手を繋げる幸せ
『気をつけて。何か異変を感じたらすぐに知らせるんだ、いいね?』
そう言って真剣な顔をした都さんの顔が目に浮かぶ。声が反芻される。
何度も繰り返される心配の言葉に、すぐに知らせるとの約束をかわし、私は都さんを送り出した。まさかその後すぐに新たな問題を抱えることになろうとは、彼も夢にも思わなかったことだろう。
(やはり君も、傷があるんだな……)
思わず天を仰いだ私の腕の中には、気を失った明石国行がいる。
* * *
『どうして加州を打ち直すのに明石国行を顕現してはいけないんだ?』
時は少しさかのぼる。加州を打ち直す前のことだ。
同じ本丸の仲間だった刀として、加州の打ち直しに明石国行にも同席してもらおうと彼を顕現しようとして、三日月達に止められたのだ。曰く、明石国行は自分達にもよく分からない刀である、と言って。
『明石国行は俺たちよりも先に顕現された刀なのだ』
三日月が言うには、三日月は明石国行よりも後に顕現され、岩融は幾振り目かの岩融で、三日月よりもさらに後に顕現されたのだという。
加州も明石国行が顕現された時本丸に折らず、詳細なことは本人にしか分からないのだそうだ。
唯一分かっているのは、彼の顕現前後から、来派の刀剣を見なくなったという。おそらくは折れたのでは、とのことだった。
『……分からない刀、というのはどういう意味だ?』
『何のために戦場に行くのか分からない、という意味だ』
彼らが戦場に行く理由は、戦いに勝つためだ。
けれど、その戦場に行く刀はブラック本丸で苦しんできた刀である。別の理由が出来てもおかしくはないのだ。
明石国行は何も言わず、ただひたすらに戦場を駆ける刀であったという。
審神者が本丸を去ってからも、一人で出陣を続けたのだという。霊力が切れ、顕現が解けるまで。
『折れたいがために出陣するのか、仲間を探して戦っているのか。俺には判断がつかん。俺にはどちらにも見えたからな』
『……それを、尋ねてみたことは?』
『あるさ。答えてはくれなかったがな』
『そうか……』
『だから、生きたいのか死にたいのか、それがはっきりするまで、明石を注意して見られる環境下に置いてほしかったのだ』
彼らの言わんとしていることが分かった。彼らも、仲間を失うのはもう嫌なのだ。
だから折れたいと思っているならどうにかしてあげたいし、仲間を探しているなら一緒に戦いたいのだ。彼らには、明石国行の苦しみが分かるから。
『分かった。明石国行の顕現は加州達を打ち直してからにしよう』
『すまない、主』
『ありがとう』
そして明石国行の顕現を後にして加州達の打ち直しを行ったのだ。それから明石国行を顕現したのが。
(確かに、少し様子がおかしかったな……)
腕の中の明石国行に目を落とす。気を失った彼の顔は手入れを行った後であるにもかかわらず、焦燥しているように見えた。
(顕現した時も笑えていなかった……)
関西弁で自己紹介をした彼はほとんど表情がなかった。どうにか笑おうとして、口角を上げようとしているのは分かったが、その口元が笑みをかたどることはなかった。
手入れや加州達のことで礼を言われた時も、みんなで本丸を案内した時も、一度たりとも。
彼はきっと、笑顔という表情を理解していないのだ。笑うということを覚える前に、捨ててしまったから。
彼はきっとたくさんのものを捨ててしまったのだ。
食事もいらない。睡眠も必要ない。ただ欲しいのは戦場への道だけ。
全てを捨てているように見えて、彼は酷く貪欲に渇望している。
(そうして、どうなりたいんだろう)
生きたいのか、死にたいのか。それとも、もっと別の何かがあるのか。それを、確かめなければ。
「急なことで悪いんだが、明日一日、彼と二人にしてくれないか?」
明石国行を布団に寝かしながら言った私の言葉に、空気がざわりと揺れた。
「他に護衛もつけずに、ですか?」
宗三が低く唸る。そうだ、と強くうなずけば、彼は唖然とした。
その反応は理解できる。明石はなかなかに油断ならない刀であるからだ。
腹が減っていないから食事はいらない。まだ眠くないから睡眠は必要ない。そう言って、彼はすべてを断った。
彼が自ら求めたのは戦場へ出ること、ただそれのみだった。そんなことをしている暇があったなら戦場に出たいと、彼の若葉色の瞳が雄弁に語っていたのだ。
そして虎視眈々と狙っていた。私が一人になる瞬間を。
明石国行は私に刀を向けたのだ。戦場への門を開けさせるために。
僅かながらに漏れ出た殺気に国広達が気づかないわけもなく、すぐに昏倒させられたのだけれど。
そんな彼と二人きりにするのはやはり不安なのだろう。皆一様に渋い顔をしている。
「こいつは狡猾です。一旦友好的な姿を見せて、姐様に刀を向けた。油断ならない男です」
「頼もしい限りじゃないか」
「姐御っ!」
長谷部の言葉に、薬研が咎めるような声を上げる。
ブラック本丸の刀がどういった行動に出るのかは、自分達が一番よく知っている。先程彼が私に刀を向けた理由も。
(きっと彼は、私を従わせようとしたんだ……。いつでも、いくらでも戦場に行けるように)
それが何を意味するのかを知らなければならない。
厚たちの私を守ろうとしてくれる気持ちは嬉しい。
けれどその気概は、今の明石国行には敵意でしかない。
彼らの気概を害意だと判じられれば、溝は深まり、より反発するだろう。
それでは駄目なのだ。これから仲間になるかもしれない相手なのだから。
「君たちは、どこまで私を信じられる?」
私の目を、勘を、経験を。
何の確証もない。不確かなものばかりだ。”絶対”の約束はできない。
そんな不誠実は私を、どこまで。
そう言って彼らを見回すと、岩融達は肩を跳ねさせた。
「君たちは、どこまで私を信じてくれる?」
刀剣達が激しく動揺しているのが分かった。
彼らが私を信頼してくれているのは分かっている。その上でこんなことをいうのは卑怯だろう。それでも私にだって譲れないものはある。
彼らを引き取った責任が私にはある。主として、人としての責任が。
だから、ここは譲れない。
真っ直ぐに目の前の彼らを見つめる。すると、奥の方でただ私を見ていただけだった国広が、大きく息を吐いた。
「あんた、ずるいな。そんな風に言われては、俺たちが引き下がるしかないことを分かっていてやっているだろう」
「彼らを引き取ったのは私だ。最後まで面倒を見るのが筋だろう」
「……否定しないんだな」
「だって、どっちも本当のことだ」
彼らが私を信頼してくれていることも。その信頼を利用していることも、どっちも。
酷い奴だ、と思われているかもしれない。
けれど、多少酷いことも出来ないとやっていけないだろう、戦争なんて。
そんな私の考えが透けて見えたのか、国広がもう一度大袈裟に嘆息した。
「まったく、酷い主だ」
「自覚はある」
むっすりと不満げな表情をする国広に、思わず苦笑する。
その一瞬の気の緩みを気取られたのか、国広が距離を詰め、目の前に膝をついた。
「酷いことをしているという自覚があるのなら、少しはこちらに譲歩してくれてもいいだろう?」
こてり、と首をかしげて国広が笑む。
君こそ卑怯だ、と思わず苦い笑みが漏れる。ご飯を少しだけ多くねだるときと同じ、期待と不安がないまぜになった目をしてこちらを見上げているのだから。
私たちがその目に弱いことを無意識に知っていて、無意識にそれを利用しているのだから。
何て罪深い刀なんだろう。全部叶えたくなってしまうじゃないか。
「……君の提示する条件を聞こう」
「!」
ぱっと表情が輝く。そして握っていた本体をこちらに差し出し、私の手に握らせた。
「これを本丸に置いていくことを許可してほしい。それが条件だ」
「……は?」
これ、と簡単に言うが、本体は彼らそのものだ。いわば命だ。それを置いていくということが、どれほどのことを意味するのか分からないほど、私は愚かではないつもりだ。
「何かあったら、俺の顕現を解いて、もう一度顕現し直してくれ。そうすれば、こちらに召喚される形で顕現される」
本体を自分から離すことに不安はないのかと聞きたくて、でもうまく言葉が出てこない。
普通の本丸では、基本的に刀剣達に帯刀させないらしい。刀剣達もそれに異論はないようで、必要時以外は自室に置かれていることがほとんどだそうだ。
けれど私の本丸は私は許可しているからか、前回の本丸のことがあるからか、本体を常にそばに置く。
だからきっと、本体を離すのは怖いのだろうと、そう思っていた。けれど、それでも、彼は。
(君たちの信頼と私を大切にする想いには、いつだって驚かされる)
―――私を守ろうと、本体すら手放すのだ。
(私の負けだな……)
思わず天を仰ぐ。喉の奥で、くつくつと苦笑が漏れた。
苦笑を収め、くっと口角を上げ、国広を見据えた。
「いいだろう。その条件、飲もうじゃないか」
「! 本当か!?」
「ああ」
でも、と続けようとした私の言葉は、私と国広のやり取りに呆気にとられていた残りの刀剣達が一斉に私に本体を押しつけ出したことで遮られた。
まだ続きを言っていないのに、気が早いなぁ、と苦笑する。それとも、そんなに私が心配なのか。そんなに、私を守りたいと思う気持ちが強いのか。
だったら、まず守るべきものは、己だ。
「全員は駄目だ。本体を持たない君たちが襲撃でもされたらひとたまりもない」
私に何かあった時に駆けつけたくば、まずは自分の身を守ることだな。
私の言葉に誰が本体を置いていくか決めるために、盛大なじゃんけん大会が催されることになるのだが、それはまた別の話だ。