姐さんが第二王子とおしゃべりする話






「帰りてぇっていう割に、随分と涼しい顔してるじゃねぇか」
「そうか?」


 ツバキはいつものように微笑んでいる。 その顔は、この世は美しいものだけで満たさせれていると言わんばかりだ。
 けれどそれは表面上だけの虚栄。心の内は違う。


『これでも大分焦ってはいるんだがな……。
 まぁ、必要以上に焦燥に駆られている姿を見られるのは好ましくない。付け入る隙になりかねないしな。
 嗤われるだけならいい。いくらでも馬鹿にすればいい。
 けれど、私を害する事だけは許さない。
 私の敵になるならば、私も殺すつもりで受けて立つ』


 何を言っているのだ、こいつは。
 レオナはらしくもなく気圧された。

 命を奪う事がどういうことか分かっているのかと、そう怒鳴りつけてやりたい。
 分からないだろう。分かる訳がないと、そう言いたいけれど。
 けれども、レオナにはそれが出来なかった。

 目の前の人間はそれを知っている。命の重みを知っている。
 その上で、命を奪うことも厭わないと、そう言ってのけているのだ。

 ツバキのことなど何も知らないはずなのに、何故だかそう確信していた。


「帰る場所はねぇと言われているんだろう? 本当に帰る方法がねぇとは思わねぇのか」


 圧倒されているのが気に食わなくて。被っているだろう仮面を剥いでやりたくて、レオナは言葉を重ねる。


「例え帰れたとしても、そこにお前の居場所があると、本当に言えるのか?」


 絶望して欲しい。
 虚栄で塗り固めた見栄だと、そう言って欲しい。


「君は私に絶望して欲しいのか?」


 ツバキは困ったように笑った。それは子供の我儘を諭すときの大人の笑みだった。

 ああ、そうだとも。
 最低だという事は分かっている。
 けれども絶望して欲しい。
 心折れて、道半ばで諦めて欲しい。
 こんな平凡な人間に、茨の道は耐えられない。


「残念だけど、絶望する理由がないから、それは出来ない」
「なら、どこに希望があるってんだ?」
「う〜ん、そうだなぁ……」

『まず屋根があって、雨風を凌げること。
 食事が取れること。
 睡眠が取れる場所があること。
 味方ではないけれど、一人ではないこと。
 問答無用で殺しにかかってくる相手がいないこと。
 ざっと考えてこれくらいか?
 これだけのものが揃っていて、どう絶望すれば良い?』


 は? と、間抜けな声が口から零れ落ちる。
 雨風が凌げると言った場所ーーーオンボロ寮は雨漏りも隙間風も好きなように侵入してくる廃墟同然の場所で。
 味方のいない場所で安い給料でこき使われて。
 心休まる時などないだろうに。
 帰る場所がないと明言されて、帰る方法の目処すら立っていないというのに。
 それでも尚、絶望するには足らないというのか。


『絶望するのには飽きてしまったんだ。
 絶望するのは疲れるんだ。

 そも、絶望なんて、そんなのは誰にだって降り注ぐものだ。生きていれば必ず味わうものだ。
 いちいち絶望していてはキリがない。

 希望がない? そんなのは当然だ。
 それは与えられるものじゃない。自らが探し、この手に掴み取るものなのだから。

 そうだとも。こんな事は何も、特別な事じゃない。
 たかが人生で味わう不幸の一つ。これから先、幾度となく乗り越えて行かなければ選択肢の岐路でしかない。

 この程度で折れていては、この先の人生を生きていけやしない。
 まして彼らの主など、務まるはずもないのだから』


 ツバキは絶望してなどいない。
 そんな事は無意味だと。生産性が無いと、些細なことに希望を見出し、それを糧に前を向いているのだ。
 一通りの思考を終わらせて、ツバキが改めてレオナに向き直る。
 そして言った。


「目の前に君が居ることかな」


 と。


「………………は?」


 ぽかんと、レオナが口を開けたままツバキを見つめる。
 ツバキはにこにこと笑っていた。


「話が通じる相手がいると言うのは、結構大事な事だと思うよ。私を私だと認識して、話してくれると言うのは、私にとってはとても重要な事だ」


 最初、何を言っているのか分からなかった。
 一泊遅れて、それがレオナの問いかけへの答えであると理解する。


「…………はっ、くだらねぇ。そんなことが希望だと?」
「もちろんだとも。認めて貰えると言うことは、それだけで喜ばしいことだ」

『己を己だと認められない事の恐ろしさを、私は知っている。
 否定され続けた者が、どのように壊れていくのかも。
 だからきっと、この世界にとって異物である私を認めてくれると言うことは稀有な事なんだ。
 "人と違う"というものへの差別や迫害の歴史が、確かに存在しているのだから』


*****


「下が上を正し、上が下を律する。それが私の掲げる主従の形だ」

「私が道を踏み外した時には、彼らが私を殺してくれる。だから私は、私の信じた道を進むだけでいいんだ」

「ただこれは、私達が偶然主従の形を選べる状態にあったから出来た形であって、それが出来ない主従も存在することは知っているよ」


*****


「ここは平和だ。けれど私にとっては地獄だ」

「受け入れられない感性。異なる価値観。何より彼らがいないという事実」

「彼らは私の生きる意味だ。生きる意味のない世界で、私の命に価値はない」

「だから私は、帰りたいんだ」




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