不穏の影






 私――刀剣達からは姐さんと呼ばれる審神者――の本丸の担当役人が変わった。おっとりとした穏やかな男性から、神経質そうな見た目の男性へと。
 新しい担当役人は三十代半ばくらいの、気難しそうな人だった。そして前担当となってしまった役人さんの言う通り、厳しい人だった。

 「甘えるな」と強く言われた。
 前担当さんは妻子のある方で、子を想う親の気持ちの分かる人だった。
 だから私の不遇を嘆き、家族との思い出を渡してくれた。
 本来ならば、贔屓に当たるからしてはいけないこと。つまり私を優遇してくれていたのだ。
 「甘えるな」という言葉が、胸に刺さった。

 分かっているつもりでいた。これは戦争なのだと。
 「家族を恋しがっている暇はないのだ」と。
 改めて認識させられた現実の冷たさに、横っ面を張り飛ばされた気分だ。
 まったくもってその通りなのだ。

 この戦争を終わらせるために、審神者の才ある者は審神者として徴収されているのだ。
 そして私は自ら志願してここにいる。
 敵はいまだ未知数。それとなく辺りはつけているようだが、敵の正体も分かっていない。甘えを見せている暇はないのだ。
 担当が分かってよかったかもしれない。前担当のあの人では、きっと甘えを見せ続けてしまうから。


(それではいけない)


 自分を、律しろ。



*   *   *



「いいことだと、思っていたんだけどな……」


 担当役人が変わって、しばらくが経った。
 戦績は変わらず。運営は順調。私も刀剣達も、体調不良一つ起こしていない。
 なのに、


(刀剣が、ドロップしない……)


 采配の腕が落ちたのだろうか。それとも刀剣のドロップとはそれほど稀なことなのだろうか。
 采配の質が落ちたようには思わない、といったのは長谷部だった。
 しかし、刀剣のドロップについては分からない、と言われた。前の本丸が普通ではなかったから、普通の感覚が分からない、と。
 戦績は変わらない。采配が悪いわけでもない。だとすれば、原因は何だ?


(堪えている、のだろうか……)


 堪えているのだろう、とは思う。家族のことが。


(情けないな……)


 私の刀剣達は、戦場に過去の嘆きを持ち出さない。
 私もそれに習ってはいるのだけれど、漏れ出てしまっているのかもしれない。


(そんなんじゃ、駄目だろう)


 何故私はここにいる。彼らを幸せにするために、ともに戦うためにいるのだろう。
 刀としての在り方を、彼らはようやく取り戻したのだ。
 本丸では笑いあって、戦場ではともに駆ける。彼らの欲していたものを、徐々にではあるが、確実に与えられていると思っていた。その矢先に、これだ。

 新担当の役人さんに相談してみても、采配が悪いのだろう、とはっきり言われた。
 大かた、刀剣達が主の機嫌を損ねないよう、気を使っているのだ、と。


(そう、なのだろうか……)


 ありえない話でないだけに、怖い。前の本丸のこともあるし、最近の私がどこかおかしいのは目に見えて明らかだ。気を使うのも無理からぬこと。
 特に今剣や小夜なんかは、よそよそしい態度を見せるときすらある。


(駄目だな、私は……)


 覚悟を決めたはずなのに。
 机に突っ伏したい様な気持ちを押さえて、ため息をつく。
 そのため息を聞かれたのか、近侍の長谷部が顔を上げた。
 ああ、そうだった。私は彼と書類仕事に追われていたのだ。


「姐様? 大丈夫ですか?」


 いつも凛々しくつり上がった眉を下げ、長谷部が問う。
 ゆらゆらと揺れる藤色の瞳に、申し訳なさと不甲斐ない気持ちが溢れた。
 自分の不調、不安は刀剣達に伝染する。心を通わせすぎた弊害だろうか、彼らにはこちらの感情が伝わってしまうきらいがあるようだった。


「ああ、大丈夫だ。少しぼうっとしていただけだ」
「具合でも悪いのですか?」
「いいや?」
「気詰まりでしょうか? 気分転換でもします?」


 心配そうに長谷部が首をかしげる。
 本体すら差し出すのは、さすがに苦笑した。
 確かに素振りはいい気分転換になるのだけれどね。


「魅力的な申し出だけれど、もう少し頑張るよ。明日の仕事にも、少し手をつけておきたいんだ」
「明日……?」


 長谷部が表情を険しくさせる。体調不良を心配された直後に仕事の話をしたものだから、その表情には納得するけれど、本当に体調は悪くないのだ。むしろいたって健康なのだ、体だけは。
 問題なのは心の方だと思う。
 だから少しでも憂いを払いたいのだ。


「ああ。明日、先輩の本丸へ行こうと思って」


 にっこりと笑うと、長谷部がきょとりと目を瞬かせた。
 それが何だか幼くて微笑ましくて、心の底から笑みが溢れた。







(愛しい君らのためだもの、私はいくらでも頑張るよ)




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