愚かな椿と小さい鱗






 響き渡る歓声。鳴り止まぬ拍手。
 千人の手練れを相手に打ち勝った廣光の健闘を讃える声は収まる気配を見せない。それは椿や椿の刀剣たちも同様だった。


「凄い! 凄いぞ、廣光!」
「よくやったな、廣光!」


 幾分か高くなった頭を撫で回し、泣き笑いながら廣光を讃える。
 そんな仲間たちに振り回されながらも、廣光も嬉しそうに笑みを浮かべていた。
 そんな微笑ましい情景が描かれていたとき、新たなざわめきが起こる。桜吹雪を纏いながら、一振りの刀剣男士が椿たちのそばに降り立ったのだ。
 それは大倶利伽羅であった。しかし、その圧倒的な存在感は、一介の分霊のそれではない。
 ―――本霊である。
 突如現れた本霊に、椿の刀剣たちが椿を守るようにその周りを固める。いつでも抜刀できる構えを取り、じっと大倶利伽羅の様子を見守った。
 本質がねじ曲げられ、堕ちかけていようとも、元は“大倶利伽羅”の一部。本霊の許可も無しに刀を打ち直したことが本霊の目に留まったのだろうか。


(本霊自らが俺を折りに来たのか……?)


 それだけならばいい。しかし、主たる椿に危害を加えようというのなら、例えそれが本霊であろうとも許しはしない。
 演練場のシステムにより、体はすでに回復済みだ。存分に力を振るうことが出来る。
 来るなら来いと言わんばかりに、廣光が刀を持つ手に力を込める。
 一触即発。冷や汗が伝うような重苦しい緊張感の中、場違いにも椿が嬉しそうな声を上げた。


「久しぶりだな、大倶利伽羅!」


 と。
 何の警戒も見せず本霊に駆け寄る姿に呆気に取られる。
 懐いているような素振りさえ見せる椿と、それを受け入れる本霊。親しい友人のようなやり取りに、開いた口が塞がらない。


「その節は本当に助かった。ありがとう」
「……無事、打ち直しに成功したようだな」
「ああ、君のおかげだ。本当にありがとう」


 深く頭を下げる椿のつむじを見下ろし、本霊の大倶利伽羅は肩をすくめた。
 そんなやり取りに、椿の刀剣男士を代表して、鶴丸国永が声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ、姐さん。一体いつ、本霊の大倶利伽羅と知り合ったと言うんだ。頼むから説明してくれ」
「ああ、すまない。忙しさにかまけて言っていなかったな。彼には廣光の打ち直しに助力してもらったり、夢から覚めるよう促してもらったり、いろいろ世話になったんだ」


 ただならぬ存在だとは思っていたけれど、本霊だったんだな。
 そう言って朗らかに笑う椿に、一同はまたも呆気に取られる。
 本霊に出会ったのならもっと驚いてもいいはずだ、とか。戦に直接関わりのないことでも、重要事項の報連相は怠らないでほしい、とか。言いたいことは多々あるが、大倶利伽羅との再会が嬉しいらしい椿の笑みに毒気が抜かれる。
 脱力して項垂れる椿の刀剣たちを見つめる本霊の大倶利伽羅の目には、わずかに哀れみの色が滲んでいた。


「ふふふ、面白い子だね」


 新たに巻き起こる桜吹雪に、一同の目が椿に向けられる。
 またか、と言わんばかりの視線を受け「いや、さすがに知らないかな」と椿が首を振った。


「うん、僕とは初めましてだね」


 そう言って現れたのは温かみのある白を纏った、柔らかい雰囲気の刀であった。
 ―――源氏の重宝、髭切だ。


「僕の分霊が折れるとき、気になる声が聞こえてね。我慢できずに会いに来ちゃった」


 そう言って髭切が目を向けたのは膝丸だ。
 膝丸の本丸にいた髭切の記憶を垣間見た椿は納得する。あの兄はひたすらに弟を大切に想い、守ろうと必死になっていた。その想いが本霊にまで届いたのだろう。


「折れた刀のことまで把握しているのか?」
「ううん。本当なら“折れた”という事実くらいしか把握できないんだけど、それだけあの僕が必死になって弟を助けようとしていた、ということだろうね」


 少し話をしても? と訪ねる髭切に、椿はもちろんだとうなずく。それに嬉しそうに笑って、髭切は膝丸へと歩み寄った。


「やぁ。僕が判るかい?」
「え……?」


 突然話しかけられた膝丸が、きょとりと目を瞬かせる。不思議そうに目を瞬かせる様子に、周囲で彼らのやり取りを見守っていた刀剣たちが息を呑んだ。
 一部例外を除いて、膝丸が兄である髭切を慕っているのはどの本丸においても共通認識だ。そんな膝丸が髭切を認識できないなど、異常と言うに他ならない。
 髭切の穏やかな笑みに、一筋の影が落ちる。それが酷く落ち着かなくて、苦しくて、膝丸は必死で記憶を呼び起こす。
 誰かは分からない。けれど確かに知っているのだ、この柔らかい眼差しを。


「あ……」


 笑って、と微笑むひび割れた姿。膝丸、と愛しげに紡がれた名前。自分は確かにこの刀を知っている。
 否、知っていて当然だ。だって、この刀は―――、


「あ、あに、じゃ……?」


 震える声でその刀を呼ぶ。呼びかけられた刀は、優しげな眼差しを更に蕩けさせた。


「源氏の重宝、髭切さ。お前の兄だよ、弟」
「あ、ああ……! お、俺はまた、兄者のことを……!」
「僕の忘れっぽさが移っちゃったのかもしれないねぇ。でも、自分で思い出せたじゃない。頑張ったんだねぇ、膝丸」
「……っ!」


 愛情だけを詰め込んだような声に、膝丸の目に涙がたまる。たまらずに溢れた涙に、髭切がそっと手を伸ばす。


「ほらほら、泣かない泣かない。本当に泣き虫だねぇ、僕の弟は」


 頬を伝う涙を止めようと、髭切の指が目尻を撫でる。その指先に絡む怨嗟に、髭切の指がぴくりと跳ねた。


「へぇ……っ、結構な怨嗟だね」
「す、すまない、兄者……!」
「大丈夫だよ。僕はそんなに柔じゃない」


 顔を青冷めさせ、距離を取ろうとする膝丸に柔和な笑みを向ける。
 怨嗟をものともしない様子に距離を取ろうとしていた足を止めるが、それ以上近寄らせない様子に髭切が思案する。
 今の膝丸は折れた髭切の加護により守られ、椿の霊力によって癒やされつつある。
 けれど千にも上る刀剣男士の怨嗟は、例え浄化に特化した審神者でも完全に除去するには膨大な時間がかかるだろう。人の子には荷が重すぎる案件だ。それに何より、弟にこんなものを背負わせたままというのは、兄の名が廃る。


「怖いことは何もしないから、少しじっとしててね?」


 ―――すべては無理だろうけれど、少し持って行ってあげよう。
 そう言って、髭切が抜刀した。
 そして髭切は見事な一閃を放ち、怨嗟を両断した。途端に霧散する靄に膝丸が目を見張る。


「こんなものかな?」
「あ、兄者……!」
「ごめんね。本当は全部斬ってあげたいんだけど、これは人と共に歩み、人によって癒やされなければ断ち切ることが出来ないものだから」


 そういって膝丸の頭を撫でると、髭切がちらりと椿に目を向ける。―――君なら出来ると信じているよ、と。
 その視線の意味を正しく受け取った椿が、力強くうなずく。


「ありがとう、髭切。その信頼に応えられるよう、全霊を懸けて、彼を癒やしてみせるとも」


 一切の迷いを見せない椿に、髭切は満足そうに笑った。


「お前はいい主を持ったね、膝丸」
「ああ。こんな俺を抱きしめて、受け入れてくれるような稀有な人だ。そんな主と出会えたことは、きっと俺にとって一番の僥倖だろう。兄者、俺はとても幸せだ」
「そっか」


 怨嗟と穢れに犯されながらも、膝丸の顔に浮かぶ表情は柔らかい。椿と出会わなければ、きっと見られなかったであろうもの。弟を見つけたのが椿で良かったと、髭切の口角が自然と上がる。
 たくさんの同胞を傷付けた者や、傷ついた同胞を放置した者への怒りはある。けれど椿のように、傷付けられた同胞たちを救う者もいる。そんな優しく眩い者も少なからず存在するから、人間を見捨てずに済んでいるのだ。
 弟を助けてくれたこと。その行動のおかげで、自分たちが人間を見限らずに済んでいること。それらに対する感謝の念を込めながら、髭切が椿を見つめた。


「君と僕との縁は極めて希薄だ。けれどこうして出会ったことで、その縁も濃くなったことだろう。近いうちに、僕も君の元でお世話になるかもしれないね。そのときはよろしく頼むよ」
「ああ。こちらこそ、君が来てくれるのを楽しみにしている」
「ふふ。じゃあ僕は戻るね。―――弟を助けてくれてありがとう」


 またね、といって、髭切は現れたときと同様に、桜にまみれて姿を消した。
 髭切と入れ替わるようにして、今度は大倶利伽羅が椿の前に立つ。


「あんたは本当にどうしようもない人間だな」


 呆れたようにため息をつき、罵倒に近い言葉を向ける。しかし罵倒と言うには声音が優しくて、椿はきょとりと目を瞬かせた。


「傷を持つ刀剣たちを誇りとし、穢れを纏う刀剣男士を受け止め、挙げ句たった一振りの刀のために命すら投げ出す暴挙。愚かにも程がある」


 呆けている椿を置き去りにしていることに気づいているのかいないのか、大倶利伽羅は言葉を紡ぐ。彼らしからぬ饒舌さで。
 言葉は酷い。これが罵倒でないなら何だというのだ、というくらいに。
 けれど言葉を紡ぐ声は、向けられる表情は、どこまでも温かい。


「だが、その愚かさにこそ、俺たちが手を貸す価値がある」


 眩しいものを見るのような、尊いものを見るのような、そんな顔が向けられる。
 椿はこのとき、いっそ泣きたくなるような慈悲深さをのぞかせる、神の側面を垣間見た。


「人の子よ。俺という刀を命がけで愛してくれたこと、感謝する」
「君という刀には、それだけの価値がある。だから、礼なんていらない。私はただ、当たり前のことをしただけだからな」
「……そうか」


 愛しいものを見るような、温かいものを見るような、そんな眼差しが向けられる。
 大倶利伽羅のその顔は、慈しみの心がこれでもかと乗せられた、そんな微笑みで彩られていた。
 人を愛する心を様々と見せつけられた気がした。


「そこの俺はもう“大倶利伽羅”ではない。名実ともに、あんたの刀だ。存分に使ってやってくれ」
「……っ! ああ!」


 向けられた愛しいという感情と、認められたという喜び。椿は泣きたくなるのをぐっと我慢して、満面の笑みでうなずいた。
 それを満足そうに見た大倶利伽羅が、自らの口元で手のひらを広げる。
 何をしているのだろう、と椿が首をかしげると、大倶利伽羅が手のひらに向かって息を吹きかけた。その瞬間、椿の視界が真っ赤に染まる。


「うわっ!?」


 一体何だ、と辺りを見回すと、それは椿の花だった。
 赤色が鮮やかな、椿によく似合う花だ。
 驚いて大倶利伽羅の方を見ると、そこにはすでに大倶利伽羅の姿はなく、椿が小さく苦笑する。


「……伊達男だなぁ」


 赤い花弁を優しく撫でて、椿は改めて「ありがとう」と呟いた。




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