尊いものたち
中庭に踏み込んできた役人たちは、やはり姐様に敵意の眼差しを向けていた。
数は七人。姐様の味方をしてくれそうなものはいない。
「この者が貴方が加州清光様を刀解しているのを見たというのだが、本当だろうか?」
そう言って姐様を睨みつけたのは、男の役人だった。
証言者は男の隣に立つ小柄な女の役人の様だ。男よりも鋭い目つきで姐様を睨んでいる。
姐様は威圧的な態度に屈することなく、平然と役人達を見下ろした。
「事実です」
姐様が素直に肯定すると、役人たちは息を飲み、次いで怒りをあらわにした。
「何故勝手に刀解を行った! 自分がしたことの重さを分かっているのか!」
「彼は貴重な戦力だったのよ!? それを刀解するなんて!」
「この時代の道理も分からない過去の人間が、余計なことをするな!」
お前こそが敵だと言わんばかりの罵詈雑言と勢いに、僕――小夜左文字は思わず肩をすくめた。
こいつらは本物の阿呆だ。
僕達を傷付けたのは誰だ。横柄な審神者や、それを許容し黙認していた政府の役人ではないか。その尻拭いをしたのは、姐様ではないか。
姐様の存在がなければ、僕たちは今頃自刃していただろうし、三日月達だって、人を殺すようになっていたかもしれない。それを阻止し、また人を愛せるまでに持ち直したのは、姐様が僕たちのために命を掛け、心を砕いてくれたからに他ならない。
救いようのない馬鹿というのは、この役人たちの様な存在のことを言うのだろう。姐様のおかげでブラック本丸が二つも減ったことを、ちっとも理解していないのだから。
「自分達の尻拭いをしてもらった相手を罵ることが、この時代の道理なの?」
自分のものとは思えぬほど、低い声が口をついた。僕の声を聞き届けた役人たちが、そろって肩を跳ねさせた。
僕の存在に気付いていなかったなんてことはないだろうけれど、姐様を罵っているうちに僕の存在を忘れてしまっていたのかな。役人たちは青い顔で、恐る恐る僕の顔を窺い見た。
僕がどんな顔をしているのか、自分では分からないけれど、好意的な表情でないのは確かだ。
「僕がどういう刀なのか、忘れてしまったの?」
役人たちは知っているだろう。姐様は政府内ではなかなかに有名なようであるから。その刀である僕たちのことも、必然的に知ることになるだろう。
思い出したくもない過去であるけれど、それが姐様を守る盾となるのなら、憐れまれようとも、恐れられようともかまわない。最大限に利用するだけだ。
「あまり、刀剣男士の”主”に噛みつかない方がいいよ。審神者ではなく、僕たちの恨みを買うことになる」
口角を上げて笑ってみせると、役人たちは更に血の気を引かせた。
「特に僕なんかはそうだよね。かつての主と共に、復讐の道を歩んだ刀。でも今は、僕の意志で復讐が遂行できる」
持ち主の意思に関係なく、僕の自由に。
かちり、と鯉口を斬る。役人たちは面白いほどに震え始めた。
「よかったね。姐様が復讐を望まぬような優しい人で」
そう。貴方達は姐様の優しさにより生かされている。
姐様が負の感情を灯し続けるのが苦手な人であったから、人を嫌い続けることが出来ないほど不器用な人であったから、あなたたちは五体満足でいられるのだ。
もし姐様の胸に復讐の炎がともったならば、姐様に代わって僕が復讐を遂げただろう。
けれど姐様は、そう言った方向に考えが向かない。
姐様だって、ほの暗い感情を灯すことはある。心がある限り仕方のないことだ。
けれど姐様は、それが極端に短い。すぐに明るい方へ向かおうとする人なのだ。だから傷つけられたって、傷つけようという考えに至らない。姐様がそんな人だから、僕も刀を振るわない。
「貴方達は、姐様の優しさに生かされている」
そのことをよぉく肝に銘じておいてね。
そう言ってにっこりと笑うと、役人たちは唇をわななかせた。
それを見て、まだ駄目かな、と思った。確かな怖れを抱いているけれど、その目にはまだ反抗の意志が宿っている。
(短刀の見た目じゃ、後一手が足りないな……)
この見た目に不満はないけれど、この見た目は不利だと思う。相手が正しく、こちらの脅威を受け取ってくれない。
「加州本人が望んだことにまで口を出すのはいかがなものかな?」
まだ何かを言い募ろうとする役人たちが言葉を発する前に、第三者の声がそれを遮った。
聞き覚えのある声に視線を向けると、そこには三日月と岩融がいた。
今、役人に声を掛けたのは、冷たい目をした岩融だ。
「加州は人を愛せなくなっていた。あのまま顕現していたところで、堕ちていくだけだったろう。この者の判断は間違いではない」
次に言葉を発したのは三日月だった。彼は口元に笑みを浮かべているが、その目はやはり冷たい。まぁ、これから主と仰ごうとしている人間を責め立てられたら、そうなるのも無理はない。それが理不尽なことであるなら、なおさら。
「み、三日月様……! 岩融様……!」
二人に気づいた役人たちが、僕の脅しを聞いたときとは比べ物にならないくらいに血の気を引かせる。青ざめていた顔は、血が下がり過ぎて白くなっている。
その反応を見て、立派な体躯をしている二人が少しだけ羨ましくなる。僕の幼い体躯では、脅し一つも上手くいかない。
「小夜、」
柔らかい笑みを浮かべた姐様が、僕の目線に合わせるようにかがむ。姐様は背が高いから、背の低い僕と話をするのは大変だと思う。けれど姐様は、相手が誰であろうと、絶対に目を合わせて話してくれる。
「ありがとう、小夜。助かったよ」
「……でも、押さえることはできなかった」
「そんなことないさ。君が言い返してくれて、嬉しかったよ」
君たち短刀は、いつだって私に勇気をくれる。
姐様は羽織に包んだ玉鋼を抱え、姐様と比べて随分と小さな僕の手を握った。
背筋をまっすぐに伸ばした姐様は、酷く大きい人の様に思えた。
「お主たちはもう少し、俺たちの意見を聞いてもいいように思うぞ?」
瞳の月を濃くさせて、三日月が笑う。微笑みとかそう言った綺麗なものではなく、皮肉に口元を歪ませて。
「い、意見を聞かないだなんて、そんな……!」
「加州清光の刀解について弁解もさせてもらえなかった事実があるのですが、それについてはどういった説明をしてくださるのでしょう?」
「っ!」
姐様が口角を上げる。役人たちの瞳に怒りが宿るが、それは僕が牽制する。刀をちらつかせれば、彼らは大人しくならざるを得ない。
「か、加州様の意志がそこにあったならば、我々としては文句はない!」
僕たちに恐れをなしたらしい役人の一人が早口に告げる。幾人かの役人がギョッと目を見開いたが、誰も彼も、自分の身が可愛いらしい。自分も同意だと言いたげに、厳かに頷いた。
それを見て、姐様が我が意を得たりと目を細めた。
「では、加州清光の刀解についてお咎めはなしということですか?」
「え……、あ、ああ、もちろんだ」
「加州清光の意見が通るならば、当然三日月宗近たちの意見も通るのですよね?」
「もちろんだ! 我々が刀剣男士様の意見を蔑ろにするわけがないだろう!」
姐様のことは蔑ろにしてきた癖によく回る口だな、と呆れ半分怒り半分。
けれどこれで言質が取れた。彼らを自由にするための言質が。
口角を上げた姐様を見て、三日月達が目を瞬かせる。
僕が彼らに視線を向けると、彼らは僕らの意図を悟ったのか、口元を綻ばせた。
「では、俺たちの意見を言わせていただこう」
岩融が口上を述べるように、意気揚々と前に出る。そしてそのまま僕たちの後ろに回り、僕たちの肩に手を置いた。
三日月もそれに習い、僕たちのそばに並び立つ。
姐様はきょとんと眼を瞬かせていたけれど、僕は誇らしさと頼もしさでいっぱいだった。
伝説の薙刀と、天下五剣が姐様を見染めたのだ。誇らしくて当然だ。そしてそんな二人が仲間となるのだ。何て心強いのだろう。
「俺たちはこの者の下に就く」
姐様が目を見開く。役人たちもだ。
けれど僕には、何故そこまで驚くのかが分からない。姐様は彼らに前を向かせただけでなく、自由にしたではないか。その恩を返そうと考えるのは、酷く自然なことであろうに。
「お、お待ちください、三日月様! 岩融様! その審神者はまだ新人で、錬度も神格も高い貴方方を率いるのにふさわしい審神者ではありません!」
「そうです! 早まってはいけません!」
「貴方方を率いるのはもっと素晴らしい審神者でないと!」
口ぐちに待ったを掛ける役人たちに、姐様に笑顔を向けていた二人が殺気を込めた目を向ける。心底煩わしいというような、冷たい目だ。
「ふさわしいとか、ふさわしくないとか、そんな理由でこの者を選んだわけではない。この審神者以上に優れた審神者がいることも承知している」
「では何故……!」
「俺たちの様な刀剣と恐れずに向きあえる審神者がどれほどいる? 堕ちかけた刀剣を、刀剣男士として、一振りの刀剣として扱える審神者は、果たして何人いる?」
堕ちかけた刀剣、という言葉に、役人たちが酷い怯えを見せた。
悲しくはあれど、それが普通の反応だ。けれど姐様は、堕ちた刀剣を恐れない。それは無知ゆえの愚かさからか、本質を見極める心眼を持っているからか。
けれどそれは、僕たちの様な刀剣にとって、酷く尊いことなのだ。
姐様は岩融達を希望だといったけれど、それはこちらのセリフなのだ。堕ちた刀剣と恐れずに向きあってくれる人間など、今まで一度もいなかった。
だから加州も、姐様に刀解を求めたのだろう。この人間ならばと、そう思わせるものが姐様にはあるから。たった一振りの刀剣として扱ってくれるから。
「あまりそう言った扱いをされると辛くてなぁ……。悲しくてつい、斬ってしまうやもしれん」
「っ!!」
優秀な審神者とやらを、減らされたくはないだろう?
口元を隠して目を細めた三日月は、袖の下で笑っていた。
それを見て、やっぱり心強いな、と思った。この刀達は、姐様のためならば何でもできる刀だ。僕たちと同じ、姐様のために生きられる刀剣だ。
「姐様。凄い刀が、味方になったね?」
「え、あ……。そう、なのか?」
状況がうまく飲み込めていないらしい姐様が、幼い表情のまま首をかしげる。
そんな姐様に和んだのか、岩融達が口元を緩める。けれど、役人たちに向ける目は相変わらず温度がない。
「それでもまだ、俺たちの意見は通らんか?」
「……っ、いえ、上には、そのように報告させていただきます……」
しぶしぶと役人たちが引きさがる。その顔は悔しげで、とても納得しているようには見えない。けれど了解したのは役人たちだ。今更、それを覆させる気は、こちらにはない。
不快感を露わにしたまま、役人たちが中庭を立ち去っていく。ようやく、三日月達の瞳に温度が戻った。
「さて、審神者よ。返事を聞かせてはくれぬか?」
「私で、良いのか……?」
「お主がいいのだ。だから、お主が会わせてくれ。お主の言う、”出会えてよかったと思える人間”に」
そろりと、姐様が僕を見る。僕たちのことを懸念しているのだろう。
けれどそんな心配は無用なのだ。彼らは仲間の身内で、姐様のために戦うことのできる刀だから。
思うことがないわけではないけれど、彼らにそれを向けるのは、お門違いだときちんとわかっているから。
だから、僕は微笑んだ。僕は彼らが仲間になってくれたら嬉しいと、そう伝えるために。
僕の意志が伝わったのか、姐様も淡く微笑んで、三日月達を見上げた。
「ああ、もちろんだ。”それ”が私でも構わないというのなら」
「ほぉ?」
「随分と強気だな?」
「私は独占欲が強くてな。きっと君たちのような優しい刀を一度懐に入れてしまったら、もう手放せなくなると思うんだ。そしてなりたいと思ってしまうんだ。君たちの主に、」
「……っ!」
「だから、君たちがほしい」
ぶわりと、三日月達の頬が赤く染まった。それを見て、完全に落ちたな、と確信した。あんなにまっすぐに求められて、落ちない刀はいないだろう。
「お、ぬしは、俺たちをどうしたいのだ……っ!」
「そんなもの決まっているだろう? 私の刀としたいんだ」
声にならない悲鳴を上げて、顔を覆った二振りが地面に突っ伏した。
僕、これ知ってる。ごめん寝という奴だ。
ちなみにこの姿勢は、門の復旧が完了したという知らせを持ったこんのすけが現れるまで続いたのだった。