手を繋げる幸せ
「今回の事件、もしかしたら人為的なものが関わっている可能性がある」
常からは考えられない険しい表情で告げたのは私―――姐さんと呼ばれる審神者―――の先輩に当たる審神者、都さんだ。
ゲートの故障でブラック本丸に飛ばされてしまった私を深く心配してくださり、こうして本丸を尋ねてきてくださったのだ。
そして私や小夜の無事を確認し、一息ついたところで冒頭の言葉を斬りだしたのである。
隣で今日の近侍である一期が凄まじい殺気を纏ったのが分かった。視線だけで諌めると、すぐに落ち着きはしたけれど。
私が都さんに続きを促すと、都さんは言葉選びが悪くて申し訳ないけれど、と一つ前置きして続けた。
「本丸のゲートってのはただの出入り口じゃない。時間と空間を超え、刀剣男士を送り出すための装置だ。ゲートの故障なんかで出陣が滞ってはゲートを作った意味がない。だから、そう簡単に壊れる代物じゃないんだよ」
本来は、と不穏な言葉を呟いて、都さんは厳しい表情で私を見据えた。その顔色ははっきり言って、良くない。
都さんは心配症のきらいがある。都さんの顔色が悪ければ悪いほど、私にとって良くない結果が待っているのだろう。
都さんの近侍の歌仙も、普段の穏やかな表情は消えうせ、眉間に皺を寄せている。
「そこで俺が立てた仮説は三つ。一つ目は本当にただのゲートの誤作動。二つ目は何らかの意図を持って政府が行った可能性。三つ目は前任者一族の逆恨みだ」
唐突に出てきた前任の名に、膝に乗せていた指先が跳ねる。それに気づいた一期がこちらに視線を向けるが、同じように視線を向けることで制した。
特に大きな問題はない。ただ、怒りが芽生えただけだ。もう縁すらも斬ったのに、それでもなお私の刀達を苦しめるのか、と。
けれどこれは仮説の話。一期の目を見て、どうにか自分を落ち着けた。
「まず一つ目。俺はできればこれであって欲しいと思ってる。直せばそれで終わりだからね。けれどこれの可能性は低い。政府が調べた結果を見る限り、設計ミスも誤作動を起こしたデータも残っていなかったようだしね」
役人たちから提出された報告書を見るに、ゲートは正常であるとされていた。
原因究明に努めたが、原因となるものすらない、とゲートの管理者たちも首を横に振ったのだ。必要はなかったが、一応メンテナンスはしておいたから大丈夫だろう、と。
無責任すぎると思ったが、ゲートは正常であると結果が出た以上、それ以上の対応をするつもりはないらしく、抗議の声に聞く耳を持ってもらえることはなかった。
私自身で何度かゲートをくぐってみたが正常に作動したし、出陣をしないわけにはいかないので出陣もさせているが、どうしたって不安は残る。また何かあったら、と私も刀剣達も心が休まらない。
「次に二つ目。政府が君にブラック本丸を立て直させようとして意図的にゲートの行き先を変更した、というものだ。突飛だけど、可能性としては低くないだろう。それだけ政府はブラック本丸に辟易しているし、データの管理は政府が行っているから、いくらでも偽造が可能だからね」
今度は、一期が気を高ぶらせた。次は私から目を向ける。こちらの視線に気づいた一期がばつが悪そうにうつむき、小さく息を吐いた。
多少落ち着いたことを確認し、再度都さんに向き直る。彼は努めて冷静に言葉を続けた。
「けれどこれも三つ目の可能性よりは高くない。ブラック本丸出身の刀剣男士から主たる君を取り上げるメリットが見えないんだ。周囲の人間から見たら、ブラック本丸出身の刀剣男士というのは手に負えない存在として映ることもある。それを抑制している君を彼らから奪うだなんて自殺行為だ」
刀剣男士にとって主というのは特別だ。それは私の本丸の様な特殊な主従間でも同じこと。私に危害を加えようとすれば、刀剣達は牙をむく。
何かしらの事件や問題があった場合、それらはすべて報告書にまとめられて政府に送られる。だから政府はそのことをよく知っているはずなのだ。主の害となるものはすべて敵と認識する刀剣達の非情さも。
「……メリットどころかデメリットしかないですね。今回はブラック本丸にいた刀剣が良心的だったから良かったものの、最悪の場合審神者を一人失い、十三振りもの刀剣が敵に回ったでしょうし」
「あ、そこに俺の本丸も加えて」
「政府は本当に命拾いしたよね」
都さんと歌仙が笑みを浮かべ、冗談めかしたように告げる。けれど二人の目は完全に据わっていて、とてもじゃないが笑えない。
政府は本当に命拾いをしたのだろう。何せ私一人の死で六十を超える敵を作ってしまうところだったのだから。
「そして三つ目」
笑みを消し、都さんが厳かに口を開いた。
「俺の見立てでは前任者、または前任者一族の逆恨みの線が一番濃厚なんじゃないかと思ってる。前任は力のある家柄なんだろう? それならば政府内部に繋がりがあるだろうし、いろいろと精通している部分もあるだろう」
ありえない話ではない。役人やこんのすけを良い様に扱えるだけの力はあったのだから、それなりの家の出であったのは確かだ。政府内部にあの男と繋がりを持つ人間がいてもおかしくはない。
そして何より、あの男は自分が審神者になれたという事実を特別視していた。そんな自分は選ばれた特別な存在であると、そんな思想を持って。その地位から引きずり下ろした私を怨むのは、あの男ならば十分にあり得る。
「逆恨みというケースは非常に多いらしい。聞いた話によると自分の持っていない刀剣を持っている審神者に嫉妬して暴力をふるった審神者もいるんだとか。ブラック本丸を運営していた審神者が自分の刀剣を奪ったと言って後任を襲撃したり、呪いを掛けた審神者までいるそうだ」
聞くに堪えないよね、と言って都さんが嘲笑にも似た冷めた笑みを浮かべる。
「話を聞くに前任は物騒な思想を持っていたようだし、それが一族全体の考えなら、そちらの方が君を逆恨みした可能性もある。ありえないとは言えないだろう?」
「はい。おおいにありえますね」
「そんな堂々と言い切れるほどなのかい……」
「最悪ですな……」
私の返答に、歌仙と一期が顔をしかめる。
三つの中で、三つ目が一番可能性が高い。何故今まで思いつかなかったのかが不思議なくらいに。
「……君はいい子すぎるのが問題だね。傷つけられたって傷つけようという考えに至らない。だから傷つけようとする人間の考えが分からない。逆恨みの可能性があるなんて思いもよらなかったろう?」
「……はい」
「それがいけないことだとは言わない。けれど悪い考えを持つ人間を相手にする場合、それは大きな隙になる」
それは君の魅力でもあるけれど、致命的な弱点でもある。
そう言った都さんの言葉は厳しいものであったが、表情は悲しげなものだった。
「君はこの戦争には向かないよ。敵は歴史修正主義者だけじゃなない。悪意を胸に宿す人間すべてだ。人間は君が思っている以上に残酷で、容赦がない。悪意に疎い君では、いずれ悪意に潰される。今ならまだ、引き返せるよ」
引き返す道など、最初からありはしない。全てを置いて、私はここにいる。
審神者をやめるとなれば、過去から来た私の命の保証はないし、何より刀剣達を置いていくことなどできない。
確かに私は戦争には向かないだろう。自分自身甘い考えを持っていることは分かっているし、都さんのいうように考えが及ばないことも多々ある。
心だって脆くて、何度折れかけたか分からない。
けれどどうしたって、引き返すことだけはできない。例えそこに引き返すための道があったとしても。
「例え心が削がれようとも、魂に爪を立てられようとも、私は決して引き返しません」
「失うばかりの戦いだとしても?」
「それでも私は、彼らとともに戦いたい」
真っ直ぐに都さんを見つめると、彼は目を見開いた。
修羅の道であることは分かっている。生半可な覚悟では刹那の間に失ってしまうということも。
それでも私は彼らと在ることを捨てられないのだ。
「それに、得られたものもありますよ」
確かに私は、この戦争に関わることで両親と平穏を失った。
けれど失ってばかりじゃない。かけがえのないものもたくさん得られたのだから。
「私と共に在ることを望んでくれた仲間達。厳しくも優しい管狐。後輩と呼んで微笑んでくれる刀剣達。そして私を心配して、心を砕いてくれる先輩。大切で、守りたいもので、私の両手はいっぱいです」
素敵でしょう? これらはすべて、審神者になって手に入れたものなんですよ?
そう言って笑ってみせると、都さんはゆるゆると瞼を降ろし、仰々しく息を吐いた。
「まったく、君って子は……」
やれやれ、と肩をすくめて呆れながらも、都さんも歌仙も、その顔は優しく微笑んでいた。
「姐様なら、大丈夫ですよ」
そうきっぱりと言い放ったのは一期だった。
「私共が居りますので」
いつも優しな微笑を浮かべるだけの顔が、珍しく強気な笑みを浮かべていた。
「姐様はそのままでいてください。得意不得意は誰にでもあるもの。それを補って支え合うために私たちがいるのですから」
「一期……」
少なからず強張っていた物が和らいだ気がした。思わず緩んだ口元に、思いの他、一期が嬉しそうに笑う。
一連の流れは彼に思った以上の心配を掛けていたのだろう。
申し訳ないと思うけれど、ここで言う言葉はこれだろう。
「ありがとう、一期。頼りにしてるよ」
「はい、もちろんです」
笑い合う私たちを見て、都さんたちも笑みを浮かべた。