あいのひと






 障子の隙間から洩れた朝日に照らされ、目が覚める。
 他の刀剣達が起き出した気配に触発されたのもあるだろう。
 起き上がって広間を見渡すと、主と今日の近侍である五虎退。厨当番である光忠殿と小夜殿の姿はすでになかった。
 この本丸は人数が集まっていないため、刀帳順に仕事を回しているらしい。本来なら今日の近侍は自分なのだが、来て早々、近侍の仕事は難しかろうと次回の順まで見送られた。出陣・遠征を除く、その他の一切の仕事も。
 その代わりに、それまでにある程度、仕事の内容を把握せよ、との命が下っている。細かなことは都度、ご指導なさってくれるそうだが、大まかな概要を知っておいてくれれば助かるとのことだ。
 今日は遠征を行う部隊に入るように言われている。それまでは内番の見学と、手伝いをするつもりだ。
 まずは昨日習った通りに身支度を整えて、寝室とは別の広間に向かう。
 本丸の案内は昨日薬研達にしてもらったので問題なく広間にたどり着くことが出来た。
 広間ではすでに朝餉の準備が進んでいる。小夜殿と光忠殿を中心に、主と五虎退がくるくると動く。
 主はどっしりと構えた方かと思えば、驚くほど活発な方だ。本来ならば家臣が行うようなことも率先して行う。
 格差の少ない時代の生まれのようだから、それを当たり前と捉えているだけかもしれないが。
 何にせよ、勤勉で快活な主が、私は嫌いではない。


「おはようございます」
「ああ、おはよう。一期一振」
「わぁっ、いち兄だ……! おはようございます……!」
「はい、おはよう」


 朝の挨拶に、主と五虎退から笑顔が向けられる。
 ぞくぞくと広間に集まる刀剣達ともあいさつを交わす。表情の変わるものは少ないが、それでもきちんと返事が返ってくる。主に似て真面目な気質なのだろう。もしくは主の性格に触発されて自然とそうなったか。
 とにかく行儀がいいのだ。不自然なものもなく、堅苦しいものもない。その太刀振る舞いの自然さに育ちの良さを感じる。


「おはようございます、あねさま! きょうはやくにんがくるはず。いつくるのですか?」
「おはよう、今剣。お昼の休憩のときに来るとおっしゃっていたから、昼食が終わったあたりかな」


 朝早くから元気いっぱいといった体で、今剣殿が主に駆け寄る。
 彼の言葉に、私は首をかしげた。
 昨日、本丸の仕組みについて教わったので、審神者一人につき、担当役人がついていることも知っている。
 しかし役人はあまり本丸に干渉することはないという。
 本丸に入れるほどの霊力を持たないものも多く、審神者の担当役人になれるものが少ないから、という理由もあるが、一人の審神者を贔屓することを禁止されているというのも理由の一つである。
 なので役人が本丸に来るのはよほどのことがあるときのみなのだそうだ。
 つまりは一大事なのではないかと思うのだが、主や周りの刀剣達は嬉しそうだ。
 刀剣達の方は、主が嬉しそうだから、嬉しそうにしているのだろうが。
 何故、と思わず首をかしげた。


「おはよう、一期。しきりに首をかしげて、どうしたんだ?」
「え? ああ、おはようございます、国永殿。いえ、役人が来るのをお喜びになるのはなぜか、と思いまして」
「ああ、そのことか」


 今日は内番の仕事を与えられたらしい国永殿が内番用の軽装で現れる。
 私の疑問に、国永殿は嬉しいようなさびしいような、複雑な表情を浮かべた。
 けれど年の功というべきか、すぐに表情を取りつくろい、さっと周りに視線を走らせて、するりと輪から抜ける。それに従い、私たちは縁側に出た。


「さて、どう話したものか……」
「主を見れば祝辞でもおありなのかと思うような浮かれ様ですが……」
「そういうわけではないんだが、まぁ姐さんにとってはそうかもな」


 国永殿が背後にいる主をちらりと盗み見て困ったように首を掻いた。それから庭を見つめ、至極静かな声でぽつりと呟いた。


「実は姐さんな、家族との別れも告げられずにここに来たんだ」


 国永殿は何でもないことのようにとんでもないことを言ってのけた。
 波風立たない落ち着いた声が、逆に恐ろしい。


「俺たちはな、死んでしまいたいと思ったことがあったんだ」


 どっ、と心の臓が嫌な音を立てる。
 ―――主もその刀剣も、体に悪い人しかいないのか、この本丸は。


「最期くらいは刀剣らしく散りたいと出陣して、けれど戦場には出れなくて、代わりに姐さんに出会ったんだ」


 一瞬だけ喜色が走って、けれどすぐにその色は沈んだ。


「そこで姐さんの温かさに触れて、姐さんに助けを求めて。そんな風にして姐さんの時代に俺たちが集まってしまったものだから、敵方に姐さんの存在がばれてしまった可能性が出てきたんだ」


 沈んで、浮上しない。それは当然かもしれない。
 敵方にとって刀剣男士は、歴史修正を阻止すべく動く、言わば邪魔者。その邪魔者を生み出すのが審神者だ。
 敵方は常に審神者の動向に目を光らせている。そしてその個を特定する情報を見つけたならば、それをつぶそうと考えるのは自明の理。


「現世に帰れば襲撃を受けるかもしれない。姐さんの家族を特定したのち、その家族を殺すかもしれない。そうやって姐さんを亡きものとするかもしれない」


 主の存在が消えればいいのだから、主自身に手を下さなくてもいいのだ。結果として主という存在が消えれば。
 主を殺さなくとも、主が生まれる前まで時をさかのぼり、その肉親に手をかければ、自然と主の存在はなかったことにされる。
 むしろ、そうされる可能性の方が高いのだ。審神者たちには、刀剣男士がついているのだから。
 だから彼女は、肉親を特定される可能性を少しでも減らすために、肉親との接触を避けたのだろう。
 国永殿は言葉を発するたびにずぶずぶと沈んでいく。


「姐さんはそれをさせないために別れの言葉もなく、一目見ることもなく家族のもとを去り、ここに来たんだ」


 ―――もう二度と会えない。


「俺たちがそうさせてしまった」


 唇を噛み締めて、握った拳を震わせる。
 浮上できないのは当然だ。自分達の存在が、敬愛する主とその肉親とを引き離す原因となってしまったのだから。
 血を吐くような、断腸の想いだったというのは、簡単に想像がつく。人間のそれとは違うが、自分達刀剣男士にも、血の繋がりに似た絆がある。もう二度と会うことが出来ないとなったら、自分ならどんな選択を取るだろう。


「役人が悪い人間でなかったのが唯一の救いだな」


 自嘲して、国永殿は言った。
 役人にも想う家族がいるらしい。彼には主の様な事情はないが、主に同情的であるという。
 贔屓に当たるから本来行ってはいけないのだが、主の家族と繋がりの深い品物を現世から持ってきてくれるのだそうだ。
 ひと月に一度の頻度で行われるそれが今日なのだ、と国永殿は言った。
 なるほど、と納得した。これは真面目な主も浮かれるだろう。
 本当なら会いたくてたまらないであろう家族との思い出の品を手にできるのだから。
 けれど、本当にそれでいいのだろうか。こんな不遇も受け入れるほど、彼女は審神者になることを望んでいたのだろうか。
 私を歓迎してくださったことばを嘘だとは思えない。昨夜の薬研に対する態度も偽りだと思いたくないほどに優しかった。
 しかし、彼女は本当に、ここにいて幸せなのだろうか。


「姐さんは望んでここにいる」
「え?」
「そりゃもちろん家族を危険にさらしたくないって言うのもあっただろうが、それでも姐さんは主としてここにあることを望んでくれた。それは事実だ。主としてここに在れることを喜んでくれているのも」


 驚いて国永殿を見ると、彼は広間で配膳を行っている主を見つめていた。


「そうでなかったら、俺たちも姐さんも救われない」


 そう呟いた国永殿は、消えてしまいそうなほど儚く見えた。いっそ痛々しさすら感じるほどに。
 見ていられなくて、そっと目をそらす。そらした先には主がいて、ふいに目があった。
 いたたまれなく手目をそらしたくなったが、主の目はいつだって力強く輝いていて、目をそらせない何かがある。


「……どうした? 一期一振」


 きょとり、と目を瞬かせて主が首をかしげる。
 気付かれてしまったか、と狼狽する。
 何とか取り繕おうとして口角を上げるも、うまく笑えたかも分からない。
 主が口を開く前に、国永殿が笑みを浮かべた。


「内番について話していたのさ。仕事の概要を把握しておくよう課題を出していただろう?」
「ああ、なるほど」


 沈んだ空気など感じさせず、平和な空気を醸し出して。自然な顔で自然な会話を繰り広げている。


「姐さーん! ちょっといいかな?」
「ああ、今行く」


 光忠殿に呼ばれ、主が広間から消えるまで、国永殿は平静を装っていた。そして、主が視界から消えた途端、表情が消えた。


「姐さんは俺たちが何も知らないと思っているんだ。家族との思い出を心待ちにしていることも、うまく隠し通せていると思っている。姐さんは隠し事が出来るほど器用な人間じゃない。自分にも他人にも正直で、姐さんは言葉も心も惜しまない。それをしないってことは、知られたくないことなんだ。多分、俺たちを想って」


 だから、君も何も知らないふりをしていてくれ。
 消え入りそうな声で言って、国永殿は何食わぬ顔で刀剣達の輪の中に加わって行った。
 どうしてだろう、と思う。どうしてそこまで出来るのだろう。何がそこまで彼女を突き動かすのだろう。何がそこまで、彼女の献身を生むのだろう。


(貴方の献身は、一体どこから来るのですか?)


 尋ねてみても、心の声に返事などなかった。




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