愛から始まる
俺―――鯰尾藤四郎の本丸は、少し変わっている。それは本丸の外観だとかそういうことではなく、主たる審神者が特殊である、という意味で。
俺たちの主はもともとは政府の役人であったらしい。役人としての仕事を通じて、霊力の高い審神者や俺たちに触発される形で審神者としての力が開花したのだ。
そのためか、この本丸の業務内容は他の本丸とは異なり、ブラック本丸の摘発や、神隠し防止に比重が置かれている。
もちろん出陣もするが、主の仕事をサポートしたいという気持ちが強く、ブラック撲滅のための道を邁進する日々だ。それは今日も変わらない。
俺たちの戦場はここ―――演練場にある。
ブラック本丸の審神者のほとんどはレア刀剣を求めてブラック化させる者が多く、手に入れたレア刀剣を見せびらかしたいと考えるのだ。
そして、そのレア刀剣を見せびらかせて、かつその刀の実力を見せつけられる唯一の場が、演練場である。
今まで摘発されたブラック本丸も、ほとんどが演練場で発見されている。
また、神隠し案件についても同様だ。審神者本人が刀剣達の目を盗んで他の審神者に助けを求めたり、他の審神者が神気に犯されているのに気付いて事なきを得るのだ。
それ以外にも、ブラック、または神隠し予備軍の予防に努めることが出来るというメリットもある。
ちょっとした不満や行き過ぎた好意は、道を踏み外す引き金になりかねない。ちょっとしたアドバイスや愚痴を聞くだけでも、それらには効果がある。
不穏の芽を摘み、事件を未然に防ぐことも俺たちの仕事なのである。
「う~ん、今日は問題物件は無さそうだね」
きょろりと辺りを見回して呟いたのは弟刀の乱だ。
本日の演練参加者たちは皆、刀剣達との仲も良好そうで、ブラックを疑われるような本丸はなさそうだった。今日はどちらかといえば神隠しを心配する必要がありそうで、審神者との距離の近い本丸を優先的に探りを入れていく。
既に俺たち以外のペアは動き出しているようで、鶴丸さんと獅子王さんの平安ペアは三条に囲まれた少年審神者のもとへ向かい、光忠さんと歌仙さんの厨番ペアは短刀たちに抱きつかれている男審神者のもとへ。主と主の初期刀である陸奥守さんは新撰組の刀達に守られるようにして身をちぢ込ませている気弱そうな女性審神者のもとへ向かった。
そして俺たちが向かうのは、年若い見た目の割に、随分と落ち着いた雰囲気を持つ少女が率いる本丸だ。刀剣達は他の本丸とは違い、刀派などで部隊を組んでいるわけではないようで、規則性は感じられない。新人の率いる本丸であるから、それも仕方ないことではあるけれど。
彼らは情報を得ることに重きを置いているのか、彼らの審神者を中心に、他の本丸の審神者や刀剣達に積極的に声を掛けては情報を共有していた。本来ならそう言ったことを得意としていなかったり、やりたがらない刀剣達も参加しており、何となく目を引く本丸だった。
主はビジネスパートナーとして刀剣を見ている本丸なのだろう、と予想して、優先度は低いと言っていたけれど、本当にそうなのだろうか。俺としてはむしろ、この中で一番神隠しを起こす可能性が高い本丸なのではないかと思えてならない。あくまで俺の予想ではあるけれど。
(苦手分野も頑張るくらい、主が大好きなんだろうなーって思うんだよね)
人と刀の感性は違う。人には仕事ありきの関係に見えるけれど、俺たちには主あっての関係に見える。
主の命だから。主が望んだから。主のためだから。そんな風に見えるのだ。実際のところは、分からないのだけれど。
「ずお兄、どうしたの?」
「ん? んーん、別に」
にぱ、と笑ってみせると、乱は訝しげな目で俺を見上げた。
弟が冷たい。
「何考えてるか分からないけど、こういうときは行動あるのみ、だよ」
ふふん、と得意げに笑って、乱が軽やかに駆けていく。行く先は俺たちが担当する審神者のもとだ。
と言っても、直接審神者に声を掛けるわけじゃない。俺達刀剣男士にとって審神者は守るべき存在であるから、いきなり審神者に声を掛ければ警戒されてしまう。
乱が駆け寄ったのは、少女審神者が連れてきた薬研藤四郎だった。
「おっはなし、しーましょ!」
にっこり、と笑って、乱が薬研の腕に絡みつく。
薬研はきょとんと眼を瞬かせた。
「姐御の話が聞きたい?」
「そうそう! 僕、女審神者さんってあんまり見たことなくて。薬研の主さんってどんな人?」
世間話を交えつつ、乱が女審神者に興味を示す。
ブラック本丸も神隠しを企てる本丸も、主の名には何かしらの反応を示すもので、どちらも早く話を終わらせたがる傾向にある。
ブラック本丸だったら審神者のお仕置きを恐れて。神隠しを企てていたら、主に興味を持たれるのが気に食わないから。
薬研はどんな反応を示すだろう、と薬研を見る。彼は何かを口にしようとして、後ろから伸ばされた手に口をふさがれた。
少女審神者のへし切長谷部だ。
「あの人は俺たちの主だ。あの人のことは俺たちだけが知っていればいい」
長谷部さんはそう言って、眉間に皺を寄せる。
俺たちを警戒しているのだろう。薬研を自分の方へ引き寄せ、俺たちから距離を取った。
「おや、折角姐様を自慢できるいい機会だったのに」
もったいない、と言わんばかりに不満げな顔でこちらに近づいてきたのは宗三左文字だ。
あ、この三振りって織田の刀じゃん、とどうでもいい考えが頭をよぎる。
宗三さんが彼以上に不機嫌な顔をしている長谷部さんに向かって、こてりと首をかしげてみせた。
「貴方だって、自慢したい気持ちがないわけではないでしょう? あの人を正しく評価してほしいとも」
「正しく評価してくれる相手ならな。そうでないものに教える必要はない。ちなみに三条派の奴らも似たような考えだからな」
「伊達も左文字と同じく、自慢したい派です」
「くっ……! 粟田口はどっちだ!」
「姐御が評価してほしいって思う人が正しく評価してくれたらそれでいい、ってところだな。ちなみにこれは国広の旦那の考えに賛同した形だ」
男前なんだか健気なんだか分かんねぇな、と言って苦笑する薬研に対し、宗三さんと長谷部さんが顔を覆う。
長谷部さんの反応で神隠しの可能性を疑ったけれど、これはもしかしてもっと違う方向を心配した方がいいのかもしれない。正当な評価をここまで求めるほど、彼らの主は不当な扱いを受けている、とか。誤解を受けやすく、それがもとでトラブルを抱えている、とか。
さすがにそこまで込み入ったことは聞けないが、何かあった時のために主の耳に入れるようにしておこう。
ところで国広ってどの国広だろう、と首をかしげる。全員言いそうなセリフの様な気もするし、誰も言わない様な気もするセリフだ。
「お前がそれを言うのか、国広……」
「彼、写しうんぬんで卑屈している刀のはずですよね……? 他の本丸の彼、俯いた姿しか見たことありませんよ……?」
ああ、山姥切国広のことか、と納得して、彼が言ったのか、と驚く。うちの本丸の山姥切りさんは写し写しと卑屈していじけているイメージしかない。戦場では素晴らしい働きぶりを見せる刀なのだから、もっと自信を持って良いのに。
「心もとない人の言葉より、姐御や俺っちたちの言葉を信じたいって考えのもとの意見だ。姐御に迷惑がかかんねぇ程度に好きにしたらいいんじゃないか、だとさ。この考えに賛同する俺っちは、あんたらの意見にとやかく言うつもりはねぇよ」
やれやれ、と肩をすくめる姿がやけに様になっており、うなだれる二振りが更に脱力した。
「そういう訳だから、悪いな、乱、鯰尾の兄貴。俺っちが言えるのはあのお方が俺っちにとって最高の主ってことだけだ」
ひらり、と見た目にそぐわぬ大人びた仕草で手を振り、脱力した二振りを審神者さんのもとへ促す。
二振りが俺たちに別れを告げ、だらしない姿を見せぬよう、背筋を伸ばしてさっそうと歩く。そんな背中を見て、乱がぽつりを漏らす。
「……問題なさそう、だね?」
「……多分、」
「そうでもないさ」
一人残った薬研が苦笑する。
薬研の言葉にわずかに緊張が走るが、彼の表情から察するに、そう重いものではないようで、ひとまず安心する。
どういうこと? と乱が首をかしげると、薬研がもう一度苦笑した。
「俺っちたちにとって戦場で折れることは誉だろう? けれど最近、あの人のもとで終わりたいと思うようになっちまってな……」
あの人の手の中で果てることが出来たなら、きっと。
そう言った薬研は苦い笑みを消し、ただひたすらに愛しさだけを詰め込んだ様な表情をしていた。
視線の先にはもちろん、彼の主がいる。
というか、待って。それ、下手な愛の言葉より―――。
「ま、おあいこだけどな」
―――君たちに斬られて死ねたなら、きっと私がこの世に生まれた意味を理解することが出来るのだろうな。
だから、待って。それ、主に言われたの?
愕然とする俺たちをよそに、薬研は妖艶に唇をなめた。
「とんでもねぇ殺し文句だ」
薬研が笑みを深めて、にやりと口角を上げる。肉体年齢の幼さをものともしない、壮絶な笑みだった。
けれどそれは一瞬で、刹那の間に、にぱっと無邪気な笑みを浮かべる。
「これはここだけの話にしといてくれや。詳しく話せねぇ詫びに教えた言葉だからな」
そう言って薬研は一瞬、俺たちの主に目を向ける。
ああ、もしかして、この薬研。俺たちのことに気づいてた?
「薬研!」
対して大きくもなく、鋭いわけでもないのに良く通る声が、薬研を呼ぶ。たたずまいと合わせたような、凛とした涼やかな声だった。
見れば薬研の主が眩しいものを見るように目を細めてこちらを見ていた。
その瞳は先程の薬研と同じく、愛しさに溢れていて、見ているこっちが気恥ずかしい。
「おっと、呼ばれちまったな。じゃあな、乱、兄貴」
薬研が嬉しそうに駆けていく。
ようやっと肉体年齢にあった軽やかさを目にすることができ、ほっとする。
薬研や審神者さんの周りに集まった他の刀剣達の目も、皆一様に温かくて柔らかくて、何というか。
「相思相愛ってやつですか……」
「ごちそうさまだよね、ホント」
僕もう、お腹いっぱい。
そう言って乱がお腹をさする。
それから少しだけ寂しそうに眉を下げ、小さく呟いた。
「……何か、簡単に神隠しした連中って、本当の愛ってやつを知らなかったんだなぁって、ちょっとかわいそうになっちゃった」
神隠しは、報われない恋をした刀剣男士や、歪んだ思いを持った刀剣男士が取る最終手段だ。
それはきっと審神者のためではなく、己のための行為で、正体はただの醜い独占欲だ。
それはきっと愛なんかじゃない。愛とは与えるものだ。
連れ去って、独り占めにするようなものではない。まして、強要するなんてもってのほかだ。
あの少女や、その刀剣達の様に、慈しみを持って見守るような、そんな些細なことを、人は愛と呼ぶのだろう。
「……この本丸は、心配いらなそうだね」
そう言った乱れは、満たされたような、温かい笑みを浮かべていた。
「……てか、話すつもりはないみたいなこと言ってた癖に盛大に惚気られたよね、僕ら」
「それな」