地獄は作れる
折ってくれと、力なく笑う刀の夢を見た。
魔法という未知の力が存在する“ツイステッドワンダーランド”に来て、それなりの時間が経過したころのことだ。
オンボロ寮のベッドの上で、椿は大きく息を吐いた。
その日の椿は、とても大切な夢を見た。椿の手からこぼれ落ちていった刀達の夢だ。
記憶の中の彼らは、誰も彼もが笑顔だった。勿論泣いている者もいたけれど、笑っているのが殆どだ。
夢の中の刀達はあたたかくて優しくて、どうしようもなく胸を締め付けるような顔で、折ってくれと、殺してくれと宣うのだ。
酷い夢だと人は言うだろう。けれど椿にとってはあたたかくて残酷で、絶対に忘れたくない夢だ。忘れてはならない記憶の欠片。椿という人間を構成する一部。
「忘れていないよ。君達のことを、誰一人として」
思わず口元が綻ぶような記憶なのに、じくじくと傷が疼くように胸が痛む。
苦しくて、寂しくて、どうしようもなかった。
忘れないと誓った刀さえ手元にないことが、酷く悲しかった。
* * * * *
時刻は正午を回った昼休み。場所は食堂の一角。
椿は一人、自作したお弁当を広げていた。
「こんにちは、ツバキさん」
「ジンベエザメちゃん、一緒に食べよ~」
「こんにちは、ジェイド、フロイド」
「僕もご一緒しても良いですか?」
「こんにちは、アズール。勿論良いとも」
椿は食堂の一番端の席に着いており、わざわざ隣に座るようなものは居なかった。
また、彼女から聞こえる心の声がツイステッドワンダーランドの住民には精神的にキツいものがあり、好き好んで近づくものが少ないのだ。
もちろんそれはアズール達にも効く。
しかし彼らはそれ以上に椿の世界や椿自身に興味があったため、接触の機会を虎視眈々と狙っていたのだ。
フロイドが椿の隣に座り、正面にジェイド、その隣にアズールが座った。
「ジンベエザメちゃん、それ自分で作ったの? 見たことない料理ばっか」
「そうだよ。食材はこちらの世界で食べられているものと同じだったから、祖国で使われていた調味料も存在するのではないかと思ってサムさんに探して貰ったんだ。それを使って祖国で食べていたものを作ったんだよ」
「あったんですね………」
「あったようだよ。凄いなぁ、あのお店」
朗らかな笑みで、心底感心しているのが分かる。
それと同時にお弁当に興味津々なジェイド達に『かわいいなぁ』と和んでいるのを、周囲の生徒達が信じられないものを見る目で椿を二度見した。
「まだ手を付けていないから、良かったら食べてみるか? アレルギーが無ければ、だけれど」
「いいの? オレ、アレルギー無いよ!」
「僕も良いですか? 僕もアレルギーはありません」
「僕も後学のために頂きたいのですが………」
「どうぞ、召し上がれ」
『口に合えば良いな』と考えながらにこにこ笑う椿に、フロイドがお弁当に手を伸ばす。
フロイドが選んだのはだし巻き卵である。綺麗な黄色が一際目を引いたからだ。
アズールはほうれん草のごま和えを。理由は言わずもがな。野菜ならばカロリーが低いだろうと考えたためである。
「うまぁ~。何これ、卵? 何かふわふわで優しい味がする~」
「これは……っ! 口の中に広がるごまの風味と、シャキッとした歯ごたえが良いですね。初めて食べる味わいです。美味しいです」
「フロイドが食べたのはだし巻き卵。アズールのはほうれん草のごま和えというんだ。どちらも祖国の調味料を使用しているから、あまり馴染みのない味かもしれないが、気に入って貰えたなら良かったよ」
「オレ、これ好き~!」
「僕もです。……ところでジェイドは何、を?」
こういうときに真っ先に食いつくジェイドはと言えば、彼はある料理に釘付けになっていた。
彼が見ているのはおにぎりである。けれどそれはただのおにぎりではなく、キノコの炊き込みご飯で作ったおにぎりである。キノコ好きのジェイドが興味を持つのは当然であった。
しかし、流石におにぎりを貰うのは躊躇われ、「これが食べてみたい」と言い出せないでいたのだ。
「おにぎり……ライスボールが気になるのか?」
「えっ? あ、えと、はい………」
「ふふ。どうぞ」
ラップに包まれたおにぎりを渡され、ジェイドが珍しく本気で困った様子を見せる。
けれど椿は与えることに戸惑いはないようで、むしろ『気に入ってくれると良いな』と光属性全開の思考回路で笑みを浮かべていた。
「あ、ありがとうございます……」
「うん」
ラップを剥いで、一口囓る。
ふっくらとしたお米。口に含むとふわりと広がる素材の香り。しっかりと噛めば、一粒一粒にしっかり味が染み込んでいるのがよく分かる。
海や食堂などでは味わったことのない風味だが、優しい味わいはジェイドの好みに合っていた。食べ終わるのが惜しいと思うくらいに。
あっという間に食べ終わって、ほう、と息をつく。
「美味しかったです、凄く………」
「それなら良かった」
これは対価無しに貰ってはいけない。元々対価無しに貰うつもりもなかったけれど、食べてから改めてそう思ったのだ。
「あの、良かったら、僕のおかず食べませんか? これだけの量を貰ったら、絶対足りないですよね?」
「確かに、オレら貰いすぎだよね。おかず交換ってことにしよ~?」
「ええ、それが良いですね。それなら対価としても釣り合うでしょう」
「私が自分で言い出したことだ。気にしなくて良い」
無償の愛を与えるな。対価をきっちり受け取れ光属性!
いらふわコンビとはまた違う空気に、NRC生が頭を抱える。
カリムのような目が潰れそうになる光ではない。シルバーのような物語の王子様のような人物ではない。
その心は確かに明るい方を向いているのに、ヴィランの素質も持ち合わせているから性質が悪いのだ。それも、人間的ではないヴィランの素質に。
『まぁ、元々あった量でも足りないし、どちらにせよお腹が空くのは変わらないんだよな』
『それに、自分の作った料理を美味しいと言って食べて貰えたのが嬉しかったから、対価としては十分なんだが』
聞こえてきた心の声に食堂に沈黙が落ちた。
「ありがとう、気持ちだけ受け取っておくよ」
―――――物も受け取れ。
食堂にいた生徒達の心の声が一つになった。学園長が知ったら号泣必須の案件である。
「それは駄目。お返ししなきゃ気が済まない」
「ええ。物を買うのに金銭のやり取りが発生するのと同じです。貰った物は返さなければ」
「気に入らないのであれば、別のものを用意しますよ?」
『流石にそこまで手間を掛けさせるのは……』と妥協した椿が、控えめに一口分ずつ貰い、その一口をじっくり味わうように咀嚼する。
『うん、美味しい。食堂のランチ、美味しかったから、もう一度食べたかったんだよな』
ふわりと、口元が綻ぶ。
あまり表情の変わらない椿だが、嬉しいときや楽しいときは、きちんと顔に表れるのだ。
『でも、置いて貰っている身としては贅沢は出来ない。すでに食費が掛かりすぎていると言われてしまったし、食堂を利用するのは難しそうだったから、運が良かったなぁ』
食堂で働くシェフ達が泣いた。
椿が食堂のランチを注文したのは初日の一度きり。美味しかったと感想を述べてくれて、とても嬉しかったのを覚えている。
しかし、彼女はそれ以降、お弁当を持ってくるようになり、食堂のメニューを注文したことはない。
てっきり口に合わなかったのかと思っていたのだが、どうやら事情があったようだ。
そのことにほっとすると同時に、食堂でランチを頼むことすら「贅沢」という彼女の境遇に憤りを感じた。
それはオクタヴィネルの人魚達も同様で、スッと真顔になったかと思うと、3人はランチプレートを椿に向かって差し出した。
「めっちゃ遠慮するじゃん。もっと食べて良いよ」
「ええ。頂いた分の対価として釣り合いが取れていません。良かったらこちらもどうぞ」
「貰える物は貰っておかないと損ですよ」
「………なら、いただこうかな」
困ったような、けれど嬉しそうな顔で椿が笑う。
ふと、その顔に違和感を感じたアズールが首を傾げた。いつもより、顔色が白いように見える。
「ところで、よく見ると顔色が優れないように見えます。眠れなかったのでしょうか?」
「いいや、きちんと眠れたよ」
「お悩みなら、いつでも相談に乗りますよ?」
「ふふ、ありがとう。でも大丈夫だよ」
ああ、線を引かれたな、とアズールは胸の内で嘆息した。
椿はお人好しで、NRCには似つかわしくないほどに誠実で素直な人間だ。
けれど必要以上に踏み込まず、心の内に踏み込ませない。
聞こえてくる心の声によって、悩みを抱えているのは明白だった。なのに、誰のことも頼ろうとしないのだ。
「ジェイド」
「ええ、アズール。慈悲の精神に基づくオクタヴィネル寮生として、見過ごせませんね」
指定暴力団だのと言われている彼らだが、心が無いわけではない。慈悲の精神に基づく寮に選ばれただけあって、憐れみの心を持ち合わせているのだ。ただそれが、普段はなりを潜めているだけで。
自分に何かを仕掛ける気だと分かった椿がその場を離れようとするが、それよりも早くフロイドが椿の身体を拘束する。
「怖がらないで。力になりたいんです」
“ショック・ザ・ハート”
相手の目を見て話す椿の癖が仇となった。
何の抵抗も出来ずにユニーク魔法を掛けられた椿は、大人しく席に座り直した。
『しまったな……。殺意や敵意が無かったから油断していた………』
『ここには彼らがいないのだから、きちんと自衛しなければすぐに殺されてしまう。気を引き締め直さなければ』
『これも魔法、だよな? 攻撃を目的としたものではなさそうだが、さて』
ジェイド達には敵意も悪意もなかった。ただ本当に、本当に珍しく、慈悲の心が働いただけである。
だから椿は気付けなかった。害意あるものではなかったから。故にいとも容易く魔法に掛かってしまったのだ。
けれど心の内が駄々漏れの椿と違って、彼らは胸の内を明かしていない。何の意図があって魔法を掛けられたのか分からない椿から漂う剣呑な気配に、ジェイド達は倒れそうになった。
すぐ殺し殺されの物騒時空に思考を飛ばすのはやめて欲しい。いや、ほんとマジで。
NRCは確かに治安は悪いけれど、あくまで不良校レベルの治安の悪さだと思って欲しい。
「一体何があって、そのような顔色をしているのでしょう? 心当たりはございませんか?」
「無いわけではないよ」
するりと自分の口からこぼれ落ちた言葉に、椿がわずかに目を見開く。
けれどすぐに得心がいったのか、次の瞬間には微笑みが口元を彩っていた。
『ああ、なるほど。精神感応系か。作用としては口を軽くするとか、そう言った類いか』
いや、何でそんなすぐ分かるの??? 洞察力が半端なさ過ぎる。
冷静になるのも早かったし、どんな環境で過ごしてきたの???
オクタヴィネルのトップ3だけでなく、周囲で事の成り行きを見守っていた生徒達が軒並み意識を宇宙に飛ばすこととなった。
『まぁ、疑われて当然か。異世界から来た未知の生き物。みんな不安だろうし、出来ることなら始末したいと考えるのが道理か。事実、攻撃してくる者もいるわけだし』
そんなこと、これっぽっちも思っていませんが!!?!?
食堂のあっちこっちで涙を流す者が散見された。中には怒りに震える者もいて、椿に攻撃を仕掛けた輩は袋叩きにすることが決定した。
ちなみにアズールは前者。ジェイドは後者。フロイドは涙を流しながら怒りに震えている勢である。
「夢を見たんだ」
「夢? それは悪い夢でしょうか?」
「いいや。私にとっては、大切な夢だ」
魔法で軽くされた口が、するすると言葉を紡いでいく。
「その夢を見て、帰りたいという想いが、より一層強まってしまったんだ」
椿がハッと目を見開く。
口にするつもりのなかった想い。それがこんなにもあっさりと暴かれる。
それは屈辱であり、恐怖であった。
『おっと……、予想以上に本音を口にしてしまうな……。まるで自白剤だ。副作用が無いと良いのだが』
ひぐ、とジェイドの息が止まりかけた。
けれど、このままでは終われない。
「どのような夢か、お聞きしても?」
続きを促す言葉を紡ぐ。
踏み込んだ質問に、椿が目を細める。
さらなる地獄の予感に、食堂のあちこちで悲鳴が上がった。
逃げ出そうとする者もいたが、そういった者達は腰を抜かした者達に逃走を封じられており、誰一人として食堂から出られた者はいない。
実にNRCらしい足の引っ張り合いだった。
『もう人を愛せないと、微笑む男の夢を見た』
『折ってくれと、力なく笑う刀の夢を見た』
『殺してくれと、首を差し出される夢を見た』
『私に終わらせて欲しいと、手を伸ばされる夢を見た』
『私の手からこぼれ落ちていった、大切なものの夢を見た』
優しい微笑みを浮かべる椿の心の声に、カヒュ、とアズールが息を仕損ねる。
弱肉強食の海に生まれて、理不尽に奪われる恐怖は嫌と言うほど染みついている。
けれど、死を望む考えは分からない。まして、それを誰かに求めるなど。
そして、死を願ったのは大切な相手だと言う。つまり、アズールにとってのフロイドやジェイドのようなものから首を差し出されたと言うことだ。
「殺してくれ」と微笑む二人を想像してしまったアズールは、涙と共に大量の墨を吐き出した。
「忘れないと誓った、大切な者達の夢だった」
「向こうの世界で、私は為さなければならないことがある。それを成し遂げることこそが、私と、私の大切な者達の悲願なんだ」
「それが私の人生であり、生きる意味の一つなんだ」
「この世界に、私の生きる意味は無い」
「だから、帰りたいんだ」
「帰りたいんだ、彼らの元に」
「会いたいんだ、私の命より大切な、仲間達に」
止めどなくこぼれ落ちる言葉はあまりにも惨かった。生きる意味すら無いと言い切った。
その言葉は拒絶ではなかった。けれど、生きづらさを感じているのがはっきりと感じ取れる言葉の羅列。
彼女はこの世界を嫌っているのではない。ただ、向こうの世界に何よりも大切なものがあるだけなのだ。
つまり向こうにジェイドとかアズールを置いてきちゃってるってこと? モストロの仕事投げ出したまま? 何それ絶対帰らなきゃじゃん。
自分たちに当てはめて考えたフロイドが、べしょべしょに泣きながら椿に抱きついた。
椿は特に動揺することもなく、ただ不思議そうに『彼もホームシックなのかな』などとのんきに考えている。
『ああ、しかし。なんて残酷な魔法なんだろう。なんて悍ましい力なんだろう』
『魔法とはもっと、素敵なものだと思っていたのにな』
―――――いっそ殺せ。
オクタヴィネルの3人を筆頭に、その場にいた魔法士の卵達が顔を覆った。
椿に直接魔法を使ってしまった者達は言わずもがな。椿に直接関わりがないものも、椿が魔法薬を被ってしまい、心の声が駄々漏れになっているという事態を、少なからず愉快に思っていたからだ。
『いや、実際には素敵なものなんだろう。私には、そうあってくれなかっただけで』
『まぁでも、異質なものを排除しようと迫害するのは人の性だ。自分とは異なるものは恐ろしいものな』
『拉致されたのがぬるま湯のようなここで良かった。嫌がらせ程度で、故意に殺そうとしてくる者がいないのは有り難い』
この学園かなりカオスだと思うんだけど!? それをぬるま湯呼ばわり!!?
というか故意って何!? もしかしてここに来てから何度か死にかけてるの!!?!?
そう考えて、彼らは思い出す。椿が魔法を使えないことを。
魔法を使われても対抗手段はなく、身を守る術もない。相手にその気が無くとも、椿にとっては凶器を振り回されているのと同義である。
そのことに気付いた彼らは膝に矢を受けたかのように崩れ落ちていった。
更に椿の文脈に違和感を感じた者が、もう一度彼女の言葉を反芻して発狂した。
だって元の世界で命を狙われたことがあるような口振りだったから。
そんな彼らの荒れ狂う心境など露知らず、椿は更なる爆弾を落とした。
『学園長が私に利用価値を見出してくれて良かった。無価値だと断じられれば、ゴミのようにうち捨てられるのは目に見えているからな』
『最悪の場合、“死人に口なし”と、口を封じられてしまったかもしれないのだから』
それは最早、死体に鞭打つ所業であった。
それによって食堂にいた者は一人残らず泣き喚き、次々に学園長に突撃していったのは、ある意味必然と言える出来事だった。