地獄の鷹見さん家 8






 ホークスの妹である椿は、たくさんの傷を抱えた少女だ。一つ傷を見つけたと思ったら、別の場所からも血を流している。そんな子供。
 眠れぬ夜があって。叫びながら飛び起きることも珍しくなく。毎日のように空を飛べる自分を確認しないと安堵することすら出来ない。そんな自分を、誰に話すことも出来ないのだ。
 専門家のサポートは受ける方向で話を進めており、病院にも何度か赴いている。あとは相性の良さそうな医者を見つけるだけである。ここで下手な医者を宛がって、余計に悪化することだけは避けたい。相手の人となりを慎重に見極めなければならない。幸いにも、ホークスも椿も、人を見る目はある。そこはあまり心配していないが、良い医者と巡り会うのも、彼女の心の傷が癒やされるのも、どちらも時間が掛かることは明白だ。けれど、それはゆっくりでいい。無理をすることではない。これ以上傷を広げないことを最優先させたいというのがホークスの考えだった。せっかちのきらいのあるホークスだが、妹のことだけは慎重に動きたいのだ。


(でもやっぱり、俺も何かしてあげたいな……)


 世界でたった一人の妹。その存在を何年も見落としていたけれど。だからこそ、その分を取り戻したい。兄として支えてあげたい。ヒーローとして救いの手になりたい。そんな切実な想いで、ホークスは思考を巡らせる。
 そうして思い至ったのは、至極単純なもの。椿の不安を解消するには、彼女に自信を付けさせるのが良いのではないかというのがホークスの出した結論だった。そのために、出来ることを増やす。出来ることが増えれば、それが自信に繋がる。選択肢の幅を広げることが出来れば、余裕だって生まれるだろう。後進育成になんて興味はないけれど。誰かの指導なんて考えたこともないけれど。それが椿の安寧に繋がるならば、やらないという選択肢はない。


「と言うわけで、飛行訓練以外にも、色々やってみない?」
「色々、とは……?」
「簡単に言えば個性を伸ばす訓練かな。ほら、剛翼って便利な個性でしょ? 使い方を覚えておけば、何かと役に立つと思うんだよね。日常生活はもちろん、身を守るのにも」


 ホークスの提案に、椿が目を瞬かせながら兄を見上げた。
 ホークスとしては、この案は賭けである。出来ることが増えると言うことは、椿を「使える」人間に仕立て上げる行為だ。公安はもちろん、ヴィランにも目を付けられる可能性が高まる。剛翼は、それほどまでに有用な個性だ。
 けれど、今の世の中は残念なことに平和ではない。薄氷の上の平和を享受しているに過ぎないのだ。だからヒーローがいて、その平和の維持に努めている。その均衡はいつ崩れ去るか分からない不安定なもの。身を守る手段は、いくらあってもいいのだ。
 また、ホークスはヒーロー業以外にも、公安から危険な任務を請け負っている。いつ命を落としても可笑しくはない。いつ、まだ幼い妹を一人にしてしまうか分からないのだ。だから、出来る限りのものを残したい。例えそれが、自分勝手なエゴだとしても。


「ホークスが、教えてくれるのか……?」


 尋ねた声は、酷く幼い響きを持っていた。目を丸くして、僅かに開いたままの唇が、何ともあどけない。
 ホークスからもたらされた言葉を処理するのに時間が掛かっているのか、椿は小さな一言を漏らしたきりだった。けれど、徐々に言葉を理解したのか、白い頬に赤みが差す。自分と同じ色の瞳に、星のような光が宿った。花が咲いたような笑みが、幼い顔を彩っている。


「や、やりたい……! 教えて欲しい! 私、頑張るから……!」


 その笑みは、彼が見た中で一番輝いていた。こんな顔も出来たのかと、驚くくらいに。
 椿はきっと、自分の個性を伸ばしたいだとか、そういう考えで居るわけではない。ただ、ホークスが自分のために時間を割いてくれるのが嬉しいのだ。兄姉に勉強を見て貰っただとか、一緒に遊んで貰っただとか。椿の中ではきっと、この提案はその分類に振り分けられている。
 遊びのつもりで教えるわけではないのだけれど。ちら、とホークスの脳裏に不安が過ぎる。けれど、それはすぐに杞憂だと分かった。


「ホークスがどういう想定でいるのか分からないけれど、剣術なら自信があります。索敵も、苦手ではないかと。尾行を撒くのも、大人数相手でなければ出来ます」


 喜色に染まっていた顔が、すっと平時のものに戻る。この切り替えの速さは、自分譲りだと頭の片隅で類似点を見つける。本当に、似なくて良いところばかりがそっくりだ。この、子供らしくない思考も。ホークスは幼い頃から公安で訓練を積んでいたから、そういう思考になる自分に納得するけれど、椿は一応一般家庭の子供に分類される。それが、どうしてこんな思考回路になってしまうのか。
 家庭環境の不和は、ここまで人を歪めてしまうのか。不穏な思考に陥りやすい妹に、ホークスは眉を下げた。


「こーら、交戦前提の思考はやめなさい。椿ちゃんは逃走一択だよ。なので、俺が教えるのは剛翼の感知能力を上げることと、精密性を上げることです」
「…………剣術は私の趣味で特技です」


 拗ねたような顔で、ぽつりと呟く。その珍しい表情に、今度はホークスが目を丸くした。むす、と口を引き結んだ顔は、ようやっと見ることの出来た年相応の顔。その顔に、ホークスは心のやわらかい部分をくすぐられた気がした。


「剣術に興味あるんだ?」
「はい。刀が好きで、その派生です。実際の刀を握ったことはありませんが、技術には自信があります」


 得意げな笑み。ああ、今日は本当に珍しいものを見る。距離が縮まったと言うことだろうか。嬉しくなって、ホークスの顔に笑みが浮かぶ。
 こんな顔が見られるのなら、剣術を教えるのも良いかもしれない。何より、椿は、人を傷付けることを恐れている。ならば、己の力の振るい方を覚えさせるのが良いだろう。相手のことばかり考えて、自分が傷付くのを厭わない子供だから。だから自分の身を守るときに、相手を傷付けずに動けるというのは、彼女の精神安寧に繋がるはずだ。


「そっか。なら、剣術の練習もしよう。でも、基本は基礎能力を上げていく方向で進めるよ。風切り羽を使った剣術の練習は、もう少し体重が増えてからね」
「…………はい……」


 しおしおと、枯れた花が首を落とした錯覚が見えた気がした。
 ハの字に下がった眉。しょんぼりと肩を落とした姿に、思わず前言を撤回したくなったのは、ホークスだけの秘密である。



***



 病院に通い、心のケアを行いながら学校に通い始めてしばらく。ようやく体重が増え始め、体育の授業が解禁された。元来身体を動かすことが好きだった椿は、同級生に混じって駆け回れるようになったことを嬉しそうにホークスに報告した。満面の笑みで今日の出来事を話す妹にやわらかい笑みを浮かべながら、ならそろそろかな、とホークスが少し前にした約束を思い浮かべる。
 ホークスは、椿に剛翼の操作方法の指導に当たっていた。椿は多くのトラウマを抱えており、そのうちの一つが高所から落とされたことに起因する。咄嗟に剛翼に備わる飛行能力を発動させたことで無残な死を回避した椿は、自分が飛べることを確認しないと安心出来ない。彼女にはそういったものが多々あり、それを少しでも軽くするために、ホークスは彼女に自信を付けさせるという考えに至ったのだ。出来ることが増えるということは、いざというときに取れる選択肢の幅が広がるということ。それが彼女の心の余裕に繋がれば良いと、個性を伸ばす訓練を行っていた。
 これは賭けであった。剛翼の操作性を向上させると言うことは、椿を「使える」人間に育て上げることに繋がるから。自身で言い出したことながら、ホークスも訓練を持ちかけたことを後悔したこともあった。驚くことに、あるいは恐ろしいことに、剛翼の感知能力は、椿の方が上であったのだ。椿は空気の流れから、建物内の範囲や構造を把握する空間能力に長け、人の一挙手一投足に至るまでを素早く察知することが出来るのだ。前者にも舌を巻いたが、後者については背筋が凍るような錯覚を覚えたものだ。何せ、その感知能力を生かして、予備動作から次の行動を予測し、事前に察知することを可能としたのだから。そんなことは、流石のホークスにも難しい。
 けれどその反面、椿は精密性が欠けてしまっていた。一枚一枚に意識を割きすぎてしまうのか、椿が正確に操れる剛翼は300枚ほど。数百枚という単位なら、彼女はホークスに負けず劣らずの操作性を見せる。だが、それ以上となると、持て余してしまうのだ。ヒーローを目指すならば克服しなければならない悪癖だが、椿は一般人。彼女もその枠から逸脱する気はないようなので、ホークスはそれ以上の指導はしなかった。むしろ、一般人でこれだけ出来れば十分すぎるほどである。彼女にヒーローを目指すよう言い聞かせる人間が出てくるのも頷けるほどに。
 そうやって剛翼の操作を教える際、ホークスは風切り羽の使い方も伝授することを約束していた。自分の身を守るために、誰かを傷付けないために。
 ホークスは風切り羽を用いた剣術を教えることに抵抗があったけれど、椿は刀が好きで、剣術にも興味関心が強い。学校帰りに図書館で借りてきたと、刀の図鑑や指南書を借りてくることもあり、その思い入れもひとしおだった。
 約束をしたときの嬉しそうな顔。初めて見る子供らしい拗ねた仕草。体重が増えてから、と先延ばしにされたときのがっかりと落とされた肩。それらを思い浮かべれば、ホークスに否という選択肢は無い。


「椿ちゃん。約束、覚えてる?」
「―――――はい」
「なら、そろそろ風切り羽の使い方も学ぼうか」
「はい!」


 以前約束したときと同じ笑顔。花が咲き、星が輝く。つい髪をかき混ぜるように頭を撫でると、椿がはにかむ。
 気乗りしないんだけどなぁ、と内心で苦笑しながらも、まんざらでもないホークスだった。



***



 椿が風切り羽を構える。けれどそれは、一般的な構えではない。肩に担ぐように構え方だ。ホークスは一瞬怪訝な顔を見せるが、すぐにハッとする。
 ―――――武器の間合いが把握できない……!
 ホークスの背筋に、冷や汗が伝う。地面と平行に抱えるような構え方は、腕や肩で武器を隠している。それは、あまりにも実戦的で、全身に怖気が走った。


「…………どこでそんな構え方知ったの?」
「指南書を読みました。有名な剣術家の著書も。刀好きが高じて」
「…………そう」


 言葉通りだと良いと、切実に願った。迫られて覚えたわけではないのだと、心の底から望んだ。また幼い妹が、身を守る術まで自分で覚えなければならない環境に置かれていたなんて、考えたくもない。


「―――――ホークス」


 凜とした、美しい声だった。揺らぐことのない、芯の通った声。椿から逸らしていた視線を持ち上げて、椿を見つめる。彼女の眼差しは、どこまでもまっすぐで、真剣だった。


「侮らないでください。確かに、私は戦いの素人です。それでも、一人の剣士として、相手になって欲しい」
「……プロヒーローが一般人相手に、本気で向かっていける訳ないでしょ」
「ならば、本気にさせるまでです。だから、あなたが本気を出しても良いと思ったなら、殺すつもりで来てください」
「……! 殺すつもりって……!」
「だって、そうでなければ、戦闘訓練なんて意味がない」
「…………っ!」


 そうでしょう? と椿が淡く微笑む。その顔に、ホークスは本格的に「自分は失敗したのではないか」と胸の裡が冷たくなるような錯覚を起こした。
 椿の剣の才覚は、一連の動作で察するにあまりある。風切り羽の構え方も、足捌きも、すでに熟練の玄人のようだった。その構えを選択した思考回路も、心構えと気概も、戦うことを理解しているものの解答だ。すでに彼女は、ホークスの教えを必要としないほどに、剣術に精通していることが窺えた。


「ホークス、お願いします。私の、心の安寧のためにも」
「………っ! ああ、もう、分かったよ……!」


 こちらを圧倒するような気迫を見せる妹に、ホークスは折れた。けれど、絶対に傷付けるつもりはない。相手が、言葉通りに殺す気で掛かってきたとしても。



***



「いや、つっよいな………」


 剣を交えた結果、椿はホークスとほぼ互角であることが判明した。ただし、ホークスは自分にハンデを課していた。それは風切り羽以外の剛翼の使用を一切禁じるというもの。純粋な剣術一本で戦った結果である。
 椿には、剛翼を自由に使用させていた。彼女は今、体重が増え始めたところであり、ようやく自由に身体を動かすことが認められたばかりだ。万全と言うにはまだ遠い。故に椿も、その程度のハンデがなければ勝負にもならないことが分かっていたから、それに対して不満はない。そのため、椿は体格差や筋力の差を、持ち前の感知能力で補って戦いに挑んだ。そうして、ホークスの動きを完璧に先読みしたのである。
 次の動きが察知できれば、筋力差があっても避けることも受け流すことも可能だ。椿にはそれだけの技術が備わっている。何せ、刀の付喪神に指南を受けていた前世(かこ)があるのだから。


「…………君が万全の状態で、もう少し年が近かったら、俺が負けていたかもね。って言うか、もっと剛翼を存分に使っていたら、余裕で勝てたでしょ」
「ありがとうございます。でも、剛翼をもっと使っていたとしても、あなたを追い込む前に体力が尽きていたでしょう」
「……それもそうだね。個性強化の訓練を始めたの、割と最近だし」


 剛翼の操作には、かなりの体力と神経を使用する。慣れてしまえば手足のように扱えるが、彼女はその域に至っていない。体力を削り、精神をすり減らし、あっと言う間に自滅の道を辿っていただろう。そのことを踏まえると、彼女の取った選択は最善だった。


「あの、ホークス」
「うん? なぁに?」
「あなたは、こんな風に言われたくないかもしれないけれど。手合わせ、楽しかったです」


 ほんのりと頬を染め、やわらかく目尻を下げた顔に、ホークスはぐっと唇を引き結んだ。プレゼントを貰った子供のような、嬉しそうな顔。
 失敗した、と思っていた。選択を間違えた、とも。けれど、その一方で、生き生きとした明るい表情を見せる妹に、誘って良かったと思ってしまったのも事実だ。この屈託ない笑みを見られたのだから、これで良かったのだと。
 不覚にも、泣きそうになってしまった。柄にもなく、叫びたくなってしまった。彼女はずっと不正解を叩き出していて、そのことでホークスは気を揉んでいたというのに。最後の最後で、花丸を付けてあげたくなるような、正解を叩き出してきたのだ。自分は間違っていなかったのだと、そう思わせるような顔を見せてくれたのだ。
 ―――――なんて、ずるい子なのだろう。ホークスは思わず苦笑してしまう。


「ホークス?」
「んーん、何でもない。楽しかったなら良かったよ」
「はい、とても楽しかったです。それに嬉しかった。ありがとう、ホークス」
「どういたしまして」


 わしゃわしゃと髪を撫でると、椿は珍しく、声を立てて笑った。




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