井戸 前編






 椿は執務室にて、顎に手を当てて深い思考に耽っていた。政府からの入電により、調査依頼が舞い込んできたのだ。
 文久土佐藩。少し前に行われた特命調査と同じく、放棄された世界での任務だ。各本丸は一部隊を五名で編成し、先行調査員として政府から派遣された刀剣男士と共に任務に当たれ、というものであった。
 この任務は数日前から始まっていたのだが、椿の本丸には情報が届いておらず、師である都から齎された情報により、この任務の詳細を知ったのだ。そして政府に駆け込み、ようやく入電を受け取る事が出来たのである。


(政府は私をどうしたいのだろうな……)


 少し前に行われた聚楽第の任務の時も、このような事が行われた。優判定を貰うと本丸に配属されるという監査官が本丸に来なかったのだ。その理由というのがまた政府絡みで、どうやらこの本丸に政府お抱えの刀剣男士を配属させないよう、何くれと理由を付けて、椿の本丸に行くのを阻止していたらしい。
 どうやら政府は椿に政府に関わる知識を付けさせたくないようで、監査官―――――山姥切長義を椿に相応しくないとして、椿から取り上げようとしたのだ。
 そんな理不尽に声を上げない椿ではなく、今までの政府の悪行を眼前に突き付けて、ようやく山姥切長義を入手したのである。
 そうして手に入れた山姥切長義には散々疑心を向けられたが、椿の本丸の経緯や、椿と刀剣男士との間に結ばれた絆を見てもらうことによって、信頼を勝ち取ることが出来た。


(もしや政府は、政府から信用されていない主として、刀剣男士の方から審神者を見限らせようとしている……?)


 椿の予想が当たっているならば、それは何とも頭の痛い話である。刀剣たちとの関係に亀裂を入れることで内部分裂を企んでいると言うことは、今後もこのような行いが続くと言うことだ。
 山姥切の時の流れから、今回の任務も戦力拡充のために調査員が本丸に配属されるのではないかと噂されている。それが本当ならば嬉しいことであるが、思わず嘆息したくなる話でもある。
 山姥切の時は椿の努力と国広の献身によって事なきを得たが、今回はそうもいかない。土佐藩と関わりのある刀がいないのだ。
 まず土佐藩で思い浮かぶのが陸奥守吉行。そこから連想されるのが新選組の刀たちだ。いることにはいるけれど、それも長曽根虎徹一振り。
 しかし、土佐藩と新選組と言えば、池田屋事件が有名である。そのことを考えれば、何らかの確執があることが読み取れた。


(今回も骨が折れそうだ……)


 椿はため息を押し殺し、肩を竦めた。


(けれど、普通の本丸ではこういったことで頭を痛めるのだよな……)


 一人で戦うとそっぽを向く大倶利伽羅だとか、長曽根や蜂須賀の確執だとか、そういった物。
 この本丸ではまだ経験したことのないもので、仲間が増えることや、在るべき姿で降ろされたが故に起こる弊害である。本丸始動時から見ると、考えられない贅沢な悩みだ。


(少しずつ、けれど確実に前に進んでいる証拠だと喜ばなければ)


 ぱしりと頬を打って、口元に笑みを浮かべる。
 在るべき姿が彼らにとって在りたい姿とは違うかもしれない。けれどそれは、無理にねじ曲げられた物ではなく、そうなるべくしてなった姿であるのだ。変わりたいと思うのならば、そこから変わっていけばいい。正しい姿で降ろされて、そこから願うままに生きればいい。その権利が彼らにはあるのだから。


(まずは調査を完了させなければ話にならない。考えるのはその後だ)


 気を抜きすぎた、と自分を戒める。
 調査員五名の選出はすでに終わっている。後は彼らの準備が整うのを待つだけだ。


(そろそろ終わっただろうか)


 自分が思考に耽っていた時間を顧みて、椿が立ち上がる。

 ―――――ぃ、

 ぴたり。椿が動きを止めた。


(今、何か……?)


 空耳だろうか、と首をかしげる。誰かの声が聞こえたような気がしたのだ。

 ―――――たい……、

 まただ、と椿が眉を寄せる。どこから聞こえてくるのだろう、と耳を澄ませる。

 ―――――さむい、


「池の方、か……?」


 棚からサンダルを取り出し、縁側に出る。池の方に回ってみるが、そこに人影はない。おかしいな、と顎に手を当てる。
 確かに聞こえたのだ。冷たい、寒いという声が。温かいものを求めるような、助けを乞うような寂しげな声が。
 どうか聞き間違いであってほしい。そう願うけれど、今までの経験上、この声は空耳などではない。しかし、肝心の声の主が見当たらないのだ。さすがの椿も途方に暮れた。


「おーい、姐御―?」
「!」


 薬研の声だ。彼は今日に近侍で、いつまでたっても門前に顔を出さない椿を迎えに来たのだろう。懐に入れた薬研の本体から、わずかに不安の感情が感じられた。


「迎えに来てくれてありがとう。少し考え事をしていたんだ」


 努めて柔らかく微笑むと、薬研も口元を緩めた。


「ま、問題がねぇなら良いんだ」
「ああ。でも、少し気がかりがあって―――――」


 ぐらり。視界がぶれ、上体が傾く。
 驚きに目を見開く薬研の顔がかろうじて見えた。

 ―――――ばしゃん!

 大きな水音を立てて、椿は水中に引きずり込まれた。


(何が起こっている……!?)


 池に引きずり込まれた椿はその池の深さに驚いた。
 池の底は見えず、どこまでも続いている。海と見まごう広大さを持っていた。

 ―――――い、
 ―――――たい、

 声だ。先程と同じ、温かいものを求める声。


(君はどこにいる?)


 心の中で問いかける。必死に辺りを見回して、椿はそれを見つけた。


(―――――!)


 一振りの刀だった。大きさは短刀と打刀の中間。脇差しと言ったところか。椿の本丸には存在せず、都や春霞の本丸でも見たことのない刀だった。
 それがどんな刀であるかなんて今はどうでも良いことだ。助けを乞う声はその刀から聞こえてきた。それが自分に聞こえたと言うことは、自分に助けを求めたと言うこと。ならば手を伸ばさなければ。自分に出来ることがあるのにそれをしないと言うことを、椿は出来ない人間であった。
 刀をつかみ、浮上する。


「っはぁ……!」


 大きく息を吸い込み、すぐにげほりと吐き出した。
 馴染みのある空気ではなかった。しかし、ねっとりと纏わり付くような、重さを持った空気には覚えがある。
 咳き込みながら状況を確認すれば、そこはどうやら井戸の中であるようだ。
 自分の本丸のものではなく、ごく普通の清廉な本丸のものではない。黒く濁った井戸の水は、わずかながらに穢れを含んでいた。


「……またか」


 仰ぎ見た天は黒く淀んだ曇天であり、椿の心までも曇らせる。
 そこは出来れば関わりたくない場所―――――ブラック本丸の井戸の中であった。




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