地獄の鷹見さん家 6






 ―――――そう言えば、どうしてあの子は空を飛べたんだろう? それは、ふと頭に浮かんだ疑問だった。
 ホークスが空を飛べるようになったのは、公安での訓練の賜物である。羽を操る術はその前から心得ていたけれど、空を飛ぶという発想は無かったのだ。飛べるだろうかと考えたことはあれど、夢も希望もない環境に置かれていた幼少期。空を飛ぶなど出来るはずもないと決め付けていた。だって、ヒーローが飽和していると言われる世の中で、その存在を架空のもののように捉えていたくらいである。例え身の丈ほどの翼を持っていたとしても、自由になどなれるはずもないと信じていた。
 けれど、ホークスはヒーローが実在する事を知った。知ることが出来た。
 だが、椿はどうだったのだろう。誰にも助けて貰えず、誰からも見て見ぬふりをされてきた子供。中学生になるまでの間、ずっと放置されて来た虐待児。その人生に、希望はあったのだろうか。
 否。彼女は絶望のどん底に沈んで尚、それすらも希望と呼んだ少女だ。他の誰がそれを地獄と呼ぼうとも、彼女に取っては変わらぬ地面だ。未来へ向かって歩き続けるための道でしかない。
 だからこそ、不思議だった。ただ空を飛んでみたいという理由で、彼女が空を飛ぶのだろうか、と。


(いや、翼があるんだから、飛んでみたいと思うのはおかしなことじゃない。でも、それだけで飛べるほど、人が空を飛ぶのは簡単なことじゃない)


 ホークスにはその為の環境が整えられていた。けれど、椿はそうではない。彼女は何もないところから、独学で空を飛んでみせたのだ。それがいかに難しいことか。実際にそれを経験しているホークスは、そのことをよく理解していた。
 端末で情報収集と簡単な事務仕事をしていたホークスは、ソファであたたかいココアを啜る椿に目を向けた。
 彼女はまだ、学校に通っていない。カウンセリングを受けて、学校に通っても問題ないと判断されるか否かで時期を決めることになっている。そのため彼女は自宅で自主的に勉学に励んでおり、家事を終えたら教科書と向き合っている。適度に休憩を挟みつつ取り組んでいる姿を見るに、彼女は自己管理能力や自己把握能力も低くはないのだろう。
 逆を言えば、だからこその疑問であり、その答えが恐ろしい。彼女がなんの支援もなく、適した環境でもない場所で、そこまでして空を飛ぼうとした理由が分からない。椿は、そうせざるを得ないときならいざ知らず、常日頃から無茶や無謀を押し通す子供ではないのだ。


「ねぇ、椿ちゃん。ちょっと聞いてもいい?」
「はい?」
「椿ちゃんはどうして空を飛ぼうと思ったの? 剛翼は空を飛べるようには出来ているけど、飛ぼうと思わないと飛べないじゃん? 俺はヒーローになろうと思ってたし、そういう環境が整っていたから飛べるようになったけど……。なんの支援もなく、空を飛ぶのは大変だったでしょ?」


 ホークスの問い掛けに、椿が視線を彷徨わせた。結局、視線を定めることが出来ず、そっと目を伏せる。話をするとき、まっすぐに目を見つめる椿にしては珍しい仕草だった。
 口ごもる妹に、拙いことを聞いたかな、とホークスが内心で焦りを見せる。彼女が空を飛んでみようと思ったきっかけは、ポジティブな理由ではないのか。光を集めたような瞳が、曇天のような色合いに見えるほどに、悲しい理由なのだろうか。
 苦しいならば言わなくていい、と伝えようとしたとき、椿が小さく口を開いた。


「…………死にたくないな、と思ったからです」


 そう告げた声は、消え入りそうなほど掠れたものだった。


「…………どういうことか、聞いてもいいかな?」


 椿の掠れた声に、問いを重ねるホークスの声が低いものになる。尋問するような声音になってしまった気がして、ホークスはせめて表情だけでも取り繕わなければ、と目尻を和らげた。
 けれど椿は、ホークスの中に生まれた激情を理解しているのか、続きを口にするのを戸惑っている。火に油を注ぐ結果になると分かっているかのように。
 そんな椿の態度に、ホークスもこの続きを聞けば、自分が激昂することになると察する事が出来た。けれど、それを理由に引き下がることは出来ない。たった一人の、家族のことだから。
 ホークスがじっと椿を見つめる。引き下がる気配を見せない兄に、椿が観念したように口を開いた。


「…………小学生の頃、屋上から落とされたことがあって……」
「なっ………!?」


 ガツン、と頭を殴られたような衝撃を受けた。
 学校という狭いコミュニティの中で発生する問題というのは、実感こそないものの、ホークスとて把握していた。いじめや体罰などを理由に病んでしまう子供というのは、存外多いのだ。特に、ヴィラン向きと言われる個性の子供は、その傾向にある。それを理由に、本物のヴィランになってしまうことも。
 けれど、椿は違う。見栄えもよく、有用な個性。現に、ホークスはその個性を用いてNo.3の座に登り詰めたのだ。彼女の個性はヒーロー向きとして歓迎されるもののだろう。現に、以前通っていた中学の教師は、彼女をヒーローとして導こうとしていた。本人にその気が無いにもかかわらず。


(個性が理由じゃない……? いや、異形型個性の差別は深刻だ。剛翼も分類としては異形型。それが理由か……? もしくは明らかに虐待児の様相をしていたから、それを理由に……? どんな理由であれ、屋上から落とされるなんてあっていい訳がない……!)


 “普通”とは違うものを、人は恐れる。恐れるが故に、排斥しようとする。特に、こと日本においては、平均が好まれる。それ故に出る杭は嫌われ、叩かれてしまうのだ。
 椿は、いくつもの“普通”とは違う要素を持ち合わせていた。異形型に分類される個性。お世辞にも綺麗とは言えない制服。使い古された教科書。異常なほどに痩せ細った身体。それだけのものがあったから、椿は悪い意味で人目を惹き、悪い意味で目をつけられやすかったのだ。
 彼女の身に降り注いだ不幸は、家庭内ばかりではない。学校内で行われていた残虐な行為に、ホークスは拳を握りしめた。


「空を、飛んで見せろと言われたんです。それだけ大きな翼があるのだから、飛べるだろう、と。飛べないと言っても、聞いて貰えなくて……。それで、痺れを切らした同級生達に、無理矢理突き落とされたんです」


 椿の通っていた小学校は、4階建ての校舎だった。その上に屋上があり、普段は立ち入り禁止である。けれど、屋上の施錠管理は杜撰で、用務員が立ち入った際に鍵を閉め忘れると言うことが多々あったのだ。そういう日は子供達の遊び場になっていて、椿が屋上から突き落とされた日も、例に漏れず鍵が開けっぱなしになっていた。
 その同級生達は、所謂いじめっ子と取り巻きで構成された男子グループで、中心人物は強個性を持っていた。パワー系の個性で捕まえられてしまえば、痩せ細った椿に為す術は無い。剛翼で抵抗しようにも、椿の羽根は簡単に人を殺せてしまう。抵抗など、出来るはずもなかった。
 そして連れて来られた屋上。フェンスを乗り越え、淵まで引き摺られ、そこから飛び降りるように言われたのだ。飛んで見せろ、と。
 空を飛んだ経験を持たない椿は、無理だと言って抵抗した。けれども怪力を誇る少年には勝てず、椿の身体はあっさりと宙を舞った。投げ出された瞳に映った空は、恐ろしいほどに美しい青空が広がっていた。
 突き落とされたときのゆったりとした世界と、迫り来る地面の迫力は、そう簡単に忘れられるものではない。必死になって羽ばたいて減速し、滑空することで地面に激突するのを防いだのも。屋上に残った羽根に届いた、残酷な言葉も。
 その光景は、今でもたまに夢に見る。椿はそれらを、己の心についた傷だと正しく認識している。一生抱えていかなければならない傷だと。


「幸いにも、翼を動かすことは可能でしたから、空は飛べずとも、勢いを殺して滑空することは出来ました。なので、着地のときに地面に転がってしまったくらいで、大きな怪我はしていません」
「だからって……! って言うか、それ、学校はなんて……!!」
「見て見ぬ振りです。特に私は、親に目を掛けて貰っていない子供だったから、そうしても問題なしと判断されたのでしょう。学校は、いじめを認めたがりませんから」
「いじめなんて、そんな軽いもんじゃないだろ!? それはれっきとした殺人未遂だ!!」


 ―――――彼等は、そんな自覚を微塵も持っていませんよ。
 激昂するホークスを見つめながら、椿は言葉を飲み込んだ。これ以上、彼を刺激するのは止めよう、と。
 本当は、もう少し続きがある。けれど、琥珀色の瞳を怒りで染め上げている兄に、これ以上を伝えるのは憚られた。
 子供達に突き落とされた際、背中から抜け落ちた羽根が言葉を拾ったのだ。

 ―――――なんだ、飛べないのか。つまらない。

 落とされた落胆の声は、自分の好奇心が満たされなかったことを嘆くものだった。そこに、椿に対する思いやりなんて欠片もなかった。その言葉を聞いて、そこに乗る声色を聞いて、椿は心底ゾッとした。このままでは、自分はいつか殺されてしまう、と。
 その日から、椿は必死で剛翼を操る練習をした。完全に独学であったため、それが正しいのかは分からなかったけれど、とにかく羽根を動かすということを繰り返したのだ。出来ることが一つでも増えるように。自分の寿命を少しでも永らえさせられるように。
 鳥の羽ばたきを見て、飛び方を覚えた。翼の動かし方を知った。そうして椿は、自分の力で空を飛んだのだ。自分の命を守るために。


「そんなに怒らないでください。この経験があったから、私は空を飛べるようになったのだし、そのおかげであなたと空を飛べるのだから。悪いことばかりではない」
「そういう問題じゃ……!!」
「もう、終わったことだから」


 ―――――もう、終わりにしたいことだから。


「私は、前を向きたいんです。光ある方に向かって歩きたいんです」


 そう言った椿の瞳は、夏の太陽を思わせた。そのくらい、力強い光を湛えている。
 何かが決壊しそうになって、耐えきれなくなって、ホークスは椿を抱きしめた。


(まさか、学校関連でも地雷があるとは思わなかった……)


 ホークスが学校というコミュニティを知らない。その狭い世界の中で、子供達がどのような社会を築き上げているのかを。故に、彼は子供の残酷さを失念していたのだ。
 子供というのは、かわいらしいだけの存在ではない。彼等は、無邪気に他者の命をおもちゃのように扱う。虫の足を引きちぎってみたり、蛙を投げてみたり、蛇を振り回してみたり。同じ人間を、同じ生き物として扱わなかったり。それがいかに悍ましいことであるかなど考えず、彼等は『楽しいから』、『気に食わないから』、『暇つぶしに丁度良いから』という理由で行動に移す。椿を屋上から突き落としたのも、そんな何でも無い理由からだ。翼があるのだから飛べて当然だと、ならばそれを見てみたいと、そんなものだった。
 椿をいじめた子供達も、そんな理由だ。人よりみすぼらしい格好をしていたから、たまたま椿が目に留まっただけ。人と違っていたから、『椿なら良いだろう』と思われてしまったのだ。
 けれど、子供らしい子供時代を送れなかったホークスは、そんなことすら分からない。分からないなりに、ただひたすらに椿を抱きしめた。それくらいしか、何も分からないホークスには出来なかったから。
 椿にはそれが正解だった。分からなくて良いのだ。ちょっとした好奇心で、命を奪われかけただなんて。そんな発想すら思い付かない優しい彼のままでいて欲しいから。


「ありがとう、ホークス」
「…………何が」
「あなたは、根っからのヒーローなんだな」
「…………椿?」
「ふふふ、あなたは、そのままのあなたで居て欲しいな」


 そう言って、椿が嬉しそうに笑う。珍しく声を立てて、頬を薔薇色に染めて。妹がそんな風に笑うから、ホークスは何も言えなくなってしまう。だからホークスは、精一杯の抵抗として、剛翼まで使って、椿を自分の腕の中に閉じ込めたのだった。この中にいる間は、彼女が何ものも恐れずに笑っていられるよう祈りながら。



***



椿「ホークスってエンデヴァーさんが好きなんですか?」
ホークス「……なしてそう思ったと?」
椿「実は、エンデヴァーさんのぬいぐるみを見つけてしまって……」
ホークス「…………あー……」
椿「随分古いものですね」
ホークス「……まぁ、俺が子供の頃に買ったものだからね」
椿「私もエンデヴァーさん好きですよ。炎も綺麗で素敵ですよね」
ホークス「……そうだね」
椿「ギャングオルカさんも好きです。ヒーローとして市民を護る傍ら、水族館の経営までしているなんて、並大抵の努力ではないでしょう」
ホークス「確かに、二足のわらじを成功させている人だよね」
椿「ファットガムさんも好きです。マスコットみたいなかわいらしさを持っているのに、戦闘となるととても強くて」
ホークス「ギャップがあってずるいよねぇ」
椿「ホークスも好きです。私を救ってくれた、世界一かっこいいヒーローですから」
ホークス「…………そっか」



***



ホークス「学校って行かせなきゃ駄目ですかね……?」
事務員「どうしました、ホークス。椿ちゃんに何かありましたか?」
サイドキック「詳しく聞かせんしゃい」
ホークス「食いつき良すぎません? まぁ、今回はありがたいですけど……」
事務員「で、どうしたんです?」
ホークス「実はあの子、学校でいじめを受けていたみたいで……」
「「「……………………」」」
事務員「嫌だ……。分かりたくないのに、椿ちゃんの当時の様子を思い浮かべると、いじめの標的になってしまうのも納得できてしまう……!」
事務員「お下がりの制服に、古い教科書、ボロボロの羽根……。いじめっ子達がからかって遊ぶのが目に見える……」
事務員「それが行き過ぎていじめに繋がるんですよね……」
ホークス「いや、いじめっていうか、罪状をつけるとしたら殺人未遂なんです」
サイドキック「殺人未遂!?」
事務員「これ以上あの子に試練を与えないで、世界……」
事務員「物凄く聞きたくないんですけど、一体何があったんです……?」
ホークス「…………屋上から突き落とされたんだそうです。飛んでみろって」
「「「はぁ!!?!?」」」
ホークス「正直、全員同じ目に遭わせてやりたいと思いましたよね」
サイドキック「気持ちは分かるばい……」
事務員「…………難しい問題ですね。学校は勉強だけでなく、友人を得たり、社会性を学ぶ場所でもありますから」
事務員「自分も学校は通わせた方が良いと思います。ただでさえ家庭環境がよろしくなかったのですから、健全な人付き合いというのを知るためにも、彼女の人生の経験のためにも必要な過程かと」
ホークス「…………確かに、あの子は既に目標を持っていて、行きたい高校も決まっているようですし、中学校に通うのは必須ですよね」
サイドキック「もう決まってると? 早かね?」
事務員「本当にしっかりしていますね……。ちなみに詳しい話は聞いています?」
ホークス「そこまで踏み込んだ話はしていません。でも、雄英高校に行きたいとは言っていましたね」
事務員「……それはまた、随分と狭き門を……」
ホークス「………なりたい自分になるために必要なレッテルなんだそうです」
事務員「…………ホークス、また事務所に連れてきてください。全力で甘やかしましょう」
サイドキック「それがよかばい」
ホークス「そうですね。あの子の嗜好を探っておくので、また相談させてください」
「「「もちろんです」」」




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