日影探し
『来るの遅いよ、国行』
『俺たちの保護者を自称するなら、もっと早く来いよな!』
パキパキ、パキン、
刀身から洩れる悲鳴は、今でも耳に残っている。
差し出された手を握ろうとして伸ばした手は空を切った。
『会いたかった、国行』
空を切った虚しさも、床に落ちた軽い音を聞いた絶望も、全部全部覚えている。
もっと早く自分が彼らのもとに行けていたなら、彼らの手を取ることが出来たのに。彼らが折れることはなかったろうに。
『最期に国行に会いたかったんだ』
満面の笑みで、あんなに悲しいことを言わせずに済んだのに。
「あっかん……」
寝られへん、と蛍の光を思わせる優しい黄緑の目をした青年―――明石国行は嘆息した。
彼は夢を見る。ずっと彼を待ち続けていた、愛しい者たちの最期の光景を。絶望の景色を。
繰り返し、繰り返し。何度も、何度も。
(何で、頭から離れへんのやろ……)
愛しい者たちを目の前で失った悲しみは、決して忘れることは出来ないだろう。
彼らの最期を忘れようとは思わない。
けれど、繰り返し見る夢に、彼は辟易していた。
だって、それほどまでに何度も繰り返すのだ。まるで自分を苦しめるかのように。
(自分のこと、恨んでるんかなぁ……)
自分を恨むには、十分な材料があった。保護者を自称する身で、愛しい彼らを守れなかったのだから。差し出された手を、握れなかったのだから。
ならばいっそのこと、口汚く罵ってほしかった。恨んでいるならば、恨んでいると、憎しみに満ちた表情で。
けれど彼らは笑っているのだ。会えてうれしいとでも言うように、幸せそうに。そんな顔で、離れていくのだ。握ってほしいと言わんばかりに、手を差しのべながら。
これは暗示なのではないかと、自分が迎えに行ったときに、彼らはまたそうやって、自分の手をすり抜けるのだと、そう示しているのではないか、と。
(姐さんのとこ、行ってもええやろか……)
この本丸は基本的に大広間で雑魚寝をする。自分の知らぬ間に仲間が減っているようなことは無いと、それを当り前だと思えるようにするための措置である。この本丸の大半の刀が、そういう怯えを持っている刀であるからだ。
そして怯えを持つ刀達は、皆一様に悪夢にうなされる。最悪の過去を、繰り返し思い出してしまうのだ。
そんなとき、一人でいるより、気心の知れた仲間たちがいる方が安心するだろうという考えもあって、就寝時には本丸全員が一堂に会する。主である椿も含めて。
しかし今現在は、椿は別室で就寝している。女性である椿が刀剣男士達と同じ部屋で寝起きするのは、あらぬ誤解を与えかねないからだ。
(ああでも、自分が姐さんとこ行ってまうと、部屋を変えた意味がなくなってまう……)
余計な誤解を与えないために取られた措置であるのに、自分がこうして夜分遅くに主のもとへ向かうのは、どうぞ疑ってくださいと言っている様なものだ。ただでさえ、疑わしきは罰せよ、という風潮が蔓延しているというのに。
けれど今、どうしても手を握ってほしかった。大丈夫だと、壊れたりしないと、そう示してほしいかった。
そうでもしないと、自分の方が壊れてしまいそうだった。
「蛍……。国俊……」
―――もう、折れんといて。
例えそれが、夢であったとしても。
呟かれた声は掠れ、震えていた。頬には涙が伝い、濡れる瞳は水面に映る蛍のように淡く頼りなかった。
「姐さん……」
―――手ぇ、握ってや……。
今度は声にすらならず、ぽたぽたと零れ落ちる涙とともに、はらはらと床に散っていく。
口に出してしまったら、崩れ落ちてしまいそうだった。
けれど、声にならなかったことがかえって明石を苦しませた。その望みはかなわないと、そう突き付けられた気がして。
「国行、」
凛とした声が、夜の空気を振るわせた。
「あね、さん……」
これこそ夢か、と明石は一瞬目の前の光景を疑った。
だって、ずっと待ち望んでいた主が、何の前触れもなく自分の前に現れたのだ。驚くなという方が、無理な話だ。
「何で、寝てたんちゃうの……?」
「さすがにな」
まさかこんな時間まで仕事をしていたのだろうか。そんな風に考えたことが読み取れたのか、椿は肩をすくめて苦笑した。
混乱する明石をよそに、椿は明石との距離を詰める。
「でも、呼ばれた気がした」
―――助けて、と。
「ほら、」
縁側に座りこむ明石の前に膝をつき、椿がそっと手を差し出す。あのときと、同じように。
「この手を取って、国行」
この手を取りたいと、そう思った時と、まったく同じ光景だった。
愛しさだけを詰め込んだような柔らかい声に、心から温まる様な、優しい笑顔。自分に何度でもこの人の手を取りたいと、そう思わせるもの。
「う、うわぁぁぁぁぁ……っ!」
明石は縋るように椿の手を握り、声をあげて泣いた。
改めて握りしめた手は大きいような小さいような。けれど自分達刀剣男士と同じところが固くなった、しっかりとした手だった。
女性の持つたおやかさに欠ける手ではあるが、自分達はこれがいいのだ。温かくて、包み込むような優しさを持ったこの手が。
「姐さぁぁぁん……!」
自分達の不安や憂いを払ってくれる力強い手が、自分達は大好きなのだ。
明石が泣きやみ、ようやく落ち着いた頃には、すでに空が白み始めてきた頃だった。
声をあげて泣き続けていた明石の声はガサガサと掠れており、握り続けた椿の手は赤くなっていた。
「すんません、こんな時間に……。それに、みっともなく泣いてもて……」
手も真っ赤にしてもうたし……。
そう言って未だに乾かぬ涙をそのままに椿の手と擦ると、椿は快活に笑った。
「言っただろう? 絶対握ってあげる、と」
その約束に、時も場所も関係ない。
きっぱりと言い切った椿に、明石はぱちりと目を瞬かせた。
相変わらず、この主は男前だ。
「不安になったら、我慢せずにおいで。差し出された手が空を切る虚しさなんて、私が忘れさせてやろう」
強気に笑う椿に、明石はようやっと安堵の笑みを漏らした。
まだまだ下手くそな笑みではあるが、確実に、満面の笑みに近づいている。