日影探し






「そんな大きな長物をやすやすと振りまわすなんてなぁ」


 唐突に聞こえてきた声に、岩融が声のした方を向く。そこには岩融の主―――椿がいた。
 椿は本体を用いて素振りをしていた岩融を、感心したような面持ちで眺めていた。
 そんな視線をむず痒く感じながら、それを悟られまいとするように、岩融がもう一度薙刀を振り下ろす。


「これは俺自身だからなぁ。姐御様とて、自分の手足を動かすのに苦労を要するまい?」
「本体だものな。むしろ、人の体を動かす方が難儀か」


 刀剣男士は審神者の力によって受肉しているものの、本来は刀である。刀を振るうことは手足を動かすことに等しく容易いことである。
 しかし、刀は振るわれる物であって、自ら戦うものではない。そのため、刀剣男士は刀を振るうことよりも、仮初の器を動かすことの方がよっぽど難しいことであるのだ。
 彼ら刀剣男士が刀であることを十分に理解している椿は、岩融の言わんとすることをすぐに理解し、納得の表情を見せた。


「なぁ、私にも君を振るわせてはくれないか?」
「この薙刀をか?」
「ああ」


 キラキラと目を輝かせて薙刀を見つめる椿は、年相応の顔をしている。
 普段の、刀剣達の主として立つ姿からは程遠い姿だが、その輝かしい表情は好ましいものである。その顔に頬を緩ませた岩融が、うむ、と深く頷いた。


「存分に振るってくれ。俺は姐御様のものなのだ。好きに使ってくれてかまわん」
「ああ。是非そうさせてくれ」


 嬉しそうに薙刀を受け取った椿が、まじまじと薙刀を見つめる。
 頬を上気させて、まるで新しいおもちゃをもらった子供のような表情を浮かべる椿に、嬉しいながらも面映い気持ちになる。


(自分を見て、そんな顔をされたら、たまったものではないな)


 凛々しく勇ましい主としての姿と、信頼を寄せるが故の無邪気で無防備な姿。これらをさまざまと見せつけられ、己を手にとって幸福そうに笑みを浮かべられれば、落ちない刀はいないだろう。
 現に、この本丸の刀達は皆、椿を心から慕っている。彼女を主と仰いで間もない岩融でさえも。


(この若さで、この器か。末恐ろしい御仁だ)


 岩融は、人間に対していい感情を持っていなかった過去がある。
 けれど椿との出会いで変わった。椿は、岩融の人間に対して抱えていたほの暗い感情を和らげ、また人に使われたいと思わせたのだ。そして、岩融を変えた椿自身を、主として仰ぎたいと、そう思わせたのだ。この人のもとで終わりたいと、強く。


「よい、しょ」


 椿が、薙刀を構える。
 岩融は、かの武蔵坊弁慶が使っていた薙刀である。当然、女が握るようにはできていない。
 けれど、椿はそれをさして苦労なく構えてみせた。


「よっ、と、お、おお?」


 岩融を真似て、薙刀を振るおうとして、その重さに振り回される。構えるのには支障はないが、岩融は女が振るうようなものではなく、武骨な男が振るう武器である。いくら力のある椿といえど、腕の力だけで支え切れるものではなかった。


「危ないっ!」


 薙刀の重さに傾いた体を、岩融が支える。倒れる前に受け止められたことに安堵し、胸を撫で下ろした。


「ありがとう、岩融。助かった」
「いや、礼を言われるほどのことではない」


 椿は女には重い太刀でさえゆうゆうと振るってしまうため、ついつい彼女の力を過信してしまっていた。そのことをこっそりと胸中で恥じつつ、岩融が椿の背後に回る。そして椿の手に自分の手を重ね、丁寧に薙刀を構えた。


「これならば、姐御様でも俺が振るえよう!」
「ああ、確かに」


 薙刀を振るえなかったことを残念に思っていたのか、椿がことさらうれしそうに笑う。その笑顔に胸を温めながら、岩融が薙刀を持ち上げた。釣られて持ち上がる腕に、椿が目を輝かせつつ、真剣に前を見つめる。
 薙ぎ払うように腕を振るえば感嘆の声をあげ、空を切るように鋭く払えば息を詰める。そうしてしばらく薙刀を振るい続け、百を数えたあたりで、岩融がゆっくりと腕を降ろした。
 そして椿の腕に薙刀を預けたまま、彼女の前に回り込み、彼女の顔を見つめた。


「どうだ? 俺を使いこなせることはできそうか?」
「いいや」


 無理だ、ときっぱり言い放った椿に、岩融が瞠目する。
 他の刀達は振るってもらえるのに、自分だけが振るってもらえないと思うと、寂しく、悔しかったからだ。


「そのための訓練を積めば君を使うことはできるようになるだろう。しかし、今の私はこうして君の支えなしに君を振るうことはできない」


 ―――いつかは、支えなしでも君を振るってみたいと思っているけれど。
 出来ることと出来ないことをしっかりと把握している賢さや、出来ないことを素直に認めることの出来る潔さが好ましい。
 そして、欲しい言葉を必ずくれる、優しいところも。


「けれど、今の私でも、君を使うことはできる」
「ほぉ?」
「使うとは一重に、手に持って振るうことだけを指す言葉ではない。そのために、君はその身を得たんだ。その身を使い、私の手となり足となれ」


 またも、突然だった。かの本丸に現れた時のように、ここで自分に声を掛けた時のように。
 唐突に降り立った主としての姿に、岩融は激しく動揺した。


「私に振るわれろ、岩融」


 目の前に、この手を掴めと言わんばかりに差し出された手があった。
 渇望する、強い眼差しが一心に己を見つめていた。
 腹の底から湧き上がる様な強い言葉が、胸に刺さった。


「そして捧げろ、私に勝利を!」


 主の手を握ろうとする手は震えていた。それは支配される恐怖かと、ちらと考えて、すぐに否、と否定した。
 思考とは裏腹に、本能はどこまでも、主と定めた人間に従順だった。
 膝を折り、傅き、尊い掌を、まるで至高の玉でも扱うようにそっと包み込んだ。


「御意に、我が主よ」


 声も、みっともなく震えていた。
 けれどそこには恐怖など微塵もなく、ただ純粋な喜びが滲んでいた。
 それは、やっと見つけたという喜び。―――この人間のためならば、この身が朽ち果てようともかまわないと思える人間に出会えたことへの、喜びだった。


「主に相応しい勝利を捧げると誓おうぞ!」


 声を張り上げて誓われた言葉に、椿は満足そうに頷いたのだった。




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