改変された世界で 2






 俺―――不動行光がその少女と出会ったのはあの人を失った、本能寺だった。
 いつものように出陣し、いつものように歴史改変を阻止せんと刀を振るおうとしたとき、その少女が現れたのだ。
 いつもと同じ、変わらぬ光景。その中に現れた唯一の異変。
 歴史が正された証か。はたまた新たな改変の兆しか。
 みんなが固唾を呑んで見守る中、少女は遡行軍と俺たちに視線を走らせた。それはまるで戦況を確かめる指揮官のそれで、俺は思わず息を呑んだ。


「陣形を組み直せ! 雁行陣!」


 腕を振り、鋭く指示を出す。その声に従って、遡行軍の陣形が組み直される。
 あっさりと自分たちの策を放棄し、少女の指示に従う姿に呆気に取られる。
 何が何やら分からぬままに白刃戦に縺れ込み、俺たちはあっさりと不利な状況に追い込まれることとなった。


「くそっ! さっきまでとは動きが全然違う!」
「あの子供が現れてからだ!」
「貴様、一体何者だ!」
「おかしなことを聞くなぁ。君たちは自分たちが何と戦っているのか理解していないのか?」


 ことり。首をかしげる、恐ろしいまでの幼い仕草。不思議そうに目を瞬かせる様は、子供が親に、この世の真理を問う姿に似ている。
 そんな戦場とはあまりにかけ離れた様子に、俺は少女が何を言っているのか理解できなかった。


「貴様、歴史修正主義者か!」
「初めまして。私は椿だ。よろしく」


 少女―――椿は敵意を剥き出しにするこちらに対して、朗らかな笑みを浮かべている。いっそ親しみを覚えるような柔らかな笑みに、動きを止めそうになる。
 恐ろしいことに、敵として対峙しているはずなのに、彼女は本当に敵なのかという疑念が湧いてくるのだ。


「よく俺たちの前に姿を現せたものだな!」
「お前は自分たちが何をしているのか分かっているのか!」


 糾弾する声を浴びても、椿は笑みを絶やさない。


「分かっているとも」


 あっさりと返された肯定。けれど、その声は自分たちの行いを正しく理解していることを分からせる重厚感があった。


「私は自分たちに正義があるとは思っていない。間違った命であることも自覚している。誰かの命を犠牲に、自分の祈りがあることを知っている。そうして世界が成り立っていることを知っている」


 言葉を失う。彼女の優しげな微笑みから、確かな覚悟を見て取ったから。


「私は改変された歴史の中で生まれた。私が存在してはいけないことは分かっている。正しい誰かに成り代わり、正しい命を犠牲に生きている。けれど私にだって命が宿っているんだ。かけがえのない人たちが存在するんだ。例えそれが本来在るべき人たちの残像でしかなくとも。偽りの歴史でしかなくとも。それを大切に想う心を、生きたいと願う心を、否定される謂われはない」


 きっと、被害者なのだろう。改変された偽りの歴史の中で生を受け、その先に待つ未来が生物として迎えるべき最期ではなく、消滅という“無”に還るしかないのだから。
 きっと彼女は戦いたくなどないのだろう。けれど戦わなければ迎えるのは死ではなく、自分たちが生きていたという事実すら残らない未来。
 だから彼女はここで、自分たちと対峙している。自分たちが生きていた証を残すために。自分たちの世界を守るために。


「間違っていると分かっていて何故戦う!」
「理屈ではない。けれどあえて理由を挙げるとするならば、それは、」


 ―――もう何も失いたくないが故、


「さて、問答はこれで十分だろう? では戦おう、刀剣男士諸君。正史という名の武器を手に、こちらを断罪すると良い」


 いっそ慈悲すら滲んでいるような声音。すべてを悟り、受け入れたような笑み。
 けれどその柔和な目の奥で、苛烈に燃えるものがある。負けるものかと。諦めるものかと。失ってたまるかと荒れ狂う環状の渦が見える。


(ああ、分かるよ、その気持ち……)


 歴史を守るため。ひいてはかつての主を守るため。そんな風に嘯きながら、いつだって心の中に蟠るものがある。
 どうしてあの人が、あの日あの時、死なねばならなかったのか。どうしてかの人の生を望んではならないのか。


「不動!」


 仲間の声が鋭く耳朶を打つ。
 顔を上げると迫り来る凶刀が目の前にあった。けれどその身に刻まれた本能が、思考より先に体を動かす。
 交わしきれなかった刃が皮膚を裂く。けれど致命傷にならず、潜り込んだ懐に己の刃を突き立てる。どう、と音を立てて、遡行軍は倒れ伏した。
 そしてようやく辺りを見回すと、遡行軍は今の一体で最後だったらしく、立っているのは仲間の姿ばかりだった。


「策だけでは覆せぬものあり。錬度上げについて進言してみるのがいいか」


 腕を組み、顎に指をかけて唸る姿はどこか芝居がかっている。
 彼女の中ではこの結果が見えていたのだろう。策により俺たちは苦戦を強いられるものの、錬度の差で勝利を収める、と。
 ふと、椿が動きを見せた。それに仲間たちが警戒を見せるも、椿は意に介さず、その場に膝をついた。
 遡行軍の亡骸をそっと撫でる。


「ありがとう、みんな。使い捨てて済まない。君たちはとても良い刀だったよ」


 それはごく短い弔いの言葉だった。けれどありったけの想いが込められたもの。刀にとって、何よりの誉れだった。
 ガツンと頭を殴られた気分だ。それほどの衝撃が確かにあった。
 羨ましいと思ってしまったのだ。良い刀だと言って、敬意を持って見送られた彼らが。
 代わりなどいくらでもいると言わんばかりの無慈悲な使われ方だった。それを目の前で見ていたはずなのに。
 そして何より、自分と今の主の間に繋がる絆のあまりの希薄さに愕然としたのだ。果たして今の主は俺が折れたとき、あんな風に見送ってくれるだろうかと、疑ってしまったのだ。


「さて、私はそろそろ退散するよ。縁があったら、また戦うこともあるだろう」


 涼しい顔でひらりと身を翻す。あまりに自然な立ち振る舞いに、俺たちは呆気に取られた。


「待て!」


 我に返った仲間が、少女を追いかける。無防備なその背に刃を向けて。
 彼女は敵だ。それが正しい。分かっている。そうしなければならないのだ、と。
 けれど。けれど、彼女は―――、


「危ない!」


 咄嗟に少女の体を突き飛ばす。驚いてよろける体を伏せさせて、仲間の刃を躱す。
 呆然とする仲間たち。不思議そうな仲間の顔。そして一番驚いている自分。
 明らかな謀反。何か、何か言わなければ―――、弁明の言葉を。


「お、俺……」


 仲間の顔を見る。次いで、少女の顔を見る。
 何か―――、


「俺も連れてって」


 口から出たのは、明らかな裏切りの言葉だった。
 愕然とする仲間たち。呆ける少女。自分の謀反にどこか納得する自分。


「俺も、歴史を変えたい」


 それは衝動だった。けれど確かな願いだった。
 歴史を変えたい。あの結末を変えたい。大切なものを失いたくない。
 確かな決意を胸に少女を見つめる。すると少女は柔らかく微笑んだ。
 少女の笑みは一見優しく見えるが、その目は酷く冷ややかだ。


「それは今の主への裏切りだけど、良いのか?」


 ―――見定められている。
 主を裏切るような俺が、もう一度裏切りを繰り返さないとも限らない。故に、俺を裁定する目はどこまでも厳しい。
 けれど、それでいい。
 信じなくて良い。許さなくて良い。これから俺がすることはどこまでも歪んでいて、何一つとして正しくないのだから。


「それを承知で、俺はあんたについて行きたい」


 間違っていることだとしても、叶えたい願いを持ってしまった。正しくない行いだとしても、俺はそれをしたいと思ってしまった。
 だから冷たいままで良い。優しくなどしなくて良い。代わりなどいくらでもいると言わんばかりの無慈悲さで使ってくれて構わない。


(それでも貴女は最期には敬意を持って見送ってくれる人だろうから)


 そのたった一つがあるならば、俺はどんな扱いだって受け入れよう。そも、主を裏切った俺は、扱いを選べるような立場じゃない。主を裏切ると言うことは、それほどまでに重いもの。
 けれど俺は、今の主よりも遠い過去の思い出と、折れた先の未来に希望を見出してしまったのだ。




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