【もしかして】訳あり本丸に研修に行く【ブラック?】 2






「中傷進軍ってそんなに悪いことなのかなぁ……」


 夜。研修を終え、政府に提出する報告書をまとめ終えた後のことだ。五虎退の入れてくれたお茶を飲みながら今日一日を振り返っていると、一緒にお茶を飲んでいた光忠が小さな呟きを洩らした。
 私―――椿がそちらに目を向けると、彼は湯呑に視線を落としており、その呟きは特に誰かに向けられたものではないと分かった。
 彼は今日の研修で、見習いや国永達と共に戦術の意見を交わす場に居り、今日のちょっとしたいざこざを目撃していたのだ。
 見習いに言われたことについて彼も思うところがあったのか、深く考え込んでいるようだった。私が目をむけていることにも気づかないのだから、相当深く。
 光忠の発言を聞いた五虎退は出陣する側であったため、その現場にいたわけではないが、そのいざこざについてはすでに本丸全体に話が回っており、全員が承知している。
 五虎退も気がかりがあるのか、光忠に視線を投げている。
 そこでようやく、私たちの視線に気づいた光忠が顔を上げた。


「うん? なぁに?」


 光忠は自分が声を漏らしたことに気付いていないのか、柔らかい笑みを浮かべて首をかしげている。


「心の声が漏れていたよ」
「えっ!」


 隠すのも変な話なので、正直に指摘する。
 彼はぱっと口元を隠し、照れたように視線を彷徨わせている。


「参ったな……。最近、気を抜きすぎている気がするよ……」


 気を引き締め直さなくちゃ。
 光忠の言葉に思わず持ち上がった口角を、湯呑に口をつけることでごまかす。
 この本丸は自分にとって心休まる場所であるのだと示してくれているようなものだ。それも無意識に。
 やっとここまで来たのか、と嬉しくなるのは仕方のないことだろう。少し前まで、非番の日でも戦装束をまとい、甲冑すら外そうとしなかったほどの警戒心を見せていたのだ。それが「ついうっかり」を犯すほど、気を許すようになったのだ。思わず笑みがこぼれるくらいのことは許してほしい。


(ああ、いけない。見習いの言葉についてだった)


 私の本丸に研修に来た見習いは、私と同い年で、高校卒業と同時に審神者となるべく研修を開始したらしい。それを踏まえれば、審神者の勉強を始めたのは向こうの方が先で、先輩である。それなのに後輩の私が先輩として彼女の指導役になるというのだから、おかしな話だ。


「どの程度の負傷で進軍させるかというのを、見習いは”道徳”という科目で学ぶらしい」
「どうとく?」
「そうだ」


 私の言葉を、五虎退が反芻する。
 道徳。私も心の中で繰り返した。
 道徳は、私が即戦力として数えられていたために学ぶことのできなかった科目の一つであった。ブラック本丸を数多く輩出するようになって、新たに追加された科目であるという。
 その中身を詳しくは知らないが、とりあえず刀剣男士を大切に扱うように書かれているらしい。
 刀装消失。または軽傷を受けたら撤退が推奨されているという。


「その道徳の教本には中傷以上の進軍をするのは悪いことだ、とでも書かれているの?」
「いいや? そんなことはなかったはずだ」
「じゃあ昼間のあれは彼女個人の考えってことかぁ……」


 なんだかずいぶん過保護だね? と、光忠が苦笑した。


「うちの本丸から見るとそうかもしれない。しかし君たちを大切にしたいと思っているからこそ、だ。そこは分かってやってくれ」
「うん、分かっているよ。もちろん、国永さんや長谷部君も」
「僕もです」


 柔らかい笑みをこぼした光忠たちに、私も口元がほころぶ。
 国永達が怒ったのは、何も見習いが嫌いだからじゃない。過去のことがあって、それを思い出してしまったからだ。
 双方ともに、どちらも悪くない。


「そう言えば、どうして彼女はこの本丸に研修に来たのでしょう?」


 五虎退が、ふと首をかしげた。
 彼の周りにいる小虎たちも、同じように首をかしげている。


「確かに姐様は優秀な審神者です。けれど、この本丸は始動を始めて3カ月もたっていません。それに加えて、刀剣男士もそろっていませんし、何よりブラック本丸出身の刀剣が大半を占めています。どうしてこの本丸に、白羽の矢が立ったのでしょう?」


 五虎退の疑問はもっともだ。私も同意を示すように頷く。
 私が彼らと出会ったのが、約3か月前だ。
 本丸に着任した日を始動とするならば、まだ2カ月と少し程度である。
 その上私の刀剣達は、ほとんどがブラック本丸にいた刀剣男士だ。彼ら曰く、本来なら避けるべき相手である。
 見習いが時折見せる怯えた様子や懐疑の視線は、その部分に起因するのだろう。
 この本丸が研修に向かないのは明白であるのに、見習いをよこす意図とは一体何なのか。
 つい、と視線を障子戸に向ける。うっすらと、小さな獣の影が映る。―――こんのすけだ。
 本丸と政府の中継を担う管狐は、私の視線が自分に向いたのが分かったのか、ぞわりと毛を逆立てた。


「そこのところ、政府はどうお考えなのだろう?」


 目を細めて、狐の影を見やる。こんのすけはびくりと体を震わせ、尻尾を垂れさせた。


「何の意図があるのかは、私にも測りかねます」
「担当さんは何と?」
「今日もまた、お会いできませんでした……」
「そうか」


 この本丸の担当役人は、一度この本丸に顔を出したきり、ほとんど姿を見せることはなく、やり取りのほとんどが書類か端末だ。
 忙しい方であるのは事実であろうが、この本丸に来ることを明確に避けている。現に、こんのすけに担当役人との接触を測らせようと政府に向かわせたのだが、一向に会える気配はない。


「僕らが、怖いんだろうね」


 光忠が、吐息ほどの声で囁いた。
 ブラック本丸の刀剣男士達の中には、人間を深く恨んで、人間に対して攻撃的な個体もいる。それは事実だ。
 けれど、何もここまで怯えを見せなくてもいいだろうに。


「ごめんなさい、姐様。僕たちのせいで……」


 ほら、彼らが気に病んでしまう。
 悪いのは彼らを深く傷つけた前任であるのに。ブラック本丸というものを生み出した、人間であるのに。


「君たちは何も悪くない」


 逃げ回る担当役人を捕まえて引きずってこようかと考えてしまう私は、光忠の言う”過保護”な存在なのかもしれない。
 光忠と五虎退を抱きしめながら、私はそっと苦笑した。




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