この嘆きが聞こえるか






 折ってくれと、その刀は言った。
 もう疲れたのだと、力無く笑って。

 その刀は、いつの頃か椿がブラック本丸から助けた刀だった。
 浄化を施し、穢れを落とし、心の治療を行いながらの椿との交流を経て、新たな審神者のもとで戦うことを選んだ刀だ。
 新しい審神者となる人物は、ひたすらに快活で、眩いばかりの人間だった。
 その審神者の刀剣男士達も、皆一様に明るくて、朗らかな空気を醸し出していた。
 とても良い本丸であることが分かる、そんな本丸であった。
 けれど、その眩さが、椿には少し心配だった。その光が、この刀には少しばかりきつ過ぎるのではないか、と。その身を焦がし、心を蝕む毒となるのではないか、と。
 そして、その懸念は現実のものとなった。

 刀解でもいいよと、その刀は言った。
 終われるなら何でもいいと、投げやりな態度で目を伏せて。
 そのくせ、こちらを気にする素振りを見せるのだ。ごめんねと、悲しげに謝るのだ。
 最後まで救われなくてごめんね、と。折角助けてもらった命なのに。もう一度、人の為に在りたいと思わせてくれたのに。それなのに、還りたいだなんて、そんな残酷なお願いをするなんて、と。
 何も悪くない癖に。全部自分が悪いとでも言うように。
 謝りたいのは、こちらの方なのに。

 貴女は何も悪くないと、その刀は笑った。
 椿が気に病む必要なんてないのだ、と。全部自分のせいにして欲しいのだ、と。
 分かったと頷くと、その刀はますます笑みを深めた。
 思い残す事は何もないと言わんばかりの笑みだった。この手で終わる事こそが幸福だと言わんばかりの、幸せそうな顔だった。
 こちらの荒れ狂う心情など知りもしないで。
 否、分かっていて尚、この表情なのだ。
 刀を想う椿の心そのものが、彼の喜びなのだ。
 それがどんな激情であろうとも、椿に想われるという事実こそが大切なのだ。



***



 政府の一角。
 溶けた刀を腕に抱き、椿は呆然と宙を見る。風に吹かれれば消えてしまいそうな弱々しさで。
 彼女を気遣う刀剣男士達への反応も希薄で、今にも霞んで消えてしまいそうだった。


「何でこんな事をしたんだ!」


 一人の審神者が声を上げた。今しがた溶かした刀の主となった審神者だった。
 演練場へ向かう道すがらであるから、人目が多い。好奇の目が集まるのを感じる。


「一回前向きになれたんだ。もう一回前向きにさせる事だって出来ただろ!?何で諦めたんだよ!」
「ふざけるな!姐さんだって、諦めたくて諦めた訳じゃない!」
「それだけこいつの意思が固かったんだ!もう無理だと悟ってしまう程に!」
「お前たちには聞いていない!これは審神者同士の話だ!」


 人々の視線から庇うように前に出た刀剣男士達の言葉を、男は一蹴する。
 椿に掴みかかろうとする手をいなしながら、刀剣男士達は男から距離を取った。
 男の刀剣男士達は椿達に厳しい視線を送っており、男の意思を尊重しているようだった。
 そんな両者の様子に、視線は集まるばかりだ。


「あんた、噂の"姐さん"だろ!?こういうの得意なんだろ!?どうして助けてやれなかったんだ!あんたなら出来たはずだろ!?」


 ざわり、と空気が動く。喧騒が大きくなる。
 羨望、疑惑、憧憬、嫌悪。様々な感情が混ざり合い、それら全てが椿へとのし掛かる。


「姐さんなら何でも出来ると思うな!姐さんにだって救えないものはある!」
「姐さんに何でもかんでも押し付けるな!」
「でも実績がある!この審神者には、それだけたくさんの刀を救ってきた事実が!なのに俺の刀だけ救えないだなんて、そんな馬鹿な話があるか!」


 刺すような言葉が胸に痛い。責めるような視線が肌に痛い。
 失望、落胆、憤怒。ありとあらゆるものが椿を射抜く。


「どうして俺の刀を見殺しにしたんだ!返せよ、俺の刀を!!」


 憤る男の言葉に、椿の中で何かが切れた。


「殺してくれと、言われた事はあるか」
「は?」


 刀剣男士達に庇われていた椿が前に出る。低く、重い声だった。
 押し殺した感情が渦巻いているような威圧感のある声に、男が動揺する。


「もう嫌だと、言われた事はあるか」
「何、言って……」
「人の役に立ちたいと思えないと。人の為に戦えないと、言われた事はあるか」
「そんな事、ある訳……」
「私は何度も言われて来たぞ。もう聞きたくないと思う程に」


 怒りの中に、羨望が混じる。
 狡い。羨ましい。
 大変な思いばかりするのに、これからだという所で取り上げられる。
 本来ならば自分の仕事でない事をさせられているのに、美味しい所は奪われる。
 いい所だけ持っていく癖に、一番大変な所は他人任せ。そんなのってないだろう。
 そのくせ、少しでも失敗すると、こうやって責め立てて、全ての責任を押し付けるのだ。あんまりにも程がある。


「何も知らない癖に。お前たちが押し付けてきた癖に。自分の刀だというのなら、お前が助ければよかっただろう?」


 今、腕に抱く鋼は、既に椿の手を離れていた。主を定めていた。ならば、責は主たる審神者が負うべきなのだ。
 この刀が椿に救いを求めたのは、主が自分の意思を尊重してくれなかったからだ。彼が求める救いは死であったのに、審神者はひたすらに彼を生かそうとしたからだ。


「得意って何だ。お前たちが押し付けてきたんだろう?」


 椿が自分から責を負うと決めたのは、最初の十振りだけである。その後は無理矢理関わりを持たされたに過ぎない。
 もちろん、嫌々助けた訳ではない。渋々主従の契りを交わした訳ではない。
 助けたいと思ったから手を伸ばした。彼らが欲しいと思ったから主となった。
 けれども椿は、自分から進んで傷を持つ彼らの主となる事を選んだ訳ではないのだ。


「私が見て見ぬフリを出来ないのを分かっていて、見捨てられずにいるのを分かっていて、その上で、私に彼らを寄越したんだろう!?」


 目の前で苦しんでいたら目を背けることなんて出来なくて。手を伸ばされたら無視出来なくて。助かる見込みがあるのなら、その可能性に賭けたくなるのだ。


「助けたいという私の甘さにつけ込んで、生きて欲しいという私の弱さを利用して、彼らに手を伸ばすように仕向けてきたんだろう!?」


 自分が傷つく事は目に見えている。自分が傷を持つ刀と関わる事で、自分の刀が傷つく事も分かっているのだ。
 けれど、それでも、見捨てるなんて出来ないのだ。


「私は全てを救える程優しくないし、全てを背負える程強くない。だから私に全てを押し付けないでくれ。軽々しく救ってくれだなんて言わないでくれ!」


 どれだけのものが救えただろう。そもそも何が救えただろう。
 失ったものの方が多い。助けられなかったものの方が多い。
 それなのに、椿に全てを押し付ける彼らは、椿が全てを救い上げてきたかのように振る舞うのだ。


「私は救世主なんかじゃない!そんなおぞましいものになんかなりたくない!」


 全てなんて救えない。全てなんて背負えない。
 伸ばされた手を全て取るなんて事は出来やしない。椿の手は、普通の人間と同じ数だけしかないのだから。


「私はただ、彼らと共に生きたくて、彼らと共に戦いたくて。その為に、彼らの主になる事を選んだだけなのに……!」


 椿が崩れ落ちる。膝をついて座り込む。
 鋼を抱く手は震えていた。いつも強いはずの瞳は潤んでいて、涙が溢れていた。
 そんな椿の姿に、男や周囲の人間達が呆然とする。
 堂々とした立ち姿が印象的だったはずの椿は、今この時ばかりは迷子の子供のようにしか見えなかったから。

 折れない訳じゃない。挫けない訳じゃない。
 ただ少し、ほんの少しだけ、人より立ち上がれるようになるのが早いだけ。
 だから誰も気付かない。彼女が傷付いていることに。
 その事を知っている刀剣男士達は、そっと涙を拭い、その肩を優しく抱きしめた。

 もう嫌だとは言わない。
 もう終わりたいとは言えない。
 口にしてしまえば、もう二度と立ち上がれない事を知っている。


(立たないと……)


 弱いままでいい。何度折れたっていい。どれだけ挫けたって構わない。
 けれど、膝をついたままでは進めない。俯いたままでは先は見えない。
 だから、もう一度立ち上がらないと。


(だって私は、諦めないと決めたのだから)


 ―――傷付けられて尚、立ち上がり続ける事を決めた少女の話。




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