【ゲートの】ブラック本丸に迷い込んでしまったんだが【故障?】 3
愛刀が一振り、山姥切国広とのやり取りに区切りをつけ、椿は端末を切った。
入れ替わるように、こんのすけがスレに介入した。
こんのすけは政府の協力のもと、公共の電波(審神者界限定の特殊な電波である)に介入する力を持っている。その力を用いれば、端末を持たずともスレへの書き込みを行うことが出来、実況にはうってつけの存在であった。なので椿はスレのことはこんのすけに任せ、自身はこの本丸のIDと刀剣男士の捜索に専念することにした。
本丸内はどこもかしこも薄汚れていて、空気はどろりと重い。長い間閉め切った部屋の様な、澱んだ空気をしているのだ。
(こんなところにいたら、気が滅入るのも頷けるな)
椿はブラック本丸という場所を初めて知った。けれどなるほど、とどこか納得するものを感じる。この薄汚れた空間と、不健全で不健康な空気が、徐々に健やかな心を蝕んでいくのだ。そのうちに自分を見失い、在りたい自分でいられなくなり、壊れていく。そうして生まれるのだろう。深い傷を持った刀剣が。心の壊れた刀剣が。
(そこに大切な人間からの暴力、か……)
壊れるのも当然だ、と椿は眉を寄せた。生きるのを諦めたくなる気持ちも、分からなくはない。
心をきしませるような暴力に晒され、蝕まれる恐怖と闘うのは、きっと想像を絶する苦痛だろう。それから解放されたいと思うのも、無理はない。
(けれど彼らは、そこから立ち上がったのだよなぁ……)
隣を歩く小夜を見て、改めて感嘆する。
健やかであるはずの自分ですら気が滅入りそうな場所で、それでも必死に生きて、今に至るのだ。凄いなぁ、と目を細めた。
(って、感心している場合ではないよな)
軽くかぶりを振って、前を見据える。
この本丸は、椿の本丸よりも、はるかに広い。おそらくほぼすべての刀剣がそろっていたのだろう。それに合わせる様に改築した後が、ところどころに見受けられる。その分執務室を探すのは困難で、骨が折れる。
椿は珍しく、げんなりとした様子でため息をついた。
(ここは本当に気が滅入る……。新鮮な空気が吸いたいものだ……)
そのためには、やはり執務室を見つけなければならない。
しかし、椿の関心は、もっぱら刀剣男士の方にあった。
椿はずっと違和感を抱いていたのだ。こんのすけに説明したように、この本丸の刀剣男士が、本当に自分を斬る気であったのかということ。
根拠というには弱いかもしれないが、彼らの錬度ならば、小夜はとっくに折られ、自分はとうの昔に斬り伏せられているはずなのだ。
弱者をいたぶる趣味でもあるのならば別だが。そんなことはないだろう、と椿は確信していた。
(彼らはどちらかというと―――……)
ちり、と肌を刺すような気配を感じた。この廊下をまっすぐ行った、突き当たりの広間からだ。ぞくりと背筋が粟立つ感覚に、椿は拳を握りしめた。
その気配は、今すぐこの場から逃げ出したいのに立っている気力すら奪おうとする。それはおそらく『殺気』と呼ばれる物の類。
椿はそれに、驚くほど敏感だった。殺意を向けられた経験により、死に対する認識が変わったためだろう。意識的にも、無意識的にも。
それに加え、素振りの延長で行う刀剣達との打ち合い。剣道のそれとは違う、戦場でのものだ。時折殺気すら向けてくるそれは、恐ろしく実践的なものだった。
それにゆえに、椿は自分に向けられる殺気と殺意には意図せずして敏感になって行った。そして、その種類にも。
(やはり違うな)
これは殺気に似せた何か、だ。椿にはその奥に潜む感情を隠す虚勢のように感じられた。
(これは、彼らの出す気配に似ている)
打ち合いの時に椿の刀剣達が向けてくるものに近い。殺気とはこういうものなのだと。この類の気配を向けられたら危ないのだと、そう教えてくれるような、そんな気配なのだ。
冷たくも荒々しい気を向けられているにもかかわらず、椿は口元を緩めた。
「姐様」
小夜が本体を構え、椿の前に立つ。こんのすけも毛を逆立てて椿達を庇うように前に出る。
しかし椿はそれを制し、小夜の髪を撫でた。
「小夜、こんのすけ。君たちはここで待っていてくれ」
「なっ……!? 何を言い出すのですか、姐様!」
「姐様、本気なの?」
「ああ」
ぽん、と優しく頭に手を置いて、椿は困ったように笑った。
「彼らはただでさえ私を怖がっているんだ。君の様に戦える存在を連れていては、更に警戒させてしまうだろう?」
椿の言葉にこんのすけは眼を丸くし、小夜はぽかんと口を開けた。
そんなまさか、というようなこんのすけと、徐々に納得がいったというように落ち着いていく小夜の対比が面白い。
椿が口元を緩めると、こんのすけが声を上げた。
「まさか! ブラック本丸の刀剣男士様のほとんどが人間を憎んでおります! 稀にそうでないお方もおりますが、あくまで稀に、です。出来る限り接触は避けてIDを探しましょう?」
「そんなことないよ」
こんのすけの言葉を真っ向から否定したのは、小夜だった。
「僕らは人がいなかったら生まれることすらなかった存在で、人が僕らを”刀”と呼ぶから、僕らは”刀”で在れるんだ。僕らは人が好きだよ。嫌いになるのを、恐れるくらい」
小夜が、まっすぐに椿を見つめる。
ようやっと、小夜は理解した。
加州が門前にて声を荒げて威嚇した理由も。岩融が椿を知ろうとした理由も。三日月が手加減をした理由も。全部全部、人を愛する心を失っていなかったから。
嫌いになりたくないから、これ以上傷つけるなと。人が好きだから傷つけたくないと。だからこちらに向かってくるなと、そう訴えかけていたのだ。
「「まぁ、あくまで私/僕の憶測なんだけど」」
意図せずして重なった声に、声を合わせた二人が笑う。
一匹置いてけぼりのこんのすけは、呆然と二人を見上げていた。
「まぁ、間違ってはいないと思うんだけど、」
答え合わせをしようじゃないか。
椿は颯爽と廊下を歩く。距離にして約10メートル。振りかえることなく、まっすぐ進む。
襖に手をかけ、椿は笑った。
―――さぁ、話をしようじゃないか。