地獄の鷹見さん家 4
病院での診察を終えた椿は、ホークスと共に新幹線に乗車していた。一体どこに向かうのかと、不安げに眉を下げている。けれどホークスは、柔らかい笑みを浮かべるだけで、現状の説明をする気はないようだった。話をする気が無いのか、ここでは出来ない話なのか。その判断が付きかねた椿は問いただすようなことはせず、シートに身を預けた。長い検査ですっかり疲れてしまったのだ。
病院ではありとあらゆる検査を受けた。検査を重ねる度に医師は顔色を悪くさせ、感受性の高い看護師は涙を浮かべ、ホークスはどんどん真顔になっていく。骨が軋むほどの暴行の痕。無理矢理毟り取られた赤い羽根。針金に皮膚をくっつけたような印象を与える細い身体。低体重はもちろん、栄養失調による慢性的な貧血。生理はまだ来たことがなかった。
椿の年齢的に、まだ初潮を迎えていないことはおかしな事ではない。そのため、それが個人差によるものなのか、低体重故のものかは判断が付かない。体重を適正にしても来る気配がなかったら再検査と言うことになった。
一通り検査を受け、応急処置的に点滴を打ち、内蔵機能の低下が見られたため、いくつかの薬が処方された。前世は健康故に、今世は家庭環境故に病院や薬とは縁遠かった椿は、病院から出た頃にはすっかりくたびれてしまっていた。
検査結果はお察しの通りである。けれど、重大な疾患や後遺症が見つかりそうなほどの満身創痍であったが、今後に響くようなものが見つからなかったのは幸いだ。一つくらい見つかってもおかしくはない程度の重傷であったが、人間というのは意外と頑丈であるらしかった。
病院を出て、今日はもうお別れだろうか、とホークスを見上げると、彼はにっこりと笑って剛翼を使って椿を拘束した。何事だ、と目を白黒させているうちに手を取られ、あれよあれよという間に駅のホームに連れられて、あっという間に新幹線に乗せられてしまったのである。一体いつの間にチケットを用意していたのか。速すぎる男のスピードに、常人はいつも置いてきぼりだった。
「疲れちゃった?」
「少し……。病院に掛かったのは、覚えている限り初めてだったので……」
「そっか。……じゃあ、検査とかも初めてだ?」
「そうですね。検査を受けたのなんて、学校の健康診断くらいでしょうか」
「そっか。じゃあ頑張ったご褒美って事で、夜は椿ちゃんの好きなもの食べに行こっか」
夜も一緒に居られるのか。椿の心が、ほんの少し浮ついた。けれど、そうなると、本当にどこへ行こうというのだろう。新幹線の行き先は聞いていない。流れゆく景色に見覚えはなく、アナウンスの声を聞く限り、福岡方面に向かっていることだけは確かだ。
(―――――福岡方面?)
浮かんだ考えに、椿が目を瞬かせた。
疲れで鈍った頭で、椿が思考を巡らせる。ホークスの事務所があるのも、福岡ではなかっただろうか。もしかして、と微かな期待が胸に宿る。家に、帰らなくてもいいのだろうか。ホークスは、まだ自分を助けようとしてくれているのだろうか。何度も無碍にした相手を、それでも尚、諦めないでくれているのだろうか。
虫が良すぎると言われればそれまでだ。けれど、どうしたって期待してしまう。希望を見つけようと必死になってしまう。
(何にせよ、あの家から離れられるなら、それに越したことはないな)
西に傾いてきた太陽に目を細めながら、椿が流れていく景色を見つめた。穏やかな顔で外を眺める椿の横顔を見つめ、ホークスも口元を緩めた。
***
椿の予想通り、新幹線は福岡で停車し、ホークスが下車するように促したのもそこだった。駅のホームに降り立つと、辺りが騒然とする。ホークスは人気絶頂のヒーローであるが、その中でも特に人気が高いのが、彼のホームである福岡を中心とした九州地方。この地に彼のファンが居ない場所など存在しないとさえ思われるほど、行く先々に彼を慕うものがいる。そんな彼が突然現れたものだから、人々が驚くのも当然だった。
「ホークス!? えっ、珍しい! 電車乗って帰って来たん!?」
「いっつも空飛んで帰ってくるのに!」
わっと周囲が声を上げる。ホークスはそれに笑みを返し、ひらりと手を振った。近寄ってきたファン達のために場所を空けようと、椿がそっとホークスから離れようとする。けれど、足を一歩踏み出すと同時に、大きく広げられた翼で進行を阻まれる。そのまま囲い込むように引き寄せられ、抱え込むように腕を回される。ホークスの胸元に顔を押し付ける形となり、少し息が苦しかった。
「ファンサービスはまた今度。今日は保護した子がいるから、写真も勘弁」
「え? あ、それで電車だったんだ」
「お疲れ様~」
「あれ、その子、羽根生えてる?」
ホークスの翼の下。ホークスのものとよく似た、少し小ぶりな翼がはみ出ている。誰かの指摘に、艶のない翼が身を窄ませるように戦慄いた。
椿の背に回された腕に力がこもる。反対の手でぽふぽふと髪を撫でて、安心させるように「大丈夫だよ」と囁いた。
「守秘義務あるから話せませーん! 俺はまだ仕事あるんで、これで失礼しますね~」
「もう行っちゃうの? 次は一緒に写真撮ってねー!」
「ばいばーい」
名残惜しげに、けれどあたたかい言葉で見送られる。
「
「………あったかい人達なんですね」
「そうだね。いい街だよ」
そう言って、椿の髪をもう一度撫でる。愛しげな瞳が何だかくすぐったい。「行こう」と促され、椿は笑顔で頷いた。
そんな二人を、駅のホームに留まっていた人々が、言葉も忘れて見入っていた。
「………………見た?」
「…………見た」
「ホークス、ばり優しか顔しとったね」
「うん……。もしかして親戚とかやろうか……」
「そうかもしれんね……」
いつの間にか手を繋いだ二人のよく似た背中を見送って、福岡の人々は口元に笑みを浮かべた。
***
改札を抜けて、椿は福岡の街に降り立った。福岡の中心部にある街は活気に溢れていて、日が暮れた頃になっても賑わっている。人々の帰宅時間と重なっているのも理由の一つだろう。スーツ姿のサラリーマン。授業を終えた学生達。子供と手を繋ぐ父親、あるいは母親の姿。観光地が近いためか、荷物を抱えた旅行客らしき団体の姿もあった。
「あの、ホークス。今からどこへ?」
「ひとまずは俺の家かな。色々話したい事とかあるし、落ち着ける場所がいいでしょ?」
自宅なんて知って良いのだろうか。椿の脳裏に小さな不安が過ぎる。彼のファンが喉から手が出る程に欲しいだろう情報を、こうも簡単に差し出され、自分の将来が心配になる。夜道で刺されたりしないだろうか。
椿がそんな不安を抱えているとも知らず、ホークスは暢気に椿を振り返った。
「そう言えば、椿ちゃんって空飛べる?」
「はい。ホークスのように速くは飛べませんが……」
「そりゃあプロだもん。個性を伸ばす訓練を積んでない子に負けてるようじゃ、“
「ふふ、それもそうですね」
人気の少ない道に入って、手を離したホークスがふわりと空に舞い上がる。翼がぶつからないように、一歩遅れて椿も夜が迫り来る空を飛んだ。
人目を避けるように、ホークスはどんどん上空へと上がっていく。それを追い掛けて、椿も翼を動かした。
椿がこんなに高く空を舞ったのは初めてのことだった。地上数百メートル。地を歩く人は豆粒のように小さく、見下ろした街はミニチュア模型を見ているような気分だった。
ある程度の高度まで舞い上がると、ホークスがゆったりとしたスピードで椿を先導する。その後を付いて飛ぶと、チラリと振り返ったホークスが嬉しそうに笑っていた。
しばらくホークスの後を追い掛けて空を駆けると、ホークスが徐々に高度を下げていく。椿もそれに合わせて高度を下げると、眼下に高級マンションと思われる建物があった。なんてイメージ通りの場所に住んでいるのだろう、と椿が乾いた笑みを浮かべる。きっと最上階に住んでいるのだろうな、とホークスを追い掛けると、やはりというべきか、彼は最上階のベランダに降り立った。
ベランダに降りた彼が、椿を振り返る。そっと両手を差し出されて、椿はその両手に手を重ねた。その手を支えに、そっとベランダに足を降ろす。ホークスが、柔らかい笑みで椿を迎えた。
「いらっしゃい、椿ちゃん」
「……はい、お邪魔します」
ホークスに手を引かれて入った部屋は、恐ろしいほどに生活感がなかった。モデルルームの方がマシではないかと思われるほどに物が少ない。彼がミニマリストの可能性も捨てきれないが、それにしたって物がなかった。リビングのローテーブルに置かれた新聞と無造作に置かれたリモコンが、かろうじて人が住んでいることを感じさせた。
「座ってて。飲み物入れてくるから」
「あ、はい……」
図書館からずっと持たせていたままの鞄がソファに置かれる。床に置いてくれて良かったのにな、と自分もソファに座った。初めは床に座ろうと考えていたけれど、荷物がソファに鎮座しているのに人の身が床に座っていたら、きっとホークスはいい顔をしないだろう。
見るからにいいソファに腰掛けると、ゾッとするほど座り心地が良かった。家ではずっと床で過ごしてきたし、学校や図書館の木の椅子は固い。新幹線のシートはそれらに比べたら柔らかいものだったけれど、このソファとは比べものにならない。ずっと座っていたら、きっと寝入ってしまう。
あまりの座り心地に戸惑いを覚えていると、ホークスがマグカップを二つ持ってリビングに戻ってくる。湯気の立つマグカップからは甘い香りが漂ってきて、少し心が落ち着いた。
「ココアだけど、良かったかな?」
「はい、ココア好きです。ありがとうございます」
「それなら良かった。熱いから気を付けてね」
「はい」
受け取ったマグカップはじんわりとあたたかく、上空を飛んだことで冷えた指先を存分にあたためた。両手で抱えるように持ち、暖を取る。猫舌ではないけれど、まだ飲めるような温度ではなく、ふぅと息を吹きかけた。
「………椿ちゃんってさ、本題に入る前に何か話したいタイプ?」
「……いえ、そういうのは苦手です。本題から入って貰って構いません」
「あは、俺も一緒」
息を吹きかけて冷ましたココアを一口啜る。まだ少し熱かったが、火傷をするほどではない。隣に座ったホークスも、前を見つめたままココアに口を付けた。そのまま、無言の時間が過ぎる。痛いほどの沈黙だったが、きっとお互いに必要な時間だった。
しばらくして、静寂を破ったのはホークスだった。
「椿ちゃんはさ、もう知っちゃってるんだよね」
「…………証拠は何もないので、憶測の域を出ていません」
「なら、何をどこまで推察したのか聞いてもいい?」
「…………突拍子もない事でもいいのなら」
椿が視線を落とす。ココアに映り込んだ顔は、何を考えているのか分からないと言われる澄まし顔で、酷く冷めた様子に見えた。
「……初めてあなたを知ったのは、あなたがプロヒーローデビューまもなく、ビルボードチャートトップ10に入ったことを讃えるニュースでした」
椿はそのときのことを良く覚えている。まだ小学生だった時分、何に対しても興味を示さない母親が珍しく目を瞠った映像。そこに映し出された赤い翼の男。ウイングヒーロー・ホークス。大空を舞う姿を捉えた映像は、自分と同じ個性であるはずなのに、酷く美しいもののように思えた。
椿の
誰からも愛されない翼は薄汚れていて。人を助けるために使えない鋭利な羽根は、頼もしいものではなく、きっと誰かにとっての恐怖の象徴でしかなかった。
「そのとき、いつもどこを見ているのかすら分からない母が、あなたを認識して、あなたを見て驚いていたんです。そのときはまだ、年の離れた知人かなって思っていました」
嫌な予感はずっとしていた。けれど、ずっと見ない振りをしていた。もしそうであったなら、彼の努力が消えてしまうのではないかと思ってしまったから。
ヒーローは、簡単になれるものではない。憧れは確かに強い感情ではあるけれど、それだけでは誰かを救う存在にはなれない。血反吐を吐くような努力の果てに、今の彼が存在するのだ。だからこそ、そうまでしてなったヒーローの座から転落してしまうようなことは、あってはならないのだ。
「でも、私と同じ個性で、私と同じ色の瞳で、私の置かれた状況を正しく理解しているのを見て、もしかしたら近しい人なのかなって」
自分と同じ『剛翼』。鮮烈な緋色。固くしなやかな羽根。ホークスに出来ることは椿にも出来てしまって、嫌になるくらいにおんなじ個性だった。
母と異なる黒髪。鴉のような濡れ羽色。瞳の色すらも、遠見絵のものとは僅かに異なる。
髪の色は、ホークスとも大きく異なる。明るい髪の色はまるで正反対。けれど、琥珀のような瞳は、まったく同じ色合いをしているのだ。
「違うといいなって思っていました。私の父はきっとろくでもない人で、きっと母を壊した元凶。だから母は私が憎くて、この背中が大嫌いだった」
見たこともない父親。『あの人にそっくりだ』と、母には散々、憎々しげに告げられてきた。だから愛せないのだ、と。
罪を犯した、きっと罪人。だから父親は家に居なくて、母は自分を傷付けた男によく似た椿を責め立てる。
「清廉潔白を求められるヒーローに、犯罪者の身内が居てはならない。だから、違うことを願っていました」
だが、母が言ったのだ。クローゼットから引きずり出された、あの日。―――――“あんたの兄さんは、この家を用意してくれたよ“、と。
その言葉の衝撃で、背中を殴られた痛みなんて忘れてしまった。羽根を毟られる不快感も、絶望に塗り替えられてしまった。
「母の言葉で、私に兄が居ることを知りました。それがあなたである確信はなかったけれど、あの日の母の顔を見るに、そうなんだろうなって……」
勘違いだと言って欲しかった。清廉潔白が望まれているヒーローに、不穏な影をちらつかせてはいけない。犯罪者の父親なんて居てはいけない。娘に暴力を振るう母親なんて居てはいけない。母親を脅してお金を貰う妹なんて居てはいけない。
助けて欲しくないわけではないのだ。理不尽な苦しみなんて負いたくない。普通の生活を送りたい。けれどそれを、優しい人の夢を犠牲にしてまで、欲しいとは思わない。
他人の空似だと言って欲しい。自分と同じ瞳で、柔らかい笑みを浮かべないで欲しい。自分も、彼のように誰かに優しく出来る人のように思えてしまうから。
「…………黙っててごめんね」
ホークスの口から漏れたのは、残酷な答えだった。思わず溢れそうになった涙を必死に堪え、椿は肺の中の酸素を吐き出した。
ああ、やっぱり。だから彼は、椿の状況を正しく理解できていたのだ。きっと彼も、椿と似たような道を歩んできたのだ。理不尽な暴力に打ちのめされるような、そんな人生を。
「…………いいえ。むしろ、私の方が申し訳ないくらいだ。あなたもあの母の元にいたのなら、きっと、私と似たような状況に置かれていたのでしょうから。嫌なことばかり、思い出させてしまったのではないですか……?」
過去は消えない。遠い昔に存在した事実は、影のように、ずっとついて回るもの。どこへ逃げても、どんなに走っても、ずっとずっと追い掛けてくるのだ。
ホークスにとって、椿は過去の象徴のような人間だろう。辛かった時期の自分と正面から向き合うような形となって、彼だって辛かったはずだ。それでも、彼は椿から逃げなかった。そうしたって、良かったのに。みんなそうやって、椿から目を背けてきたのだから。
ホークスは、椿の問いかけには答えなかった。落とされた視線は凪いでいて、何の温度も感じられない。日の光を集めたような、ハチミツを溶かし込んだような、あたたかくて美しい色なのに。
そっと息を吐いて、視線を持ち上げる。正面を向いた黄金は、僅かに温度を取り戻していた。そのことにほっとして、彼の言葉を待つ。
「…………俺が君を知ったのは、俺がチームアップで広島に訪れたときだ。そのときはまだ、君が実の妹だなんて思ってもみなかったけど」
「…………なら、どうして私が妹だと?」
「何だろうね。何となく衝動に突き動かされたというか、放っておいたら後悔しそうな気がして、色々調べてみて分かったんだ」
そうして知ってしまった真実を前に、ホークスもまた絶望した。未来ある子供の将来が、黒く塗りつぶされている。本人の与り知らぬところで。自分の妹の歩む道が、ろくでもない人間の罪で閉ざされている。きっと、彼女にも夢があるだろうに。
その“ろくでもない人間”には、自らも含まれている。公安から与えられた仕事は、表に出せないものも多かった。表沙汰になれば、大手を振って外を歩けなくなる。ヒーローのような、誰かの光となり、人々を照らす職業なんて続けられない。
「…………俺も、聞いてもいい?」
「はい、どうぞ」
「……どうして、助けを求めなかったの? さっき言ってたのが理由?」
「……そうですね。でも、もう限界だった。だから、絶望したかった。もうこれ以上ないというくらいに」
普通とはかけ離れた人生を送っている自覚はあった。普通の人生を歩んだ記憶があったから、尚更その自覚は強かった。
椿の人生を、惨めだという人がいることを知っている。教科書も制服も、新品とは程遠いものばかり。食事もまともに摂れなくて、痩せ細った身体に少女らしさはない。生え揃うことのない翼は、みすぼらしさの象徴だった。
けれど椿にとって、そんなことは絶望に値しない。失うことの辛さを、嫌と言うほど知っている。喪失への恐怖を思い出せば、かすり傷にも等しい些事だった。
だからこそ、それに値するだけの絶望を望んでいた。そうすることでやっと、椿は地獄の底へと到達できる。
「どん底まで落ちたら、私はもう少し頑張れると思ったんです。どん底まで落ちてしまえたら、後はもう這い上がるだけだと知っているから」
閉ざされた暗闇の中で光を見つけたような顔だった。目印となる星を見つけ、月明かりに照らされて、金色の瞳がキラキラと輝いている。その瞳の美しさに、ホークスはゾッとした。
―――――それを、希望だというのか。地獄の底で蜘蛛の糸を探すような、そんな、星を掴むようなことを。
あんまりだろう。希望が絶たれた後にこそ、絶望の底に落ちた後にこそ、真の希望があると信じているだなんて。そうやって這い上がることを知っているだなんて。
「―――――なら、あの家に未練は無いね?」
「ありません。私のためにも、母のためにも、私は母から離れた方が良い」
この後に及んで、母親を慮るのか。まぁ最も、未練があろうと帰すつもりはなかったけれど。
「そ、ならいいんだ。それで、今後の話なんだけど、複数パターンを想定して準備してあるんだよね」
「複数パターン……? 私はてっきり、施設かどこかに入ることになるのかと……」
「それも想定していたんだけどね……」
きちんとした養育環境に置かれた方が、椿のためになるだろう。けれど、椿は公安に目を付けられている。今まで干渉されなかったのは、ホークスへの切り札として使うためだ。あるいは、彼の
「でも、ちょっと事情が変わってね。俺が後見人として、君の保護者になる」
「後見人……?」
「そう。だから、君にはこっちで暮らして貰うつもり。学校とか、転校になっちゃうのは申し訳ないけど……」
ストン、と椿の顔から表情が抜け落ちた。
「それは、もし両親のことが世間に露見したときに、どちらを斬り捨てるため?」
「―――――……! 俺が妹を斬り捨てるわけなか!」
「つまり、私は無関係の人間ということにして、あなた一人で背負うと言うこと?」
「違う、そうじゃなくて……!」
意地の悪いことを聞いているというのは分かっている。この問いが彼を追い詰めると言うことも。けれど、聞かなくてはならない。
挑むような瞳でホークスを見上げる。ギラギラと輝く黄金に見つめられた彼は、言葉に詰まったようだった。逡巡して、不遜なイメージとはかけ離れた情けない顔で、ホークスは躊躇いがちに口を開いた。
「…………俺には、話せないことがたくさんあるんだ」
「…………うん」
「君の兄として、君を引き取れないのもその一つ。俺は、名を捨てた。
「…………そう、なんだ……」
―――――だから、名前を教えてくれないのか。椿は、ぼうっとする頭で苦悶の表情を浮かべるホークスを見つめた。
けれど、よくよく考えてみれば分かることだった。母が言っていたではないか。兄がこの家を用意したのだと。まだ年若い兄が、親の庇護無しに一人で生きていくのは難しい。その上で、ヒーローの頂点に登り詰めるなんて。きっと、何かしらの後ろ盾があって、それを可能としたのだ。その代価に、彼は家族のもとを離れ、名を捨てることとなった。
けれど、本当にそれだけなのだろうか。怪しむような色が瞳に乗ってしまったのか、ホークスが眉を下げて苦笑した。
「それだけじゃなくて、他にも色々あるんだ」
「他にも、色々?」
「俺と兄妹ってことがバレたら、“敵”に狙われることになる。これでもNo.3ヒーローだからね。“敵”からの恨み辛みはもちろん、他のヒーローからのやっかみもある。同じヒーローとしてあって欲しくはないけど、嫌がらせとかあるかもだし。まぁ要は、ヒーローの家族って言うのは、そういうリスクがあるんだ。だから、兄妹であることを周囲に知られるのは拙いってこと」
そう言えば、と以前学校で話題になっていたことを思い出す。ヒーローの家族が“敵”の一味に誘拐されたという事件だ。収監された仲間の解放が人質解放の交換条件だったはず。
狙われたヒーローはビルボードチャートの上位入賞者で、事件解決数も多い。世間からの注目度も高く、家族仲が良好であることも広く知られていた。それを理由に、家族が標的になってしまった。
世間から注目されるということは、それだけ“敵”の目にも留まりやすいということ。それがNo.3ともなれば、他とは桁違いの目が向くだろう。
また、ヒーローとて人間だ。他人を蹴落としてでも上に行きたいと考える者が出てきてもおかしくはない。流石に
「まぁ、俺が庇護してるって時点で、それも全くのゼロじゃないんだけどね」
「確かにそうかもしれませんね。学校にもいましたよ、あなたのファンの女の子」
「はは、ありがたいね~」
既に、彼のファンからのやっかみは幾度となく受けている。人の悪意に限りは無く、人の悍ましさに底はない。それを再確認する程度には、この赤い羽根を理由に好奇と敵意に晒されてきた。それを恨んだことはない。敵意や悪意を向けてきた人間に、身勝手なものだと呆れはしたけれど。
「対外的には、“遠縁の子の後見人”って言うのが妥当かな。背中を見たら、血縁であることは疑われるだろうし。“全然関わりの無いほぼ他人の親戚です“って言えば、色々と言い訳も立つしね」
「そうですね。……お互いに、知らないことが多すぎる」
「…………うん、そうだね」
確かに血は繋がっている。けれど、現状ではそれだけなのだ。今までどのように生きてきたのかなんて、一つも知らない。椿に至っては、兄の名前すら知らないのだ。知る前に、彼はそれを手放してしまった。
「私は、あなたが凄いヒーローで、優しい人だと言うことしか知らない。でも、これから知っていくことは可能です。それを、私に許してくれますか?」
「……俺は、家族ってよく分からないけれど、家族が仲を深めるのを許すとか許さないとか、そういう風に言うものじゃないっていうのは分かるよ」
「……そうですね」
お互いに柔らかい笑みを浮かべる。どちらからともなく伸ばされた手が、お互いの背中に回った。
「ホークス、これから内緒の家族として、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね、椿ちゃん」
ごく自然に抱擁を交わした二人は、よく似た笑顔で笑い合った。
その太陽のような笑顔が、永遠に咲き続きますように。二人はお互いに祈りながら、もう一度相手を抱きしめたのだった。
