改変された世界で






 それに気づいたのは、私が小学生の時だった。社会の授業で本格的に歴史の勉強が始まったときだ。
 とある戦で戦死したとされていた武将が、その戦を生き延び、別の戦で戦死したとされている。
 とある法を設けた将軍が、そもそも存在しないことになっている。
 曖昧にしか語られていなかった伝承が、確固たる事実として伝えられている。

 私には前世の記憶がある。椿と名乗り、審神者という職に就き、歴史を守るために戦ってきたという歴史だ。
 故に私は理解した。この世界は改変された歴史の上に成り立っているのだと。
 なんと言うことだろう。歴史を守るために戦ってきた私が、正される側に回るだなんて。


(つまり私は、彼らに正されるのか……)


 思い出されるのはかつてともに戦ってきた自分の刀たちの顔。歴史を改変せんとする敵に立ち向かう勇敢な姿。守りたいという強い意志。
 胸中は複雑だ。生きたいとは思う。けれど受け入れるしかないことは、何より私が知っている。だって前世の私は正史という武器を手に、改変された歴史を正してきたのだ。その歴史の中で息づく命があると知りながら。
 そのツケが返ってきたと思えば、自業自得としか言い様がない。生きたいと叫ぶ声を踏みにじって、その犠牲の上で生を謳歌していたのだから。


(受け入れるしか、ないのだろうな……)


 正されるのがいつであるかは分からない。一年後かもしれないし、明日の朝には正史に塗りつぶされているかもしれない。
 抗うにしても、何の手立てもない。考えても詮無いことだ。
 憂鬱な気持ちで帰宅する。
 両親はまだ帰っていない。
 暗い部屋が自分の心を表しているようで、更に気分が沈んでいく。ライトのスイッチを入れると暖色の柔らかい明かりが部屋を照らしてくれる。それにほっとするが、何とも言えない苦みや胸の痛みが消えることはない。


「ただいま」


 誰もいない部屋で呟く。
 寂しいなとため息をつくと、玄関の方から物音がした。


「ただいま」


 母が帰宅した。
 憂鬱な気持ちを悟られないように「おかえり」と言うと、母は訝しげに眉を寄せた。
 具合でも悪いのかと心配され、母の察しの良さに内心舌を巻きつつ、何でもないと笑って返す。
 そうこうしているうちに父が帰宅した。父も母と同様、私の顔を見るなり顔を曇らせた。


「どうした? 何かあったのか?」


 労るように髪を撫でられる。大きくて分厚くて、酷く温かい。安心を形にしたような手のひらだ。


(ああ……。この光景は、このぬくもりは、あの日私が置いていったものだ)


 私が審神者になったのは、生きたいと叫ぶ刀たちの主となるためであり、それと同様に私が現世にいれば父と母の身が危なかったからだ。歴史を守りたいだとか、国のために殉じたいだとか、そんな大それた理由じゃない。ただ突如として手に入れた得がたいものを手放したくなくて、父と母を失いたくなくて、そんな自分勝手で小さな願いのために自らの命を燃やして走り続けてきた。
 けれど私の刀たちはもういない。私の命そのものと言ってもいい刀は“私”と共に折れたのだ。二度と会えないことを引き換えに守り抜いた両親の命も、とうの昔に尽きている。今の私に残された大切なものは、今世の父と母の命だけ。例えそれが間違った命だとしても、私にとっては何を置いても守りたいもの。
 先輩や後輩、私と関わりを持った刀たちも、まだ存在しているとは限らない。つまり元審神者とはいえ、私が時の政府側につく義理はないと言うことだ。
 それに今世は前世とは違い、修正された歴史が正されれば、私はもう一度両親を失うことになる。


(また失うのか、この光景を。大切な家族を、)


 今度こそはと思った矢先に突きつけられた事実。
その事実に愕然とした。どうしてこうも失うのか、と。


(私はもう何も、失いたくない)


 生きていると分かっていても二度と会えないという事実を突きつけられた時の、あの身を切られるような思いは新たな生を受けた今でも覚えている。
 何としてでも歴史が正されるのを阻止しなければ。
 決意を新たに、私を心配してくれる両親に笑みを向ける。限りなくいつも通りの自分を見せれば、両親がほっとしたように笑った。


(ああ、やっぱり、失いたくないな)


 そのためには、戦わなければならない。かつて戦友であったものたちと。

 ―――さぁ、戦おう、審神者諸君。許されない命であると知りながら、失いたくないと叫ぶしかない私たちを。正しい歴史を前に敗北するしかない私たちを。そんな未来は容認できないと、いつか来る消滅を咲き伸ばすために足掻く私たちを。思う存分蹂躙し、正しさを前に屈服させ、絶望の中、消えゆく様を見届けろ。


(そうしてすべてを忘れ去り、強く美しい世界を生きてくれ。その無慈悲で残酷な世界を、私は決して許容せず、必ず否定してみせるから)


 私はかつての自分と決別し、許されざる願いのために生きることを誓った。




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