倒錯者の感性
私はよくドSだと言われる。私は他者を虐げることによって満足を得る性的倒錯者でも、むごたらしいことを好む嗜虐的な人間でもない。
私のどこをとってサディストだと述べているのかわからないが、私はそれを不服に思っている。
確かに私の嗜好は世間一般から外れているのだろう。
そのことは認めよう。しかしながら、それはサディズムからはかけ離れており私をサディストと断定できるものではない。
その特殊な思考を除けば、私は平均から逸脱しない平凡な人間だ。
しかし、もしその思考を指して私をサディストだというのならば、私はそれを否定しなければならない。
私は世間の言うゲテモノが好きなのだ。
私がゲテモノ趣味に目覚めたのは、他より少し特殊な環境下で生活していたためだろ言う。
私の実家は、極道と言われる家柄だ。
堅気のかしらの一人娘として生まれた私は、その時点で降旗の当主の座が約束されていた。
堅気として育てられた私が、一般と同じ感性でいられたかと問われれば、それは否だ。現に私は風変わりなものを好んでいる。
おそらく幼いころから眺めてきた景色が、他と異なっていたからだろう。
いつ命を失ってもおかしくはない裏社会。弱肉強食の、実力がすべての広くも肩身の狭い世界。
それが私のすべてだった。
そんな世界の中で、私は常識を学ばねばならなかったし、感性を身につけなければならなかった。
こんな暗く冷たい世界の中にも希望はあり、美しいものもあるのだと、おそらく私が絶望しないように言った言葉なのだろうが、私は見つけてしまったのだ。
私の考えうる最高の美を。
一般とはかけ離れた世界の中で私が見出した美は「歪み」だった。
人の泣き叫ぶ姿や恐怖に駆られた醜い表情を、美しいと感じてしまったのだ。
おそらく理解してもらえないだろうが、私には怯えて許しを乞う姿が、まるで洗練された芸術品のように見えたのだ。
私は私が美しいものと感じるものを愛でているだけでサディスト扱いなど失礼極まりない。
私は出てもの趣味であって、決してサディストなどではないのだ!