手を繋げる幸せ
「さぁ、どうぞ」
にっこりと柔らかい笑みと共に並べられたのはたった二人のために作られたには随分と豪勢な昼食だった。
そう、たった二人のために。
(この人、アホなんちゃう……?)
まさかとは思ったが、この本丸は自分達しかいなかったのだ。
自分が鈍っていたわけではないと分かってほっとしたと同時に、この審神者の無謀さにはぞっとした。
ちなみに彼女の刀剣達は万屋に行っているらしい。
何でもないことの様にそれらを告げられたが、きっと相当もめただろうことが予想できた。
「食事を取ったことはあるか?」
「……まぁ、米くらいは?」
「そうか」
自分達は付喪神だ。睡眠も食事も、本来ならば必要ない。
けれど人の身を与えられると、それに引きずられるのか、眠気は来るし、腹は減る。
そして睡眠を取らなければ不調になるし、食事を取らなければ疲労は回復しない。
だから最低限のソレらだけを取って、出陣を繰り返していたのだ。食事で満たされるというのは、よく分からない。
「じゃあ簡単に説明するか。まずはこれ。ごま豆腐とわかめのサラダ。ごま豆腐は万屋の通りにある豆腐屋で買ったんだ。丁寧に作られているから、舌触りがなめらかでおいしいよ」
一口大に切られた豆腐に、わかめが添えられた料理だ。掛かっているタレは味噌だという。
「味噌同士で被ってしまって申し訳ないのだけれど、こっちは人参とたまねぎ、油揚げの味噌汁。野菜は火を通すと甘みが増しておいしいんだ」
茶色の知るに綺麗に切られた具材が浮かんでいる。ふわふわと湯気が立ち上り、視界を揺らしている。
「で、メインはこれ。天ぷらだよ。衣をつけて揚げたもので、中身は白身魚にししとう、筍、紫蘇、舞茸、南瓜、茄子。それから小エビとそら豆のかき揚げだよ」
本当はもっといろいろな具材を揚げたかったんだけど、お腹がすいていて、と審神者が苦笑する。
そうは言いつつも、一つ一つ示して名前を挙げたそれらは、手を抜いて作られたようには見えない。丁寧に作られているのが分かる。
「君の好みが分からなかったから、普通の塩、普通の天つゆ、抹茶の塩、おろし入りの天つゆを用意しておいたから、好きな物で食べてくれ」
よう、こんな面倒なことを、と思いつつ、四つの小皿を見つめる。
塩と言いつつ普通の塩より粒が大きいところを見ると粗塩だし、天つゆに混ぜられたおろしはきめ細やかにおろされているし、天ぷらに合う物を選んでいるのだろう。もともとやる気がないのが売りの自分とは大違いだ。
「では、いただきます」
「……いただきます?」
綺麗な所作で手を合わせてぺこりと頭を下げる。
食事のときの挨拶だろうか。不思議に思いつつ真似をする。
自分が手を合わせたのを見て薄く微笑んで、審神者は箸を持った。
審神者はまずごま豆腐とわかめのサラダとやらに手をつけた。一口に斬られた豆腐をわかめと合わせて口に入れ、やっぱりおいしい、と感嘆の声を漏らす。
何から手をつけて良いものか分からず、彼女の真似をして箸を持つ。
「ん……?」
どうやって箸を持っているのだろう、と首をかしげる。
目の前の審神者はひらりひらりと力の入っていないような柔らかい所作でとても簡単そうに箸を操っている。
「上の箸は人差し指と中指、親指で持つんだ。下の箸は親指と人差し指の付け根ではさんで薬指で固定するんだよ。下の箸は動かさず、上の箸を親指を視点に人差し指と中指ではさむように上下に動かすといい」
「んん……?」
「出来なかったら行儀は悪いけれど突き刺して食べていいし、かき込んでもいい。匙とか突き匙を用意してもいいさ」
「いや、それは……」
説明を受け、見よう見まねでどうにか箸を持つ。ぎこちなくはあるけれど、どうにか形だけは見れるようになったものの、指がうまく動かない。無理に動かそうとすると箸を落としそうになったり、箸が交差してしまったり。
けれどもこれだけきれいに用意されたものを突き刺して食べるのは気が引けてしまう。
「先に食べてくれ。天ぷらは揚げたてが一番おいしいんだ。箸の練習は食べ終わってからしよう」
「……じゃあ、すんません」
上品に食べるのは諦めよう、と豆腐に箸を突き刺す。
落としそうになるのをどうにか口に放り込み、咀嚼する。柔らかくて、口の中でほどけるような感じがする。
「どうだ?」
「……嫌いやないです」
「よかった」
審神者が次に手をつけたのは筍の天ぷらだった。
抹茶の塩を少しつけて歯を立てる。さくんさくんと小気味の良い音。
自分も、と格好は悪いが箸を突きさす。さくり、と軽快な音がする。
同じように抹茶の塩をつけてぱくり。外側はサクサクで、中は程よく柔らかい。
半分は抹茶塩。半分は粗塩。
うん、自分も抹茶の方がすきやわ、と米をかき込む。
米は刺せないので仕方ない。
次は小エビとそら豆のかき揚げ。
小エビはかりかり。そら豆はほくほく。やっぱり審神者のマネをしておろし入りの天つゆで。
一緒に揚げたであろうに、どうしてこうも食感が違うのだろう。
ここで審神者がみそ汁を一口。ほっと息をついたのを見て自分も。
まだ湯気が立ち上るほど温かいそれを慎重に一口。
眼鏡が曇るのはうっとおしいが、体の中から温まる様な心地が好ましい。
「一番最初に食べるご飯は、食べることに慣れていなくて、あまり味が分からなかったと聞いたよ。君は何度か食事をしているようだからこう言ったものにさせてもらったけど、問題なさそうだな」
「……何でそんなん分かるんです? 自分、何の情報も与えてないと思うんですけど」
「腹が減るという感覚を知っていたからだ。本当に何も食べたことのない刀剣男士は、腹が減るという感覚を知らない。故に、答えすら出てこないのさ」
この本丸の刀剣達が自分達と似たような本丸にいたことは、小夜左文字の言葉で予想がついていた。
けれど、自分が思っている以上に劣悪な環境にいたということが彼女の言葉で判明した。
(なかなか侮れんお人やなぁ、この審神者さん……)
確かに機能、自分は腹が減っていない、とだけ答えた。この程度のことならば情報を与えたとは言えないだろうと、そう思って答えたものだった。なのに、彼女はそこから、こうも情報を引き出したのだ。
米を食べたことがあると答えたのはつい先ほど。昼食を用意し終えてからだ。
本当に些細なことだけで、読み取ってしまったのだ。
(この人が主やったら、大変やろうなぁ……)
ブラック本丸での彼女の無謀さを見て、顕現が解けていなかったならば、思わず声を上げていたことだろう。自分の主だったならば、寿命が縮む想いをすることは確実だ。
その上、この抜け目のなさ。隠したいことがあっても、強く輝く目と少ない情報から正解を選び出す第六感からは、逃れられる気がしない。
(でも、この人の刀やったら、きっと幸せっちゅうもんを知ることが出来たんやろうな……)
来派の、自分の大切な子らを失うことなく、差し出された手を握ることが出来ただろう。
いつくしみに溢れた錠を掛けられ、祈るように念を込められた。少しでも綺麗になるように、少しでも悲しみが薄れるように、と。
その心根があまりにも美しくて、不覚にも涙が出そうになって、この人が主だったならばよかったのにと、ほんの少しだけ思ったのだ。
だってこの人は、初めて間見えた自分の様な刀にすら、愛情を注いでくれる温かい人なのだ。そんな人が自分の刀を愛さないわけがなくて、大切にしないわけがなくて、最初から彼女のもとにいたら、きっと笑顔で迎えてもらえただろうし、迎えに行けただろう。
間に合わなかっただなんてそんなことはきっとなくて、『最期』だなんて悲しいことは言わせなくて。
今だってきっと、一緒にご飯を食べて、笑っていただろうに。
「なぁ、明石国行」
「……何です?」
「私の本丸は、刀剣を全然ドロップしない。脇差がいないから、資材の確保も難しくて、鍛刀も全然できない」
「え……」
「少しでも早く愛染国俊と蛍丸と会いたいなら、私を選ぶのはやめた方がいい」
「……は?」
寂しそうな、悲しそうな顔で、審神者が笑う。
ゆらゆらと揺れる瞳が、この審神者がまだ子供であることを物語っている。
(何で、そんなこと言うん……?)
自分は今、この人のもと習って、そんな詮無いことを考えて、どうしようもなく泣きたくなって、この人が主だったらって、愚かなことを考えていたのだ。
二人に開いたのは本心だ。
けれど武器としての本能が、この人のもとで戦いたいと叫ぶのだ。この人のもとで二人を迎えたいと。
「けれど、必ず見つけ出す」
審神者が力強い声を出す。その声にハッと我に帰り、審神者の顔を見やる。
彼女の目は先程の弱々しい光は見間違いだったのかと驚くほど、らんらんと輝いている。
「いつになるかは分からない。それでもいいなら私の手を取ってくれ。私は折れない。私は決してあきらめない。必ず君を笑顔にして見せるし、幸せにして見せる」
膝立ちになって、審神者が手を伸ばす。この手を取れというように、自分に向かって真っすぐに。
パキン、という軽い音が今にも聞こえてきそうで、ぞくりと体が震える。
パキパキ、パキン、
刀身から洩れる悲鳴は、今でも耳に残っている。
差し出された手を握ろうとして伸ばした手は空を切った。
空を切った虚しさも、床に落ちた軽い音を聞いた絶望も、全部全部覚えている。
自分が手を伸ばしたら、この人も折れてしまいそうで、怖い。
「今、私の手を取れなくてもいい。君がこの手を取ってくれるまで、私は手を伸ばし続ける。必ず、この手を取らせてみせる。愛染と、蛍丸の手も!」
選んでくれ。今ならまだ、私は君を手放せる。
そう言った彼女の声は震えていた。
きっとこの審神者は怖いのだ。この手を取ってもらえないことが。この手を取ってほしいと思っているから、この手を取ってもらえなかったら、深く傷つくと分かっているから。
(それは、ちょっと嫌やなぁ……)
刀すら向けて、刃を当てて、きっと怖かっただろうに。それでもなお自分に尽くしてくれて、愛してくれて。
そんな人を傷つけたいとは思わない。
けれど、
(やっぱ、怖いなぁ……)
どうしたって、耳から離れない音がある。刀の折れる、残酷な音。それが自分がこの手を伸ばすことで、この人からも聞こえてきそうで、どうしようもなく恐ろしい。
でも、自分はこの手を取りたい。この人のもとで、二人と一緒に戦いたい。
この人のもとでなら、きっと笑えるし、幸せになれると思うから。
「ほんまに……壊れませんか……?」
「ああ、もちろんだ」
「絶対?」
「ああ」
「嘘やないですか?」
「嘘じゃない。私は、絶対に壊れたりしない」
じわじわと視界が滲む。体の震えは止まらない。
呼吸が可笑しくなるくらいの恐怖心。
けれどそれ以上に、この人の手を取りたい。この人のもとで、二人の手を。
「大丈夫だ、明石国行」
優しい声が落ちてくる。包み込むような、温かい声だ。
「私は絶対壊れたりなんてしないから」
差し出された手は大きいような小さいような。少し荒れていて、自分と同じところの皮膚が硬くなっているようだった。
それ以上は眼を開けていられなかった。ぴしぴしと体に入る罅が今にも見えてきそうで、怖かったから。
ゆっくりと手を伸ばす。目を閉じる前の目測からするに、あとほんの一寸手を伸ばせば、審神者の手に触れる。そのほんの一寸が、怖い。
「大丈夫。絶対、大丈夫だから」
声が聞こえる。そこにいることを示すように。その存在を証明するかのように。まだ壊れていないというように。
「だから、この手を取って、国行」
「―――――……っ!」
何としてでも手を取らなければならないと思った。その声があまりにもあのときの二人のものと似ていたから。
愛しさだけをひたすらに詰め込んだ、柔らかい声だった。
ぱしり、と手に物が触れる感触。温かくて、やわらかい。
ギュッと力を込めると、それも自分の手を握り返してきた。その感覚に、目頭が熱くなる。
「国行、目を開けてくれ」
促されるままに、目を開ける。
自分が手を伸ばしても、彼女は折れずにそこにいた。手を握っても、壊れることなく。その事実に、涙が溢れた。
「う、ぁ……、う……。うぅ~……」
「怖かったな。無理をさせてすまない」
自分の手を握ったまま、審神者が自分の隣に座る。
子供をなだめるように優しく髪を撫でつけられ、涙が止まる気がしなかった。
「よかった……! 折れんかったぁぁ……っ」
「うん、私も手を握ってもらえて、嬉しかったよ」
「ひぅ……っ、う――……」
「私の手を取ってくれて、ありがとう」
目尻を撫でられる。
何もかもが優しくて、温かくて、この手を取れて本当によかったと、心から思った。
「一緒に迎えよう。愛染と、蛍丸を」
「う゛ん……!」
促されるまま、肩口に顔を埋めて、涙を流す。
ひきつれた喉は辛いけれど、背中を撫でる手が温かくて、少しずつ落ち着いてくる。
「はぁ……、どうも、すんま、せん……」
「うん?」
「自分、明石国行、言います。どうぞ、よろしゅう……っ」
まっ、お手柔らかにな? と、笑って見せる。審神者、いや、主曰く、笑えてはいないらしいけれど。それでも、今自分にできる精いっぱいの笑みを乗せる。
突然の名の利に、主さんは酷く驚いているようで、ぽかんと呆けている。
「それから、刀向けて、ほんま、すんませんでした……!」
主然とした堂々とした姿は威厳があるが、不意打ちを食らった顔はやっぱり幼い。
そんな人に、自分は刀を向けたのだ。怖かったろうに、それでも自分と向き合ってくれた相手に。
「ほんま、すんません……っ!」
きっちりと頭を下げる。
すると主さんは、ポン、と肩に手を乗せた。
「許す、許すよ。だから気に病むな。そんなことより、これからよろしく頼むよ、国行」
そんなことって、と驚いて顔を上げる。
顔を上げた自分を見て笑う主さんの顔には、負の感情なんて一つもなくて、思わず脱力した。
「この程度のことでいちいち怯えていたら審神者なんてやっていられないんでな。それに、謝ってくれたんだから、それで十分だろう?」
「……そういうもんなんです?」
「私はそういうものなんだよ」
にっこりと笑って、主さんがもう一度目尻を撫でる。
「涙、止まったようだね」
「えっ、」
満足そうに笑って、もう一度髪を撫でられる。
本当に、いつの間にか涙が止まっていた。
「涙も止まったし、ご飯を食べよう。それから箸の練習をして、二人でゆっくりしようか。それから一緒に夕飯を作りながらみんなの帰りを待とう。そして明日の話をしよう。少しでも早く新たな刀剣達を迎えるために」
「……はい」
席について、再び箸を取る。
料理はすっかり冷めてしまっていたけれど、丁寧に作られたご飯は冷めてもおいしいものだった。
「なぁ、主さん」
「うん?」
「不安になってもうたら、また手ぇ伸ばしてええですか?」
「もちろん、いくらでも」
絶対握ってあげるよ。
その優しい言葉に、また涙が溢れた。