龍の舞






 どれ程の時間が経っただろう。
 どれ程の敵を斬っただろう。
 廣光は確実に削られている。
 腕は捥がれ、目が抉られている。
 それでも彼は衰えることを知らず、臆する事なく舞い踊る。たった一人の主の為に。

 誰かが気圧され、息を飲む。その気迫にたじろぎ、後ずさる。
 廣光は、その一瞬の隙を逃すことなく斬り捨てる。
 それを繰り返し、ようやく終わりが見える所にまで至っていた。

 嘘だろう、と誰かの喉が鳴る。ギラついた目に恐怖する。
 呑まれれば終わることがわかっていた。
 けれど、圧倒される何かがあるのだ。

 しかし廣光は磨耗している。
 元から不安定な状態で、満足に実力を出せてなどいないだろう。
 けれど主の、椿の為に、膝をつく事だけはせず、ここに至ってみせたのだ。

 もう十分だろう、と誰かが言った。
 悲痛な顔で首を振る者がいた。
 けれど止まる訳にはいかない。負ける訳にはいかない。

 この戦いにおいて、敗北とは死と同義なのだ。椿の刀で在れなくなるということは、廣光にとって、死よりも恐ろしい事なのだ。
 だから許されても引く事はない。恥と分かっていて臆する事はない。
 もう流れる血などないけれど、それでもなお、前へ前へと進み出る。
 それしか報いる術がない。力を示す事でしか返せない。
 これが椿の刀であると。これだけの力を持たせる事の出来る審神者であると。軽んじることは罷りならんと、そう知らしめねば。
 主が食い潰されるのを、黙って見ているつもりはない。
 刀共よ!人間共よ!これが主の、椿の刀だ!

 ―――斬ッ!

 横に一線。三振りの刀を斬り捨てる。

 ―――斬ッ!

 縦に一線。馴染みの刀を斬り捨てる。

 ―――斬ッ!
 ―――斬ッ!
 ―――斬ッ!

 突如として、視界が暗転する。戦場が夜へと移り変わったのだ。
 聞いていない、と抗議の声が上がる。夜戦に適さない太刀や長物達の声だ。

 ああ、そうまでして、自分に勝たせなくないのか。
 どこか遠くで、冷静な自分が納得する。大太刀となった廣光では、夜の戦場では役立たずと判断したのだろう。
 けれど、廣光には見えていた。打刀であった頃と変わらず、その目は刀達を捉えていた。

 ―――斬ッ!

 止まらぬ勢いに、喧騒は増すばかり。
 しかし、事態はまた一変する。


「左だ!廣光!」


 死角から、鋭い突きが迫り来る。
 椿の声に咄嗟に体を捻り、刀をかわす。
 完璧にかわすことは出来なかったものの、致命傷には至らなかった。
 舞う鮮血を気にも止めず、突き出された腕を掴み、脇から首までを斬り捨てる。
 夥しい血を撒き散らしながら倒れる刀剣男士を放り出し、次の相手に向き直る。
 ぐらり、と揺れる視界に廣光が舌を打った。


(血を流しすぎたか……!)


 視界は霞み、足元は覚束ない。
 心臓は早鐘を打ち、今にも爆発するのではないかと思われる程懸命に動いている。
 体力は既に底をつき、気力だけで立っている状態だ。
 それでも負ける訳にはいかないのだと、新たに一歩を踏み出した時、ぐらりと大きく上体が傾いた。


(まずい……っ)


 このまま倒れれば、もう立ち上がる事など出来ないだろう。動く事すらままならないかもしれない。
 けれど、体が言うことを聞かない。


「諦めるな!」


 鋭く放たれた言葉に、朦朧としていた意識が引き戻される。
 咄嗟に刀を突き立て、倒れることだけは阻止した。けれど、それで精一杯だ。


「正しく刀剣男士として扱ってもらえて、ようやく刀としての矜持を取り戻して。刀として望んでくれる人に、心から守りたいと思える主に出会えたんだぞ! こんなところで諦めるな!」


 叫んだのは国広だった。喉よ裂けよと言わんばかりの咆哮染みた声。普段の彼からは考えられないような叫びだった。
 それに続いたのは光忠だった。


「そうだ、廣光! 後は前に進んでいくだけというところまで来たんだ! 立ち止まるなんて許さない!」
「そも、君が言ったんだろう? これしきのことで屈するようでは、この先姐さんを守れないと! だったら、こんなところで折れるんじゃない!!」


 光忠の隣に並んだ国永も叫ぶ。髪を振り乱し、普段の繊細さをかなぐり捨てて、腹の底から声を出す。
 そして最後に叫んだのは主たる椿だった。


「君が望んだんだぞ、私と共に在ることを! だから私は君の糧となるならば、すべてをくれてやるつもりで君を打ち直したんだ! 生きたいと叫んだ君の声に応えるために! ならば君も応えるべきだ! 私は魂すらも差し出したのだから!」


 言葉を口にして、椿は憤りのようなものを感じていた。
 だって、おかしいだろう。こちらは魂を差し出して繋ぎ止めたのだ。それに見合う代価が払われてしかるべきだ。
 想いは一方的じゃない。だって彼は椿の刀になりたいと叫んだのだから。


(ああ、そうか。だから駄目だったのか)


 彼は叫んだ。椿の刀で在りたいのだと。椿の刀になりたいのだと。
 椿は望んだ。自分の刀で在れと。自分のもので在れと。
 廣光は自分のために。何より椿のために。
 椿は廣光のために。何より自分のために。
 故に、そもそも沿わせる相手を間違えていたのだ。廣光に沿わせるのでは駄目だったのだ。だって双方共に、椿のための想いであり、行動なのだから。


「ねじ曲げられた本質が私にふさわしくないというのなら、ふさわしく在れ! ふさわしくなれ! その身、その魂を私に捧げろ! 私に沿え! 私の刀、大倶利伽羅廣光よ!!!」


 椿の言葉にはっとして、廣光は椿を見上げた。そして納得した。だから駄目だったのだ、と。
 椿の刀で在りたいと言っているのに、自分で在ろうとするのが駄目だったのだ。だって自分は椿のものなのだから、主が使いやすいように、主に沿ってしかるべきなのだ。


(ああ、それならば簡単だ)


 思い出すだけでいい、あの激情を。ふさわしいとかふさわしくないとか、そんなものどうでも良くなるくらいに求められた、あのときのことを。その心に応えたくて、ただそばに在りたくて、無我夢中で叫んだ時のことを。
 ―――思い出せ。生きたいのだと。椿の刀で在りたいのだと、魂で求めたときのことを!

 ――――ガチン、

 歯車が噛み合ったかのように、器と魂が合致する。椿の魂の欠片が混ざり合い、一つになり、一個の魂として完成する。


(ああ……)


 安堵。感嘆。歓喜。
 一個の命として魂が成立した今、容態は完全に安定した。
 片腕はすでに無く、片目は削り取られ、脇腹には大きな穴がある。それでも負ける気などしない。だって真に主の刀となった喜びで、力が溢れている。
 漲る力をそのまま刀に乗せる。剣線はより鋭さを増す。逆鱗に触れられた龍のごとき勢いで、次々と刀たちを飲み込んでいく。
 先ほどまで倒れ伏そうとしていた刀の猛攻に、相対していた刀剣たちが戸惑いに足を止めた。
 ――――その傷で何故動ける!?
 同じ刀剣男士であるはずなのに、千人もの軍勢を相手に孤軍奮闘する廣光はもはや未知のもの。その圧倒的な存在感を前に、脳裏に敗北の文字がちらつき、死を恐怖する。
 龍の化身となった廣光は、ついに千人もの大軍を、残り一振りにまで削りきった。
 最後の一騎打ち。奇しくも相手は大倶利伽羅だった。


「―――何が、」


 大倶利伽羅が口を開く。


「何がお前を突き動かす。お前はすでに折れていてもおかしくはないほどに深手を負っているはずだ。なのに、何故動ける。何がお前を動かしている。何故そこまで―――」


 大倶利伽羅らしからぬ饒舌さで、捲し立てるように言葉を紡ぐ。
 焦りと恐怖と絶望だろうか。複雑な感情が絡み合い、混ざり合い、金の瞳が揺れている。
 それに対して廣光は、実に嬉しそうに、幸せそうに口角を上げた。その言葉を告げることすら幸福であると言わんばかりに。


「―――すべては我が主、椿のために」


 この身も、この魂も、己が得た勝利も。すべては己が定めた、主のためのもの。
 盲目的な敬愛だ。依存と見まごう崇拝だ。
 正しいものではないかもしれない。行き過ぎた信仰かもしれない。
 例えばそれが間違いで、それがこの身の破滅を招こうと、それで滅びるならば本望だ。
 何せ選んだのは己だ。それだけの価値があると見定めたのは己だ。故に彼女の敷く道を、共に行こうと決めたのだ。
 その結果がいかなるものであろうとも、主と共に生きる。そのために己は生まれ変わったのだ。主に魂すら差し出させて。
 それに応えるために戦っている。それしか報いるすべがない。力を示すことでしか返せない。そして何より、主が勝利を望んでいるのだ。ならば、何が何でも勝たねばなるまい。だから自分は、例えこの身が砕け散ろうとも、刀を振るう手を止めることなど出来やしないのだ。


「はぁぁぁぁぁっ!」


 廣光が突進する。刀を振り上げ、脳を割らんと振り下ろす。
 大倶利伽羅がその一撃を受け止め、刀を流す。
 十合。二十合。一進一退の攻防が続く。
 なかなかつかない決着に、会場は静まりかえり、みんなが固唾を呑んで勝負の行方を見守っている。
 そして、そのときは訪れた。


「っ!!」


 五十合程打ち合ったとき、大倶利伽羅の刀が大きく弾かれた。


「はぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 容赦の無い廣光の一突きが大倶利伽羅の心臓を捉えた。
 胸を貫かれた大倶利伽羅は絶命し、千の大群は一振り残らず倒れ伏すこととなった。


「―――っ!」


 勝敗が決した。主の望む勝利を手に入れた。
 込み上げる感情は、言葉に出来るものではない。溢れ出る感情を抑えることも出来ず、椿を振り返る。
 椿は常と変わらない笑みで微笑んでいた。その瞳から一筋の涙を流しながら。


「勝ったぞ、姐さん!!!」
「ああ、見ていたとも。まったく、君は本当に、私にはもったいないくらいの最高の刀だ!」


 刀が握られた右手を高らかに突き上げる。酷使されて皹割れた刀身は、それでもなお美しい。
 誰もが見惚れるような刀は、たった一人の主だけを見て、屈託なく笑う。


「安心しろ。あんたこそ、俺にはもったいないくらいの最高の主だ!」


 その言葉に、椿の顔がくしゃりと歪む。


「誰でもいい。私を抱えて飛び降りろ。今すぐ私を彼の元へ!」
「おう!」


 体格のいい長曽根が椿を抱え、仮想戦場へと飛び降りる。
 地面に降ろされた瞬間、椿は一も二もなく駆け出した。椿の刀たちも、それに続く。


「廣光!」


 いち早く廣光の元に辿り着いた椿が、思い切り廣光に抱きついた。それに続いていた刀たちが、椿ごと廣光を抱え、もみくちゃになる。


「よくやった!!!」


 万感の想いが込められた賛美が会場に響き、その声を皮切りに、盛大な歓声が演練場を満たした。
 こうして、椿たちの威信を懸け戦いは見事、椿たちの勝利で幕を閉じた。




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