陽だまり集め






『天女の手を取る』



 万屋は、審神者が唯一自由に動ける場所である。その名の通り、万のものがそろい、日頃たまった鬱憤や、剣呑な空気を払拭させるにはもってこいの場所で、常に人が絶えない。
 俺もそのうちの一人で、書類仕事で本丸にかんづめだった自分へのご褒美に、今日の近侍の平野と万屋に来ていた。
 俺の自分へのご褒美は酒である。刀剣達に次郎太刀や日本号と同類に分類されるくらいには酒が好きだ。大好きだ。
 その上万屋で売られている酒は刀剣男士達も飲む。神の口に入ることを考えると下手なものは売れず、最高級品ばかりだ。その酒のうまいこと。現世で飲んでいたものは一体なんだったのかと唸るほどだ。
 さて、今日はどこの酒屋で酒を買おうか、と辺りを見回していると、俺の視線はある一点に集中させられることとなった。


「主君? どうしました?」


 平野が俺を見上げて首をかしげる。そんな平野に俺はようやく視線をそらすことが出来、平野を見やった。


「あれ……」
「あれ?」


 俺の示す先を見て、平野も硬直した。
 俺たちの視線の先には、鶴丸と、その主と思われる審神者がいる。
 ただの鶴丸ならば驚くには値しないのだが、その装いに驚いたのだ。
 その鶴丸は戦装束ではなく、藍色の着物を着ていた。
 稀にいるのだ。審神者の選んだ服を着て万屋に来る刀剣男士が。
 けれどまれに、である。
 大名やら軍師やら、それなりの地位についていた者たちの刀であったからか、刀剣男士は人目のあるところではきちんとした服装で居たがるのだ。
 彼らの一番簡易な正装は戦装束であるから、万屋には主に戦装束で赴く。
 だから、それ以外の服装は珍しく、人目を引くのだ。
 その鶴丸の着物はかなり上等なものの様であるし、その見目の麗しさもあってなおさらだ。
 しかも鶴丸国永という個体には珍しく、大人しいタイプの鶴丸である。見るなという方が無理は相談だ。(これは完全な余談だが、彼と関わりの深い刀達はあんぐりと口を開けてその鶴丸を見ていた)
 件の鶴丸は、藍色の地に白い菖蒲の花と、銀の白くたなびく雲の描かれた着物に、オレンジがかった黄色の帯の着物を着ている。
 彼の主は審神者装束の上に、控えめに金の透かしの入った白い羽織を羽織っている。
 鶴丸はそんな審神者の隣を歩くことを楽しんでいるようで、うちの鶴丸だったらああはいかないだろうな、と軽く意識が飛ぶ。うちの鶴丸だったら、一分もかからずに見失ってしまうだろう。


「あの鶴丸様、あの審神者さんのことを随分と慕っているのですね」


 思考をあらぬ方向に飛ばしていた俺の意識を戻したのは、驚いたような平野の声だった。


「あの鶴丸様、審神者さんに刀を預けています」


 そう言って、今度は平野が審神者を指差した。
 平野の言う通り、その審神者の鶴丸は、審神者に心を許しているらしい。彼の本体は鶴丸の腰にはなく、審神者の腰にぶら下がっていた。
 鶴丸は人懐っこいように見えて、実は疑り深く慎重で、なかなか心を開かない刀だ。初めて手入れをすることになった時も、素直に本体を差し出しはしたが、その目はどこか冷たかった。おそらくは彼の来歴がそうさせるのだろうが、少し泣きたくなったのは事実だ。
 そんな警戒心の強い刀である鶴丸が、ああもあっさりと人間に刀を渡すことに、素直に驚いた。


「はぁー……。若いのにすごいなぁ」
「主君だって、十分にお若いですよ」
「お前らと比べたらな」


 件の審神者は、俺の半分くらいの年齢だろう。二十に届くか、届かないか。審神者歴だって、長くて二、三年といったところだ。あの若さで、千年の長きを過ごした刀に心を開かせるとは。


「末恐ろしい審神者だ……」


 思わず感嘆の声が漏れる。
 御物として長く一緒にいた平野は、鶴丸をよく知る刀の一振りである。当然、彼の警戒心の強さを知っている。そんな彼も、俺の言葉に同意するように頷いていた。それほど、彼の警戒心は強く、闇は深いのだ。
 俺の場合は時間がそれを溶かしてくれたが、彼女は違うだろう。それほどのものが彼女に在るのだろうか。


「あ……」


 視線の先で、団体客とすれ違った鶴丸が、人ごみに流されるのが見えた。
 彼は離れる審神者との距離に驚き、目を見開いている。それに気づいた審神者の方も、同じように目を見開いていた。
 先に動いたのは鶴丸の方だった。離れたくないとばかりに手を伸ばして、審神者の方もそれに答えようと腕を出す。
 けれども更に流されて、二人の距離はどんどんと開いていく。手が届かないと分かった鶴丸が「嫌だ」といった気がして、見ていた俺の方が慌てた。人波に逆らって進もうとする鶴丸の顔は悲痛で、泣いているのかとすら思ったほどだ。
 何故気付かない。何故避けてやるくらいのことが出来ないんだ。審神者と鶴丸との距離を離す人波に、苛立ちが募る。
 見ていられない。助けてやらねば。そう思って駆けだそうとした瞬間、鶴丸に向かって、手が伸ばされた。――彼の主の手だ。
 彼の主は少女だった。二十に届くか届かないかの、女性とは言い切れない年齢の、女の子。
 けれど必死に伸ばされた手を握ったその手は、思ったよりも大きくて、離すまいとするのが伝わる力強さを持っていた。
 その手に握られて、鶴丸が安堵したのが分かった。
 その手はそのまま、流れに逆らっているにもかかわらず、それを感じさせない強さを持って、鶴丸を自分の方へと引き寄せた。
 そして、思ってもみなかった力強さで、その腕の中に鶴丸を収めた。


「すまない、国永。大丈夫か?」
「す、すまん、姐さん。もっと周りに気を配れていればよかったんだが……って、姐さん!」


 殊勝に謝っていた鶴丸が突然声を上げる。視線は審神者の顔に注がれていて、ただでさえ白い顔が、更に白くなっていた。
 よく見れば、審神者の少女の片頬が、うっすらと赤くなっていた。おそらく、人込みをかき分ける最中にぶつけてしまったのだろう。あの分では、しばらく腫れるのではないだろうか。


「ああ、少しぶつけてしまったようでな。まぁこの程度ならすぐ治るさ」
「お、俺のせいで……」


 守るべき審神者に怪我をさせてしまったという事態によほどダメージを受けたのか、鶴丸は可哀想なほど顔色を悪くして震えていた。
 武装を解いていることも相まって、その鶴丸は随分と儚く見える。今にも折れてしまいそうだとすら、思うほどだ。いっそ、そうなりたいとすら思っているようにすら、見える。それくらい、審神者に怪我をさせてしまっていることを、悔いているようだった。
 鶴丸は、そんな顔を見せまいとしているのか、深く俯いている。審神者に、彼の顔色をうかがうことはできないだろう。
 けれど、そんなことはどうだっていいのだ、というような顔をして、審神者が言った。


「君の手を、掴めてよかった」


 審神者の少女はそう言って、震える鶴丸の手を強く握った。


「助けを求める君の手を、ちゃんと、掴めた」


 今にも泣いてしまいそうな顔で、鶴丸が顔を上げた。その手は、審神者の気持ちに応えるように、強く握り返されている。強く、強く。


「それが何よりだ」


 そう言って満面の笑みを浮かべた審神者に、鶴丸は困ったような、けれども嬉しそうな顔で笑った。


「俺も、姐さんに手を取ってもらえて、よかった」
「そうか」


 二人は幸せそうに笑って、再度つながれた手に力を込めあった。


「このまま手を繋いでいよう。そうすれば、もう逸れそうになることなんて、きっとない」
「ああ」


 きっと彼女は、酷く優しい人間なのだろう。そう、漠然と思った。
 必死に手を伸ばしたら、絶対に手を取ってくれる人間なのだろう。同じ分だけ、もしくはそれ以上に必死になって。
 おそらく彼女が鶴丸の心を開けたのも、この性分あってこそのものだ。末恐ろしいなどといったが、とんでもない。ただ単に彼女は、それだけ彼のために心を砕いたのだ。ただ、それだけだ。
 彼女らの中には、絆というものがあるのだろう。それは目には見えないものだと思っていたけれど、どうやらそうでもないようだ。
 差し出された手を取り、しっかりと握る。それがきっと、彼らの絆の形なのだろう。
 手を繋ぎながら歩いていく背中を、そっと見送る。
 何だかとても尊くて、温かいものに見えたから、俺も無償に手を繋ぎたくなって、隣にいる平野に声をかけた。


「俺たちも、手をつないで帰ろうか、平野」
「はい、主君!」


 帰ったらこの話を本丸の皆にしてみよう。
 鶴丸もきっと笑ってくれるだろう。驚きだな、と言って。




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