不穏の影
「いきなりすいません、都先輩」
「後輩は先輩に甘えるもんだよ。ようこそ、椿さん」
優しい笑顔で私を出迎えてくれたのは、審神者見習いだった私を受け入れてくれた先輩審神者の都さんだ。
ちなみに『都』というのは本名ではなく、審神者としての名前である。
これは私も前担当でもある役人さんからもらったもので、先輩の都という号は『都忘れ』という花の名前から取ったそうだ。
そして『椿』というのが、私の号だ。
「今日の近侍は小夜くんなんだね。ようこそ、小夜くん」
「う、うん……」
小夜が私の装束の裾を握りながら都さんを見上げる。都さんはそんな小夜に柔らかい笑みを向けた。
小夜の緊張が少しだけ解れたのが分かった。
都さんは穏やかで柔らかな人だ。夏のそよ風や冬の日差しを思わせる、そんな人。
けれどしっかりとした芯を持った、強い人でもある。
そんな気性が気にいったのか、私の刀剣達も、政府役人には見せないような表情も見せたりする。
私には持ち得ない物をたくさん持っていて、羨ましくも素直に尊敬できる人だ。
都さんが、柔らかい笑みのまま、私を見上げた。
「さぁ、入って。皆お待ちかねだよ」
都さんの先導に促され、私たちは先輩の本丸に足を踏み入れた。
小夜をこの本丸の短刀たちに預け、私は都さんとともに客間へと向かった。
お待ちかね、の言葉通り、私たちは盛大に歓迎された。
小夜が来ると聞いて、兄刀たちが玄関先で待機しており、客間に向かう道中では短刀たちに群がられていた。
私のことを待っていてくれた刀達もいるようで、鶴丸や和泉守(敬語、敬称はいらないと言われた)なんかが「よく来たな!」と笑ってくれた。
相変わらず、笑顔あふれる温かい本丸だ。
「主ー。お茶が入ったぞー」
「お、ありがとな、獅子王」
「後輩もどーぞ」
「ありがとう」
都さんの今日の近侍は獅子王だ。レア刀剣というわけではないそうだが、前の本丸では一度も現れなかった刀剣だ。
他にも槍や薙刀、大太刀なども顕現されたことがなかったため、私の刀剣達は酷く珍しがり、皆興味を示していた。
早く私の本丸にも来てほしいものだ。
「んじゃ俺は隣にいるから、何か用があったら呼んでくれよな!」
「おー」
ひらりと手を振って、獅子王が隣室へと消える。それを見送って、都さんが私を見やった。
「しばらく雑談する? それとも本題に入る?」
都さんがからかうように笑うのをみて、私は苦笑した。
都さんは人をよく見ている。きっと私が回りくどいのを苦手としていることもお見通しなのだろう。私が後者を選ぶと、やっぱり、と言って笑みを深めた。
「相談したいことがあるんだって?」
「はい。実は、刀剣がドロップしないのです」
湯呑に伸ばしていた手が止める。浮かべていた笑みと湯呑に伸ばしていた手を引っ込め、都さんが眉を寄せた。
「……まだ十振りのままってこと?」
「いえ、十三振りになりました。一振りは鍛刀ですが、後の二振りはドロップです」
「……結果を聞いても?」
「はい。鍛刀にて一期一振を。ドロップにて厚藤四郎、および宗三左文字を」
「まじか」
都さんが真顔になる。
何かおかしなことを言ってしまったか、と自分の言動を振り返っていると、都さんが真剣な表情で私を見た。
「レア刀剣に興味がなくとも、刀剣のレア度くらいはきちんと把握しておこうね? みんながみんな、君と同じような考えではないんだから。あまり迂闊だと、余計な諍いを生むことになるよ」
「はい……」
三振りの中にレア刀剣がいたのか。鍛刀時の様子を見るに一期だろう、と予測する。
既に演練似て諍いを起こしてしまったことは口が裂けても言えない。
そう思ってしまうくらいに、都さんの目は据わっていた。
「まぁお説教はまた今度。今度うちでレア刀剣講座を開いてあげるから、その時にね」
「はい……」
「話が逸れたね」
都さんが話を戻す。
獅子王が入れてくれたお茶をすすり、ふっと息をつく。
都さんが、一旦伏せた目を持ち上げ、私を見る。彼は先ほどとはまた違う、鬼気迫る真剣さを持って、私を射抜いた。
「刀剣がドロップしない理由は大きく分けて二つ」
覚えてる? と尋ねる都さんに、私はもちろんだと頷いた。
一つは錬度上限。
敵はこの国の歴史を根本から変えるべく、より深い時代を目指して日々進軍している。そのため比較的浅い時代には、あまり戦力を裂いてはいないのだ。行ってしまえば、捨て駒の様な者たちを集めた部隊しかいないのだ。
政府もそれを理解しており、彼らを攻略できる錬度を割り出し、それをもとに戦場に錬度の上限を設けたのだ。
それを超えた部隊が出陣すると、道中で発見されるはずの資材や刀剣などは没収され、政府のものとなる。より深い時代へ潜り、敵の殲滅を図ってほしいからである。
もう一つは勝利ランク。
この戦争では審神者と刀剣の士気を高めるために、刀剣達の勝敗がランク付けされるのだ。
Sランクを最高とし、AからCまでの4段階と敗北に分かれている。
ランクが上であればある程、より良い采配を振るうことが出来た証であり、刀剣達がより多くの敵を狩った証拠でもある。
そしてそれだけ余裕を持って勝利できたという事実でもあるのだ。刀剣がドロップする理由はこれである。
周りを見回す余裕が持てるほどの圧倒的な勝利が得られたがために、刀剣を見つけて持ち帰ってこられるのだ。
私が最初、刀剣をドロップしなかった理由は、私が戦ごとに慣れていなかったことと、錬度の飛び抜けた廣光や鳴狐を織り交ぜて出陣させていたことにある。
刀剣達もともに都さんのもとで学んできたため、これについては理解しているので、最近は自主的に遠征に出向いてくれている。
だからここしばらくは錬度の上限は超えていないはずなのだ。
勝利ランクもB以下には落ちていない。もっぱらAランク判定をもらっている。それなのに、刀剣がドロップしないのだ。
「それは、可笑しいな……」
私の本丸の現状を聞き、都さんが眉を寄せる。腕を組み、首をかしげた。
「不具合……いや、ドロップはメンテナンスとは……」
そこまで呟いて、ハタ、と動きを止める。
一瞬都さんの顔色が悪くなり、そんなことはないと首を振る。
「都さん?」
「……何でもないよ。それより、刀剣がドロップしなくなったのって、いつ頃から?」
「ええと……担当役人が変わってから、ですね。少し気落ちすることがありまして、それが原因で采配を振るう手が鈍ったのかと……」
それがあまりにも続くものだから、相談に。
そう答えると、都さんは心配そうに顔を歪めた。
「担当さんと上手くいってない? 前担当さんが厳しい人がつくことになったから心配だって言ってたんだけど、そんなに厳しい?」
「いえ。確かに前担当さんから比べると厳しい人だとは思いますけれど、私にはそれくらいが丁度いいのだと思います」
甘やかされてばかりでは、どうしても自分に甘くなってしまいそうで、怖い。自分を律することが出来なくなりそうで、恐ろしいのだ。それではいけないのに。
「無理はしないようにね。体調を崩したりしたら、元も子もないし」
「はい」
隊長に関しては、何の問題もない。ここ数年風邪ひとつひいていない健康優良児ぶりだ。
崩すときには崩すのだろうが、今のところ、いたって健康だ。
精一杯笑って返すも、都さんの顔色は晴れない。
「それで、刀剣がドロップしなくなった理由についてなんだけど……」
小さく落とされた言葉に、息が詰まる。
都さんはわずかにうつ向かせていた顔を上げ、まっすぐに私を見た。
「分からない」
都さんは悔しそうに言った。
「ドロップする刀種が限られているという話なら聞いたことがあるけれど、刀剣そのものがドロップしないなんて聞いたことがない。……力になれなくてごめん」
歯を食いしばって、都さんが強く拳を握る。
悔しがっている都さんには悪いが、少しだけ心が軽くなった気がした。
それだけ自分のことを考えてくれているということなのだから、嬉しくて当然なのだけれど、それは尊いことだと思うのだ。
「いえ、構いません。私も突然押し掛けてしまって、申し訳ありません」
「いやいや、後輩に頼ってもらえて嬉しかったよ。頼ってくれてありがとう。今後、俺にも同じようなことがあったら困るから、調べてみるよ。何か分かったら連絡するから」
「ありがとうございます」
気を使ってくれているのだろう。私が気に病まないように。
三年間審神者に従事して、それでも私のような例を見聞きしたことがないのなら、そう起こり得ることではないのだ、これは。
自分でもきちんと調べて、演練で他の審神者に尋ねてみるのもいいだろう。万屋で退役審神者に話を聞くのもいいかもしれない。
そんな風に考えながら、生きよりも少し軽くなった心で、私は小夜とともに都さんの本丸を後にした。
思ったより早く用事が済んだから、ちょっと寄り道を検討して。