あいのひと






「今夜はちゃんと布団で寝るから、今日はもう勘弁してくれないか?」


 そう言って苦笑する主、否姐様は、布団の上で正座をしている。対する私も、畳の上で正座をしている。
 なぜこのような状態になっているのかというと、それは姐様が布団に戻らず、畳の上で寝ていたからだ。
 昨夜、夢見の悪かった私の世話を焼き、私が再び眠りに落ちるまで、姐様はずっと手を握ってくださっていた。私が寝たら自分も寝ると、そうおっしゃって。
 主よりも先に眠るのは心苦しかったが、姐様の性格を考えると、有言実行しようとするだろうから、それならばせめてと、出来る限り早く眠るように心掛けたのだ。
 姐様の霊力の心地よさもあって、私は早々に眠りに落ち、気付いた時には朝を迎えていた。
 眠りの質が良かったのか、昨日よりも早くに目が覚めたのだが、睡眠は十分に足りていた。
 清々しい気分で起き出して、ふと気付いたのだ。私の隣で私の本体を抱え、私の手を握ったまま眠る姐様がいることに。それも畳の上で、布団もかぶらずに。
 それに気づいた私の動きは短刀の機動を超えていたように思う。すぐさま姐様を自分の寝ていた布団に寝かせ、布団をかぶせた。
 きっと思考は脳にまで到達していなかっただろう。思考なんて停止していたかもしれない。それほどまでに驚いた。
 それと同時に憤りもあった。それ以上にそうさせてしまった原因が自分であるという不甲斐なさがあった。
 さまざまな感情が淘汰され、もはや無表情だったと言える。
 能面の様な顔の私を見て、他の肩より早く起き出す近侍や厨番の方々を驚かせてしまったのは非常に申し訳ないが、それは後で謝っておくとして、優先すべきは彼らと会わせるようにして起き出した姐様だ。
 朝が弱いらしい姐様はしばし呆然としていたが、私を視界に収めた瞬間、我に返ったように目を見開き、それから困ったように苦笑した。自覚がある様で何よりだ。
 私は朝起きて第一声、あいさつとともにこう言った。


『おはようございます、姐様。私の機嫌が悪い理由はおわかりですね? そこになおりなさい』


 そして冒頭に至る。
 厨番の小夜殿と国広殿。近侍の薬研はすでに仕事に取り掛かっている。他の方々も起き出して、着々と準備を終わらせていく。私と姐様だけが、未だに寝巻でいた。それが落ち着かないのか、姐様はしきりに厨のある方に目をやっている。
 睡眠の足りない体で働こうというのだから、姐様の気まじめさには恐れ入る。


「昨日……今日というべきか? ……今日はさ、珍しく他に魘される者がいなかったんだよ。だから、起こしてしまうのが忍びなかったんだ」


 声をひそめて、囁くように姐様は言った。
 慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。本当に嬉しそうに笑っていて、言葉に詰まる。
 確かに、自分達刀剣男士は戦場で生きる存在だ。気配には敏感であるし、物音など立てようものならそれを察知してしまうのも仕方のないことだ。
 気持ち良さそうに寝ているところを起こしてしまう申し訳なさも分かる。いつも夢に魘されている者が相手であれば、特に。
 けれど、それがもとで自分が体を壊してしまうことなど、考えつかないのだろうか。それがもとで、病んでしまいでもしたら。
 自分達刀剣男士は、元が道具であるから、大切に使ってもらえるのは嬉しい。
 けれど、犠牲を孕んだそれを、心から喜べないのもまた事実だ。


「大切に、してください。まずは、ご自身を」


 愛ゆえの献身は身に沁みて分かっている。その愛情深さは、体験したばかりだ。
 けれど、自分一人すら大切に出来ないものに、一体何を、誰を大切に出来るというのだ。その愛情を、まずは自分に向けるべきだろう。


「愛してください、ご自分を」


 目の奥が熱くて、視界がぼやけ出して。情けなくも、泣いてしまいそうだった。
 声が震えて、体が怯えて、目が合わせられなかった。
 不意に、姐様が距離を詰める。それに驚く間もなく、手を伸ばされる。
 髪を梳かれ、わずかに顔を上げ、上目遣いに姐様を見上げた。
 姐様は、笑っていた。


「私はとても弱い」


 きっぱりと、姐様は言い切った。


「君たちの様に戦うすべもなく、戦場に出るなんてできない。本丸の運営だって手伝ってもらってようやくこなせているんだ。私はいつだって君たちに守られ、支えられている」


 髪を撫でていた手が頬へと降りる。
 促されたわけでもないのに、そうしなければならない様な気がして、私は顔を上げ、姐様と目を合わせた。


「だから、君たちが弱ってしまったときくらい、守らせてほしいんだ」


 な? と同意を求める様に笑みを向けられ、私は否定も肯定も出来ず、ただ姐様を見つめた。私が反応を示せずにいると、姐様は苦笑した。


「君の言うことも一理ある。私が体調を崩しでもしたら本丸はたち行かなくなるよな。今日は薬研に頼んで昼の休憩を少し長くしてもらうよ」


 それだけ言って姐様は立ち上がり、着替えるために自室へと向かって去って行った。
 彼女は私の忠告をきちんと守って下さるだろう。畳の上で眠るのもやめてくれるだろうし、休息もきちんと取ってくれる。
 けれど彼女は刀剣のために生きる。


(彼女の生は、きっと長くない)


 切なくて悲しいのに、どうしようもなく愛おしい。あいのひと。


(この本丸に降ろされた刀剣は、きっと彼女のために生きるだろう)


 主たる彼女が刀剣のために生きる人だから。







―――――修羅の道を行く、あいのひとの話




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