国広のブランデーケーキ
演練場にて、それは起こった。
審神者と護衛の刀剣男士は受付に向かったのか、山姥切長義、山姥切国広、燭台切光忠、へし切長谷部、肥前忠広の5振りが廊下の隅で屯していた。
そんな中、暇を持て余しているらしい国広が、自身の本歌たる長義に声をかけた。
「少し相談があるんだが……」
相手の顔色を伺うような、控えめな声かけだった。兄刀である山伏国広たちならば、つい甘やかしたくなるような声音だ。
しかし、声をかけた相手は長義である。喧嘩になるのではないか、と周囲にいた審神者たちが心配のあまりにこっそりと聞き耳を立てた。
「…………何かな?」
声かけに答えた長義の声は、思いのほか穏やかなものだった。ハラハラと成り行きを見守っていた審神者たちはそのことに驚きつつも、比較的仲のいい個体だったのだろう、と一安心する。
しかしそうなると、会話の内容が気になってくる。二振りの既知の刀とともに、件の刀たちにばれないように、こっそりと意識を伯仲の刀たちに向けた。
「先週、万屋街で酒屋の荷運びの手伝いをしたら謝礼に酒を貰ったと言っただろう? それを使ってブランデーケーキを作ったんだ」
料理が得意な個体なのか、と意外に思っていると、各々で過ごしていた彼らの仲間たちが、一斉に国広の方を向いた。
「おい、待て。今その話をするのか?」
「そろそろ八つ時だろう? 帰ったらみんなで食べようと思ってな」
「だからって今するかな……!」
長谷部が絶望をかたどったような顔で国広の肩を掴んだ。
しかし国広はほんのりと笑みを浮かべている。花でも飛ばしそうな緩やかな空気だが、長谷部と同じように長義が頭を抱えていた。一連の流れを見ていた審神者たちは、自分の刀剣たちと顔を見合わせた。
「本科には飲み物の準備をして貰いたいなぁ、と。ちなみにブランデーケーキはラム酒を使用したプレーンのものと、コニャックを使用したチョコの二種類だ」
「…………こりゃ覚悟して聞くしかねぇな」
肥前が腹を押さえながら、何やら覚悟を決めたようだった。
「プレーンの方は生地にアーモンドの粉末をたっぷり入れて香ばしく仕上げたんだ。チョコの方はカカオ含有量の多いダークチョコを使ったから、チョコが濃厚で満足感と贅沢感が味わえると思う」
「う゛っ………!」
「出来たての時はふわふわと軽い食感だったんだが、日を置いた方が熟成されてしっとり美味しく仕上がるんだそうだ。とりあえず5日間ほど寝かせたので、そろそろ食べ頃だろう」
「んぐぅ………!」
―――――何それ美味しそう。
楽しげな笑みを浮かべながら嬉々として語る国広の言葉に、話を聞いていた審神者たちが唾を飲んだ。
丁度お腹の空く八つ時である。美味しそうな物の話を聞くと、ついお腹を鳴らしてしまう時間帯だ。
「初めて作ったからあまり自信はなかったんだが、出来たての時点では姐さんと長谷部のお墨付きだ」
「…………長谷部くん、食べたの?」
「君はあとで本丸裏ね」
光忠と長義が恨めしげに顔をゆがめ、長谷部を睨み付ける。
「荷運びは俺も手伝ったんだ。味見の権利は十分にあるだろう」
「…………感想は?」
「ふわふわと柔らかく、なんと言っても口溶けがいい。洋酒の香りが口の中で広がるのがたまらなくてな……。あまりの美味しさに一瞬で消えた」
つい感想を聞いてしまった肥前が、腹を鳴らしながら頭を抱えた。
演練は今から行われるのだ。今話をしているケーキが食べられるのは当分先の話である。うなだれてしまうのも当然だった。
「あれが更に美味しくなるのか……。やばいな………」
「気に入ってもらえたなら何よりだ。それで相談というのは、このケーキに合わせる飲み物は何がいいかと言うことなんだが」
遠くを見つめる長谷部にふわふわとした柔らかい笑みを浮かべながら、光忠たちの顔を見渡す。
相談を受けた長義たちは額を突き合せて真剣に悩んでいるようだった。
「う、うぅ~ん……。紅茶もコーヒーも両方合いそうだなぁ………」
「いやでも、紅茶は香りが強いもんが多いだろ。洋酒の風味と喧嘩しねぇか?」
「それは好みじゃないか?」
ああでもないこうでもない。真剣に頭を悩ませていた彼らだが、彼らの悩みはぽつりと落とされた長谷部の一言で解決に向かった。
「そういえば、姐様はコーヒーが合いそうだと言っていたな」
「姐さんの意見なら間違いないね。とびっきりのコーヒーを淹れてあげよう」
「決まりだな」
悩みが解決してすっきりとした顔で、刀剣たちがうなずく。
するとそこに、彼らの主らしき青年と見まごう容姿の少女が護衛の刀とともに彼らに合流した。
「楽しそうだな。何かあったのか?」
「ああ。今日のおやつについての話だ」
「先週味見をしたブランデーケーキが完成したそうですよ」
「あれが完成したのか。ふふ、それは楽しみだな」
和やかな空気を纏った少女が、穏やかに笑った。
そうして少女たちは演練開始地点に向かったのだが、残された審神者たちはたまったものではない。その日の演練場では、本丸の料理上手たちに連絡して、とびきりのおやつを用意して貰うよう手配する姿が散見されたという。