慈悲の魔物
声が聞こえた。
特別を望む声。自分を認めて欲しいと願う声。
私がずっと望んでいた声だ。探し求めていた“特別”だ。
きっと誰でもよかったわけじゃない。
“彼ら”のように躓いても立ち上がり、歩み続けることの出来る者だから。理不尽に挑む気概のある者の声だから、私に願いを届けることが出来たのだ。
声の主よ。いざ参らん。
君が“そうである“ならば。その望み、その願い。叶えよう。この命を賭して。
もちろん、その分の対価は貰うけれども。
* * * * *
「はぁ~……。疲れたぁ……」
一仕事終えたジャミルは、広い中庭で休憩を取っていた。
いつもなら纏わり付いてくるカリムも、今は勉強中である。一人きりの中庭で、ジャミルは思い切り伸びをした。
「カリムは今、召喚術の勉強をしているんだっけ……?」
熱砂の国は、“砂漠の国の大賢者”に憧れを持つ者が多い。「グレート・セブン」という“かつて存在していた偉大なる存在”に与えられた称号を持つ大臣で、熱砂の国では特に彼に憧憬を寄せる者が多かった。
彼が赤いオウムを連れていたという言い伝えから、熱砂の国の魔法士の多くは使い魔を連れていた。そのため次期当主たるカリムも使い魔を持つことが推奨されていた。
使い魔は種類によってはそれだけでステータスになる種族も存在する。気難しいとされる使い魔を従えるだけの有能さを持っているという証拠になるのだ。
また、己の優秀さと財力を示すのにも有効だ。永続的な契約にはその分だけの対価を払い続けなければならないからだ。また、家族の他に、使い魔を養うだけの金銭的な余裕があることを示すことが出来る。
「いいなぁ、カリムは。使い魔で無くて良いから、俺もオウムくらい飼ってみたいなぁ」
ジャミルも大賢者に憧れる一人だ。いつか使い魔を従える魔法士になりたいと考えていた。
しかし、召喚術は命を扱うため、きちんとした教育を受けなければならない。
けれどジャミルは従者の家系である。主人の一族よりも秀でてはいけないという暗黙の了解が存在している。そのため主人のカリムより、教育に割り当てられる時間が少ない。
また、そもそも仕事が多すぎて、学業に割ける時間が存在しないのだ。そのため必要最低限の教育しか施されていない。
ジャミルは知識欲旺盛な子供だ。必要最低限の教育では物足りず、仕事が終わった後に自習をしているほどである。
(そう言えば、昨日読んだ古代呪文語の本に召喚術に関する記述があったな……)
ジャミルは昨夜のことを思い出す。想起するのは古代呪文語で記載されていた一文だ。それは降霊術の一節で、召喚術に使用されることもあるという。
「えっと、確か……―――――、―――、―――――――…………」
唱えた一文だけでは儀式は完了しない。召喚陣を用意して、きちんとした詠唱を用いて、場合によっては供物だって必要だ。
意味は「自分の声に応えて欲しい」という懇願。
幼いながらも賢いジャミルは、答えが返ってくることはないと理解しつつ、けれども願わずにはいられなかった。
自分の実力を示してはいけない。一番を取れるのに我慢しなければならない。
従者が主人を立てなければならないことは理解はしているけれど、それを素直に受け入れて納得できる程、今のジャミルは大人ではなかった。幼すぎたのだ。
呪文を唱え終えて、何も起こらないことを確認し、ジャミルは苦笑した。
何も起こらないと分かっていて、けれどそれを残念に思っている自分がいたからだ。
―――――そろそろ仕事に戻らないと。
そう思いながら立ち上がろうとした、その瞬間。ジャミルは得体の知れない感情に襲われた。
怖い。
この場から逃げ出したい。
頭を垂れないと。
そんな支離滅裂とした感情だ。名前を付けるなら「畏怖」が最も適切だろう。
けれど、何故そんな感情が芽生えたのかが分からない。
―――――ああ、幼子よ。我が主よ。そんなに怯えないでくれ。
脳に直接、声が流し込まれる。
突然のことに驚くも、これがすぐに誰かが発動した魔法であることが分かった。
これは相手の脳に直接語りかける魔法―――――念話である。
念話は習得自体は難しいものではない。けれど調節の難しい魔法である。
相手の脳に自分の声を響かせるわけであるから、音量の調節や、語りかける相手の座標を指定をしなければならないためだ。
この相手は調節が上手く、念話によくあると言われるノイズもなければ、脳を揺さぶるような反響もない。念話を使い慣れているか、それなりの魔法士であることが窺えた。
その声を聞いて、ジャミルは自分の心をめちゃくちゃにかき乱したのが声の主であることを悟った。
「だ、誰だ? どこにいるんだ?」
辺りを見回すも、声の主の姿はない。
目眩ましを使っているのか、念話で遠い場所から語りかけているのか。魔法士ではないジャミルにはその判断が付かなかった。
―――――私はここだ。
その一言と共に、嵐かと紛うほどの突風が巻き起こる。
それはただの風ではないようだった。自然現象にしてはあまりにも不自然であり、魔法を放ったにしては魔法を発動したとき特有の気配がない。
けれども今のジャミルにそれを解析しているような余裕はない。飛ばされないように身を屈めて、必死に地面にへばり付く。
ザリザリと削られる地面。メキメキと音を立てる木々。バリンバリンと割れる窓ガラス。
ゆっくりと風が収まって、ようやく顔を上げられるようになったとき、ジャミルは周囲の有様に絶句した。
周囲の木々が薙ぎ倒され、建物の装飾や窓ガラスが悉く破壊されていたのだ。今しがた降り立った存在を中心にして。
地面に刻まれた不自然な嵐の爪痕を見て、ジャミルは一つの答えに辿り着く。
降り立った存在が纏う魔力によって、この嵐が引き起こされたのではないか、と。
そんなことはあり得ない、と簡単に否定できない自分がいた。それだけの魔力を保有していることと、底の知れないナニカを内包していることが分かったからだ。
けれどそんなことがあり得るのかと、目の前で起こっていることと、自分の導き出した答えが受け入れられない。
「初めまして、小さな主。怖がらせてしまって申し訳ない」
―――――君の声が聞こえたのが嬉しくて、ついはしゃいでしまったようだ。魔力が溢れてしまったらしい。
そう言って、人とよく似たナニカは本当に嬉しそうに笑った。
「あ、あるじ……? 俺が……?」
―――――魔力が溢れただけで庭を荒れ地にしてしまうような存在の……?
唇を戦慄かせながら、ジャミルが後退る。
自分の手に負えるものではないと。恐ろしいほどの上位種を喚んでしまったのだと、否応なしに理解してしまったのだ。
「ああ、確かに。随分荒らしてしまったな」
庭に興味関心が無かったのか、ジャミルの発言により、ようやく中庭の惨状に気が付いたようだった。
応召者が、ぱちんと一つ、指を鳴らす。
何をしたのかと疑問に思う間もなく、風の爪痕が残る地面が波打ち、平らにならされる。倒れていた木々は持ち上がり、ガラス片や装飾品は元の位置に張り付いていく。
みるみるうちに、荒れ果てた庭は元の美しさを取り戻していった。
「す、凄い! 今のは修復魔法か? あっという間に庭が元に戻った!」
「ふふ、これくらいならば造作も無いよ。君ならすぐに使えるようになるさ」
「本当?」
「本当だとも」
凄い魔法を使う相手に認められた事が嬉しくて、ジャミルが頬を上気させる。それを微笑ましく眺めた応召者は、改めて居住まいを正した。
「さて、自己紹介をさせて頂こうか」
真っ直ぐに見つめてくる眼差しに、ジャミルも自然と居住まいを正す。
「我は“隣人”。“慈悲の魔物”、“仁の獣”とも呼ばれている。我が真名を『―――――』。基本的には『ツバキ』と名乗っているから、そちらで呼んでくれると有り難い」
―――――よろしく。我が主、ジャミル・バイパーよ。
自らを魔物と名乗った使い魔は、どこまでも無害そうな顔で微笑んだ。愛しくてたまらないというような、引きずり込まれそうな眼差しを向けながら。