あなたのためのぼく






「俺を刀解して」


 そう言った瞬間、目の前の審神者から表情が消えた。


(失敗したかな……)


 目の前の審神者は、政府から快く思われていないようだった。おそらくブラック本丸出身の刀剣を率いる審神者だからだろうが、その扱いは目に余る。まだ少女である審神者を目にするだけで露骨に不快感を露わにするのだ。
 精神的にかなりの強度を見せる彼女だが、その扱いには辟易しているようで、役人の姿を見るたびにわずかながらげんなりとした表情を浮かべていた。
 だから、いつまでも終わらない門の復旧に苛立ちが募っていた。
 彼女にとって政府は心安らげる場所ではない。むしろ俺たちのいた本丸――ブラック本丸にいた時の方が生き生きとしていた。
 どういうことだと役人達を問い詰めてやりたいほどに、ここは彼女にとって敵地だった。
 そんな時だ。彼女の帰城の目途が立ったのは。
 早くて明日。遅くても二、三日のうちに彼女を帰城させようという内容の話をしているのを耳にしたのだ。詳しくはこんのすけに伝えるというような内容を話していて、こんのすけは既に話を聞きに行っている。つまり彼女が敵地を脱することが出来るということで、心配事がなくなるということに他ならなかった。万が一彼女を害そうとする奴がいても、助けを求められる場所があるのだから。
 だから俺は、安心して自分の道を口にした。――物言わぬ鋼の戻るという選択を。


「そう言えば君は、何も言わなかったな……」


 表情を失くしたままの表情で、審神者がぽつりと呟いた。
 何の感情も読みとれないけれど、深く傷つけてしまったことだけは分かる。
 彼女は俺達刀剣が、いかに人を愛しているかを知っているから、こうして人の手から離れたがることを、酷く重く受け止めてしまうのだろう。
 この人間は、どうしようもなく不器用なのだ。傷つく必要なんてないのに、感情の受け流し方を知らないから、むき出しの感情をすべて受け止めてしまう。受け止めて、俺たちを想って、血を流す。
 けれど隠すのは上手いのだ。傷ついたことが分かれば、俺たちが悲しむのを知っているから、傷口からあふれ出す血をそのままに、何でもない顔をして笑うのだ。そして、自分の傷はそのままに、他者の傷のために動くのだ。例えそれが命を削る行為だったとしても、自分の愛する者のためならば、彼女はそれを厭わない。


(そう、厭わないんだ……)


 この審神者は、自分のためではなく、刀剣のために命を使う。自分の愛する者のために、惜しげもなく。
 審神者は本丸という特殊な空間でなら、そこに在る植物の生長を促すことが出来る。空気や水の浄化も、すべて審神者の霊力で行うのだ。
 けれど、一から新たなものを生み出すことはできない。種がなければ、芽は出ないのだ。
 俺たちの本丸の土は死んでおり、種などとうに腐って砂と化していた。新しい命を芽吹かせるようなことのできる場所ではなったのだ。
 けれどこの審神者は、見事な花を咲かせた。成長を促す種などない土地で、見事な紫苑を。

 その花を食んだ岩融は酷く驚いていた。そして神妙な顔をして、こう言った。
 『あれは”命”だ』と。
 この少女が自分の魂の欠片を使って、一から新しいのとを芽吹かせたのだ。俺たちの仲間を弔うために。愛する刀剣が安らかに眠れるように。
 こんな人間を、愛さずにいられようか。
 未だに表情を取り戻せない、本来の俺ならば愛してやまなかったであろう審神者を見つめながら、にっこりと笑う。


「俺さ、主が大好きだったんだ」


 審神者がまっすぐに俺を見る。表情は相変わらず固いけれど、瞳は力強く輝いている。
 多分だけど、俺の望みを叶えようと思って、決意しようとしているのだろう。俺を刀解する覚悟を、決めようとしているのだろう。
 そんなところが、好ましい。


「俺の主は、優しい人だった。温かくて柔らかくて、幸せを感じさせてくれる人だった」


 これは嘘なんかじゃない。本当の話だ。
 主は優しい人だった。優し過ぎると言ってもいいほどに。
 けれど、優し過ぎるがゆえに、その心は酷く脆かった。
 だから、ちょっとしたことで、簡単に壊れてしまったのだ。


「主は、審神者になりたかったわけでも、審神者になるべき人でもなかった。無理やり審神者にさせられて、壊れてしまっただけだよ。あの人は何も悪くない」
「……その割には、散々な言いようだったが」
「愛は憎しみに変わるんだよ」


 そう、愛は憎しみに変わる。大好きだった分、裏切られて捨てられた反動は凄まじいものだった。
 それでも俺は人を愛していたかった。あの人が優しい俺が好きだと言ってくれたから、優しい俺でいたかった。
 けれどももう駄目なのだ。愛していた分、信じていた分、人を愛せなくなって、信じられなくなってしまった。
 人は変わる。些細なことで。
 人を好きになりたいのに、優しい俺でいたいのに、また変わってしまうんじゃないかって、裏切られてしまうんじゃないかって、人を疑う自分が悔しい。


「俺、頑張ったよ。頑張ったんだよ。もう一度信じたい。もう一度愛したい。その一心で頑張ってきたんだよ。でも駄目だった。駄目だったんだよ」


 もう一度好きになることを諦めて、その”もう一度”すらも忘れてしまっていた。それは多分、俺がもう二度と心から人を愛することがないという表れなのだろう。愛し愛される刀で在りたいと願うのが、俺の本質であるのだから。


「俺はもう人を愛せない。愛そうとも、愛されようとも思わない。思えない」


 俺にとって愛するということは人の役に立つことで、愛されたいということは人に使われたいということなのだ。
 刀として当然のそれを、俺は愛という形で語る。


「そう思えないということは、人の道具になりたくないことと同義だ」


 審神者が深く傷ついた顔をした、ように見えた。
 審神者の顔はほとんど表情に変化がなかったけれど、わずかに目を見開き瞳を揺らした。
 俺の言葉は、審神者の心を深くえぐったことだろう。人に使われたいという想いは、刀が、ひいては道具が持つ当然の感情だ。それを持てないということは、刀として在れないということ。存在意義を失くしたと言っても良い。
 これと似たような言葉を、彼女は一度聞いているかもしれない。現在の彼女の刀剣達から。
 彼女の刀剣達は、おそらく俺たちよりももっと酷い目にあってきたのだろう。人を憎む気持ちも、その分だけ強かったはずだ。
 俺と同じように刀解を望んだことがあったかもしれない。もしかしたら本霊に戻ることさえ拒んだかもしれない。
 だからきっと、俺の言葉は彼女にとって酷く残酷なものだったに違いない。もう一度心からの拒絶を聞くことになろうとは思わなかっただろうから。
 けれど俺は告げる。この優しい人間にとって、最も残酷な言葉を。


「俺を、刀解して」


 有無を言わせぬように語気を強めると、審神者がぐっと目を閉じた。
 そして、そのまま口を開いた。


「……私で、良いのか」
「うん」
「何故、私なんだ。私で、後悔しないのか」
「しないよ」
「君を終わらせるのが私で、本当に後悔しないのか」
「終わりじゃない」


 そこでようやく、審神者が目を開けた。
 眉を寄せて、泣きだしてしまいそうなのを堪えているように見える。
 珍しく視線を合せなかったのは、涙を堪えていたからなのかもしれない。


「終わりじゃない。本霊に戻って、一つになって、やり直すんだよ。そうして生まれ変わるんだ。俺が俺だった記憶は消えてしまうけれど、あんたみたいな人と出会いなおすためには、必要なことなんだ」
「……え?」
「俺、あんたに感謝してるんだよ。仲間のために花を供えてくれたこと。三日月達に生きる気力を与えてくれたこと。そして何より、人を愛していたことを思い出させてくれたこと」


 人を愛することはできないけれど、人を愛していたことを思い出せてよかったというのは本心だ。
 少し前の俺だったら、そんな風には思えていなかっただろう。それもこれも、彼女のおかげだ。彼女があまりにもまっすぐに言葉を投げかけてくれたから、少しくらいならほだされても良いかもしれないと、そう思ったのだ。
 だから俺は、破壊ではなく刀解を選んだ。


「俺、あんたと出会えてよかった」


 全て元通りに、とはいかない。けれど、主が好きだと言ってくれた、優しかった俺に戻れた気がするのだ。
 彼女以外だったら、もっと違った結果になっていただろう。俺が優しくなれたのは、他の誰でもなく、彼女だったからだろう。弔いに紫苑の花を供えるような優しいあんただから。


「俺はあんたの刀にはなれないけれど”ありがとう”って言う気持ちは本当だから。だからその気持ちをあんたにあげようと思って」
「気持ち……?」
「そう。俺を溶かして、俺と俺の仲間を混ぜて、一つの刀にして」
「一つの、刀……?」


 そこに俺の魂はない。宿る命もない。
 死んだ刀と、還ることを望んだ刀の残骸でできる物。刀剣男士に戻ることはできないけれど、使えないことはないだろう。極上の玉鋼で造られたものを再度打ち直すのだから、切れ味は抜群に良いはずだ。


「護衛とはぐれた時にでも使ってよ。あんた危なっかしいからさ、身を守れるようなものでも持たせておかないと、周りが安心できないでしょ?」


 恩返しくらいしたいな、と思う程度には、俺はこの審神者を気に入っている。
 でも俺は刀剣男士で、彼女は審神者だ。この二つは主従であることを当然とされる存在なのだ。
 けれどそれは俺の望むところではないから、その形では一緒にいられない。
 それが彼女のためにならないことは分かっている。彼女にとってどれだけ残酷なことであるかも。けれど人のために在ることは、もうやめたいのだ。


「人のために刀は振るえない。けど、あんたに恩は返したい。それが俺の望みだよ。三日月達も、それが俺の望みならと了承してくれた」


 だからお願い。俺を溶かして。
 そう言って審神者を見つめると、審神者は力強く頷いた。
 きっと深く傷つけた。一生心に残るほどの深い傷を。
 けれどその強い瞳から、涙が流れることは決してなかった。



 ねぇ、紫苑の花言葉を知ってる?
 その花に乗せられた言の葉は「君を忘れない」
 弔いの花にかの花を選んでくれたあなたなら、人を愛した刀がいたことを、覚えていてくれるでしょう?




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