地獄の鷹見さん家






・刀剣乱舞×ヒロアカ
姐さんが地獄の鷹見さん家に転生する話。
ホークスが公安に引き取られた後、母親の妊娠が発覚。
生まれたのは『剛翼』を持った女の子。
赤い翼を見ていると、どうしても父親を思い出すため、母親に羽を毟られるなどの虐待を受けている。
現状を鑑みて、父親が“敵”に類する人間なのだろうな、と察している。
母も父の被害者なのかもしれないが、自分にとっては加害者なので優しくなれない。

ちなみにホークスは公安に引き取られた後は母親にはノータッチ。そのため、自分に妹が居ることを知らない。
後に学校行事で九州に来ていた自分とよく似た翼を持つ女の子を見掛ける。
いつもなら「そういうこともある」で終わるのだが、何故か調べないといけないような気がして、よくよく調べてみたら実の妹だと判明。
その際、一緒に集まった情報から、結構苦労していることが分かり、こっそり接触を試みる。
関わっていくうちに血縁を確信する。

荼毘の暴露によってホークスの実の妹だと世間に知れ渡ってしまう。



***



 その男が世に現れたのは、彼女が11歳の頃だった。ウイングヒーロー・ホークス。わずか18歳にしてヒーローデビューを果たし、その年の下半期にはビルボードチャートトップ10に入る快挙を成し遂げる。10代でトップヒーローの仲間入りを果たした唯一のヒーローとして知れ渡り、人々は彼を『速すぎる男』と呼んだ。
 彼の個性は『剛翼』と呼ばれる緋色の翼。目の覚めるような赤色の羽根で空を飛び、数多の事件を解決に導く。奇しくもそれは、この世に二度目の生を果たした、かつて審神者だった少女―――――羽飼椿と同じものだった。
 椿がその男を見たのは偶然だった。今世の母親である遠見絵が何気なく見ていたテレビで見掛けたのだ。
 10代でヒーロー活動を行う者は少なくはない。けれど、10代でトップヒーローに数えられるのは彼が初めてのこと。彼がビルボードチャートトップ10に入ったことは連日のようにニュースに取り上げられ、ほんの数日のうちにホークスの名は全国に広まった。
 それだけなら、ヒーローに思い入れのない椿は「凄い人がいたものだ」という感想を抱いて終わっていただろう。彼女にとってヒーローは、住む世界が異なる生き物だった。実在しているけれど、手の届かないもの。それが椿のヒーローに対する認識だった。
 しかし、ホークスを見たときの母親の顔がどうしても忘れられないのだ。
 心の壊れている遠見絵は、いつもどこを見ているのだか分からない瞳をしている。何に対しても興味を示さず、時折癇癪を起こしたように暴れる以外は、非常に大人しい女性だ。それが何を思ったのか、ホークスを視界に入れた瞬間、彼女の瞳がきちんと彼を認識しているのが分かった。
 知り合いなのだろうか、と考えたこともあるが、知人にしては年が離れ過ぎている。親子ほどの年齢差だ。友人に年の差など関係ないのかもしれないが、後ろ暗い家庭とトップヒーローの間に、そのような親密さはないだろう。そもそも、清廉潔白を求められるヒーローが、羽飼家のような家庭に関わりたがるとは思えない。ヒーロー活動の一環として関わるならまだしも、個人的に繫がりは持ちたくないだろう。


(知り合いに顔が似ていた? それとも……)


 チラリ、と椿が自分の背中に目を向ける。彼と同じ赤い羽。形は歪だが、個性は彼と同じ『剛翼』だ。速すぎる男を捉えた貴重な映像から察するに、出来ることも殆ど同じだった。
 超常能力“個性”が当たり前となった世界は、中国の軽慶市で「発光する赤児」が発見されたことから始まった。それを機に世界各地で超常現象が報告され、現在では世界総人口の約8割が“個性”を持つに至っている。椿はその第五世代に該当し、個性を持つ8割に含まれる人間として生まれた。
 個性というものは、大抵が遺伝である。両親のどちらかの個性をそのまま譲り受けることが殆どだ。両親の個性が合わさって、新しい個性が生まれることはある。けれど、まったく同じ個性であるとなると、血縁である可能性が非常に高い。それも、異形型に分類される個性であるならば、尚更。


(まさか、血縁なのだろうか……)


 椿の赤い翼は、おそらく父親譲り。詳細は分からないが、遠見絵の個性は宙に浮いた二つの目玉である。椿とは似ても似つかないものだった。必然的に、父方からの遺伝と言うことになるが、椿は自身の父親を知らない。ただ、おそらく、父親は“敵”に相当する人物であることが窺えた。
 椿である遠見絵は、心が壊れている。どこを見ているのか判然としない視線。無気力に座り込み、無為な時間を過ごすことも多い。だが、時折酷い癇癪を起こすのだ。それは決まって、椿の赤い羽根を視界に入れたときだった。機嫌がいいときや、体調がいいときは椿の存在を意に介さない。認識すらしていないのかもしれない。だが、これが少しでも機嫌が悪かったり、体調が優れないと駄目だった。そんなときに椿を認識すると、感情を爆発させてしまうのだ。そうなるともう手が付けられず、体力が尽きるまで椿に暴力を振るい続けるのだ。
 椿はこれを、PTSDの一種だと考えている。赤い羽根を持つ人物にトラウマがあり、その人物を想起させる人間を見ると、攻撃的になってしまうのだ。それはきっと、椿にこの羽根を残した人物―――――椿の父親だろう、と考えている。


(違うと、いいなぁ……)


 まだ10代という若さでプロデビューを果たしたような男だ。きっと、それだけヒーローになりたいという意志が強かったに違いない。積み重ねてきた努力も、生半可なものではないだろう。だから、こんな悍ましい家庭と関わりがあってはいけないのだ。彼が自由に空を飛ぶためには。
 ―――――その美しい翼が、いつまでも大空を舞い続けられますように。



***



(なんて、思っていたのになぁ……)


 チームアップで近くに来たから、という理由で己の顔を見に来たホークスを見送って、椿はそっと嘆息した。とある一件をきっかけにホークスと顔見知りになってしまった椿は、どうやら彼に家庭環境がよろしくないことを見抜かれてしまったようで、身を案じられているようだった。毎回手土産を片手に現れるウイングヒーローに、椿はどう接して良いのか、いまいちよく分からないでいた。

 それは中学に上がって初めての初夏。校外学習の一環で広島を訪れたときのことだ。平和記念資料館の見学に向かうその道すがら、椿たちは暴走するトラックに遭遇した。居眠り運転か、飲酒運転か。それとも運転手に持病でもあったのか。対向車があろうと、通行人がいようとお構いなく、とんでもないスピードで走り回っている。あちこちで甲高いタイヤの摩擦音が鳴り、クラクションが警告を伝え、怯えたような悲鳴が耳を劈く。
 ―――――ヒーローは?
 観光地は、ヒーロー激戦区だ。トップランカーに数えられるヒーローも事務所を構えている。だが、それだけヒーローの需要があることを意味する。つまりは、それだけ多くに事件が起こり、ヒーローが駆り出され、人員を割かれている。この場にヒーローが到着するのは一体いつになるのかは定かではない。
 教師達が子供達に避難するよう呼びかける。だが、何が起こったのか定かではない後方にいた生徒達は好奇心と緊迫感で高揚してしまい、なかなか指示が通らない。トラックから遠ざかろうと走り出した生徒達とぶつかり合い、場は混沌を極めた。そのうちにも、スピードが上がりきったトラックが、学生達に向かって迫り来る。ヒーローはまだ来ない。
 混乱のさなか、子供の泣き声を剛翼が感知する。見れば、親とはぐれてしまったのか、まだ未就学児と思われる子供が泣きながら蹲っていた。丁度、学生達とトラックの中間辺りの位置で。


(まずい……!)


 咄嗟に、剛翼を飛ばす。襟首に潜り込んだ羽根で子供を浮かせ、空へと逃がす。それと同時に、逃げ遅れた老人を道路脇へ引っ張り、転んで膝を擦り剥いた同級生を助け起こした。
 さらに、異常に発達した初列風切を飛ばし、助手席の窓を切り裂く。そのまま車内に滑り込み、思い切りブレーキを踏み込ませた。キキーッ! と耳障りな音が辺りに響き渡り、トラックが道路にタイヤ痕を残しながら急停止した。


(よし……!)


 パーキングブレーキを掛け、エンジンを切る。完全に停止したことを見計らって、椿はさらに赤い羽根を飛ばした。トラックの運転手の様子を確かめると、運転手の男性はどうやら眠っているらしい。深く、ゆったりとした呼吸を繰り返している。大事ないことを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。こちらの様子を伺っている教師に事の次第を報告しようと口を開き掛けたとき、頭上に影が落ちた。


「あれ? もう片付いてます?」


 バサリ、と赤い羽根を羽ばたかせ、混乱を極めた現場を見下ろす男がいた。自分のものとは違う、綺麗に生えそろった翼が、日の光を浴びて美しく輝いていた。
 ―――――ホークス。誰かの口から、呆然とした声が落ちた。
 何故ホークスがここに? 福岡に事務所を構えているはずでは? 椿が僅かに目を見開く。その視線に気付いたのか、ホークスの瞳が椿を捉える。その瞬間、金色の瞳が僅かに見開かれたのが分かった。けれど、呆けたのは一瞬だった。


「まだ他のヒーローも警察も到着してないですよね? この状況を詳しく話せる人っています?」


 ホークスの言葉に、その場にいた者達の視線が椿に向けられた。嫉妬と羨望が入り交じった眼差しが全身に痛い。助けを求めるように教師の顔を見上げたものの、担任教師である女性からの眼差しが一番強いものだった。期待に満ちあふれた、一見キラキラとした美しい瞳。けれどその奥で、仄暗い欲望が浮かんでいる。
 そう言えば、この女性教師はヒーローを諦めた人だった、と椿が目を伏せた。彼女はヒーローを諦めた代わりに、自分が育てた生徒達の中からヒーローになるものが出ることを望んでいる。元々面倒見のいい熱血教師であったが、ヒーローを目指すものや、ヒーローになる素質のあるものにはそれが顕著だった。ホークスと同じ個性を持っている椿に対しても、凄まじい熱意を持ってヒーローになるための道を用意してくれていた。


「こ、この子です! この事件を収めたのは!!」
「こちらの生徒さんが。そりゃあ凄い」
「そうなんです! この子、とっても優秀で! それに、あなたと同じ『剛翼』の個性を持って生まれて……!!」
「そうなんですね。詳しい話は別の場所で聞きますから、先に生徒さん達を誘導しちゃいましょう」


 朗らかな笑みを浮かべ、教師を落ち着かせたホークスが生徒達に声を掛ける。剛翼の先導に従うように指示を出し、子供達は事件現場を離れていく。そのうちに他のヒーローや警察関係者達が続々と集まり、現場の確認や避難誘導が始まった。
 集まってきたヒーローに先導を交代し、ホークスがそっと椿を伴って一団から離れた。近くの警察に声を掛け、二人はパトカーの影に隠れるように座り込んだ。
 先生達に声を掛けずに離れてしまったが、後で問題にならないだろうか。椿の脳裏に一瞬、微かな不安が過ぎる。まぁ、ヒーローや警察関係者と共に居るのだし、大丈夫だろう、と嫌な思考を振り払う。


「あの先生、押しがきついね~。熱血教師っていうの? 悪い人じゃ無さそうだけど、ずっとあれで疲れないのかね?」
「………そうですね、教育熱心な方だと」
「含みを感じる言い方だね~。そう言えば、名前聞いてなかったね。俺はホークス。知ってる?」
「存じております。目覚ましい活躍ぶりで、学校でもよく話題に上ります。……私は羽飼椿です」


 安心させるように笑っていた口元が、一瞬だけ綻びを見せた。ヒーローの仮面が剥がれ掛けた瞬間を見てしまった椿は、気まずさにそっと目を逸らした。とても、嫌な予感がした。
 一度目を伏せて、ホークスに目を向ける。僅かに首を傾げて見せた。返事がないことを訝しんだと捉えたのか、ホークスが改めて笑みを浮かべる。


「ああ、ごめん。意外と言っちゃ失礼だけど、かわいい名前だったから」
「女の子の名前としては、よくある名前だと思いますけど」
「えっ、おん……!? ご、ごめん、勝手に男の子かと……」
「構いません。よく間違えられるので」


 制服も男物だしな、と内心で自嘲する。何せ、椿を快く思っていない母親は、椿にお金を使いたくないのだ。給食費は頼み込んで、ときには脅して払って貰っているものの、制服や教科書の類いは全て学校に寄付されたものだったり、同級生の兄弟のお下がりを使っている。自分の体格に合った制服なんて一着もない。今日着てきた制服だって、腰回りがぶかぶかで、安全ピンで留め、ベルトを限界まで締めてずり落ちないようにしている。カッターシャツも肩幅があっていなくて、服に着られている感が否めない。あまりにも不格好だった。
 プライドなんて、とうに捨てた。片親だから、貧乏だから。同情を誘い、恥を忍んで、どうにかこうにか今日まで生きてきた。屋根があるだけマシだと思いながら。
 ホークスの瞳に、微かに剣呑な色が乗る。きっと、ヒーローとして見過ごせないと思ったのだろう。けれど頭の片隅で、ずっと警鐘が鳴り響いている。彼が次の言葉を発する前に、椿がぽつりと呟いた。


「……裕福ではないので、お下がりを着ているんです」
「ああ、そうなんだ……? スカート履きたいとは思わないの?」
「スカートはあまり好きじゃないので、特に思ったことはないです」
「そっか……」


 距離をとられたことに、ホークスは寂しさとももどかしさとも取れる感情を見せた。ヒーローインタビューなどで見る限り、本心を見せない人なのだと思っていた。しかし、こうして相対してみると、存外分かりやすい。根は素直な人なのかな、と口元を緩めた。


「えっと、さっきの事件? の話、でしたよね」
「ああ、うん……。君が事態を収束させたんだって?」
「…………すいません。公共の場で個性を使用してしまいました」


 公共の場で個性を使用することは、原則として禁止である。個性は千差万別で、簡単に人の命を奪えてしまうものもあるからだ。そのため、正当防衛以外の個性使用はルール違反であった。そのことが頭からすっぽりと抜け落ちていた椿は、渋い顔で身を縮こませた。


「あー、この場合は問題なし! むしろ、ヒーローや警察の初動が遅かったのが悪いんだし、大人の不手際を尻拭いさせちゃってごめんね?」
「……いえ。むしろ、お邪魔をしてすいません。適切な対処が分からなくて……」
「いやいや、十分! 見たとこ、中学生でしょ? それなのに、怪我人を出さずに事を納めたんだ。出来過ぎなくらいだよ。でもま、無茶は良くないね」
「はい」
「次からは大人の指示に従って、安全な場所に避難するように」
「分かりました」


 素直に頷く椿にホークスが満足げに笑い、ポン、と軽く頭を撫でられる。それは少しぎこちなさを感じるものだったが、安心感を覚えるには十分だった。微かに残っていた恐怖心が溶け落ちていくのを感じて、ほっと息をつく。
 その後は、自分の出来る限りのことを話して、警察の用意した書類に記入して解放された。そのときには校外学習は終わっていて、他の生徒達は既にバスに乗って学校に帰っている頃だった。一人残っていた学年主任の教師と共に、ヒーローが地元に送ってくれることになり、椿は夜も大分更けた頃になってようやく帰宅を果たせたのだった。
 夜中まで帰ってこなかった娘を心配することもなく、母親は既に就寝していた。遠見絵を起こさないように慎重に着替え、毛布を身体に巻き付けてクローゼットに潜り込む。布団なんてものは、椿には用意されていなかった。
 真っ暗闇の中で、今日の出来事を振り返る。テレビの中でしか見たことなかったホークスは、思ったよりも感情豊かで、思ったより不器用。けれど、護るべき人々を慈しむ優しい人だった。鳴り響く警鐘と、胸をざわつかせる嫌な予感は、きっと気のせいだ。


(まぁ、もう二度と会うことはないだろうから、きっと大丈夫だろう)


 これが、二人の出会いであり、別れであると椿は思っていた。だというのに、この事件をきっかけに、ホークスがちょくちょく顔を見に来るようになるのは、完全に予想外だった。おそらくヒーローの権限をフル活用して調べたのだろうが、突然生活範囲にトップヒーローが現れるようになったものだから、流石の椿も度肝を抜かれた。
 彼が椿を気に掛けるのは、おそらく同じ個性を持っている仲間意識だけではない。手土産のチョイスが日持ちする食料だったり、換金出来るものなのだ。それが彼の苦労を物語っているようで、椿はそっと息を吐いた。
 ピースが、揃っていく。


(偶然であってくれると、良いんだけどなぁ……)



***



 ホークスは頭を抱えていた。公安で感情抑制の訓練を嫌というほど積んできたホークスが、誰が見ても思い詰めていると分かる表情を浮かべている。その視線の先には資料が散乱しており、そこに並んだ文字列を見下ろして、顔から血の気を引かせていた。
 書類に記載されているのは、羽飼椿の出生について。そこから派生した現在の生活環境、彼女を取り巻く周囲の人々まで枝分かれしている。
 ホークスが椿と出会ったのは、チームアップで広島を訪れたときのことだ。広島のヒーロー達と合同で行われたミッションを無事完了した後のことだ。その引き継ぎや事後処理を警察に任せ、次の仕事に取り掛かろうとしたとき、付近で大型トラックが暴走しているという知らせが入ったのだ。
 すぐさま現場に急行したホークスであったが、事は既に収まっていた。そう、件の椿が、己の力で事故を防いだのだ。自分と同じ、赤い翼を持ってして。

 その少女を初めて見たとき、とてもではないが女の子とは思えなかった。短めに切り揃えられた髪。大きすぎる男子用の制服。痩せ気味の身体は微かに骨張っていて、少女らしい丸みがまったくない。無駄な脂肪の殆ど無い腕は、成長期前の少年のようだった。あの腕はきっと、満足に食事を取れていないが故の細さだ。
 家庭環境がよくないのが見て取れた。食事を与えられず、お金を掛けて貰えていない。所謂ネグレクトだろう。
 ヒーローとして、虐げられる子供を救いたい気持ちはあった。けれど、一個人に肩入れするような事をする気はなかったのだ。だが、どうにも過去の自分が過ぎってしまって、放っておけなかったのだ。
 自分にはエンデヴァーのぬいぐるみすがるものがあって、ヒーローに助けられて憧れを得た。その後引き取られた公安での訓練は決して楽なものではなかったけれど、そのおかげで今の自分がある。
 けれど、彼女はどうなのだろう。彼女に希望はあるのだろうか。決して“良い”とは言えない今の環境で、真っ当に生きていこうと思えるような何か。そういう何かが、彼女にはあるのだろうか。
 家庭の不和で非行に走り、そのまま“敵”になってしまう人間は少なくはない。家庭の中でも、異形差別や迫害は存在する。今は人を助けるために個性を使っているけれど、ずっと優しいままでいてくれる保証はないのだ。
 けれど、助けようとして伸ばした手を、彼女はそっと制した。関わらないでほしい、というように。
 家族を庇っているのか。これ以上酷い環境に置かれたくないという防衛本能か。
 伸ばした手が空を切る虚しさを、ホークスは初めて知った。手を取って貰えない苦しさなんて、知りたくもなかった。
 突き刺さるような衝撃。どうしようもない焦燥感。もう一度手を伸ばさないと、きっと自分は後悔する。―――――あの子が“敵”になるのは嫌だ。そんな、理屈ではない何かに突き動かされて、ホークスは己の持つ権限を使い、椿について調べ上げた。その結果を見て、彼は絶望にも似た感情を抱える羽目になったのだ。


(あの子が、俺の妹……!?)


 もしかしたら、彼女も自分と同じように、言い知れぬ予感を抱えていたから、自分の手を取ってくれなかったのかもしれない。
 羽飼という名字を聞いて、嫌な予感はしていたのだ。公安から与えられた、母親の偽名と同じであったから。けれどまさか、あのときの少女が血を分けたキョウダイだとは、思いも寄らない事実だった。否、そうでなければ良いと、心のどこかで願っていたのだ。自分と同じ個性と、羽飼という名前を聞いたときから。―――――自分と同じように、“敵”の血を引いていないことを。
 けれど、現実は無情だった。椿は“敵”の血を引いていて、ホークスを育てていたときより悪い方へと転がった母親に養育されている。
 あの大きすぎる制服は、成長期を見越してのものではない。椿の言う“お下がり”は、決して言葉通りに受け取って良いものではない。


(どうしたらいい……?)


 椿は、ホークスの助けを求めていない。もしかしたら、手を伸ばしたのがホークスだったから、その手を取って貰えなかっただけかもしれないけれど。もしかしたら、自分以外のヒーローの手なら取って貰えるのかもしれない。けれど、彼女のことは、自分が助けたかった。自分勝手で、あまりにも傲慢で、救うべき相手の事なんて、まるで考慮していない願望。完全なエゴ。
 けれど、どうしても、この手で。
 だって彼女は、切っても捨てても切り離せない、鷹見啓悟過去の象徴なのだから。




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