尊いものたち






 俺―――三日月宗近と岩融、明石国行が新たな主の本丸に来た翌日。加州や折れた仲間達を打ち直すこととなった。
 新たな刀を作るに当たって、それに付き添うこととなったのは俺と岩融、明石、小夜左文字の四振りだ。明石は俺たちの希望で、刀を打ち上げてから顕現することになっているので、顕現は解かれたままであるが。


「これは……芯鉄に使えるものですよね?」


 俺たちの主となった審神者の問いに、鍛冶場の精が頷く。
 まず玉鋼は赤くなるまで熱し、薄く打ち延ばし、水に入れて冷やす。これを水へしという。
 そして板状になった物を細かく割り、選別していく作業に移る。
 玉鋼は一つの塊の中でも成分に偏りがあったり、余計な物を含んでいたりするので、必ず行われる作業だ。
 彼女らは、今それを行っている。
 主はこの手の筋は良いらしく、鍛冶場の精たちは満足げに頷くことがほとんどで、首を横に振ることは少ない。


「主は彼らには敬語を使うのだな」


 ふと、岩融が呟く。確かに俺たちには親しみを込めて声を掛けるが、彼らには敬意を払って話しかけている。
 だからと言って、俺たちを侮っているわけでも、敬意がないわけでもないが。


「普段は僕たちに声を掛ける様に話すよ。今日は多分、特別。彼らに教えを請う立場だからだよ」
「なるほどな」


 岩融が納得したところで、再度主に目を向ける。彼女はすでに次の作業に移っていた。
 てこ棒という鉄の棒の先端に選別した鋼を積み重ね、和紙で包み、藁灰をまぶし、泥汁を満遍なくかけて火床に入れる。これを積み沸かしというのだが、この作業が重要で、沸かしに失敗するといくら鍛錬しても良い地鉄にはならないと言われている。
 これはさすがの主にも手伝わせることが出来ないため、刀匠役の鍛冶場の精の手伝いとして、てこ棒を支える役を刀匠とともに行っている。
 次は芯から湧いた鋼を火床から取り出し、叩いて鋼を固めていく作業だ。これには向こう鎚が必要で、本来は一番腕の立つ弟子の二、三人が努めるものだ。
 本丸の刀鍛冶の実力は拮抗しているため、それぞれの作業を交代して行っているようであるが。
 ここからは主は弟子役を担う鍛冶場の精の手伝いに移る。といっても、ここで力加減を間違うと鋼がまとまらなくなってしまうので、弟子が振るう鎚に手を添えるだけであるが。


「……人間は、あんなに真剣な顔をして僕達を作ってくれたんだね」


 小夜の言葉に我に返る。言葉も忘れ、主の姿に見入っていたのだ。刀を打つその姿が、あまりにもまっすぐであったから。刀と一体になっているようにも、刀そのものとなったようにも見えるほどに。


「そのようだな……」


 打たれる側である俺たちにはそうそうお目にかかれない光景だ。無心で鋼と向き合う姿は勇ましく、そして美しい。
 いぶられる様な熱の中、自分の魂を分け与えるかのような賢明さで鋼をうち、叩きのばしを途方もなく繰り返す。そうして一本の刀を作り出すのだ。
 千年の時を経てなお、その技術は受け継がれ、今なお絶えることはない。刀を振るう文化はとうの昔に廃れたというのに。それでも刀を作る技術はなくならない。それは今でも俺たちを必要としてくれる人間がいるということに他ならない。


「俺たちは愛されているのだなぁ……」


 あんなにも懸命に鎚を振るい、どこまでもまっすぐに鋼を見つめる。そしてうまくいったと分かった時のまばゆいばかりの笑みと言ったら。


(―――なぁ、加州。俺たちは愛されておるよ)


 全ての人間がそうとは限らない。けれど、この人は間違いなく、俺たちを愛してくれている。
 物言わぬ鋼に、こんなにも心血を注いでくれるのだから。





 刀が完成した。刀種は太刀。赤と黒の刀だ。
 鞘尻から三分の二程が緋色で、少しばかり色味の違う赤で紫苑の花がまぎれるように描かれている。
 傍で眺めなければ分からないほどささやかな弔いの花。
 この鍛冶場の職人たちは、なかなか憎いことをする。
 柄は猩々緋だ。
 落ち着いた赤が印象的な加州とは違い、目の覚めるような赤だ。
 きっと加州を思わせながらも、主に似合うよう仕立てたのだろう。
 やり切った、というように笑う鍛冶場の精は、早速刀を握る主を見つめ、満足げに頷いている。
 刀は主によく似合っている。
 目の覚める赤は、彼女の鮮烈な魂のよう。燃え盛る炎の様な苛烈な生きざまを表しているようだった。


「これが私の、守り刀……」


 主が、太刀を腰に携え、すらりと刀を抜く。
 乱れ刃の、反りの深い立派な太刀だ。そこに魂が宿っていないことが、不思議なくらいに。


「すごく、しっくりくる……」


 主が真横に一閃、凪ぎ払うように刀を振るう。
 何故、というように刀を見つめる呆然とした顔は、年相応のものだった。


「太刀は、私には重いはず……」


 この肉の体は刀を振るうために作られたものだ。増して俺たちにとって刀は自分そのものであるから、それが重いなどということはない。
 けれど主は女性だ。一般的な女性よりはたくましい肉体をしていても、女人の腕に刀は重い。男の象徴とされる太刀の様な刀なら、なおさら。それなのに太刀が自分に作られたかのように振るえるのが不思議でならないのだろう。
 けれど俺は、そう不思議なことではないと思うのだ。


「主が先ほど、自分で言っていたではないか」
「え?」
「それは主の守り刀だ」


 加州は言った。大切なことを思い出させてくれた彼女に報いたいと。
 けれど自分は彼女の刀にはなれないから、自分の唯一残せるもの―――溶かした資材で彼女のためになるものが出来たら、と。
 それが、この刀なのだ。
 彼は、主自身や、主の愛する者たちを守るために力を貸したかったのだろう。愛するということを思い出させてくれた彼女のために。
 だからその使い手となる主にとって、使いやすくて当然なのだ。
 なぜならその根底には、主の―――人の役に立ちたいという想いがあるのだから。


「お主に使ってもらうために生まれ変わったのだ。お主に添うように作られるのは当然だろう」


 俺の言葉に、主が目を瞬かせる。
 主が視線を横にずらし、岩融を見る。岩融も頷くと、主はそろりと刀に視線を落とした。


「……君も、君たちも、私が主でかまわないのか?」


 くすくすと笑いながら、主が頬を上気させる。それは宝物を手に入れた子供のようで、酷く微笑ましい。


「ありがとう……」


 主はその刀を、とても大切そうに、優しく抱きしめた。


「―――あ、」


 桜が、舞った様な気がした。嬉しそうな主の心に呼応するように、ひらりひらりと舞う薄紅が。
 俺や岩融達ではない。主は人間であるから、誉桜を纏うことはない。
 では、一体どこから。


「え、」


 隣に立つ小夜から、息を飲む音が聞こえた。
 桜吹雪の出所を見つめ、驚愕をあらわにしているようだ。俺と同じように。
 ひらり、ひらり。主の背後から、主を包むように花びらが舞う。そこには桜よりも儚い、刀の気配がした。


『”ありがとう”は俺のセリフだよ』


 くすくすと柔らかい笑みが空気を揺らす。


『俺の願いを叶えてくれてありがとう』
「かしゅっ……!」


 振り返ろうとした主の肩に、そっと手が置かれた。
 肩に置かれた手は実体などないはずなのに、振り返ることを許さない力強さがあった。振り返るなと、前を向けと。
 主にもそれが伝わったのか、主は無理に振り返ろうとはしなかった。


『三日月達も、俺のわがままを聞いてくれてありがとう』


 それはこちらのセリフだ。
 そう言いたいのに、言葉が出ない。どうやって声を出していたのかも忘れてしまったかのように。


『大丈夫、』


 ちゃんと伝わってるよ。
 うっすらと見える口元は、確かに笑みを浮かべていた。


『俺、めちゃくちゃ愛されてるね』


 ―――ああ、そうだとも。
 お主は愛されている。魂を持たぬ鋼になってからも、変わらずに求められるくらいに。


「当然じゃないか」


 主が肩に置かれた手に、手を重ねる。
 その手が実際に重なることはなかったが、それでも主は幸せそうに笑っていた。


「自分を愛してくれる相手をどうして無下にできる。どうして愛さずにいられる。こんなにも優しい君を」


 私には無理だ。どうしたって愛してしまう。
 主はそう言って困ったように眉を下げた。しかしその顔は全然困っているように見えない。むしろ困らせられることさえも愛おしいというような、そんな顔をしている。
 そして、高く刀を掲げた主が力強く言った。


「なぁ、加州。私は忘れない。人を愛してくれた刀がいたことを。人のために在った刀達がいたことを。この刀に誓うよ」


 ふ、と表情を緩め、主の纏う空気が変わった。


「君は私を心配してこうやって会いに来てくれたのだろう? けれどもう大丈夫だ。私には仲間がいる。この刀がある。だから私のことは心配しなくていい。君は自分の信じた道を進んでくれ」


 主が笑顔で加州を振り返る。加州はそれに少したじろいだが、主は譲らない。真っ直ぐに紅色の瞳を見つめて、彼女は言った。


「君は本当に、優しい刀だね」


 触れられない加州の代わりに、守り刀を抱きしめる。
 抜き身であったが、それが主を傷付けることはなかった。


『……抜き身の刀を抱きしめるなんて、本当無茶するよね。何のためにそれを残したと思ってるのさ』


 加州が呆れたように息を吐く。けれど、その呆れたように瞳の奥に、人が愛しくてたまらないという様な、優しい色が浮かんでいた。


『……もう、大丈夫なんだね?』
「ああ」
『そっか、』


 にぱ、と釣り目気味の目が弧を描く。空元気でも何でもなく、純粋に、嬉しそうに。


『じゃあ俺行くから』
「ああ」
『またね!』


 ふわり、と花びらが舞う。今度は薄紅ではなく、淡い紫。
 桜よりも細身で、ささやかな花弁。―――紫苑の花びらだ。


「これは忘れるなというメッセージか、忘れないという誓いか……」


 くすくすと主が楽しげに笑う。
 彼女が見えげた先には、もう加州の気配はなかった。それでも、彼女は笑みを浮かべていた。
 刀を鞘に収め、帯から引き抜く。もう一度両腕の中にしっかりと包み、主が言った。


「決めた、」


 主がくるりと俺たちを向く。


「この刀の名は”紅紫苑”」


 ―――強気な紅色の装いだけど、本当は存外寂しがり屋で愛されたがりな彼にぴったりだろう?
 加州を思わせる紅色で描かれた紫苑の花。忘れないという誓いと共に主が咲かせた、弔いの花の名だ。
 人を愛した刀達が確かに存在がしたことを。忘れないという誓いを立てたことを忘れないための名前だった。鮮烈でいて美しい、主にもとても似合う名前だ。


「ああ。とても良い名前だ」


 俺たちが深く頷くと、主は嬉しそうに笑った。
 眩しい笑みを浮かべる主には、やはり生命の色がよく似合う。




4/4ページ
スキ