拾いものをする姐さん 3






 一つの転機が訪れた。
 それはささやかな邂逅だった。それは、とある雨の日のこと。

 学年が上がり、授業数が増えて下校時間が啓悟とズレるようになった椿は、一人で帰宅することが増えていた。初めのうちは啓悟は一人で帰ることに抵抗があったようで、椿の授業が終わるのを待って、一緒に帰宅する事が多かった。けれど、それをずっと続けるわけにはいかない。狭い世界に閉じ籠もるのは良くないと、同級生達と一緒に先に帰るように促したのだ。
 初めのうちは同級生と帰宅することに慣れていないようであったが、同じ方向に帰宅する子供達と共に下校するのを繰り返すと、自然と慣れてくるものである。先に帰ってその日の課題や予習復習をして待っていたり、ときには友達と呼べる子達と寄り道をして、椿の帰宅を待つようになっていった。そうして椿が帰ってくると、すぐに玄関まで駆けてきて、椿を出迎えるのである。
 遊びたい盛りの小学生など、いつまでも友達と遊んでいたい年頃だろう。けれど、啓悟の一番は家族で、彼の最優先はそちらだった。また、友達と遊ぶよりも『ヒーローになりたい』という想いが強いのか、両親や椿に時間が出来ると、稽古をつけて欲しいと強請ることが多かった。それは椿も同様だったので、好きなものや目標に向かってひた走るそっくりな背中に、彼等の周囲の大人達は血の繫がりがないことを不思議に思うほどだった。
 今日の天気は雨模様。冬を迎える時季の雨は、身体の芯から熱を奪うように冷たい。本州の一部では初雪が観測される程度には冷え込んでおり、九州の寒さも相当なものだった。
 冷え込みの強い時季や雨の中を飛ぶ訓練はまだ許されていないので、本日の啓悟は道場で的当てでもしているだろう。元から体温が高く、運動したことでより身体も温まっているはずだから、きっとすごくあたたかい。冷え切った身体で抱きついたら怒られるかな、とせんないことを考えながら帰路を急ぐ。首元に巻いたマフラーだけでは心許なく、そろそろ手袋が必要だった。
 普段は人通りの多い商店街。けれど、寒さを伴う雨天であるからか、人の波はいつもよりずっと少ない。普段より少しだけさみしい街中を歩いていると、視界の端に影がちらついた気がした。思わず立ち止まって目を向けると、路地裏へと続く建物の隙間に人影のようなものが見える。傘を差しているようには見えず、雨具を身につけている様子もない。
 怪しいな、とは思ったのだ。声を掛けるのは危険だ、と。けれど、椿の困っている人を見捨てられない性分が、彼女を路地裏へと導いた。出来ることがあるのに、それをしないということが出来ない少女は、思考とは裏腹に、迷い無く路地裏へと続く狭い通路に足を踏み入れた。
 日が落ちかけている時間帯。太陽が覆い隠されていることも相まって、街灯のない道は薄暗い。暗闇に程近い道に恐怖を覚えないわけではないけれど、それよりも、追い掛ける人影の拙速無い足取りの方が気掛かりだった。
 咄嗟に追い掛けた人影が、ぐらりと上体を傾かせる。思わず傘を投げ出して、慌てて駆けよった。そして、倒れないようにその身体を支える。
 相手は男だった。二十を迎えたばかりの、年若い男。突然身体に触れられた相手は、酷く驚いた様子で思い切り腕を振り抜いた。けれど、それは相手が大人であることを想定された動きで、男の腕は椿の頭上に風を吹かせただけだった。


「驚かせてすいません。声を掛けてから身体に触れるべきでした」
「…………は? え……?」


 男が、思ったよりも随分と下にある椿の顔を見下ろす。相手が子供だとは思わなかったのか、男は困惑した表情で子供の顔を見つめた。
 男が体勢と持ち直したことを確認して、その身体から腕を放す。放り出してしまった傘を拾い上げ、精一杯背伸びして、男の頭上に傘を傾けた。


「表の道から、具合が悪そうに歩くあなたが見えたので、つい追い掛けてしまったんです。こんなに寒い日に傘も差さずにいたら、余計に具合を悪くしてしまいますよ」
「…………随分とお人よしなお嬢ちゃんだな? こんな暗がりに入り込んじまって、俺が悪い人間だったらどうするんだ?」
「あなたに声を掛けるのに躊躇しなかった訳ではありません。何か遭ったら家族には申し訳ないですが、私が自分で選んだことです。判断を誤った私の落ち度として、諦めて貰う他ありません」


 何でもないことのように淡々と告げる椿に、男は絶句していた。呆然と目を見開く男を尻目に、椿は頓着せずに傘を押し付けた。男に傘を握らせ、椿が通学鞄を漁る。鞄から取り出された手の上には、タオル二枚と未使用のカイロの袋があった。
 男は平然としているように見えるが、どうやら腕に怪我をしており、出血しているようであった。本来ならば警察や救急車を呼ぶべきだろうが、椿はそれをしなかった。彼の事情を知らなかったし、それを理由に逆上される可能性もあった故に。その代わりに、出血と寒さで冷え切った彼に出来る、今の精一杯をしようと思ったのだ。


「全部使っていないので、良かったらどうぞ。救急車を呼んでもいいのなら、お呼びしますけど」
「…………気付いてたのかよ」
「はい、左腕ですよね」


 濃い色合いの服を着ているが、それでも色味の違いは顕著だった。その上、雨の匂いに混じって、鉄に似た匂いが僅かに漂っている。それに気付かないほど、椿の観察眼の精度は低くない。
 男にかがむように告げると、男は意外にも素直に膝を折った。どうやら困惑が抜けていないようだった。
 タオルを一枚渡し、傷を抑えさせる。もう一枚は椿が手にし、男の癖毛を拭った。


「うちに来ますか? 母がヒーロー事務所を構えていて、“お客さん”を泊める部屋もいくつかありますよ」
「…………ヒーローの娘か。それでこんなにお節介な訳ね」
「ヒーローの娘でなくとも、私が私として生まれたならば、私はあなたに声を掛けましたよ」
「…………そうかい」


 どうしますか、と再度尋ねると、男はため息をついて首を振った。


「お兄さん、ヒーローの厄介になれない人です?」
「だったらどうする? 通報するかい?」
「いえ、あなたが何か罪を犯していたとしても、私にそれを証明することは出来ませんし。今日の出来事をちょっとした非日常として話すくらいですかね」
「…………ちょっと危機感なさ過ぎじゃねぇか?」


 男が呆れたように呟く。それはお互い様だろう、と椿は思ったけれど、あえて口に出すことはなかった。ヒーローに助けを求められない人間が、見た目が子供だからといって、簡単に急所を晒すのは無警戒が過ぎる。それだけ自分の実力に自信があるのか、椿を警戒するのも馬鹿らしくなったのか。あるいは、抵抗するだけの体力がないのか。
 端正な顔は、薄暗い路地裏でも分かるほどに青白い。きっと、血が足りていないのだ。うちに来てくれたら、どうにか出来るのになぁ、と肩を竦める。けれど、無理矢理引っ張っていくことは出来ない。それこそ抵抗されれば、椿の身が危ない。
 濡れた髪と衣服を拭ったことで、水分を吸って重くなったタオルをビニール袋に包んで鞄に仕舞い込み、椿が自身の首に巻いていたマフラーを男の首に巻き付ける。貧血でぼうっとしている男は急所に触れた柔らかい感触にぎょっとしたが、僅かに身じろいだだけに留まった。


「ちょっとマフラーに個性を掛けるので、驚かないでくださいね」
「……お嬢ちゃん、どんな個性を持ってるんだい?」
「ものの性能を引き出す個性です。マフラーは防寒着なので、あたたかさを保持する性能を引き上げます」
「…………自分の個性をそんな簡単に人に教えるもんじゃねぇよ、ヒーロー志望」
「教えなかったら攻撃したでしょう?」


 そう言って椿がマフラーに両手を当てると、男は何度目になるか分からないため息をついた。
 『最大性能(ピークパフォーマンス)』を発動させると、ほんのりとあたたかかったマフラーが、より一層あたたまった。冷え切った身体に染み込むようなぬくもりに、男がほっと息を漏らす。新品のカイロは、男の上着のポケットに詰め込んだ。好きなときに使ってくれたらいい。どんどん寒さが増す季節だから。


「私はまだまだ未熟なので、0時には効果が切れてしまいます。それまでに、雨をしのげるあたたかい場所に身を落ち着けてくださいね」
「……ああ、ありがとよ。親切すぎるお嬢ちゃん」
「タオルと傘も持っていってください。私はもう一本持っていますので」
「……そうかい。じゃあ、遠慮なく」


 男が立ち上がったのを見届けて、椿がひらりと手を振った。明るい表通りに駆けていく後ろ姿を見送って、男は暗がりに身を消した。
 屋根の下に入り、立ち止まって振り返る。そこには既に男の姿はなく、椿はほっと息をついた。平静を装っていたけれど、実は緊張していたのだ。日陰者だと思われる人間に自分から声をかけるなんて、どうかしている。無茶で、無謀で、無鉄砲。命がいくつあっても足りない所業であった。けれども、明らかに具合が悪そうな人間を、放っておくなんて出来ない。自分は運が良かった、と胸を撫で下ろして、椿は自分のシューズに個性を施す。個性を掛けたシューズで走っても、きっとずぶ濡れになってしまう。啓悟に怒られてしまうだろうなぁと苦笑しながら、椿は雨の街を駆け抜けた。



***



椿「ただいまー」
啓悟「おかえり、お姉ちゃん! って、あれぇ!? お姉ちゃん、なんでずぶ濡れなの!? 朝、傘持っていってたよね!? マフラーもしてないし!!」
椿「具合が悪そうな人に貸してしまったんだ。申し訳ないんだけど、タオルを持ってきてくれないか?」
啓悟「タオルじゃ間に合わん! お風呂湧かしてくるけん、すぐ入って!」
椿「ありがとう、助かるよ」

啓悟「ちゃんとあったまった?」
椿「ああ、ちゃんとあたたまったよ」
啓悟「………ぎゅってしてよか?」
椿「ん、おいで」
啓悟「………んへへ、あったかい」
椿「啓悟もあったかいよ」



***



「……と言うことがありまして。直接母に伝えようと思ったんですけど、チームアップに行ってしまったので、まだ話せていないんですよね」
「お嬢さんってば……」
「分け隔てなさ過ぎて怖いですよ、椿ちゃん……」


 男との邂逅の翌日。学校が休みであったため、椿は母のヒーロー事務所を訪れていた。両親は隣県からのチームアップ要請を受けており、直接顔を合わせることが出来なかったのだ。そのため、事務所の掃除のついでに、事務員や事務所に残ったサイドキック達に事の顛末を述べたのである。話を聞いた大人達はみな、どうしたものかと頭を抱えていた。危険行為である、と叱ればいいのか。ヒーローとしての資質を褒めればいいのか。
 椿は、自分の行いがいかに危険であったかを十分に理解している。だから、ヒーローである母親に包み隠さず話そうとしているのだ。ヴィランの可能性がある人間を、ヒーローとして見逃すわけにはいかないから。けれど、分かった上で、放っておけないと手を伸ばしたのだ。自分の身の安全よりも、怪我人を見過ごす自分を看過できない、と。
 いくら叱ったところで、理解した上で行動しているのだから、彼女は変わらない。それで命を落としても、彼女はきっと後悔しない。自分の責だと受け止めて、そのまま黄泉路を歩くだろう。


「…………坊ちゃんに泣いて縋って貰います?」
「啓悟くんに泣かれるのが現状、最も効果がありそうですからねぇ……」


 事務所の正面玄関の掃除を担当している啓悟を窓越しに見つめ、事務員達が顔を寄せ合う。意見はいくつか上がったけれど、夜中に飛び起きてしまうような不安定さを持つ子供に、余計な心労は掛けたくない。結局、子供達の親に決定して貰うほかなかった。


「…………椿ちゃん、不審な人を見掛けたら、きちんと警察かヒーローに通報してください。いいですね?」
「私達も、お嬢さんに何か遭ったら悲しいんですからね」
「分かっています。私が怪我をしたら、啓悟を泣かせてしまうでしょうし」


 そう言って、椿はゴミ袋の口を縛った。
 彼等の予想通り、今の椿に一番効果的なのは弟の涙である。彼を傷付けてしまうことが、今の椿が一番恐れることだった。そうしないためにも、もう少し自重しようと決意する。けれど、いざ困っている人を見つけてしまえば、意志とは関係無しに、身体が動いてしまうのだろうけれど。そんな少女をよく理解している事務員達は、ゴミ袋を抱えて裏口へ向かう小さな背中に苦笑した。
 ちなみに、チームアップから帰ってきた両親に事の次第を話すと、しこたま叱られた後に盛大に褒められ、椿はそれはもう大いに反省したのだった。



***



「椿、この人じゃないですか? 雨の日に出会ったという男の人」


 そう言って牡丹が連れてきたのは、確かに雨の日に出会った若い男だった。あの日のように顔から血の気を引かせ、冷や汗を流しながら牡丹から全力で目を逸らしている。ちなみに、個性を使用させないためか、逃走させないようにするためか、その両手はきつく縛り上げられていた。その様子に、ああ、随分と恐ろしい目に遭わされたのだな、と椿が苦笑する。
 牡丹がビルボードチャートで上位に名を連ねている理由は、主に支持率である。事件解決数も相当数あるが、これは彼女個人のものではなく、事務所全体の合算でのことだ。彼女の順位を支えているのは、とある事件を解決したことに起因する。
 ***便ハイジャック事件。椿が生まれる前に起きた、収監されたヴィランの解放を条件に仕掛けられたテロ事件である。この事件に駆り出されたのが、あらゆる事象を理解する個性を持つ牡丹であった。牡丹の個性は触れた物を理解する。それが道具や機械であったならば、触れた瞬間に操作方法が分かるのだ。そのため、万が一にもパイロットに被害が及び、飛行機が操作不可能になっても墜落を免れるために呼び出されたのである。その際に牡丹は、難しいとされている水面着陸にて、乗員乗客全員を生還させたのだ。その功績が、人々の心に刻まれているのである。
 牡丹の個性は、ヒーロー向きと言えばそうであるが、華のある個性ではない。華々しく、目覚ましい活躍を見せるタイプのヒーローではないのだ。一人では対処出来ない事件も多く、周囲に助けを求めることも多かった。けれど地道に、堅実に事件を解決に導くのが牡丹であった。そうであるからか、彼女は人海戦術にてヴィランを追い詰めることを得意としている。件の男は、その人海戦術にて追い詰められ、牡丹に捕まったのだろう。綿密に組まれた人の檻は、決してヴィランを逃さない。そのやり口は味方から見ても恐ろしい。大きく口の開いた檻を携えて追い掛けられた男は、その恐怖を直に味わったと言うこと。同情せざるを得なかった。


「ああ、そうだよ。よく見つけられたな。流石母さんだ」
「ふふ、ありがとう。でも、彼を見つけられたのは、彼の方がこちらを探っていたからですよ」
「え?」
「どうやら、これを返したかったようで」


 僅かな情報から、よくもまぁ件の男を見つけたものだと感心していると、僅かに眉を下げた牡丹が見覚えのある傘と紙袋を掲げて見せた。牡丹から傘と紙袋を受け取ると、傘はあの雨の日に男に貸したもので、紙袋の中身も椿が男に巻いたマフラーだ。他には、何やらかわいらしいラッピングが施された小さな箱が一つ。
 椿が男を見上げる。男は決まり悪げに身じろぎし、僅かに腕を庇う仕草を見せた。


「わざわざ返しに来てくださったんですか? 別によかったのに……。それにプレゼントまで……」
「借りっぱなしは性に合わなくてな。その箱は雨に濡れさせちまった詫びみたいなもんさ。……礼を言いに来たら、ヒーローに見つかって捕まえられちまったのは運が悪かったな」


 男の愚痴のような言葉に、牡丹が上品に笑う。口元を隠した笑みは朗らかなものだったが、その奥に剣呑な色が見て取れる。やはり男は、後ろ暗いものを抱えた人間だったのだ。その証拠に、男は母の拘束を不当だと喚くことも冤罪だと訴えることもせず、黙って受け入れている。そうされることが当然であるように。また、ヒーローである牡丹も警戒を解かない。そうするに値すべき人間だというように。
 一体何をしたのだろう、と首を傾げる。たった一度の邂逅。一瞬の交わり。ヒーローの娘であることを告げてあって、それでもお礼の品まで用意して、椿を探すような人。そんな義理堅い人間が、一体何を。
 けれど、ポリシーを持って悪事を働く人間もいる。自分の中の正しさに従って、社会常識から逸脱するのだ。彼も、そう言った人間なのだろう。それが良い方向に向いていたならば、彼は英雄と呼ばれる類いの人間になったかもしれない。けれど彼のポリシーは、どうやら母が剣呑な眼差しを向けなければならない類いのそれ。困ったように眉を下げて、椿は淡く微笑んだ。
 男は、椿の笑みに決まり悪そうに視線を逸らした。


「お兄さんのお怪我の具合はどうですか?」
「たいした怪我じゃなかったから、すっかりよくなったよ」
「ならよかった」


 嘘だろうなぁ、と椿が苦笑する。先程見せた仕草と、わざとらしい笑顔を見れば一目瞭然だ。怪我の治りきっていない腕にきつい拘束は負担が掛かるだろう。何とか緩めてあげられないかと牡丹に交渉しようとそちらに目を向ける。そのタイミングで、牡丹の端末に連絡が入った。
 牡丹が椿に見せないように武器を構えながら、端末を取り出す。一分にも満たないやり取りを終え、通話は切れた。改めて端末を仕舞い、牡丹が笑みを浮かべる。狡猾さを滲ませた笑みに、男が戦慄いた。


「あなた、マジシャンをしている傍ら、義賊のようなことをしているのですね」
「…………俺が誰だか分かったのか?」
「ええ、まぁ。私の夫がそういうことに向いた個性ですので」


 ふふ、と一瞬だけ見せた笑みは、とても誇らしげだった。
 桜の個性はヒーロー向きではない。明らかに警察向きのもの。故に、夢を見ずに、大人しく警察を目指せと言われることも多かったという。けれど、それでも彼はヒーローを目指し、サイドキックではあるものの、ヒーローの一人として人々を救っている。そんな桜を、牡丹は誇りに思っているのだ。
 上品な笑みから、誇らしげな笑みから、表情を一変させる。人々を安心させるために見せる、ヒーローの顔だった。


「世直しがしたいのなら、うちでやりなさいな」
「………………は?」
「あなたの個性はとても素晴らしいものです。私や椿の個性と相性が良さそうですし、うちのサイドキックになってくださると助かります」
「え、は? あんた、何言って……」


 男が困惑を顕わにする。そんな様子に、牡丹が笑みを深めた。


「ねぇ、ミスター? あなた、司法取引というものをご存じ?」


 ―――――あ、これ囲い込む気だ。にっこりとかわいらしい笑みを浮かべた母に、椿の口角が持ち上がる。完璧なアルカイックスマイルを浮かべ、可哀想な男に目を向ける。男は顔から血の気を引かせ、助けを求めるように椿を見つめていた。縋るような目を向けられたら、助けたくなってしまう。けれど、牡丹の話は男にとっても椿にとっても悪い話ではないだろう。だから椿は、微笑を浮かべたまま、ひらりと手を振った。


「お兄さんの部屋、用意しておきますね」


 絶望の淵に立たされたような顔をした男の視線を振り切って、椿は軽やかに駆け出した。より賑やかになるだろう事務所を想像して、椿は小さく声を立てて笑った。



***



 男―――――迫圧紘について調べ終えた父と共に、椿は新しい部屋の準備に取り掛かる。“お客さん”用の部屋ではなく、きちんとした職員達の部屋だ。準備と言っても、簡単に掃除をして、必要最低限のものを運び込むだけである。あっという間に職員寮の一室を整えて、迫を迎える準備が完了した。


「ありがとう、椿。お疲れ様」
「父さんもお疲れ。私、一旦家に帰るよ。プレゼントの中身を見たいし、夜ご飯の準備をしなきゃいけないから」
「いつもすまないな。助かるよ」
「ううん、気にしないで欲しい。父さん達はお仕事頑張って」
「ああ、ありがとう」


 事務所で過去の事件をまとめた資料を読み込んでいた啓悟を伴って帰路に着く。途中で必要なものを買い込んで、二人で手分けして荷物を持つ。空いている方の手を繋いで歩いていると、啓悟が顔を覗き込んできた。不思議そうに、けれどどこか嬉しそうな顔に椿も微笑む。


「お姉ちゃん、嬉しそうやね? いいことあったと?」
「ふふ、そんなに分かりやすかったか? 実は、新しいサイドキックが来てくれそうなんだ」
「そうなの? どんな人?」
「この前、私が雨に濡れて帰ってきただろう? そのときに傘を貸した人だよ。お礼を持ってきてくれたときに母が勧誘しているのを見たんだ」
「お母しゃんが? すごか人なんやね……」
「私も詳しくは知らないんだが、母さんの個性と相性が良さそうだという話だ。あの人が来てくれたら、もっと母さんが活躍してしまうかもなぁ」
「んふふ、そうなったら九州で一番のヒーローんなれるね!」
「ああ、きっと」


 家に帰り、夕飯の下拵えを済ませた椿は、ようやっと迫から貰ったプレゼントと対面した。両手からはみ出すくらいの大きさ。中身が予想できず、椿が首を傾げる。そんな様子を見ていた啓悟が隣に座り、同じように首を傾げた。
 首を傾げていても中身は分からない。開けてみよう、と丁寧に包装を剥がす。蓋を開けると、そこには小さな木箱が納められていた。濃紺から青、水色へと移っていくグラデーションに、白い星が散りばめられ、夜空を描いていた。上部は蓋のようになっており、開くことが出来るようになっている。一段下は引き出しになっており、アクセサリーボックスだろうか、と木箱を取り出す。すると、側面に小さなハンドルがあることに気が付いた。もしかして、と蓋を開けて驚く。そこには青と白のプリザーブドフラワーが敷き詰められており、わずかにシリンダーと櫛歯が見え隠れしていた。ただのアクセサリーボックスではないと、椿の目が輝いた。


「オルゴールだ……」


 アクセサリーボックスタイプのオルゴール。少女らしいものにあまり興味を示さない椿の目も思わず輝く一品だった。
 ハンドルを回すと、曲が流れ出す。優しい音で奏でられたのは『きらきら星』と『星に願いを』であった。


「ふふ、いっぱい考えて選んでくれたのかなぁ」


 椿が小さく笑うと、流れる振動板を眺めていた啓悟が顔を上げた。不思議そうに目を瞬かせていることに気付いて、椿が柔らかい笑みを向ける。


「プレゼントには意味があるんだ」
「意味?」
「ああ。例えばピアス。“傍に居たい”という意味を込めることが出来るんだそうだ。また、魔除けのアイテムとして使われていたこともあったそうだから、“あなたを守りたい”という意味も持つそうだよ」
「へぇ~! 他のものにも意味があると?」
「あるよ。タオルは糸を繋ぎ合わせて作ることから、人との縁に関わる意味が多いかな。“人との縁を繋ぐ”とか“嫌なことや悪いことを水に流す”とか」
「そうなんだ。じゃあ、オルゴールにはどんな意味があると?」
「オルゴールには“感謝”と“心から好き”という意味がある。これは前者の意味で贈られたものだよ」
「ふぅん……」


 興味深げだった啓悟の顔に、面白くないという不満の色が乗る。むすっと口を引き結び、ぎゅっと椿の腕に抱きついた。背中の剛翼が、わさわさと椿を囲うように広げられる。その中に大人しく収まって、椿が小さく笑った。啓悟がヤキモチを妬いてしまったことに気が付いたのだ。
 彼はきっと、“好き”という意味を持つ贈り物を貰ったことが気に食わないのだ。だから、自分の方が椿を想っているのに、と不機嫌になってしまったのだろう。けれど、そんな必要はないというように、椿からも啓悟を抱きしめた。私の一番は君だよ、と伝わるように。


「本当にかわいいな、啓悟は」
「…………かっこいいがよか」



***



迫「よぉ、お嬢ちゃん。よくも俺を見捨ててくれたな?」
椿「こんにちは、迫さん。見捨てただなんて、人聞きの悪い。私はただ、あなたが母のサイドキックになってくれたら嬉しいなぁと思って、母のお手伝いをしただけですよ」
迫「それを見捨てたって言うんだよ。ったく、なんでこんなことに……」
椿「でも結局、母さんのサイドキックになることを了承したんでしょう?」
迫「………………まぁ、刑務所送りよりはマシだからな」
椿「ふふふ。……もう知っているかもしれませんが、清庭椿です。これからよろしくお願いしますね、迫さん」
迫「…………はぁ~~~。俺は迫圧紘。よろしく頼むぜ、薄情なお嬢ちゃん」



***



迫「なんで俺を事務所で雇おうと思ったんだろうねぇ、所長さんは」
椿「更生の余地があると考えたのではないでしょうか」
迫「お嬢ちゃんから見てもそう見えるかい?」
椿「その見極めはこれからですが……。あなたはきっと、正しいことに自分の個性(ちから)を使えると思います」
迫「…………」
椿「だって、あなたが本当に悪い人なら、危険を冒してまでお礼を伝えに来たりしませんよ。しかも相手はヒーローの娘ですよ? 私がヴィランなら、絶対に関わりたくないですね」
迫「……義理は通すべきだと思っただけさ」
椿「義理を感じるだけの道徳心があるなら十分でしょう。それに、疑うよりも信じたいじゃないですか。疑いの目を向けるのは苦しいし、心も体も疲弊してしまう。でも後者は信頼を向けるだけで良いのだから、自分も相手も気楽なものでしょう?」
迫「…………普通、無条件に信じる方が難しいと思うがね」



***



迫「ところで、ヒーロー事務所が前科者を雇うのってアリなのか? ヒーローは民衆を安心させるのも仕事の一つなんだろう?」
椿「前科者だとて、服役期間を終えたら市民に戻ります。受け皿は必要でしょう」
迫「そのために自分たちが犯罪者を受け入れますって? はっ! たいした献身と博愛精神だ。いや、自己犠牲か? どちらにせよ、ヒーロー事務所で犯罪者が出たら、ヒーローの信頼は失墜するだろうに」
椿「再犯の可能性は十分にあります。けれど、だからこそ(・・・・・)でしょう。再び悪事に手を染めさせないためにも、ヒーローの目の届く範囲に置いておく。そちらの方が、無辜の人々の安寧に繋がると思いますが」
迫「出来る自信があるのかい?」
椿「なければ司法取引なんて持ちかけませんよ」



***



迫「…………お嬢ちゃんの突拍子の無さは母親譲りか……」
椿「母親似だとよく言われます。身内からは父親似だと言われることもありますが」
迫「そうなの?」
椿「ふとした仕草や率直な物言いが父親にそっくりだと。あとはたらし具合が瓜二つだと。思ったことを口にしているだけなのですが、そういったところが父と同じなんだそうで」
迫「とんでもねぇモンスターじゃねぇか、お嬢ちゃん」
椿「酷い物言いをしますね」
迫「多分みんな同じ意見だと思うぜ……」




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