陽だまり集め






「今日はいいお天気ですね」


 日当たりのいい縁側で、お供の虎たちと共に日向ぼっこをしていた五虎退様に声を掛ける。
 どうやら驚かせてしまったらしい。彼は一瞬びくりと肩を震わせて、恐る恐るこちらを向いた。


「そ、そうですね……」


 元来気弱な性格をしている五虎退様であるから、怯えられるのは想定内である。しかし、ここまであからさまに恐怖心を露わにされるのはさすがにぐさりときた。
 前の本丸で非道を受けた故の警戒心なのか、前の本丸のこんのすけが審神者とそろってやらかしたのか。前者であっても後者であっても噛みちぎってやりたい案件である。


「少しお話をしたいのですが、よろしいですか?」
「は、はい……。大丈夫です……」
「ありがとうございます。実は、審神者様についてお聞きしたくて」
「姐様について、ですか?」


 審神者様の名前を出すと、五虎退様の恐怖心がわずかに薄れた気がした。
 五虎退様と共に警戒心をむき出しにしていた虎たちも、わずかながらに警戒を解き、五匹そろってこちらを見つめた。


「審神者様は一体どんなお方なのでしょう?」
「何事にも一生懸命な人です」


 間髪いれず、きっぱりと言い切った五虎退様に、今度はこちらが驚く。
 内気でありながらもしっかりとした芯を持ったお方であることは窺っていたが、それをこんなにも早くお目にかかるとは思わなかったのだ。
 素直に驚愕を表すと、五虎退様は大きな目をゆっくりと細めた。


「あの人は、僕たちに生涯の忠誠心を与えてくれる人です。ずっとずっと、あの人についていきたいと、そう思わせてくれる人です」


 そう言って笑った五虎退様は、とても幸せそうだった。



* * *



「姐さんはあたたかい人だ」


 次に出会ったのは、大倶利伽羅様だった。
 彼は内番で畑仕事をしていたらしい。手には大きな籠を持ち、足は厨の方へと向いていた。
 先程五虎退様に投げかけた質問を彼にも向ければ、彼は何の戸惑いもなく答えを返してきた。いっそ返事すらくれないのではないかと考えていたため、あまりにも素直な回答に驚く。
 慣れ合いを好まない孤高の刀剣。無口で無表情で、多くの審神者が彼の扱いに戸惑うと聞く。
 自らを呼びだした主でさえ、そんな対応を取られるのだから、前の本丸でやらかしたらしい自分など、見向きすらされないだろうと覚悟していたのに。


「……お前にも、俺は異質に見えるか」


 眉を下げ、困ったように呟かれた声に我に返る。
 そうだ。彼らに”彼ららしさ”を求めてはいけないのだった。彼らはブラック本丸で虐げられてきた刀剣なのだ。特殊な状況下で、通常と同じであれるはずがない。


「申し訳ありません……。少し驚いてしまいました」
「……そうか」


 驚いたのは事実だ。彼を異質だと思ったのも。それを弁明するつもりはない。
 だって事実だ。彼が異質なのは。異質にならざるを得なかったのは。きっと、そうでなければ生きられなかったのだ。
 ブラック本丸は、人の欲望と悪意の塊だ。悪の権化だ。人の、もっとも醜悪な全てが詰まった場所。彼らはそこにいた。


「さっきの質問の続きだが、」


 私の思考を打ち切るように、大倶利伽羅様が言った。
 その表情は先ほどとは打って変わり、柔らかく温かい。


「俺たちはあの人の優しさに触れて、生きることを選んだ。あの人のまっすぐな魂に触れて、もう一度人のために在りたいと思えるようになった。俺たちにとってあの人はただの主じゃない。”生涯を共にしたい主”だ」


 大倶利伽羅様は微笑んだ。
 彼の言葉はまっすぐで、ただ捻じ曲げられただけの素直さではないのだろうと、そう思った。



* * *



「姐御は自分に厳しいお方だと思うね」


 もう少し自分に優しくしてやってもいいだろうに。
 そう言って苦笑したのは薬研様だ。戦に関する資料を運んでいるところをお見かけし、少し時間をいただいたのである。


「姐御は真面目で責任感が強いらしくてな。俺っちたちを率いるにあたって、寝る間も惜しんで戦時について学んでるんだ。俺っちたちの主に値する審神者になるために、ってな」


 そう言って視線を落としたのは腕の中。かなり分厚い資料が何冊も積み上げられている。恐ろしいことに、これはほんの一部だという。先輩審神者から借りたものもあれば、万屋にいる退役審神者に譲ってもらったものもあるそうだ。


「昼は書類に俺っちたちの指揮に戦の勉強。夜は悪夢を見る俺っちたちのなだめ役。一体いつ休んでんだかなぁ……」


 無茶が過ぎる、と薬研様が眉を寄せた。
 確かにそうだ。審神者様がまともに休んでいるときなんて、食事のときくらいのものだろう。
 刀剣男士様方がおしゃべりに誘うなどして休ませているようだが、仕事を投げ出すわけにはいかないことを双方共によく理解しているから、それもわずかな時間である。


「ま、そんな人だから俺っちたちは姐御に信を置いたんだ。こんな風に俺っちたちのために努力してくれる人を、俺っちは知らない。俺っちがしらねぇだけで本当はもっといるのかもしれねぇが、その中でもきっと、俺っちが主と仰ぐのは姐御だけだ」


 何の確証もないけれど、確信を持って言われた言葉だった。その他の事象が起こり得ないと、いっそ決めつけているように感じるほど断定的に。


「俺っちの意見としてはこんなもんだ。参考になったかい?」
「ええ、とても」
「後もう一つ意見を述べるなら、百聞は一見にしかず。会って話してみるのが一番だと思うぜ?」


 そう言ってにっと笑う薬研様は噂に違わぬ男前であった。
 こちらとしても一つ言いたい。お前の様な短刀がいるか。



 そして、この本丸にはそういう刀剣が多いことに気づくのは、もう少し先の話である。



* * *



「貴方様は一体、どういったお方なのでしょう?」


 審神者様の執務室。本丸の奥まった場所に在る離れの一角にて書類と向き合っていた審神者様に、私は声を掛けた。
 彼女が今とりかかっている書類は、今日のものではない。本来なら明日手をつけるべきものだ。明日仕事がしやすいよう、彼女は前日に翌日の仕事を確認するのである。
 私の突然の質問に、審神者様はこてりと首をかしげた。この方は時折、年の割には幼い仕草をする。
 かしげた首をそのままに、審神者様は苦笑した。


「刀剣達には愚かだと思われていると思う。危ないことばかりして、心配を掛けて、よく怒られているから」


 危ないことをしている自覚はあるのか、と遠い目をしてしまったのは仕方がない。
 短い付き合いではあるが、このお方が危なっかしい人間であることは十分に理解しているつもりだ。
 この間も木から降りられなくなった五虎退様の虎を助けるために木に登って、刀剣男士様方に叱られていた。
 散々叱られて、普通の人間ならば懲りるはずなのに、彼女は反省はするけれど、困っている者がいたら、何度でも手を差し伸べるのだ。
 愚かだと呆れられても仕方がない。けれど彼らは、そんな彼女の愚かなところを、存外気に入っているらしい。私も含めて。


「でもそれでいいんだ。それくらいの距離が私には丁度いいし、彼らも言いやすいだろう」
「何を、ですか?」
「私が間違っていたとき、お前は間違っているのだ、と」


 思わず、言葉に詰まった。
 このお方は、自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。
 彼女の率いる刀剣男士様は、ブラック本丸出身で、人を憎む気持ちが完全に消えたわけではないはずだ。そんな彼らに、付け入るすきを与えてしまって、大丈夫なのだろうか。主命という免罪符を与えてしまって、下剋上でもされてしまったら。


「君も、私が間違っていると思ったら、止めてくれ。何としてでも」


 殺してでも、という声が聞こえた気がして、思わず気圧された。
 純粋に恐怖した。その、狂気じみた覚悟に。
 生き物としての本能が、彼女に屈服した。あまりにもまっすぐな瞳に。
 けれど、それは恐怖だけではなかった。言うなれば、畏怖というものだろう。その覚悟に報いたいと、そう思わせるものがある。
 彼女は、すべて覚悟の上なのだ。自分が前任の様になってしまったら、殺されることもやむなしと。


「頼りにしてるよ、こんのすけ」


 にっと男くさく笑った審神者様の瞳があまりにも綺麗で、それが損なわれるのを見るのはあまりにも惜しいと思った。
 否、損なわせてはいけない。この純粋な瞳には、比べることのできない価値がある。


「ええ、もちろんです。頼りにしてください、姐様」


 そのためにも、厳しく接することをお許しくださいませ。
 そう言って笑うと、姐様は満足げに笑った。
 彼女を殺させはしない。
 姐様を愛している刀剣男士様にも、その身を彼女の血で汚させはしない。


(貴方に道を、誤らせはしない)





―――小さな獣の、覚悟の話




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