彼らの幸せを願う






<未だほどけぬ過去の縄>※研修中、小人視点



「わっ!」


 唐突に背後から上がった声に、思わず肩を跳ねさせる。驚いて手に持っていた木炭を取り落としてしまいそうになったが、隣にいた見習いが支えてくれたことで事なきを得た。
 危なかった。貴重な資材を壊してしまうところだった。
 壊さなかったことにほっと息をつく。それからキッと目を吊り上げた。
 こんなことをするのは一人、いや、一振りしかいない。
 険しい顔で振り返ると、そこにはやはり、真白の美丈夫――鶴丸国永がいた。
 楽しそうな笑みの憎たらしいこと。


「鶴丸。今は見習いさんの研修中だ。邪魔するなっていったよな?」
「見習いは真面目すぎる。息抜きも大事だぜ?」


 飄々とのたまう鶴丸にため息が漏れる。
 鶴丸がこうして研修の邪魔をしに来るのはこれで三度目だ。
 求められることに疲れてしまっているらしい彼は、他の刀と平等に鶴丸を見る見習いをいたく気に入っているらしい。気難しい大倶利伽羅を手名付けたところも興味をそそったのだろう。よくこうしてちょっかいをかけに来る。
 ちなみに見習いの今日の近侍は鶴丸なのだが、彼は本当に鶴丸なのかと疑うほど真面目に研修に参加している。現在は隣の刀装部屋で歌仙に刀装のイロハを習っているのだが、怒鳴り声一つ聞こえない。うちの鶴丸ならばありえないことだ。少しは見習え。
 鶴丸の頭に手をかけアイアンクローをかます。力にはあまり自信がないから、そう痛くはないだろう。事実、じゃれ合いと取ったのか、鶴丸は楽しげに「痛い、痛い」と笑っている。


「何か、ごめん。集中できないよね?」
「いえ、私は構いませんよ。今日は実際に鍛刀を見せていただくということで、少し緊張していましたし」


 そう言って笑う見習いは寛大だ。包容力があると言えばいいのか、とにかく器が大きい。緊張しているというのも嘘だろう。だってそうは見えない。
 むしろ緊張していたのは俺の方である。俺は審神者の能力こそ持っているが、才能はない。だから寛容で、人に慕われる才能とか、質のいい霊力を持った見習いに何かを教えるのは、酷く緊張する。失望されたらと思うと、怖い。
 こういっては勘違いされそうだが、俺は見習いが嫌いじゃない。羨ましいと思うところはあるけれど、努力を惜しまない人間であることを知っているから、むしろ尊敬している。尊敬しているからこそ、嫌われたくないのだ。
 まぁ、見習いの性格からいえば、きっと人を嫌うということが、うまく出来ない人間なのだろうけれど。そういう純粋で不器用なところが、人に好かれる所以なのだろう。
 刀剣達もそうなのだろう。見習いの刀剣もうちの刀剣も、見習いを嫌う素振りを見せる者はいない。


「ほら。いい感じに緊張が取れただろう?」


 ふふん、と得意げな顔で笑う鶴丸に力が抜ける。
 確かに緊張は取れたけれど。そういう意味ではありがたいのだけれど。必要な緊張感まで飛散してしまうから、ちょっと困りものだ。
 俺が何とも言えない表情を浮かべていると、見習いはうっすらとほほ笑みを湛えた。


「翼は自由にを広げてこそ、美しいものですよ」


 おっと。見習い節が発動した。


「折角美しい翼を持っているのだから、存分に羽ばたかなくては、もったいない」


 見習いは独特な感性を持っている。俺とは違う視点から物事を見て、感じているようだ。
 ちょっとずれている感じもするけれど、悪いずれではない様に思う。
 鶴丸は儚い容姿をしている。それに伴った性格をしているだろうと想像させる容姿だが、実際は真逆。元気溌溂で、好奇心旺盛。
 何て儚くて美しいんだろう。そう思った次の瞬間にその形容詞は覆される。そうして崩れ落ちた審神者はきっと数え切れないほどいるだろう。
 その容姿通りの性格をしていたら苦労は少なかったろうに、と思っている審神者もきっといるだろう。その明るい性格に助けられる部分も多いが、いかんせん行動力がすさまじ過ぎるのだ。かくいう俺も、もう少し大人しく出来ないものか、と頭を抱えるときもある。
 けれど見習いは、それでいいのだというように笑うのだ。在りたい自分でいられるのが一番だと。それが最も美しい姿であるのだと。


「まぁ、分からなくはないけどね。でもこいつはちょっと度が過ぎる」
「おいおい、こんなことで度が過ぎると言っていては身が持たないぞ?」
「お前今度は一体何をする気だ!?」


 うちの鶴丸は他の本丸の鶴丸に比べて大人しいらしい。落とし穴とか、誰かが怪我をしそうな悪戯はしないが、本丸で異変があった時に真っ先に疑われるのは鶴丸であるくらいには問題を起こしている。うちの本丸きっての問題児だ。
 在りたい姿でいられるのが一番だというのは分かる。けれどちょっとは手加減してほしい。
 そんな風に思っていると、また見習いが笑った。


「困っているようではありますが、嫌がってるようには見えませんね?」


 と、言って。


「本当に嫌なら、もっときつい物言いになると思いますし、もっと邪険に扱うものと思います」


 違いますか?と尋ねられ、咄嗟に思ったことは「違わない」という答えであった。
 そうなのだ。困りはするが、嫌ではないのだ。楽しげに笑う鶴丸が見れるのはこちらとしても嬉しいことであるから。
 恥ずかしくて隠していたことをあっさりと見抜かれて、俺は思わず顔を覆った。そんな俺を見て、鶴丸が硬直する。徐々に顔を赤くして、鶴丸も顔を覆った。


「ほんっと強烈だな、君の言葉は」
「はぁ……。率直な物言いだとはよく言われます」


 鶴丸が顔を隠しながら呻く。まったくもって同意する。
 空気の読める子ではあるが、言いたいと思ったことは口に出してしまうのだろう。そのほとんどが、良いことであるからあまり問題ではないが。
 いや、問題か。羞恥的な意味で。


「……でも、在りたい自分でいられるというのは、きっととても尊いことなのですよ?」


 その言葉にはっとする。彼女の刀剣は、虐げられてきた刀剣達だ。本質すら、捻じ曲げられるほどに。
 大倶利伽羅が素直なのも、鶴丸が大人しいのも、きっと風切羽根を縛られたままだからなのだ。前任者の影によって。


「尊いこと、なんですよ」


 在りたい自分でいられるのは当たり前ではないのだと。それが幸せなことであるのだと、彼女は知っているのだ。
 在りたい自分でいられないことの悲惨さを目の当たりにして、傷ついて、それでもなお向き合って。
 きっと辛いだろうに。どなり散らして、苦しいと喚きたいだろうに、彼女は教えてくれるのだ。それは尊いことであるのだと。大事にすべきことであるのだと。
 きっと彼女の刀剣達は、彼女のこう言うまっすぐな所に惚れたのだろう。この不器用な優しさに、救いを見たのだろう。


「うん。大事に、する」


 震えて声の出ない喉で何とか言えたこの一言に、見習いは唇を噛み締めて頷いた。




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