慈悲の魔物
キラキラと輝く眼差しを向けてくる少年―――――ジャミル・バイパーに向けて、魔物が“愛しい”という感情だけで作られた笑みを向ける。
自身が降り立ったことで破壊してしまった庭を直して見せたところ、恐れよりも驚嘆が勝ったようである。ジャミルは魔物ことツバキに対する興味を隠さなかった。
「修復魔法の他には何が使える? ツバキはどんな魔法を知ってるの?」
半分ほどの背丈の幼子が、一生懸命にツバキを見上げる。そんな姿が可愛くてたまらないと言うように、ツバキは更に頬を緩ませる。
けれどずっと見上げるのは辛そうなので、ツバキは彼の前で膝を折った。それでもまだ、随分と大きいけれど。
「主はどんな魔法をご所望かな? それなりに知識はあるつもりだけれど」
「えっとえっと、凄いやつ!」
抽象的なリクエストだが、子供らしくて可愛らしい。
けれど、ツバキには人間の感性が備わっていない。人間だった前世の記憶はあるけれど、今世は人では無い。それ相応の尺度でしか物事を図れない。
一般的に“凄い”魔法は当然ながら知っている。そもそも、この世界で知らない魔法の方が少ないだろう。それだけの永きを生きてきた。
ツバキは歴史の裏側を知る者。語り継がれる事なく廃れてしまった魔法から、危険すぎて封印された禁忌の魔法まで知識として蓄えてある。なんならそれらを成功させることも可能だ。
けれどそれは少しばかりの刺激と危険を伴うものが多い。ジャミルの害となる可能性のあるものは即刻除外した。
「……なら、空でも飛ぶか?」
「え?」
ツバキがジャミルを抱える。
突然腕に乗せられたジャミルは目を白黒させながらツバキにしがみついた。
その瞬間、ふわりと浮遊感を感じる。足下を見下ろせば、地面が遙か下にある。
「わぁ……っ!」
ジャミルが感嘆の声を上げた。
ホウキの補助無しに飛行術を使うのは、はっきり言えば不可能だ。
勿論例外はある。物体を浮かせる魔法は存在する。
けれど自分自身を浮かせることは出来ないのだ。人間は空を飛ぶように作られていないが故に。
仮に可能だったとしても、それは翼を持つ種族であったり、膨大な魔力を持つものに限られてくる。
けれど、ツバキはそれを可能とした。ホウキの補助も無く、翼も持たずに、己の魔力だけで空を飛んだのだ。
「す、凄い…………」
熱砂の国の隅から隅までを見渡せるくらいの上空は、凄まじい風が吹き荒れている。けれどツバキが風避けの魔法も使っているのか、身体に感じる風はさわさわと優しく撫でるような感触のみ。
普通の魔法士では出来ない自己浮遊魔法に加え、他の魔法も平行して発動させている。
そんなことが出来る魔法士をジャミルは知らなかった。初めて見る“凄い魔法士”に、ジャミルが頬を上気させて喜んだ。
「凄い、凄いね、ツバキ!」
「ふふ、ありがとう、主。…………楽しんでいるところに水を差すようで申し訳ないのだけれど、少しお話ししても良いかな?」
申し訳なさそうに、ツバキが眉を下げる。その顔を見て、ジャミルはツバキが自分が喚び出してしまった使い魔であることを思いだした。
使い魔が話さなければならないことと言えば、契約についてだろう。使い魔との主従関係を築く上で、契約というのは大切な役割を持つ。この誓いを破ったことで、酷い目に遭う者も少なくはない。
「お話って、契約のこと? 契約って二種類あるんでしょ? ずっと一緒にいてくれるやつと一回だけのやつ。ツバキは帰っちゃうの?」
「ふふ、君は勉強熱心なんだね。私としてはずっと一緒に居たいと思っているんだけれど、主はどうかな?」
「! い、一緒が良い! もっと話とかしたい!」
実に子供らしい発想で、ジャミルが“ずっと”を望む。それが魔物の狙いであることに気付きもしないで。
けれど、明るい表情を浮かべていたジャミルの顔が、すぐに陰りを見せた。
「あ……、でも、対価が必要なんだよね? 何を支払えば良いの?」
「それはもう決めてある。後は君が了承してくれれば、契約は完了だ」
「俺でも払えるもの?」
「もちろん」
ゆっくりと、宙を滑るように降下する。近づいてくる地面を見下ろしつつ、ジャミルはツバキに尋ねた。
「それってどんなもの?」
「私はずっと、私だけの“特別”が欲しかったんだ」
「特別?」
ジャミルがツバキの顔を見つめた。間近で覗き込んだツバキの瞳は、夜を閉じ込めたような黒曜石の色をしていた。
「そうだ。私だけの“特別”。私の唯一にして輝ける星。そういうものが欲しかったんだ」
「“特別”になることが、対価になるの?」
「そうだとも。ずっとずっと欲しかったんだ。君に、それを望みたい」
それは甘美な誘惑だった。だってジャミルは一番になりたかったのだから。
けれど、ツバキは地形を変えてしまうほどの魔力を有していて、自分のような子供ではなく、もっと優秀な魔法士にこそ仕えるべきだ。
“特別”になりたい。“一番”になりたい。認められたい。そんな子供染みた欲求を、ツバキのような果てしない存在が満たしてくれるという。
ツバキ自身は“隣人”と名乗ったけれど、本当は悪魔なのではないか? そんな風に疑ってしまう。
「怖いなら無理にとは言わない。考えたいというのなら、いくらでも待とう。何、私の時間はとてつもなく長いから、待つのは得意だよ」
そういって笑ったツバキの顔は、寂しさを纏っているようだった。
“隣人”というものがどんなものか、ジャミルは知らない。けれど、こんな顔をするくらい、孤独な生き物なのかもしれない。
出来ないことなど無さそうな程の魔力を持っていて、凄まじい魔法を行使できて。今まで見てきた魔法士の誰よりも強いであろう魔物が、こんなにも弱っちく見えるくらいに。ずっとずっと、独りぼっちだったのかもしれない。
それがどんなに苦しいことか、ジャミルには分からない。
親は自分を見てくれないけれど、それでもここまで育ててくれたのは確かで。妹はまだ小さくて、自分のことで精一杯だけど、自分を慕ってくれているのが分かる。
主人であるカリムは人の話を聞かないけれど、ジャミルを独りにはしなかった。
―――――ずっと、ひとりぼっちだったの?
そう思ったとき、ジャミルは目の前の魔物を“守りたい”と思った。
「いいよ」
「え?」
「俺がツバキの“特別”になってあげる」
―――――今日から俺がご主人様ね!
そう言って笑いかけようとして、ジャミルはハッと息を呑んだ。
ツバキがジャミルを抱えて地面に降り立ったのと同時に、アジーム家の魔法士や近衛兵達が駆けつけてきたのだ。