鶴の自爆
「君、噂の”姐さん”だろう?」
悪戯が成功した子供の様な笑みで尋ねてきたのは、今日の演練相手の鶴丸国永だった。
彼はベテランの審神者が率いる本丸の刀剣で、錬度も最高値に達している。
その動きは洗練されたもので、まさしくタンチョウの舞を見ているかのようだった。
「噂の、かどうかは分からないが、刀剣達からは”姐さん”と呼ばれているな」
そういうと、鶴丸国永はおかしそうに笑った。
「そんな風に自分の主を呼ぶ刀剣は他にはいないさ」
そうなのだろうか、と首をかしげる。
私の場合、私がつけ上がらないようにあだ名で呼ばせているが、家族の様な形を取る本丸なんかは、それ相応の呼び方をしているのではないだろうか。
ああ、でも、私の本丸の刀剣達は、私の刀剣となるまではあの男を主だと思おうとしていた。憎くてたまらないはずのあの人間を。
どんなに恨もうとも、自分達に命を吹き込んだ審神者は、やはり特別な存在なのだろう。それを思えば、確かに特殊なのかもしれない。
「まァそれは置いておいて。ちょっと口説いてみてくれないか?」
「口説く?」
「ああ。君の褒め言葉は口説き文句にしか聞こえないと聞いてな。どんな驚きの言葉をくれるのか、ぜひとも聞かねばと思ったんだ」
私が褒めるとよく口説いているのか、と聞かれることはあるが、私にそんなつもりはない。だから期待には添えそうにない。
けれど、これはいい機会かもしれない。
私の国永は求められることに疲れ、求められることを疎んでいる。だからあまり彼を求めるような言葉を言えないのだ。
仕方がないことだとは分かっているのだが、それが残念でたまらなかったのだ。
私の国永に直接言えないのはやはり残念であるけれど、同じ刀に言葉を送れるだけでもありがたい。
「君にこれを言うのは酷なことかもしれない。それでもいいか?」
「ああ。俺が言ってくれと頼んだんだ。構わないぜ」
「……君を見ていると、君を盗み出した盗人や、墓を暴いてまで君を求めた人間の気持ちが、よく分かる」
鶴丸国永が目を見開く。
やはり酷なことだったか、と眉を寄せる。
しかし、一度吐露した心の声は止まりそうもない。
「光を取りこんで輝く刀身は言葉にできない美しさだ。振るうたびに描く弧は光の尾を引いているようで思わず見とれてしまう。私が敵として君と対峙したならば、斬られたことにすら気付かぬほど、君に目を奪われたまま死んでいくことだろう」
そんな最期ならば、きっと悔いはない。
鶴丸国永は、ただそこに在るだけでため息が漏れるほどに美しい刀だ。そんな美しい刀が最期を飾ってくれるのだ、これ以上ない幸福だろう。
「夜の君も、昼とは違った美しさがある。月のわずかな光を取りこんだ刀身は、怪しさを伴った妙な色香を漂わせて私を誘うんだ。もっと落ちろと、もっと深く求めろと」
ああ、まったく! 何て刀だ、鶴丸国永!
ただでさえ私を魅了してやまない刀であるのに、これ以上を望むように惑わせてくるだなんて!
彼は私をどうしたいのだろう? むしろこれ以上どうしろというんだ! こんなにも愛しているのに!
「君になら分かるか? 彼がこれ以上私を惑わせてどうしたいのか」
目の前の、かの刀と同じ存在が、私の問いに肩を跳ねさせる。
その反応の意味は何だ。分かったからこその反応か、ただ単に突然の問いに驚いただけなのか。
前者ならば、ぜひとも知りたい。聞かせてほしい。
「私は鶴丸国永を手に入れるためならば、どんなことだってしてしまいそうなほど、国永に魅せられているのに。彼は私をどうしたいのだろう? 彼は私に、どうなってほしいのだろう?」
首をかしげて尋ねると、鶴丸国永は顔を真っ赤に染めてわなわなと震え始めた。
その反応に驚く。
突然どうしたというのだろう。言ってはいけないことでも言ってしまったのだろうか。それならば申し訳ない。
謝ろうとした直後、震える声で、鶴丸国永が叫んだ。
「み、光忠ああああああああああああああああ! 貞宗ええええええええええええええええええええええ! 倶利伽羅ああああああああああああああああああああ!」
脱兎のごとく駆けだし、彼は近くにいた伊達の刀達の輪に飛び込んで行った。
彼と同じ本丸の刀のようで、彼らはしっかりと鶴丸国永を受け止めていた。ただ、何故か彼らも顔が赤い。
一体どうしたというのだ。
きょろりと辺りを見回すと、他の刀達も顔が赤いように見えた。
風邪でも引いているのだろうか、と首をかしげていると、背中に衝撃が走る。
痛くはない。
肩越しに振り向くと、私の国永が背中に張り付いていた。彼もやはり顔が赤い。
「国永? 大丈夫か? 顔が赤いが、具合でも悪いのか?」
「嘘だろう、君!? あんなこと言っておいて自覚がないのか!?」
仲間のもとへ突っ込んで行った鶴丸国永が叫ぶ。
周りの刀剣達も、目を見開いて驚いているようだった。
「姐さんは本当に思っていることを、そのまま口に出しているだけだ。自覚の有無以前の問題だぞ」
国永の言葉に、周りの刀剣達が愕然とした表情で戦慄く。
私はそんなにいけないことを言ってしまったのだろうか。
何がいけなかったのか、原因を考えている私をよそに、国永が言った。
「それに、本気の言葉だから、心に響くんだろうが、」
その言葉に思考を停止させた私を、国永が睨んだ。
睨んだと言っても、それはすねた子供のそれで、ちっとも怖くないけれど。
「というか、姐さん! 何で他の刀が君の賛辞を受けている! 何で俺への言葉を、あいつが!!」
「だって君、そういうの嫌だろう?」
「君を、他の人間と一緒にするな!!」
国永はたくさんの人間に求められてきた刀だ。寺から盗まれ、墓すら暴いてまで。
人の身を受けた今は、彼の前任から異常な執着を持たれていた。そしてそれに随分と苦しめられてきた。
そんな風にして求められてきたから、それに疲れてしまっていたのだ。いっそ嫌ってすらいたのだ。
だから私は、彼を求めるような言葉を隠してきたのに。まさかそれを怒られるだなんて思わなかった。
「君は俺がこの世で唯一膝を折ることをよしとした人間だ! 命を掛けることすらいとわないくらい大切で、大好きで、特別な人なんだ! そんな君の言葉を疎むだなんてありえない!」
全部寄越せというように、国永が吠える。
「俺は君が望んだ、君の刀だ! だったら、君に他の刀を愛でている暇なんてないだろう! 君は俺たちだけを愛でていればいいんだ!!!」
国永が、鬼気迫る表情で怒鳴る。
彼らは私の言葉を強烈だというけれど、彼らの言葉だってなかなかに強烈だ。
私だけ。そう私だけが許されている。彼を心から求めることも、彼を心から愛でることも。
他の人間ならば許されない。けれど私だけは違う。彼自らが、私に愛でられることを望んだ。私が、心から、魂から欲した刀が、私だけは特別だと言って。
ああ、なんて愛らしいのだろう、私の刀は!
「何て刀なんだ、君は」
口角が上がるのが、自分でも分かった。
「すごくそそる」
肩に置かれた手を握り、国永と正面から向き合う。
人の身で最も刀身を表す瞳を覗きこめば、とろりととろけたような色の瞳は、やはり私を誘うようだった。
その誘いのままに本体を奪う。
太刀を下げる装備は整っていないから、帯に差し込む、帯刀する。
柄を撫でれば、国永は真っ赤になって硬直した。
「今更やめろだなんていうなよ? 私だって、君を愛でたくてたまらなかったんだ。これまで我慢していた分、全部吐き出させてもらうぞ」
まずは手入れをして、じっくりと観賞しよう。それから素振りをして、私も彼を使って物を斬ろう。巻藁程度なら、私にだって斬れるはずだ。
彼らの切れ味は、実際に使ってみなければ分からない。
いや、演練や戦場での様子を見るに、その切れ味は分かっているのだが、それを実際に感じたいのだ。彼らを使い、物を斬るのは、得も言われぬ快感だろう。
ああ、この分では一日では足りない。今夜は徹夜も覚悟せねば。一晩頑張れば、それなりの仕事が終わるはずだ。
そうと決まれば、いてもたっても居られなかった。
「そういう訳だから、君を口説くことはできない。驚きは自分の主に与えてもらってくれ」
演練はすでに終わっている。他の本丸との情報共有のために残っていただけで、もういつ帰っても支障はなかったのだ。
私に話しかけていた鶴丸国永に別れを告げ、踵を返す。
くるりと向きを変えた時に見えた彼の表情は、何故だかひどく驚愕していたように見えた。
「君の中であれは口説き文句という意識すらないのかっ!!?!?」
後ろで鶴丸国永が叫んでいたが、国永を愛でることに想いを馳せていた私の耳には、欠片も届いていなかった。