紅の君が顔と声を捧げてツイステ世界に渡る話
失われた視界の中で、ふらふらと大地を踏みしめる。
一歩進むたびに上がる悲鳴が耳朶を打つ。
「ひ、ば、化け物………!」
「う、うわぁ! く、来るなぁ!!」
悲鳴とともに、凍てつくような冷たい水が、灼熱の炎が浴びせられる。
けれど、そんなもので私はちっとも傷付かない。彼女の居ない世界で生きることに比べれば、光のない深海だって、地獄の炎だって生温い。
掠り傷がいくら出来たって、歩みを止める理由にはならない。
「止まりなさい。何の目的でここに侵入したのか分からないけれど、痛い目を見たくなかったらさっさと出て行きなさい」
悲鳴を上げて逃げ惑うばかりの人間とは違った、凜とした強気な声が聞こえた。内包している力も、他の人間とは比べものにならないようだった。
けれど、そんなのは関係ない。たとえ頭だけになっても、私は彼女の元に辿り着く。
私の最愛。何物にも代えがたいもの。彼女に会うまでは、決して滅びるつもりはない。例えどんな目に遭わされたとしても。
「やれやれ、どうやらこちらの要望は聞き入れてもらえないようだ……。では、力尽くでお引き取り願うしかないですね」
乗り気ではないというようなため息。困ったような言葉の羅列。けれどそこには、隠しきれない嗜虐心がある。
いたぶるつもりなのだろう。見えないはずなのに、口角を釣り上げた男の姿を幻視した。
霊力とは違う、何かしらの力が練り上げられる。先ほどまで向けられていたものとは桁違いに強大なもの。
普段の自分なら耐えられた。それこそ掠り傷程度のものだった。けれど世界を渡るために削りに削ったこの身体ではひとたまりもないだろう。それこそ本当に、頭だけになるかもしれないほどに。
―――――けれど、そんなことはどうだっていい。頭だけになろうと、指先だけになろうと。彼女ともう一度、会うことが出来るのならば。
「ちょ、ツバキさん! 駄目だって! 避難するよう言われただろ!?」
「寮長! ツバキさんを止めてください!!」
わずかなざわめきと、新たな足音が聞こえる。「椿」という、私のよく知る名前と共に。
「やめてくれ! 頼むから攻撃しないでくれ!」
―――――ああ、ああ。
「彼女は私の友人なんだ! 大切な人なんだ!」
―――――ああ、ああ!
得がたき貴女! 私の唯一無二の人!
無事だった! 無事だった! 生きていた!
なんて、なんて喜ばしい!
この手で触れたい。損なわれていないことを確かめたい。視界が失われたことに後悔はないけれど、見えないことが酷くもどかしい。
「あ、ああ……、あああああああ………!」
絶望に濡れた声が落ちる。
私に駆け寄り、縋り付く体温を感じる。
ああ、あの人だ。この澄んだ声は、この優しい温もりは。
ああ、やっと会えた。愛しい貴女。失い難き私の光よ。
「ああ、ああ………! べに、紅の君………!」
澄んだ声が、悲痛に震えている。
心優しい彼女の事だから、きっと私の姿を嘆いてくれているのだ。
ああ、悲しまないで、愛しい人。
私の願いは叶えられたのだから。ちっとも悲しいことなんて無いのだから。
また貴女に会えたことこそが、私の至上の喜びなのだから。
「な、なんて、ことを………っ! かお、顔を……、顔を、捧げるなんて………っ!」
いつも優しく触れてくる手のひらが震えている。けれど、いつもと変わらない体温が愛おしい。
「声まで、失うなんて………っ」
喉の奥から、震える声が絞り出される。
その事実を認めたくないと拒絶し、口に出すのも悍ましいと嫌悪しているような声だった。酷く、珍しい声音だった。
「私に、それほどの価値があるのか? 君の一等大切なものを差し出す程の価値が」
「私には分からない」
「私はただの人間だ。ありふれた生き物の一つでしかない。君がその美しい顔を、誰もが聞き惚れるような声を、どうして」
「どうしてそんなに、私を愛してしまったんだ……!」
ああ、ああ。ふふ、うふふ。貴女がそれを言うのね。
ええ、ええ。そうです。その通りです。私は貴女を愛してしまったの。
貴女に出会うまではこんな風ではなかった。私を恐れる人間などどうでもよかった。
けれど、貴女に出会ってしまったの。こんな私を認めてくれる貴女に。
私だって、自分の顔を、声を捧げても良いと思えるような出会いをするだなんて思わなかった。怪物である私が、誰かを愛することになるなんて。
私だって、未だに信じられない想いよ。
けれど、貴女がそれを言うのね。神の端くれ達に命をかけるような貴女が。
ふふ、うふふ。
いいえ、いいえ。馬鹿にしているのではありません。否定しているのではありません。それでこそ人間だと、正しい姿だと、微笑ましくなったのです。更に愛しくなったのです。
貴女はそのままでいい。傲慢で、自分勝手で、矛盾していて、どうしようもないヒトのまま、人としての生を全うして欲しい。
愚かで、無様で、愛らしい人。私の愛する得難き貴女。
貴女が悲しむ声が聞こえたから、ここまで来ました。
貴女の顔が苦痛に歪むのが分かったから、世界を超えました。
私は都市伝説。口裂け女。
けれど所詮は怪物。噂の産物。人から生まれた、人の怪物。恐怖と娯楽の具現でしかないのです。
だから、人に恐怖を与えることは出来たとしても、それほどの力はないのです。
私一人では片道キップが精々です。貴女を帰すほどの力はありません。
けれど、それでも。貴女は一人ではないと伝えることは出来る。貴女の帰りを待つ者達が、無事でいることを教えることは出来る。
私という存在を"道"に変え、この世界への道標くらいにはなれるはず。
そうすれば、貴女の大切なもの達が、貴女を助けてくれるでしょう。迎えに来てくれるでしょう。
そうすれば、貴女の憂いも晴れるでしょう。笑顔を見せてくれるでしょう。
「あ、あああ………! あああああ………!」
私の体が崩れてく。
顔と声を捧げただけでは足りなかった。最期に貴女を一目見る為には。
けれど、私は都市伝説。口裂け女。
人々に望まれて生まれた怪物。
私は望まれる限り生まれ続ける。噂が消えぬ限り存在し続ける。
それが私。恐怖の具現。
故に悲しむ必要は無いのです。私は何度だって甦るのだから。
貴女が覚えていてくれる限り、貴女が望む限り。
だからどうか、また、私を望んで下さい。
「あああああああああああああああ………!」
「もう、もうやめてくれ………! 消えないでくれ………!」
「もう何も、失いたくないんだ………!!」
貴女の傷になることを、どうか赦してください。