無意識の誘惑
降旗と黒子は図書委員だ。同じ部活ということもあり、当番は2人で組むことになった。
その日の当番は放課後で、速く部活に行きたいなどと言いながら、2人そろってカウンターについた。
黒子は貸出カードの整理。降旗は古くなった本の修繕をしていた。
「い、たっ・・・!」
と、唐突に降旗がか細い悲鳴を上げた。
見れば、白い指先に、ほつほつと赤い点が浮かんでいる。
本で指を切ったのだろう。血が出ていた。
やっちゃった、というような、苦いあきれとも憂いともとれる表情で、降旗はぱくりと指を食んだ。
指をくわえたときの水音に、どくりと心臓が大きく跳ねた。
指先をなめる赤い舌に、高揚と、見てはいけないものを見てしまったような背徳感。
指と舌をつなぐ銀の糸に、興奮を覚えた自分に気づき、愕然とした。
さらに、自分の視線に気づき
「大丈夫。」
と微笑む彼に、艶めいたものを感じてしまった。
ああ、これはもう駄目だ。
黒子は自分の常識とか、セオリーとか、自分の、自分自身に対する認識の崩壊を防ぐために、極力、彼から視線を外すよう心がけた。
けれど、それが逆にいけなかった。
視線を意図的に外すためには、その人物を意識しなければならない。
その分、逆に降旗を意識するようになり、日常のふとした瞬間に、降旗の姿を思い浮かべるようになってしまったのだ。
そうなってしまえば、逆に彼に視線が吸い寄せられた。
そして見つけた降旗の癖。
人の目を見て話す。じっと見詰めた後の柔らかな笑み。
何かを口にすると必ず唇をなめる赤い舌。よく動く瞳に、良く濡れる目元。
ふとした瞬間の臆病な姿勢。自然に服の裾をつかんでいる細い指。
振り返った時、彼のその目を見て心に染み出すのは-----
保護欲。
そして、限りない愛しさがこみあげてきたのだ。
穢れを知らない純真な目を。
すがるように自分を見つめる目を、他に向けさせてはならないと、あらゆるものから彼を守らねばならないと。
自分が守らなければ、一体だれが彼を守るのかと。
彼は愛さねばならない存在なのだと、誰もが深く思っている。
黒子も、そのうちの1人だった。ただ、彼だけは、自分についた深い爪痕に気付いた、聡い少年であった。
けれど、気付いてしまったがために、より深く、彼にとらわれてしまった、哀れな少年でもあったのだ。
より深く引き寄せられてしまった黒子は、もう、後戻りなどできはしない。