春の奇跡






「姐さん―――――!」
「姐様―――――――!」


 悲痛な声を上げたのは誰だっただろう。
 姐さん、姐様と呼ばれた私―――椿には見当もつかなかった。
 迫りくる刃。閃く一線。
 それはとうに自分の首を捕らえているはずなのに、やけにゆっくりと、ゆったりと余裕を持って眺めることができた。


(まるで私だけが、世界から切り離されたようだ)


 体感する時間が、自分だけ他と異なっているような気がした。
 他とは異なる視点から眺めているような、特殊な時間の流れの中でたゆたっている気分だ。
 そんな余裕など、持てる状況ではないというのに。


(こういうとき、走馬灯、というものを見るというけれど、どうやら私は違ったらしいな)


 人は死の間際、走馬灯を見るという。けれど私の場合は、自分の死の自覚を、スローモーションで再生されているようであった。
 敵の―――遡行軍の刃によって首を刎ねられる、その瞬間を。


(嫌だな、)


 ―――死にたくない、と奥歯を噛み締める。
 悔しい。ここまで頑張ってきたのに、こんなところで終わるだなんて。
 苦しい。視界の端で絶望に染まる刀達を置いて行くのが、どうしようもなく辛いのだ。
 そして何より、死ぬのが怖い。


(死にたくない、)


 ―――生きたい。
 まだ、彼らと共に在りたい。
 自分はまだ、生涯という旅路を歩み出したばかりなのだから。

 だから、死にたくない。
 まだ、生きていたい。


(彼らと共に、生きていきたい!)


 そのためには、この状況をどうにかして覆えさなければ。
 でも、どうやって?
 刃はもう、目の前に迫っている。


(ああ、情けない)


 こんな、どうしようもない状況を、誰かに”助けてほしい”だなんて。
 なんて情けなくて、惨めなのだろう。私がこんなにも至らないから、こんなところで終焉を迎える羽目になるのだ。
 でも、それでも、願わずにはいられないのだ。


(誰か、助けてくれ……!)


 けれど、こんな声無き声を聞き届けてくれるものなんて―――。







 ―――あんたって本当、仕方のない人だなぁ。
 ―――何のための”俺”なのさ。


 聞き覚えのある、懐かしい声が聞こえた、きがした。
 もう二度と、聞けるはずのない声だった。


 ―――”誰か”じゃないでしょ?
 ―――呼びなよ。”俺”の名を。


「―――っ」


 ひゅっ、と可笑しな音が漏れた。
 これは、走馬灯の一種なのだろうか。
 聞こえるはずのない声が、私に希望を与えてくれる。最後の、最期で。
 どうして、こんなときなのだろう。もっと他に、あったじゃないか。
 何も、今じゃなくても。


(いや、今だからこそ、なのかもしれない)


 最期だから、迎えに来てくれたのかもしれない。
 これからの行く先さえ迷って、辿りつけそうもない人間だと彼に認識されているのだろう。そしてそれは、きっと正しい。
 きっと死んだって死に切れなくて、生きたい生きたいと未練がましくしがみついて、行く先さえなくしてしまいそうな人間が、私だ。
 ならば、縋っても、良いじゃないか。どうせ私は、一人では何もできない、どうしようもない人間なのだから。
 最期なのだから、とことん情けなく、至らなく。どうしようもない人間であることを曝け出して。
 全力で、全身全霊で、叫べ。その名を呼ぶのだ!


「助けてくれ、―――――――っ!」


 ―――ガキィィン!!!

 擦れ合う鋼の音。響く鍔迫り合いの残響。
 喉が張り裂けそうなほどの全霊の叫びを、誰かが、受け取ってくれた。
 そろり、と目を開ける。いつの間にか瞼を閉じていた。
 目を開けて、飛び込んできたのは赤。否―――鮮やかな紅色だ。
 ”彼”を想わせながらも、ほんの少し色味の違う、赤。


「この人は殺させねぇよ!!!」


 ザシュッ、と見事な一閃を持って、遡行軍の首が刎ねられる。
 本来なら自分の首がああなっていたのだと思うと、ぞっとする。
 けれど、恐怖に呑まれる以上に、私は”彼”の存在に意識を奪われていた。


「か、」


 ―――加州?
 声は、みっともなく震えていた。
 けれど、それも仕方のないことだと思うのだ。
 彼は、存在しないはずの存在なのだから。
 だって彼は、私が溶かして、作り変えたのだ。彼の、願いのままに。
 なのに、どうして。


「”俺”は加州じゃない」


 加州そっくりな顔で、けれど確かに違う顔で、男はきっぱりと告げた。
 では何なのだ、と問おうとして、けれどその前に、男が握る刀に目を奪われる。
 あれは、あの刀は―――。


「あんたの”守り刀”さ」


 ―――紅紫苑。
 私が打った、私だけの刀。
 けれど、それでは腑に落ちない。だって、そうだろう。紅紫苑は死んだ刀と、還ることを望んだ刀で出来たものなのだから。


「それに、宿る命は、無いはずだろう……?」
「そう、本来なら、ね」


 ならば、何故?


「そう、これは―――たった一度の奇跡さ」




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