日影探し
「君はなかなか器用だな」
昼食を終え、箸の練習をする自分―――明石国行を見て、主さんが感心したように言った。
自分は今、皿に乗った豆を隣の皿に移すという方法で箸を使う練習をしている。主さんに教えてもらった練習方法だ。
ころころと転がる豆は小さく掴みにくい。けれど固形であるだけまだましであるし、これが箸でつまめるようになれば、他の食材のほとんどを苦労なく食べることが出来るようになるだろう。
しかし、豆を皿に移すこの動作が難しい。
表面につやのある豆はつるりと滑る。例えつかめても力加減が難しく、少しでも力を入れ過ぎればあらぬ方へと飛んでいく。
ようやく皿から皿へと移動する動作が出来るようになったのは、八つ時を過ぎたころだった。
かなりの時間がかかっていることが自分でも分かり、少し落ち込んでいたところにお褒めの言葉である。そっと窺うように主さんの顔を見れば、彼女はうっすらと笑みを浮かべていた。
「君は筋が良かったから、本当なら踏むべき段階をいくつか飛ばさせてもらったんだ」
君は飲み込みが早いなと、さらりと言われ、驚いて、つまんだ豆を落とす。
確かに一番初めに練習するには、少々難易度が高いように感じたけれど、まさか本当にその通りだったとは!
「主さんってほんま喰えん人やなぁ……!」
―――そんなところも嫌いやないんですけどね!
それを今発揮しなくてもいいだろうと思うのだ。
大の男のすることではないが、あからさまに拗ねていることが分かる動作でそっぽを向いた。
「すまない、少し意地悪だったな?」
くすくすと主さんが楽しそうに笑う。
優れた観察眼とか、侮れないと感じさせる抜け目のなさに畏怖を感じたのは確かだけれど。自分ごときに出し抜かれてほしくないと思わせる憧れの様な感情もあるけれど。そんな意地悪なところも好ましいとすら思わせるこの人の魅力は、いったいどこから来るのだろう。
これが惚れた弱みというやつなのだろうか。負ける未来しか浮かばず、むしろそうあって欲しいと思ってしまう自分がいるのだから、救えない。
「さて、意地悪はこれくらいにして、そろそろ休憩も兼ねて、夕飯の献立を決めようか」
出かける前にみんなが収穫してくれた野菜があるから、それを使って夕飯を作ろう。
そう言って主さんが立ちあげる。それについて行くと主さんは厨へと入っていく。
それに続くと、まず目に入ったのは色とりどりの野菜だった。
昼に食べた天ぷらなども、この中の食材から作ったのだろう。天ぷらの具材に使われた野菜もある。
「トマトがたくさんあるし、トマト鍋がいいかな。ざく切りにしたキャベツとたまねぎを入れて、あとは人参とブロッコリーを入れよう。ブロッコリーはスープをよく吸うし」
一つ一つ具材を手にとって、主さんが丁寧に説明する。
トマト鍋というのはトマトの酸味が他の食材の甘みを惹きたてる鍋で、さっぱりしていて食べやすく、その酸味が食欲を増進させるのだとか。
「後はウインナーかな。ウインナーからも良い出汁が出る」
ウインナーというのは挽いた肉を腸に詰め、燻製にしたものらしい。焼くと外側の腸の部分が引き締まり、噛むと中の肉汁が溢れだすのだそうだ。
今回は煮込むので、また違った触感がするらしい。
「締めはパスタかリゾット……。パスタよりも米の方が馴染みが深いか。うん、リゾットかな。ご飯を入れて、チーズも混ぜようか」
パスタは西洋の麺類。リゾットは日本で言う雑炊に近いものらしい。チーズは牛やヤギなどの乳を発効させるなどして作られる食材だ。
たくさんの食材からしみ出た出汁に米を入れて煮込むと、出汁が染みて柔らかくなった米と、熱で溶けてとろとろになったチーズが絡み合っておいしいのだという。
「ああ、そこに溶き卵を入れるのもいいかもしれないな。ふわふわのオムライスが出来るよ」
オムライスとは、味をつけた米の上に焼いた卵を乗せるものであるらしい。
これを鍋ですると、すでに温かい米の上に卵を流し込む形になるので焦がす心配もなく、また火とは違った熱の通り方をするので、柔らかく仕上がるのだという。それを音で例えるなら「ふわふわ」なのだそうだ。
どれもこれも昼に食べた料理にはなかった味わいと食感だそうで、興味が惹かれた。
しかし、そこで主さんは残酷なことを告げたのだ。
「ああでも、色んなものを食べてもらいたいし、鍋などで終わらせるのはもったいないな」
「えっ」
思わず驚きの声を上げるが、主さんはすでに別の食材に向き合っていた。
「ピーマンがあるし、ピーマンの肉詰めなんかもいいかもな。肉だけじゃなくて、ツナやジャガイモを詰めてチーズをかけてピザ風にしてもおいしいな。同じピーマンを使うけど、食感も味も全然違ってて楽しめると思うんだ」
肉と野菜を同時に食べると、お互いのうまみが口の中で混じり合い、単品で食べるときとは違ったおいしさがあるのだそうだ。
ピーマンという野菜は本来は苦みの強いものであるそうなのだが、火を通すと柔らかくなり、甘みと旨味も出るのだという。それに肉の甘みと旨味が混じり合えば、何個でも食べられてしまいそうなほどおいしいのだとか。
ピザ風とやらの方は肉詰めとは違った方法で焼くつもりであるらしい。そのためピーマンの野菜本来のしゃきしゃき感が残って、肉詰めのピーマンのしんなりした食感とは全然違うとか。
チーズも熱で溶けるけれど、今度は煮込むのではなく焼くので、とろとろの他にパリパリとした食感も加わるのだという。
「インゲンがあるし、胡麻和えも良いね。インゲンの独特の食感を口で説明するのは少し難しいな……。でも、ごまの香りが口の中に広がって、とてもおいしいんだよ」
口では表せない食感とはどんなものなのだろう。
けれど、後半は分かるかもしれない。昼に食べた天ぷらがそうだ。衣の中に閉じ込められていたであろう素材の味が広がって、酷く驚いたものだ。おそらく、それに近いものなのだろう。
「後、大根と白菜の漬物があるね。ぽりぽり、しゃきしゃきとした食感がおいしくて、さっぱりしている。箸やすめにはぴったりだ」
さっぱり、と言われてもいまいちピンとこないが、昼食でいうならごま豆腐とわかめのサラダが一番近いだろう。
自分は天ぷらの合間に、口の中の味を変えるのに食べていたから。
「ああ、汁物も欲しいな。ピーマンの肉詰めはソースをかけて食べることになるだろうから、あっさりしたものがいいか」
ソースとやらは、味が濃いのだという。米を食べると丁度いい味わいになって、食が進むのだとか。
「うん、椎茸と筍のお吸い物に三つ葉を浮かべよう。きのこ類は良い出汁が出るし、舌に残る味と香りが強いから、初めて食べる君にもうまみを感じてもらえると思う」
確かにきのこ類には独特の香りと食感があった。
けれど昼に食べたものとは違うきのこであるし、違った料理であるから、また別のおいしさがあるのだろう。
「これだけでは物足りないかな? 出汁巻き卵でも作ろうか。少し厚めに焼けば、それだけでも食べごたえが出ると思うんだ」
食べごたえ、ということは「ふわふわ」とは違うということだろう。「ふわふわ」から連想するに、あまり腹にたまる様な感じはしない。
同じ卵料理であるはずなのに、何がどう違うのだろう。
ああ、全部気になる。全部食べたい。
そう言ってしまえれば楽なのだが、用意するのは主に主さんになる。自分だって手伝いはするつもりだが、どんな料理か想像すらできない自分では、到底役に立たないだろう。全部というのはきっと、主さんの負担になる。
(ああ、どないしょう……)
今一番気になるのは卵料理だ。「ふわふわ」とやらが気になる。
けれどピーマンの肉詰めとやらも食べてみたい。「同じ野菜でも違った触感になる」という主さんの発言も気になるのだ。
「この中で気になるものはあったか? 他のものも作れるぞ? ピーマンと筍を味噌でいためて、」
―――まだ他にもあるんかい!
「今食べれん物の話せんといて!」
我慢できなくて涙目で叫ぶ。それと同時に、ぎゅるぎゅると腹が鳴る。
―――ああ、これが腹が減るということなんやな。
前々から知っている感覚であったはずなのに、自分は初めて「腹が減る」ということを知った気がした。
腹を抱えてうずくまる自分の頭上で、主さんの楽しげな笑い声が聞こえる。
自分がこんなんなってるのは主さんのせいなんやで、という意思を込めて主さんを見上げれば、彼女は本当に楽しそうに、幸せそうに笑っていた。
実際、幸せなのだろう。だってこんなにも平和だ。
(自分も、そうや)
かつての本丸では持つことすら想像できなかった。食べたいもので悩むだなんて、そんな平和な悩み。
ああ、なんて。なんて幸せな悩みなのだろう。
愛しげに自分を見つめる主さんに釣られて、自分の口角も自然と上がる。
きっとまだうまくは笑えていないだろうけれど、昨日よりはずっとうまく、自然に笑えていることだろう。
だって主さんが、へたくそな自分の笑顔を見て、更に笑ってくれたから。
おまけ
国行「自分ら、一番長く主さんの料理食べてきたんやろ? 何が一番好きなん?」
「「「きのこ雑炊」」」
国行「うわ、雑炊。めっちゃ気になる奴やん。どんなん?」
国広「優しい出汁の染みたご飯」
廣光「玉ねぎがとろとろしゃきしゃき」
国永「体の中から温まる感覚がして、正直匙が止まらん」
国行「何それめっちゃ美味しそう! 主さーん! 今度雑炊作ってー!」
国広「まぁ、姐さんのご飯はどれも美味しいんだけどな」
国行「あかーん! お腹すいたー!」
飯テロという物を書いてみたくて失敗した産物である。