あなたのためのぼく
政府内部にて、僕―――小夜左文字達にあてがわれた部屋は、酷く寂しいものだった。必要最低限のものだけが置かれた部屋はただ義務的に生かされているだけのように感じる。酷く窮屈で、圧迫感すらある。早く出て行けと、無言で責めたてられているようだ。この部屋の外よりは、幾分かましだと思うけれど。
この部屋の中は、完全にとはいかないけれど安全だ。役人たちの目に晒されることはないのだから。
役人たちの敵意すらにじませた眼差しは、敵を同じくする審神者に向けられるものではない。
基本的に人を嫌うとか、人に負の感情を持つことの少ない姐様が、役人たちの視線に明らかに辟易していた。
姐様は弱っているのだ。人に敵意を向けられることに慣れていないから。
資料室にこもるのは、役人たちと合わないことと、僕達に弱っている姿を見せたくないことがあげられるだろう。その意をくんで、僕たちはあてがわれた部屋で大人しくしている。
(別に、弱っている姿を見せられたって、僕たちは幻滅したりしないのに)
姐様は、僕たちが傷を負った刀剣であるからか、弱っているところを見せようとしない。それに対して今剣は「自分達を信用できないからだ」と嘆いていたけれど、実際のところはどうなのだろう。僕達を信用できないからなのか、もっと別の理由があるのか。
(理由があるなら、言って欲しいな……)
その理由すらも、僕達に話したくないことであるのかもしれないけれど。
思わずもれた嘆息に、はっと我に返る。姐様が弱っているのに、僕まで弱気になっていたら、姐様に余計な心配を掛けてしまう。それは僕の本意じゃない。
(しっかりしなきゃ……)
ふるふると首を振ることで沈む思考を振り払う。そんな僕に気遣わしげな視線が向けられた。
僕たちが迷い込んだ本丸で出会った三日月と岩融だ。
(他にも出会った刀剣はいるが、顕現が解かれていた明石国行は三日月達の希望でそのままであるし、加州清光は散歩と称してふらふらと出かけて行った)
「どうした、小夜。浮かない顔をしているが……」
窓辺に立って空を眺めていた三日月と岩融が僕に向けられている。僕との距離を測りあぐねているようで、二振りとも眉を下げていた。
「ちょっと懸念することがあって」
「あのような人間のもとにいても、悩みは尽きぬものなのだなぁ」
三日月が苦笑する。
確かに姐様の様な稀有な存在を主と定められたのに悩みだなんておこがましいのかもしれない。あの頃から比べると幸せすぎる悩みだ。
「僕も贅沢だと思うよ」
「そのようなことは、」
無い、と言いきれないのは、彼らもそう思ったからだろう。断言できなかった自分に気付いて、三日月が眉を下げた。
「すまんなぁ。どうにも欲深くなってしまって……」
三日月の言葉には覚えがある。
最初は刀として認められればそれで良かった。けれど姐様と出会って、刀として求められ、その先を望むようになってしまった。
姐様のために生き、姐様の刀として終わりたいと、ずっとずっと先のことまで。
「仕方のないことだと思うよ。人の心に限りなんてないんだから」
僕たちは刀剣男士。刀であり、神であり、人の心を持つ、稀有な存在。人と同じように欲だってある。
「……お主たちが許すかは分からんが、欲深いことを言っても良いだろうか?」
三日月の隣で、僕たちのやり取りを見守っていた岩融が言った。
発言を縛る権限なんて僕にはないんだから、別に僕に伺いを立てる必要なんてないのに。口に出さず、ゆっくりと頷く。すると、わずかばかり目を伏せた岩融が、唇を震わせながら告げた。
「あのものは、俺たちの”出会ってよかったと思わせる人間”になってはくれないのだろうか……?」
わずかに瞠目するのが自分でも分かった。けれど、思ったほどの驚きはなかった。
何となく、予想はついていた。僕達刀剣男士の心をつかんで離さない姐様が、彼らの心を揺さぶらないわけがないのだ。
心のどこかで分かっていた。彼らが姐様を求めることを。
「それは僕が決めることじゃない」
「それはわかっている。しかしあのものならば、お前たちの意見を優先するだろう?」
姐様の答えが、本丸の総意だ。けれど姐様は自分ではなく、僕たち本位で事を進めるから、最終的な決定を下すのはやはり姐様だけれど、僕たちにもかなりの権限がある。彼の考えはおおむね正しい。
つまり、僕たちが彼らを拒めば、姐様は悩むのだ。姐様が彼らを受け入れようとも、僕らをないがしろにできない人だから。
でも。
「貴方達は、死ぬつもりも還るつもりもないのでしょう?」
僕たちは珍しく、美しい刀剣を求める審神者に傷つけられた刀剣だ。それは彼らの預かり知らぬことであるし、伝えるつもりもないのだけれど、目の前にいる彼と同じ刀を求めて犠牲となった刀が在ったことは事実だ。
小夜左文字という刀だけでも、13振りが犠牲となったと聞いた。
けれど、この表現はきっと誤りだ。13振り目の小夜左文字が犠牲となった時点で数えるのをやめた、というのが正しい表現だろう。一番たくさんの刀を見てきた国広が言うには、短刀だけで200は犠牲となったそうだから。
彼らが命を犠牲にしてまで求められて嬉しいと思えるような刀でないことは分かっている。そうなりたくて、そうなったわけではないということも。折れてしまいたいと願うほど、その事実に苛まれてきた刀を知っているから。
けれど、理性と感情は別物で、そうと分かっていても、彼らが刀解を望んだならば、僕は迷わず彼を斬ってしまっただろう。失われた命が報われないから。
けれど彼らは、生きることを選んだ。人を受け入れ、未来を見据えることを。僕には、それだけで十分だった。
「あの人のために、生きたいのでしょう?」
僕の言葉に深く頷く彼らに、口角が上がる。
「なら、大丈夫だよ」
僕の仲間は前を向いて進んでいこうという同胞を無下にするようなことはしないから。
「あの人を慕う者同士、共に歩いていこう。僕も、僕の仲間たちも、姐様も、貴方達を受け入れるよ」
出来る限りの笑みを浮かべて両手を差し出す。一瞬驚いたように目を見開いたけれど、二振りはすぐに微笑んだ。
「ありがとう、小夜」
「よろしく頼む」
大きな手に両手を包まれ、口元がゆるむ。
今、うちで一番大きな手をしているのは光忠だ。それと同じくらいの手と、それよりもさらに大きな手。初めて握った手の感触に、新しい仲間が出来たのだと、改めて実感する。減る一方だったあの本丸とは違うのだ、と。
それが普通であるのだろうけれど、僕たちにとってそれはとても尊いことなのだ。姐様がくれた、幸せの一つ。
自分が思っている以上に口元が緩んでいたのか、三日月達がちょっと驚いたような顔をして、それからにっこりと笑って僕の頭を撫でた。
姐様や兄様。本丸にいる他の誰とも違う掌は大きくて温かい。岩融は見た目の印象と違ってとても丁寧だし、三日月は浮世離れした雰囲気そのまま、ふわりふわりと髪を撫でてくる。どちらも、本丸にいる仲間たちのような優しさに溢れている。
そんな優しい掌が、唐突に震えた。二振りを見上げると、彼らは僕を見ていなかった。
そろりと手を離し、ふらふらと窓に吸い寄せられる。二人は揃って窓を見上げ、何かに耐えるように目を閉じた。
「還ったか……」
「ああ……」
そして開かれた目が、そろりと降りてくる。視線は眼下に広がら鮮やかな中庭を見降ろしていた。
(かえったって、何だろう……?)
意味が分からなかったわけじゃない。あまりに突然で、思考が追いつかなかったのだ。
”かえった”はきっと”還った”だ。
僕らの言う”還る”は一つ。本霊への帰還。
折れるのでは駄目だ。他の刀に後を託す錬結か、資材に戻る刀解でないと。それ以外は僕らにとって死と同義。さすがの僕らでも死してなお本霊に還ることはできない。それはつまり―――……。
「姐様っ!」
ダッと窓に駆け寄る。両手をついて下を覗くと、そこにはやはり姐様がいた。
姐様は自分を抱きしめるように体をちぢ込ませ、うなだれていた。
―――弱っている。あの、強く気高い姐様が。今にも崩れ落ちてしまいそうなほど、儚く脆くなっている。
(行かなきゃ……)
弱っている姿を見せたくないのだろうけれど、そんなことは関係ない。今、僕がそばにいないでどうするんだ。僕らは主のための刀剣男士。姐様だけの刀。弱っている姐様を放っておくなんてできない。今そばにいて、支えなきゃ、一体いつ姐様を守るというんだ。
中庭に向けて、全力で走る。戦場を走るよりも気がせいて、その分だけ足を動かしているはずなのに、やけに時間がかかった気がした。中庭までの道のりはこんなにも長かっただろうかと不思議に思いながら廊下を走る。
永久とすら思えた道のりを経てようやくついた中庭では、先程と変わらずにうなだれたままの姐様が見えた。その背中は普段の姐様の大きな背中と同じものだとは、とてもじゃないが思えないほどに小さかった。
「姐様」
僕が声を掛けると、姐様がゆっくりと顔を上げた。
姐様は泣くのを我慢していたのか、目元が真っ赤に染まっている。そんな風に我慢するくらいなら、いっそ泣き喚いてくれた方がよっぽどましだと、そう思えるくらいに痛々しい。
「小夜……」
いつも凛とした声が、どこか弱弱しい。声がかすれて、震えているように聞こえる。
「私じゃ、駄目だったんだよ」
姐様が笑った。困ったように眉を下げ、申し訳ないと謝るように。
姐様が自分を抱きしめる様に交差した腕の中には、物を包んだ様に膨れた姐様の羽織があった。
それを見て、僕は確信した。彼は、加州清光は、刀解を望んだのだ。
きっと姐様は彼に生きてほしかったのだろう。けれど止められなかった。彼女にも止められないほど、彼の意志が強かったのだろう。
大切な人に裏切られる苦しみを、僕は知らない。大切にされたことがなかったから、大切だと思いたかったけれど、結局はそう思えないまま終わってしまったから。
「私みたいな未熟な審神者じゃなくて、もっと優れた人と出会っていたら、彼は新しい審神者のもとで刀を振るっていたかもしれない」
彼女は、想像以上に参っているのかもしれない。色んな事が続いて、重なって、疲れてしまっているのだ。
加州だった玉鋼を撫でる姐様は、諦めに似た笑みを浮かべていた。
酷く、乾いた笑みだった。
「君たちだって、優れた審神者のもとへ行けていたら、きちんと段階を踏んで、正しい方法で、とっくにいろんなものを乗り越えていたのかもしれない」
何を言っているのだろう、この人は。何が言いたいのだろう、姐様は。
「私は―――、」
それ以上を聞きたくないと、何故だか耳をふさぎたくなった。
可笑しいな。いつもだったら最後まで聞きたいと思うのに。この時は何故か、それ以上先を聞いたら、何かが崩れてしまうような、溢れてしまう様な気がしたのだ。
けれどそんな僕に気づかずに、姐様は僕が最も聞きたくない類の言葉を言ったのだ。
「私は、君たちの主になるべきではなかったのだろうな」
ぶつりと、僕の中で何かが切れた。
―――――バチンッ!!!
僕は今、何をしたのだろう。
じんじんと痛む右手。驚愕に目を見開く姐様。その頬は赤く染まっていた。
それらを繋ぎ合わせれば、僕が何をしてしまったのか、簡単に分かった。
(姐様に、手を上げてしまった……)
なんてことをしてしまったのだろう。そう思うと同時に、姐様が悪いのだと、怒りを押さえられない自分がいる。
「ふざけるなっ!!!」
思わず怒声を吐き出した。
「貴方は今まで、僕たちの何を見てきた! 貴方のために戦って、貴方のために勝利をもぎ取って。少しでも貴方から与えられたものを返したくて、そのために生きているのに!」
僕はかつて、折れてしまいたいと思うほど、生きることに絶望していた。けれど姐様に尽くされた仲間たちが生きることを選択し、僕たちの生を乞うたから、僕は生きる道を選んだ。
そんな僕達を姐様は温かく迎え入れて、優しく受け止めてくれた。
迷惑ばかりかけた自覚はあるし、普通ではない感覚の僕らに気が狂いそうになったことすらあっただろう。けれど姐様は決して僕たちを見捨てず、大切な刀として扱ってくれた。
それがどんなに嬉しくて、幸せか、姐様には分からないかもしれない。姐様の存在が僕たちにとってどんなに尊い存在なのか、分かる由もないのかもしれない。
けれど、貴方に出会えてよかったと思える幸せを、貴方の刀に慣れたという誇りを、姐様自身に踏みにじられることになろうとは、思いもよらなかったのだ。
どれだけ返せば買えし切れるか分からない恩を返すために生きているのに、それが姐様に全く伝わっていなかっただなんて、考えもしなかったのだ。
姐様は一件無謀な人であるが、その実驚くほど慎重な人だ。そのためか、自分に自信がない。
僕たちだけでなく、自分が一から顕現させた一期や、戦利品として手に入れた兄様たちにまで、自分が主にふさわしい審神者かを見定めさせてから自分の刀としているのそのいい例だ。
そして、もし自分よりも主にふさわしいと思える審神者が現れたら、そちらにつくことすらよしとしているのも。
最初に出会った刀剣が主に恵まれなかった僕たちだったからというのが大きいのかもしれないけれど。だけど僕たちは姐様を生涯の主と定めたんだ。
だから、いつか自分のもとを離れているくのだろうと諦めながら「私の刀」だなんて言ってほしくない。
初めて今の本丸の地を踏んだあの日、僕たちは誓ったはずだ。貴方のための刀剣として、貴方に全てを捧げることを。
あの日の誓いを、あなたはどんな気持ちで受け入れたの?
「姐様の馬鹿……!」
思わずもれた罵声と共に、涙が溢れた。
切れたのは涙腺だったのかもしれない。そう思うくらいに、次から次へと溢れてく。
「僕たちが……っ、僕たちがどれだけ貴方に感謝してるか……。僕たちがどれだけ貴方を大切に想って、どれだけ愛しているか、分からない貴方じゃないはずなのに……っ!」
姐様は僕らのために生きる人だ。僕らのためにすべてを投げ出して、命を削って、一生という道を駆け抜ける。
でも、それは姐様だけに当てはまることじゃない。僕たちだってそうだ。姐様のために魂すらも差し出して、命を張って生きている。それが分からないほど、愚かな人ではないはずだ。
姐様はぐっと眉を寄せて僕を見た。涙をこらえているような、痛ましい顔だった。
「怖いんだ」
切実な響きを持って放たれた言葉は酷く重かった。
「私は怖い。変わることが怖い。変わらないものなんてないと知っているから。私だって人間なんだ。欲だってあるし、全てを投げ出したくなることだってある。私は、変わらない自信がない」
それは誰もが恐れることだろう。変化を恐れ、不変を望むのはある意味人の性と言えるだろう。それが悪い方への変化ならば、なおさら。
「人はどうして最善を選べないのだろう。最悪を選ぶ方が、どうして簡単なのだろう」
姐様は最善を求め過ぎているのだと思う。最善なんて誰にも分からないのに。
けれど人はいつだって完璧を求めてきた。僕らを作るときだってそうだ。そう言う生き物なのだろう、人という生き物は。
だから僕は言わなければならない。最善だけがすべてではないと。
「間違っても良いんだよ。そのために僕たちがいるんだから」
だからあなたは命じたのでしょう? 道を踏み外すようなことがあれば、殴ってでも止めろ、と。
道を踏み外したわけではない。けれど、今がその時なのだと思った。僕たちがいる意味を示す時が来たのだと。
だって姐様は間違えた。僕らは姐様以外の主なんていらない。だから、出会わなければよかっただなんて、そんなことは絶対にありえない。
「……止めてくれるか? 私がどんなに変わろうとも、情けなくとも、見捨てずに、いてくれるか?」
「当り前だよ。僕達を何のために刀だと思ってるの? 貴方のための刀剣でしょう?」
不安げに僕を見上げる姐様に、僕は微笑んだ。すると姐様は、ようやく笑みを浮かべた。
「国広みたいだ……」
「だって、彼の言葉でもあるもの」
「え?」
「今言った僕の言葉は、本丸の総意だから」
ぽかんと口を開けて呆ける姐様は酷く幼く見える。
そうだ。姐様は幼いのだ。まだ成人できる年齢にも達していない子供なのだから。
そんな子供に対して、僕たちに求めるものは酷く重いものだろう。生涯僕たちの主としてふさわしい人で居てほしいというのだから。
幼い心には酷なことかもしれない。いつ潰れてもおかしくないほどの重圧だろう。
でも潰させない。そのために僕たちがいる。ときに守り、時に支え、共に歩む僕たちが。
呆けていた姐さんが眉を下げて笑った。
「ははっ、情けないな……。君たちを守らなければならないのは私なのに」
「だから、」
「だから、君たちがいるんだな」
口角を上げ、僕を見上げる姐様はもういつも通りだった。
絶対に目をそらせない力強さを持った瞳が、僕を射抜く。
ああ、それでこそ姐様だ。決して折れぬ鋼の心。刀剣のごとき煌めきは、決して色褪せることなく輝き続けるのだろう。そんな姐様を見ているうちに、僕の涙も止まっていた。
「……そうだよ。だから安心して。不安なら口にしてよ。馬鹿なことを考えているようなら今みたいに止めてあげるし、僕たちが力になれるなら、いくらでも力を貸すから」
「ありがとう、小夜」
姐様は嬉しいと思うことがあった時、本当に嬉しそうに笑う。普段あまり表情を変えることはないけれど、こういうときの姐様は、酷く分かりやすい。そういうところはずるいと思うのだけれど、それでも憎めないのはそれが混じりけのない純粋な笑顔だからだろう。
そんな姐様には悪いのだけれど、一つ、言わなければならないことがある。それが追い打ちとなるか、追い風となるかは姐様の心次第だ。
「あのね、姐様」
「ん?」
「本当に、ちゃんと口にしてね?」
「……?」
「貴方が深い悲しみを抱いたとき、今剣を離したでしょう?」
不思議そうに瞬いていた瞳が、大きく見開かれる。
予想外だと言わんばかりの表情に、少しばかり苦笑が漏れる。
それが僕たちにとってどれほどの意味をもつか、人である姐様には理解しがたいかもしれない。それは仕方がない。人と刀の違いだ。
けれど、きちんと説明すれば、姐様は理解しようと努めてくれる。
「僕では姐様の力になれないと、主を裏切った刀剣では信用できないのかと、酷く嘆いていたんだよ」
あんな悲しみに暮れた顔を、もう一度見ることになるとは思わなかった。
小さく呟くと、姐様が唇をわななかせて俯いた。
今言わなければならないことではなかったかもしれない。けれど絶対に言わなければならないことだ。姐様の言動は、僕たちにとって、もろ刃の剣であるのだから。
「……あまりにも酷だと、思ったんだ」
ぽつりと、姐様が呟いた。
「いや……言い訳だな。弱い私を見せたくなかった。君たちにふさわしい、強い主でいたかったから」
姐様が自嘲した。心底呆れたような様子で。
「でも、それが間違いだったんだな。弱みを見せられない私を、信頼できるはずのない」
そこまでいって、姐様が口を引き結ぶ。そして、決意を固めるように一拍置いて、再び口を開いた。
「言いたくないことの一つや二つあるのは分かっている。けれど、一期や宗三に言えて、私にだけ聞かせられないというのが、私には悔しくて悲しかった」
思わず息を飲んだ。
触れられても悟らせないほど深く隠していたはずなのに。姐様には気づかれていないと、そう思っていたのに。
(ああ、これは、僕たちも悪い)
きっと姐様は、僕たちと同じ思いをしていたんだ。
大切にしたい相手が、自分にだけ、自分達にだけは知られたくないと押し殺している秘密がある。それが一人で抱えるには重すぎるものだったら一緒に背負ってあげたいと思うし、どうして行ってくれないのだろうと憤るのも当然だ。
僕たちと同じく、姐様も辛かったのだ。僕たちが、自分にだけ言えない隠し事をしていると、そう思い悩んできたのだから。
(いや、)
姐様の方が辛かっただろう。僕たちにはそれを共有する相手がいたけれど、姐様は一人で抱え込んできたのだから。しかもそれを、僕達刀剣男士に悟らせずに。
「でもそれは私が至らない主だからだろうって勝手に拗ねて、いじけていただけなんだ。だって君たちは、私が至らないからと言って、見捨てたりしないんだろう?」
そう言って、姐様はうっすらとほほ笑んだ。
「だから、それは本当に言いたくないことなんだろう。だったら、私は何も聞かない」
「違うよ、姐様」
思わず、姐様の言葉を遮るように声をかぶせてしまった。それに姐様が驚いたように目を瞬かせる。
思った以上に、強い声が出てしまっていた。
「それは、どういう……」
「僕たち、全部知っているんだ。姐様が僕たちに隠していること」
姐様が息を飲んだのが分かった。
きっと、傷ついたのだと思う。心を擦り減らしてまで隠していたことを、僕たちが全て知っていると知らされたのだから。
「全部、というのは……」
「遡行軍に貴方の存在が知られてしまった恐れがあり、貴方がいた時代に帰れないこと。貴方の存在がばれてしまえば、ご両親にまで危害が及ぶ可能性があること。それらを受け、もう二度と過去に帰らない決意をしたこと。そして姐様がそれお僕らに知られぬよう、ひた隠すことに決めたこと。これが、僕たちの隠していたすべてだよ」
意図せずして、僕たちは聞いてしまったのだ。聞かなければよかったとすら思ってしまうほどの、悲痛な覚悟を。
けれど、だからこそ僕たちは姐様に心を開き、その想いに報いようと、姐様のために生きることを選んだ。
僕たちに姐様の肉親に代わるような価値はない。姐様が、肉親よりも僕達を選んだことを後悔する日が来るかもしれない。その時に、その後悔が少しでも軽いものであればいいと。少しでも、この選択は間違っていなかったと思ってもらえるよう、その覚悟にふさわしい刀剣になろうと、僕たちは努力してきた。それが裏目に出ることになろうとは、思いもよらなかったけれど。
「本当に、全部知っていたんだな……」
「うん……」
「全部、私の勘違いか……」
はぁぁ……と深く息を吐いて、姐様が片手で顔を覆った。
それから手を降ろし、加州だった玉鋼を横に置き、居住まいを正した。そして、その場に膝をつき―――、
「え、」
両手をついて、姐様が深々と頭を下げた。
「すまなかった」
地面に額をついてしまっているのではないかというくらい、深く深く頭を下げる姐様に、僕は思わず硬直した。
これは土下座というものではないだろうか。
昔は礼式の一つとされていたけれど、現代ではその意味は大きく変わり、謝罪の心を表すものとなっている。人によっては、屈辱的な行為でもあるのだという。
「っ!! 姐様っ!」
血の気が引くのが分かった。急いで姐様の方を掴み、顔を上げさせる。
顔を上げた姐様は、まっすぐに僕を見つめた。
「私はもっと考えるべきだった。私の言動が、君たちにどれほどの影響を及ぼすのか。そうしていれば、君達を傷付けずに済んだかもしれないのに」
「そんなの、僕たちにとっても言えることだよ。僕たちもきちんと話せばよかったんだ。隠しごとになんてしなければ、姐様を傷付けずに済んだのだから。本当にごめんなさい、姐様」
「それは私が……。いや、止そう。終わりが見えない」
「そうだね」
神妙に頷きあって、僕たちは目を合わせる。
しばらく見つめ合って、二人揃って思い切り噴き出した。
「何を思い悩んでいたんだろうな、私たちは」
「本当にね」
「何だか、呆気ない解決だな」
「うん」
もっと早くに想いをぶつけていればよかった。鋼だった頃は持ち得なかった伝えるために口も、考えるための頭も在るのだから。
「……私は、生涯君たちの主で居ても良いんだな?」
「僕たちはとっくにそのつもりだったよ」
「私は割と独占欲が強いと思っている。もう、手放してやれないぞ?」
「僕たちにとっては嬉しい限りだよ」
「……私はきっと、またこうやって悩むよ。君たちに不安や不信感を与えてしまうこともあると思う」
「……うん」
「私は弱いから、一人では立ち上がれないだろう。でも、君たちがいてくれるなら、何度だって立ち上がって見せる。だから、その時はまた、こうやって乗り越える手伝いをしてほしい。君たちの信頼を裏切らぬよう、君たちの主で居られるよう」
「もちろんだよ」
「ふがいない主で失望したか?」
「ううん。むしろ惚れ直したよ。諦めない強い心に」
にっと口角を上げて笑うと、姐様は一瞬面食らったような顔をした。けれどすぐに口角を上げて、男くさい笑みを浮かべた。
手を差し出され、僕はその手を握り、お互いがお互いに立ちあがるのを助けるように手を取り合った。
お互いの力を借りて立ち上がると、姐様は言った。
「この生が尽きるまで、私は君たちの主で居ると誓う。だから、これからも私に力を貸してほしい」
―――私の唯一の小夜左文字。私の刀よ。
そう言って笑う姐様の、何と凛々しいこと。そんな彼女から発せられる言葉の、何と力強く甘美なことか。
何の混じりけもなく、「私の刀」と言ってもらえることの、何と幸せなことか。
―――僕はきっと、この言葉をもらうために、今日この日まで生きてきたのだ。
そう確信するほど、彼女の本当の「私の刀」という言葉は、僕の心を満たしてくれた。
姐様が誓ってくれるなら、僕もこの生が尽きるまで、貴方のために刀を振るい続けると誓うから。
(生涯最期の僕の主よ。さぁ、存分に僕を振るって)
僕は復讐刀。主の愁いを払う刀。
だだだっと僕たちの誓いの場に、無粋な足音が入り込む。僕たちの異変に気付いたであろう役人たちだ。
肩を竦める姐様は、快い顔をしていない。
(姐様の憂いは僕が払うから)
カチリ、と鯉口を斬る。けれど抜刀はしない。むやみに人を傷付けることを、僕も姐様も望んではいないから。
ただ、姐様に害をなすというのなら、容赦はしないけれど。
(さて、姐様の刀として、姐様の顔を曇らせる無粋な輩を仕留めてしまおうか)
斬りつけたりはしないけれど、姐様の憂いと共に僕の憂さを晴らしたって良いはずだ。
政府の連中には、大分”お世話”になったしね。
だから早く、僕の間合いにおいで?
―――――貴方のための刀