あなたのためのぼく






 ゲートの不備によりブラック本丸に迷い込んでから五日。政府に保護されたのも同じく五日前だ。
 私――椿の本丸のゲートは未だ復旧しない。
 否、復旧自体は終わっているのだが、別の本丸に繋がった原因がはっきりとしないからゲートをくぐる許可が下りないのだ。
 こんのすけは「自分達のミスを認めたくないだけだろう」と毒舌を吐いていたが、実際のところは分からない。こんのすけの言うように政府の接続ミスなのか、もっと他に原因があるのか。専門家ではないから、私には判断しかねるところだ。


(早く、帰りたいんだがな……)


 過去の人間である私は、政府から厄介者として扱われている。過去の人間が未来を知ることなど本来ならばありえない事態なのだ。私が未来の情報を過去に持ち込めば、歴史を改変することだってできてしまう。一歩間違えれば、人類の敵だ。白い目で見られるのも無理はない。その上、私の刀剣男士は訳ありであるから、目の上のたんこぶ以上に邪魔な存在であるのだろう。
 そんな私に政府に居場所などなく、居心地は最高に悪い。早く安らげる場所に帰りたいと重いのは当然のことだと思うのだ。


(随分と心配を掛けてしまったようだしな……)


 スレでは平静を装っていたようだが、本丸との通信が許可された三日目など、刀剣達の声が途絶えることはなかった。
 聞こえていた声は皆一様に明るかった。
 否、明るく聞こえるように努めていた。
 常と変らぬ口調で話そうとも、声は震えていたし、隠しきれない安堵の色が混じっていた。中には耐えきれずに涙声になっている者もいたくらいだ。それほどまでに心配を掛けた。
 彼らにとってブラック本丸という存在の闇は大きく、深く根付いている。その大きさと深さの分だけ、心配を掛けた。計り知れるものではない。
 だから私は無事だと伝えたかった。声だけでなく、無傷で、常と変らぬ私を見せて。


(それに、私が無事本丸に帰らないことには、加州たちも安心して先に進めない様だしな)


 私が迷い込んだブラック本丸にて出会った刀剣―――加州清光、三日月宗近、岩融、そして明石国行。まぁ、他三振りの希望で明石国行とは刀の状態でしか対面していないが。
 その彼らに、私は無謀な人間として認識されたらしい。手入れを終えた加州と、私の霊力により再度顕現された三日月と岩融に、私が本丸に帰れる目途が立つまで自分達の行く末を告げるつもりはないときっぱりと言われたのだ。だから私は、彼らが新たな道を進むためにも、一刻も早く本丸に帰りたいのだ。
 とは思うものの、政府の許可が下りなければ本丸に帰ることはかなわない。
 刀剣達がいなければ通常業務はできないし、書類仕事の大部分もそれらに関する報告書がほとんどだ。つまりやることがない。けれども、ただ無意味に時間を過ごすのは私を心配する刀剣達に申し訳なくて、三日月達と交流を図ったり、政府に保管されている資料を読み漁って知識をつけることにした。
 今日は、資料室にこもるつもりだ。あまり人が来ないから、政府で唯一一人になれる場所であって、ここで唯一の安らげる場と言っても良い。
 他人の評価を気にして一喜一憂するタイプではないが、値踏みするような目で見られたり、敵意のこもった視線をぶつけられ続けるのはさすがに辟易する。そんな私を気遣ってか、資料室に行くときは、小夜は加州達と共にあてがわれた部屋で待っていてくれる。一人の方が、気を張らずに済むと考えてくれてのことだろう。


(ありがたいなぁ……)


 そういうちょっとした優しさが酷く心にしみる。優しい彼らのために、よりいっそう努力せねば。


「ど、どうしよう、やく兄! 迷っちゃったよぉ……!」
「大丈夫だって、大将。まだ時間はたっぷりあるんだ。落ち着いて、な?」
「そうだけど……。何で、いつもの会議室じゃないの~! 第二会議室なんて行ったことないよ!」


 随分とかわいらしい声が聞こえた気がした。
 そのソプラノは、大人のものではない。背後から聞こえてきた声に振り向けば、そこには少女がいた。年の頃は十を少し過ぎた程度だろう。その子供の刀剣であろう薬研を見上げなければならないほどに小さい。
 あまりの幼さに少し驚いた。小学生とおもわしき少女でさえ審神者として活動しているのか、と。


「あっ! やく兄! 人がいたよ! 審神者のお兄さん!」


 その子供は私の存在に気がつくと、薬研の手を引いて私のもとに駆け寄ってきた。


「あ、あのっ、すいません! 私たち、道に迷ってしまって、第二会議室ってどこに在るか分かりますか!?」


 近くで見ると、更に小さいように感じた。私の胸元ほどしかない。
 ただでさえ小さい短刀よりも小さいのだから、この少女は本当に幼いのだ。


「第二会議室か……。ここからだろ少し複雑な道順になってしまうな。ここから中庭に行けるだろうか?」
「えっと……あんまり自信ないです……」
「じゃあ、一緒に行こうか」
「いいんですか!? ありがとうございます!」
「悪いな。頼むぜ、旦那」


 よかったーと笑いながら、少女は薬研と手を繋ぐ。その姿は自然で、仲のいい兄妹のようだ。「やく兄」と呼んでいたし、本人たちもそんな心地なのかもしれない。


「ところで、会議室に行きたいということだけれど、どういった要件なんだ? 集会や会議の知らせなんてなかったと思うんだが……」
「あ、そういうんじゃないんです。私個人のお仕事で……」
「君個人の仕事?」
「はい。ブラック本丸跡地の浄化です」


 思わず、足が止まった。


(あの本丸に行くのか、この子が。加州達と出会った、あの本丸に)


 霊力とか、そう言ったものに疎い私でも分かる。この子は綺麗な子だ。
 こう思うのはこの少女が可愛らしい顔立ちをしているからではなく、纏う空気がそう思わせるのだ。しとしとと染み込んで内側から変えていく様な、優しい気配。
 例えるなら雨。広大な大地に溶け込んで、その地を潤す恵みの雨の様な。
 口ぶりから察するに、この子が役人の言う浄化専門の審神者なのだろう。浄化の雨、と表現するのがいいかもしれない。


(そうか……。あそこに行くのか……)


 確証はない。けれど、このタイミングで浄化しなければならない本丸は、加州達のいた本丸だけだろう。そういくつも、浄化しなければならない本丸があってたまるか。


(あそこに……)


 穢れを含んだ空気は、今でも鮮明に思い出せる。健全な人間の行くべき場所ではない。
 けれど、もとは美しい場所だったのだろう。それを汚したくないと、美しさを保とうとしていた形跡があった。
 加州が激昂して、人間というものを解いた。
 その心は、彼の審神者が、もとは心の綺麗な人であったからに他ならないだろう。それが、何かのきっかけで壊れてしまって、道を誤った。
 彼は嘆き、憤るしかなかったのだろう。主を変えてしまった何かに。
 彼の主が壊れてしまったきっかけも原因も私は知らないから、その感情の矛先が何故自分に向いたのかは分からない。他に感情を向ける物がなかったから、居合わせた私にぶつけられただけかもしれないけれど。

 血がたくさん流れ、多くの命が失われた場所であるのは事実だ。思い出したくないようなことも、たくさんあるだろう。けれど、それだけではないはずだ。美しい思い出も、大切にしたい記憶も、きっとある。
 立ち止まった私を、兄妹のような二人がそろって見上げた。とてもよく似た動作で見上げられ、思わず笑みがこぼれる。


「元に、戻してやってくれ」
「え?」
「きっと、最初からそうだったわけじゃないと思うんだ。綺麗だった頃も、忘れたくない思い出も、きっとある。だから、その頃の様に戻してやってほしい」


 それは私の願望かもしれない。都合のいい妄想かもしれない。けれど信じたい。美しい瞬間があったことを。支えてくれる人間が見つかるまで、彼らの支えとなってくれるように。


「大切に、してあげてほしいんだ」


 これは私の願望だ。あるいは懇願だ。こんな幼い子に託すような想いではない。けれど、本丸の浄化は私にはできないことだから。


「勝手なことばかり言ってすまない。無理に背負うことじゃない。私の勝手な願いだ。彼らが望んだことでもない。私の自己満足だ」


 分かっているけれど。それでも願わずにはいられないのだ、彼らの幸福を。
 愚かだと罵られてもかまわない。合って間もない彼らに何故そこまでと言われても仕方がない。けれど、本当に嬉しかったのだ。また人を愛したいと思ってくれら、その事実が。


「はい」


 少女が言った。


「心を込めて、綺麗にさせていただきます。きっと、あなたの独りよがりなんかではないから。刀剣達も、きっと望んでいることだから」


 きゅ、と口を引き結んで、まっすぐに私を見て、少女は頷いてくれた。
 言葉は少なかったけれど、その瞳が何よりも雄弁だった。真摯に私の言葉を受け止めて、本当に大切にすると、その瞳が誓ってくれた。
 それだけで、十分だった。


「ありがとう」


 心を込めて礼を言うと、少女は花が咲いたように笑った。
 彼女ならば大切に扱ってくれるだろうと分かったから、久々に清々しい気分で笑みを浮かべることが出来た気がした。



* * *



 政府内部は簡単なようでいて、複雑な作りをしている。もし遡行軍の襲撃にあった時、審神者の本陣である政府が一網打尽にされるようなことがないようにするためであるらしい。術を施してある場所もあるという噂だ。
 会議室や資料室などは重要な書類などが保管されており、奥まった場所に隠れるように存在していたり、それらしくない見た目をしているため、見落としてしまいがちだ。迷うのも無理はない。
 けれど、政府の中央に位置する中庭から見れば、どうということはない。


「さて、中庭に着いたらもう簡単だよ」


 さまざまな草花が咲き乱れる中庭は政府内で唯一の癒しの場だ。そのため癒しを求める役人たちの憩いの場となっており、いつも誰かしら人がいる。
 今日は珍しく、誰もいなかった。


「正面に見える出入り口から向かって右側の階段を上って、左へ。一見会議室には見えないけれど、その突当りにある部屋が第二会議室だよ。不安だったらそこまで送っていくけど」
「階段を上って左ですね! 分かりました! ここまでで大丈夫です!」
「わざわざすまねぇな、旦那」
「ご親切にありがとうございます!」


 にこにこと笑う二人の笑顔が眩しい。笑った顔もなんだかお互いに似ている気がして、微笑ましい。
 綺麗な草花も見ていて癒されるけれど、満面の笑みも、また違った癒しをくれる。


「なら、よかった。それと、最後に一つだけ」
「はい?」
「残念ながら、私は『お兄さん』ではなく『お姉さん』だよ」


 また会えたらいいね、と言って踵を返す。
 絶叫する二人にひらりと手を振ることで、別れの挨拶とした。
 呆然としつつも律儀に手を振ってくれる二人は、やっぱり可愛かった。





 来た道を戻り、資料室を目指す。
 中庭から室内には行ったところで、私のそばに人影が立つ。


「話は終わった?」


 加州清光だった。
 加州は柔らかい笑みを浮かべていた。
 彼は穏やかな刀剣であると思っていたけれど、ここまで優しい表情をした彼を見たのは初めてのことだった。
 とても温かい笑みで在るのに、私の心は何故だか冷えていく。嫌な感じだ。深く傷つく、予感がする。
 けれど彼はいい意味で私の予感を裏切った。


「数日のうちに、門の通行許可が出るらしいよ」
「そうなのかっ?」


 一瞬で気分が上向く。我ながら単純だと言わざるを得ないが、嬉しいものは嬉しい。
 何年も引き離されていたわけでもないのに会いたい気持ちが驚くほど強い。やっと会えると思うと思わず口元がゆるむ。
 そんな私を見て、加州は目を細めた。


「よかったね」
「ああ!」
「それでさ、ちょっと頼みがあるんだ」


 どくり、と心臓が跳ねた。頭の中で、ガンガンと警鐘が鳴る。これを聞いてはいけないと、私の中の何かが告げる。
 けれど加州は、無慈悲にも笑って告げたのだ。


「俺を刀解して」


 世界から、すべての色と音が消えた気がした。




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