視線を合わせることが躊躇われて、女は俯いた。
それをどう受け取ったのか、椿が更に言葉を紡いだ。
「ああ、すまない。君を賛美する言葉が出てこなくて。けれど私の言葉は全て本心だ。認められようと懸命になる姿は誰が見たって健気で美しいよ。だから俯かないで、前を向いてくれ」
そろそろと、顔を俯かせたまま、女が視線を上げる。
目を合わせた椿のあまりに真剣な表情に、女がわずかに肩を揺らす。
そんな様子に国広たちが顔を見合わせて、柄に掛けられていた手を下ろした。
もう大丈夫だと確信したのだ。
「君は健気さと美しさを兼ね備えた、とても魅力的な女性なのだから、胸を張って欲しい」
そう言って、椿が女の手を握る。
すると女は逡巡の後、そっとその手を握り返した。
それを見た周囲の審神者達が驚愕を露わにする。
椿の怯えを見せない様子にも、しおらしい女の態度にも。
「君が不安なら、何度だって私が言おう。君は美しい、と」
―――さぁ、顔を上げて。
女が恐る恐る顔を上げる。
頬は赤く染まり、瞳は潤んでいた。
その姿は口が大きく裂けていても、愛らしい女性のそれであった。
そんな女の顔に椿はきょとりと目を瞬かせる。
そして女が照れているのだと分かると、ふはっと声を出して笑った。
そして駄目押しの一言。
「ああでも、照れた顔は可愛いな」
ぶわり。
赤い顔を更に赤く染め上げた女に、一同の心の声が揃う。
―――落ちたな、と。
これは完全な余談であるが、この後、椿の本丸に度々怪異が訪れることとなる。